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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

拝啓昨日の僕へ

作者: 紗倉雨

僕には、変な習慣があるんだ。

今更こんな事を書かなくても、君も知っているだろうけど。


それは、日記を書くこと。

一見普通に聞こえるけれど、僕の言う日記はいわば手紙だ。

昨日の自分、則ち過去の自分に向けての手紙を書くように、今日の出来事を綴る。だから僕は心の中ではそれを【過去通信】と呼んでいる。

厨二病だと笑われるから、普段は決して口にはしないけど。

【過去通信】の書き出しはいつも一緒。


『拝啓、昨日の僕へ』。


この文章を書き続けて早3年。

君も知っているだろうけど、そんな書き出しの手紙が届いた事は無かった。届くわけが、無いんだけどね。

そろそろ馬鹿馬鹿しくなってきて、もう辞めてもいいかも。なんて書いたのが、ちょうど昨日のことだった。

それなのに、今日、大事件が起こったんだ。

きっと僕には、この忌々しい事件を君へ伝える義務がある。

きっと僕は、これを伝えるために産まれてきた。


だから、はじめよう。

これが僕から君への最後の通信だ。


今日は、気持ちいいほどの晴天だった。

なんの前触れもなく突然降り出して、君を困らせた雨なんてなかったかのような、快晴。

そんな天気だったから、必然的に僕達、僕と彼女のテンションも上がった。


日課のポストチェックを済ませて、何通か入っていた封筒や葉書を玄関に投げるように置いて、僕は彼女を待っていた。

「おはようございます、未来くんっ」って言いながら手を振る彼女に振り返して、大っ嫌いな名前だけど、彼女に呼ばれるのは心地いい、なんて事を考えていた。


ああ、そうだ。

君が毎朝思う事を、僕も毎朝思っていたんだ。

もっとも、それを口にはしなかったけれど。


何故?って思っただろうか。きっと思わないだろう。

いつか、それを彼女に伝えた日の事。

僕が覚えているんだから、君も覚えているよね。

「可愛い名前だから呼ぶ方も楽しいですよ。同じ漢字なのに音が違うのも面白いですし」なんて、気にしてる事を無邪気な笑顔で突かれた事。

別に、それを根に持っているわけでは無いけどさ。



とにかく、駆け寄ってきたあの子にもう1度朝の挨拶をして、君が頭を悩ませている課題の答え合せをしながら、いつも通り学校まで歩いたんだ。

先に言っておこうか。

君が3時間かけて完璧に仕上げたと思っているそれは、2問ほど間違えている。彼女は完璧だったけど。

……流石僕達の彼女だよね。最後ぐらい勝ちたかったよ。

でも、問題番号は教えてあげない。

それをしたらズルだからね。


ともあれ、間違いも直せて、いつも通り可愛い彼女の横を歩けて、僕は最高に幸せだった。

手は、今日も繋げなかったけど。

君は否定するだろうけど、君よりも僕の方が幸せだった。

すごいよね、彼女は。

幸せの上限を、毎日更新してくれるんだから。


でも、そんな幸せは長くは続かなかった。


良いか、これは嘘じゃない。全部、僕の。君の明日の話だ。

いつも曲がる曲がり角、事件はそこで起こったんだ。

そう、いつかは忘れてしまったが、「曲がると直ぐに学校が見えてきちゃうからやだね」なんて会話をした、あそこ。

君が態とらしく解けてもいない靴紐を結び直した、彼処だ。


丁度曲がり角に足を踏み入れた瞬間だった。

何かが走って来て、僕と彼女の付かず離れずの絶妙な距離をぶったぎった。僕は、それに突き飛ばされた。

凄い勢いで、真っ黒な影が僕らの間に割り入った。

そう気づくには多少の時間が必要だった。

慌てて振り向いた僕の目に、何が映ったと思う。



最初に目に入ったのは、赤く濡れた銀色の何かを握って走り去るそれ。

僕は、それが何か分からなくて、落ちた眼鏡を拾いながらあの子を探したんだ。

僕のように、突き飛ばされて転んではいないかと名前を呼びながら。


そして、見た。見てしまった。

赤い水溜りに倒れこむ彼女の姿を。


ほんの一瞬が、永遠に感じられた。

据えた金属の強い匂いがした。

温度が急速に下がっていく思いがした。

女子のキンキン高い叫び声が。

遠くから聴こえるシャッター音が。

もっと遠くから聴こえる不協和音が。

「未来、くん」と僕を呼ぶ愛おしい声が、微かに聞こえた。

大好きだった綺麗な目が、急速に光を失うのを見た。


僕は、何もできなかった。

動けなかったんだ。ただ、尻餅をついていた。

力なく目を閉じる彼女の名前をただ呆然と呼んでいた。

笑えるだろう?僕は、どれだけ情けないんだろうね。

投げ出された手を握ることすらできなかったんだ。

それが震えていた事は見えていたし、それが最後になる事も直感的に理解していたのに、だ。

救急車を呼ぶこともできなかった。

その脇腹から流れる赤が、水溜りを茜に染め上げていると理解していたのに、だよ。


全く、愚の骨頂ここに極まれり、だろう。

こんな僕に、生きている価値なんて何もない。

君だって、そう思うだろ?


……嗚呼、そろそろ紙が終わる。

最初にも書いたね。覚えているかい。

これは、僕から君への、最後の通信だ。


前例がない事は知っている。それでも、そうだとしても。

願わくば、僕の通信が君に届いて、僕と君の大切な「未来」を、救えますように。

頼むよ、僕。今度はちゃんと、守ってあげて。


君たちの明日に奇跡が訪れる事を、ただひたすらに祈ってる


敬具



書き上げたそれを、そっと折り畳む。

コンビニで買った封筒に入れ、封をする。

風に乗せられてどこかへ飛んでいかぬように、僕は脱いだ靴を重石にして、立ち上がる。

眼下に広がる街を眺む。


「ミライ。未来。……僕は確かに幸せだったよ」


君も、そうであったなら嬉しいな。

手のひとつ握れない僕に、それを思う資格はないか。

それじゃあ、ミク。昨日の、僕。

まだ絶望を知らない僕。あとは、頼んだよ。


どうか、どうか。幸せな明日を。

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