4.
胸糞、残酷描写があります。
2020/12/15 若干改稿
2021/8/1 修正
2023/10/15 いろいろ修正。小説全体のお話の流れに変化はありませんが、贄の微笑み篇の内容はわりと変わりました。
2024/5/12 数字を漢数字に変更、三点リーダの書き方を修正
その日、ドゥーラの城壁前は、密集した人々で身動きが取れないほどの混雑模様を見せていた。無理やり連れていかれた花嫁への同情と、あまりに横暴な第三皇子への怒りに満ち溢れた城前広場に、荘厳な鐘の音がむなしく響く。
「……やっぱりあたしゃ納得できないよ。」
「俺もだ……こんなの間違ってる。」
「あいつは来なかったな……そりゃそうだよな。あいつが一番辛いに決まってる。」
あいつ、というのはもちろん、少女に恋い焦がれていた青年のことである。第三皇子の幾多の悪手によって、帝都の住民はほとんどが今回の事情を知り、そのほとんどがこの結婚に反対の姿勢をとっている……そのことは、当然皇室も、皇軍も把握している。新郎新婦が現れるはずの城壁の、上と下に何人もの兵士がずらりと並び、緊張した面持ちで武器を構え、怒れる民衆をけん制しているようだった。彼らの視線と民の視線がたびたび衝突し、声こそ上がらないもののそこは戦場の様相を呈している。
いるだけで具合が悪くなりそうな、ひどい空気の広場に助けはやってこない。その元凶と被害者は、今まさに城内で結婚式を挙げているはずなのだ。中で何が起こっているのかを見ることも聞くこともできない、そのやるせなさが理不尽への理不尽な怒りを醸成し、それは人々の間で順調に広まり続けている。兵士たちも、その傍らで出番を待つ楽隊も居心地が悪そうだ。中には悪態をつく者もいる。おおかた、自分も城中担当がよかった、とでも言っているのだろう。城内警護も城内の楽隊も両方必要なのだ。
そんな広場にちょうど隣接した家の陰、お誂え向きに城壁の上が見られる場所に、ゼロと青年の姿はあった。
「なあ、まだあいつは来ないのかよ。」
「……知らんな。」
そわそわと落ち着きがない青年と、我関せずといった様子のゼロ。家屋の壁に背を預け、腕を組み目を閉じるその様子は、この後一仕事を控えている男のあり様とは思えない。彼は城壁前に目を向けることすらせずに、淡々とその時を待ち続けている。
さて、青年の様子はもちろんのこと、波乱の舞台となったその場所もまた、荒れ模様が収まる様子は見られない。人々のざわめきは次第に怒号に変わり、兵士たちの表情は険しく。貧乏ゆすりを続ける青年の顔は少しずつ凶悪に歪む。
悪化するばかりの城壁前に、ついに楽隊の音楽が鳴り始めた。主役の登場をほのめかすその音楽は、奏者の心を映したかのように、委縮して濁った、お粗末なものだ。対照的に、音を聞いた人々は一斉にいきりたち、みな一斉に城壁の上を注視する。
ひょろひょろと頼りない音楽が曲調の上での盛り上がりを迎えたとき。怒りと悲しみが飛び交う、居心地が最悪なその空間に、ついに新郎新婦が姿を現した。
そんな、とても祭事にふさわしくない、祝福とは程遠い状況下であっても、それでも彼らは美しかった。少女は自らの持つ暗めの配色を、金の薔薇のブローチをアクセントとした落ち着いた色のドレスで美しくまとめ上げ、反対に第三皇子は赤を中心とした派手目の服装がその美貌をこの上なく引き立てる。ゆっくりと歩く第三皇子が晴れやかな表情で手を振ると、人差し指にはめられた指輪の、深い青色の宝石がきらりと光る。
幸せそうに見える皇子の様子と対照的に、隣に立つ少女はうつむいたまま、人々のほうに目を向けようともしない。ただ、皇子に手を引かれ、なされるがままに進むばかりだ。
その様子はまさに、この結婚の実態を余すことなく表しているようであった。幸せになったのは横暴な皇子のみで、彼は悲しみに暮れる少女のほうを気にもかけない。
きっと、もう大分前の段階から限界を迎えていたのだろう。ゼロの隣でずっといらいらとしていた青年がついに物陰から飛び出して、城門のふもとに立ち皇子をにらみつける。
「お前っ! よくも、よくも……そんなこと、よくもできるなっ! どう見たって、嫌がってるだろ!?」
彼の怒りの咆哮は、静寂を忘れ果てたその場においてもひときわ存在感を放つ。彼の声が届いたのか、城壁の上でニコニコしていた皇子が、困惑したように下を向く。
「お前のせいで、俺たちの人生はめちゃくちゃになった! 幸せな日々は壊されて、俺たちの愛は引き裂かれた! ……っ皇帝陛下、こんなことが、本当に許されてよいのですかっ!?」
彼の言葉に、皇帝は明らかに面倒そうな表情を見せる。とはいっても、どうやら彼の怒りは素朴な青年の怒りに向けられてはいないようである。
「……この場はお前が収めろ。これはお前の、軽率の報いだ。」
彼としても、不肖の息子の結婚を祝うつもりはたいしてなかったのだろう。彼はその言葉を最後に、皇子を冷たく睥睨し、城壁と、それにつながる通路を通り、城の中へと戻って行ってしまった。
皇帝の低く重厚な声を受け、皇子は仕方がない、と言わんばかりの表情としぐさで、いきりたつ民のほうに体を向けた。
「はてさて、父上も冷たいことだ。私一人でコレを片付けるように、とは。」
そうして彼は、自身の足元で震える彼に向けて、飄々と、最悪の一言を投げかけた。
「ふむ……で、誰だったかな? 最近忙しくてね、些細な事にまで気を向けられなかったんだ。」
それは明らかな挑発、しかしあくまで彼は、本当に知らないかのようにそう言った。
「ふざ、ふざけんな、ふざけんなふざけんな、この、クソ野郎がぁぁ!!!」
彼の言葉を狼煙とし、民の怒りがついに爆発した。彼らは第三皇子を、皇帝を、ひいては彼らに味方する兵士さえも口汚くののしりながら、唯一の出入り口、最も守りが固い城の入り口に押し寄せる。当然、その時のために用意されていた兵士たちが剣を抜き応戦するが、彼らも今回のことに思うことがあったのだろう。何かに抵抗を覚えたように硬直するものが大半で、そしてそのほとんどが、人の波に飲み込まれ引き倒され、見えなくなる。
イオニアの兵士は確かに強い、しかしその強さをもってしても、この状況を収めることはできないように思えた。ピッタリと閉じられた城壁の扉が人の波に押されたわみ、バキバキと嫌な音を立てる。いよいよ状況が悪いとみて、皇子と新婦の近くに控えた、忠義に厚い兵士たちが皇子に進言する。
「殿下、我々も城に戻りましょう。」
彼らの焦りとは裏腹に、当の守られるべき男のほうは、隣に立つ少女の腰を抱きながら、どこか面白そうに、押し寄せる群衆を眺めるばかりだ。
「なに、大丈夫だよ。利はこちらにある。」
「ですがしかし……!」
「いいから。」
己の主たる男にそこまで言われては、彼らにできることはない。兵士たちが不安げな表情で見つめるその先で、扉がうちに吹き飛ばされ、怒れる民衆が庭園に足を踏み入れても、皇子はなお余裕の表情を崩さない。中心を進んでいた青年が、この期に及んでなお城壁に立つ皇子に気づき、憤怒の表情とともに指をさしても、彼はその場から動こうとしない。
青年が何かを叫ぶ。その言葉は皇子のもとまで届かずとも、同胞たちの怒りを駆り立てる。我を忘れた人々は、理由もなく、必死に、皇子を罰する方法を探す。
ついに彼らは登れそうな城壁の突起を見つけ、にわかに色めき立つ。実際そう見えるだけで、簡単には登れないような構造的工夫がなされているのだが……数えるのも億劫なほどの人の群れに対して、どれほどの効果を発揮できるかわからない。これはいよいよ危ないかと、イオニアの兵士たちが覚悟を決めて臨戦態勢をとったその次の瞬間。
人々の視界の端に、黒い影が走った。
何かが空を切る鋭い音とともに、一抱えもある丸いものが小気味よく宙を舞う。彼らの中心に割って入った誰かの背後に、ごとりと不吉な音を立てそれが落ちる。
「……第三皇子よ。」
静まり返った城の庭園。あたりに響くは鋭利な針のような声。突然のことに動けない、民も、兵士も、否応なしにその声に耳を傾ける。
「……依頼は果たしたぞ。」
青年の肉体が、血の一滴も流さず地面に崩れ落ちた。
「……ゼロ・レルクは、貴様の結婚を祝福する。」
その言葉に、にっこりと返すものが一人。
「ありがとう、傭兵ゼロ。期待通りの働きだ。」
悲鳴が響き渡った。
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あの後、最も大事な当事者の突然の死により、人々は統制を失った。共通の目的が見えなくなった彼らは兵士たちによって鎮圧され、結局必要以上に死者を出す結果に終わる。
その忌まわしき出来事は、誰が言い出したか、人々の間で『血痕式』などと呼ばれるようになった。その当事者、罪もない青年と大勢の人間を死に追いやった第三皇子……とその協力者であるゼロの株は急降下。街を普通に歩くことすらできないほどの状況に陥った。
とはいえ、仮にも衆人環視のなか人を殺したゼロがその程度で済んでいるのは、あの事件が『皇族の身の安全を脅かした狼藉者を、第三皇子に雇われた護衛である傭兵ゼロが排除した』ということになっているからである。
実際のところ、あの出来事の本質は民による暴動である。原因の一端が第三皇子にあるという理由で、民が処罰を受けるような事態にこそならなかったが、かといってその理屈では、ゼロは暴動を鎮圧した英雄である。そうした微妙な関係性は、どちらにも至らないところがあった、という中途半端な結末を招き、燃え尽きも消されもしなかった民の怒りははけ口を失いくすぶり続ける。
そんな状況を作り上げた第三皇子は為政者として失格である、という当代皇帝の指示によって、結婚から三日もたたぬうちに、彼は若くして隠居を強いられることになる。花嫁の方は、強引に結婚させられた挙句に第三皇子に幼馴染を殺され、挙句第三皇子に巻き込まれ永遠に籠の鳥であるがために、皇子の生贄と言われるようになっていた。
「……で、説明してもらえるだろうな、ゼロ。」
「……意外なことだ。貴様も私を恨んでいるものと思っていたが。」
「金のためだけに働くっていうお前さんのスタンスも、目的のためには手段を択ばない冷酷さも知ってる。今更引いたりしないよ……それに、俺もお前さんのそっちの側面に助けられた口だ。感謝はしてるんだぜ。見習いたいとは思わんがな。」
それは、つい先日と同じ、小さな酒場でのこと。相変わらず昼間から酒を傾けるゼロに、前と違い今度はともに酒をたしなむ―帝都が喪に服しているためか今日一日はこの酒場は休業だ―マスターはしかめっ面で説明を求める。
「……貴様に説明は要らんな。私はもとよりあの男の協力者などではない。依頼主は第三皇子、あの男は弑する対象だった。」
「いやまあ、常套手段ではある。実際のところ有効だ。」
ゼロが今回の依頼に際して受け取った封筒。封入されていたのは招待状だけではない。第三皇子の正式な署名、捺印がされた依頼状と、多額の報酬。依頼の内容は花嫁の許嫁であった男の殺害。ゼロの目的は初めからそこにあった。
それに対し、ゼロは青年に対して、協力する、とは一度も言っていない。青年が勝手に、正義がどちらかは自明であると、正義たる己の事情を話せば、誰でも己を味方するだろうと、そう信じ込んでいただけに過ぎない。
「……これに関して俺から言えることはないな。藪蛇だ。で、第三皇子のほうはどうなんだ。結局、奴さんは何が目的だったんだ?」
「……やはり、第三皇子は優秀だったということだ……あまりにも、な。」
ことり、とゼロがグラスをカウンターに置く。
「……すべて、奴と……もう一人の共犯者の、思惑の通りだったということだ。」
ゼロの語りが、静かに始まった。