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瞬撃の魔剣士  作者: Legero
幕間―4
46/46

ただ、正しくあれ

お久しぶりです。Legeroでございます。

前回投稿が2024年の3月…?しかもできたの一本だけってどういうことでしょうかね。

というわけで幕間となります。この後はもう一本幕間を挟んだ後、本編に戻ります。

 大陸中央にて強国に囲まれ、戦々恐々と形ばかりの共闘を主張する小国連合、ガザレイド。北に強大なるドリア・イオニア、西に美麗なるリース・ヴィアラ、南に広大なるクレアーラを睨む、自然豊かな小国である。


 連合の首都を要するガルに続き、この国で二番目に立場の強い小国といえば、一帯の台所事情を一手に担う緑あふれる自然の国、農畜の国ドーラといえよう。隣国セイヴァと同じ産業を生業としているこの国には、自然の面影を残した荒々しい農耕が特徴であったあちらと違い、農畜に特化し独自の発展を遂げた魔術とともに、小さめの土地と居住区を兼ねる産業施設が無数に組み合わさり、絡まりあった、周期的かつ無機物的な、生産以外のすべてを捨て去ったがごとき、便宜上街と呼ばれる摩訶不思議な世界が構築されている。地平線のかなたまで隙間なく敷き詰められた、牧場と農場の間を縦へ横へと駆け巡る白木の橋は、ここに暮らす人々の足元であり、また旅人たちの道しるべ。ときに傾き、時に急勾配(こうばい)で建物に吸い込まれてゆくそれには、住民が、旅人が、商人が、大勢の人々がひっきりなしに往来している。


 人々が手をかざせば、水はひとりでに浮き上がり畑に向かって降り注ぎ、牧畜の排泄物はころころと肥溜めに落ちてゆく。種まきから収穫まで、この国ではそのすべてが魔術によって賄われている。惜しむらくは、ちょうど季節が冬であることだろう。どこまでも広がる畑には、夜間に降った雪がしっとりと降り積もり、その下にあったはずのものをうかがい知ることはできず。牧畜はいくらか放牧されている様子、しかしそれも決して多くはない。


 さて、農畜に特化した国土は確かにドーラ最大の特徴であるが、しかしそればかりでは国として成立しないのもまた事実。ガザレイド小国連合の構成国として、最低限国としての体裁、すなわち首脳部の存在は必要不可欠。ゆえにドーラにも、かろうじて首都と呼ばれる場所がある。ドーラの国土のちょうど中央部に、一つの城と城下町が、広大な平原と無数の街道を擁し、国の名たるドーラの名を冠し鎮座している。


 そんなドーラの首都ドーラに訪れたのは、とある王命を受け南へと旅をする傭兵団。木組みの高い門をくぐった『緋色の翼』の一行は、ややうんざりした表情のまま人の流れに従って、街の奥へを歩を進めてゆく。


「は~! なんか、久しぶりに街に来た気がするなぁ!」


 腕を高く上げ体を伸ばす彼女、リィンヴァルナの感想にも無理はない。ガザレイド小国連合で最大の国土を誇るこの国は、しかしそのほとんどが産業地帯なのだから。初めのうちは物珍しい街並み(・・・)も、二、三日も見ていればすっかり見飽きて、旅をするには単調すぎ不便すぎ、という無味乾燥な感想ばかりが残る。


「リィは初めてドーラに来るんだったか?」


「うん、ガルならあるんだけど……でもラーナも初めてなんじゃない?」


「ええ、(わたくし)もガルだけです。一度だけクレアーラに伺った際も、ガルとイアラを通りましたから。」


「なるほどねぇ、サリアは?」


「ガザレイドが初めてじゃ。そも儂はイオニアとドリア以外は知らぬ。」


 いつになくぶっきらぼうな紫髪の彼女は、先ほどから街のいたるところにふらふらと目移りしている。魔術を生業とする彼女にとっては、独自の発展を遂げたこの国の魔術が物珍しくて仕方がないのである。


「そういうライはどうなのよ! 全然疲れてないみたいだけど!」


「そりゃ覚悟してたからな。リィにも発つ前にドーラの話はしたじゃないか。ドリアからドーラもこんな感じだし、ここからクレアーラも同じ感じだって。」


「うぇ~!?」


 あの黒い傭兵と相対していた時とはかけ離れた柔らかい表情で、和気あいあいと歩く『緋色の翼』の面々。旅の疲れは滲んでいても、その表情はすがすがしい。このドーラが今宵の宿、陽の高いうちにたどり着けたならば、しばし羽を伸ばす余裕もある。


「きゃっ!」


 そんな折、唐突に右端を歩いていたラーナに背の低い女性がぶつかって、彼女がわずかにたたらを踏む。しかしそれはラーナの強靭な体幹のなせる業。淡い茶の髪を振り乱し汗を拭くことすらせず憔悴した女性は、弾き返され、軽い音とともにとしりもちをつく。


 そんな女性の病的に細い腕に、幼い男の子が心配そうに取りすがる。彼もまたここまで休む間もなく走り続けていたのだろう、ゼイゼイと肩を揺らしている。


 二人のただ事ではない様子に、面々の表情が変わる。ぶつかってきた女性は慌てた様子で立ち上がり、頭を下げ、そして彼らを……上等な軽鎧に身を包んだラーナをしばし見つめる。


「だ、大丈夫ですか?」


「あ、あのっ! かくまってくれませんかっ!」


 最後まで言い切る前に、女性がラーナに縋りつく。正義感が強く若々しく、そして時間もあり余っている彼らに、女性の懇願を無下にするなどという選択はなかった。

 ~~~~~~~~~~








 ~~~~~~~~~~

 人の世、人の営みというものは、いつの時代も、基本的に価値によって動いている。価値なきものはそうと導く必要すらなく消え去ってゆくが、それが誰かに望まれ必要とされる限りは、たとえどれだけ忌み嫌われていようとも、この世のどこかで残り続ける。それも、ほかならぬ人の、それを必要とする者たちの意思によって、である。


 それは宿というごく普通な商売においても例外ではなく、屋根と食、清潔に健康、そして寡黙や秘匿といったあらゆるものが、その宿の『価値』として、少なくない金銭と引き換えに提供される。金銭の授受による対価の提供、つまり『値段』をつけられた『価値』とは、それすなわちその宿の強みであり、ほとんどそのまま、その宿そのものの格にして、宿につけられた『価値』となる。


 すなわち、今宵一行が宿泊する宿は、そこらを歩けば見つかるような二束三文の安宿ではないということである。大陸の覇者、ドリア王国の第一王女。やんごとなき少女が羽を落ち着ける鳥小屋の番人が、口の軽い軽薄な者であってはならないのである。


 そしてそれは、おそらく何かから逃げてきた女性をかくまうには実にちょうど良い場所であった。


 部屋中央の椅子に二人を座らせ、ライバートとラーナが向かい合って座り、サリアとリィンヴァルナが横に立つ。長身のライバートが立ったままでは無駄に威圧感があり、そしてラーナは交渉事をこの場の誰より得手とする。長年の傭兵稼業により、交渉事の際にはこの体制が良いのだと、彼らはわかっていた。


「それで、いったい何があったのですか。」


 ラーナが口火を切るも、女性は白湯の入ったカップを両手で包み、うつむいたまま何も話そうとしない。隣のライバートが口を開こうとして、机の下でラーナに手の甲をつねられる。びくりと肩を跳ね上げると同時に、女性の手もわずかに震えた。男の子は落ち着いている様子だが、まだ年のころ五つも行かなさそうな子供に説明を強いるのは酷である。


 話す様子のない女性。リィンヴァルナが前に出ようとして、サリアに手を引かれる。どうにも落ち着きのない幼馴染二人組であるが、問題なのはつまり、ライバートと違いリィンヴァルナは立っていたということ、そしてサリアの背が一行で最も低いことである。思いがけなく強い力で引き戻された少女はそのまましりもちをつき、静寂の中に乾いた音が大きく響く。


 唐突な大音量に、今度は女性が肩を跳ね上げる番であった。ずっと手に包んでいたカップが滑り落ち、ごとり、という小さな音とともに机に中身がぶちまけられる。


「ぁ……。」


「おっと。」


「リィンヴァルナさん……。」


 後ろを見もせず、呆れた様子でこめかみを押さえるラーナ。一瞬遅れて慌てた様子で、ライバートが懐から手ぬぐいを取り出す。


 ラーナは王族であるからして、濡れた机の掃除は彼女の仕事ではない。終始落ち着いた様子で、優しく女性に語り掛ける。


「大丈夫ですよ。ゆっくり話してください。時間はありますから。」


 年齢に不相応な落ち着きに、困ったような笑みが添えられる。


「彼女はその、考える前に体が動く気がありまして。」


 ぶんぶんと手を振り回し抗議の意を表明するリィンヴァルナ。彼女のさらに後ろでは、すっかり呆れた様子のサリアがぼんやりと光る杖を掲げ、杖から伸びる碧い光が少女の口元に伸び彼女の言葉を奪っている。


 深刻な心中と裏腹にどこか愉快で滑稽な彼らの様子、そして何よりラーナの柔和な笑顔。ようやく落ち着いたか、女性の顔にわずかな笑みが浮かぶ。


「……追われていたんです。」


 状況からして考えるまでもなくわかることであるが、一行は何も言わない。話の腰を折るようなことを言う必要はない。


「変な音がして、起きたらあいつが、その、人がいたんです。家の戸棚を漁ってたんです。目があったら、刃物で襲い掛かってきて、慌てて起きて、逃げたら追ってきて、どれだけ逃げても追いついてくるんです。だから朝から何も食べてなくて、それでもずっと追いかけてくるんです。人が多いといなくなるけど、家には帰してくれなくて、怖いんです。」


 要領を得ない女性の話に、一行は辛抱強く耳を傾ける。あれだけ暴れていたリィンヴァルナも、口元を包まれたままじっと動かない。


「だから、誰でもいいから助けてほしくて。でも誰も助けてくれないで、だからずっと追いかけてくるんです。だから、皆さんに会えて良かったです。その、ありがとうございます。」


「……その人に追われたのは今日の朝ですか?」


「はい。だから、今日はずっと何も食べてないんです。」


「撒いた……逃げられたと思って家に帰ると、まだそ奴がいたのじゃな。」


「はい。さっきもそうだったから、多分今もいると思います。」


 つまり、女性の話をまとめるとこうである。


 今日の朝早朝に物音に気が付き、刃物を持った人間が家の戸棚を漁っていることに気が付いた。慌てて逃げだしたは良いものの、おそらく半日程度たったであろう時間まで執拗に追ってくる。人通りの多いところに行けば撒けるが、そうすると今度は待ち伏せをされる。


「強盗かな……。家を漁ってたんでしょ?」


 どうやら拘束は解いてもらえたようだ。リィンヴァルナの高めの声にライバートが振り返る。低めの背もたれに腕を預け、後足二本で椅子をゆらしながら、少女の顔を見上げる。


「違うんじゃないか。追ってくるだけならはまだしも、待ち伏せなんてしないだろ。」


「強盗が?」


「強盗が。」


「え~でも、目撃者を消すとかするんじゃないの?」


「それで見られちゃ本末転倒ってもんじゃないか。やっぱり待ち伏せなんかしな」


 かつん、という杖の音とともに、二人の口が再度縫い合わされる。驚きとともに口元に手をやる二人、その拍子にライバートの椅子が後ろに倒れそうになる。


 直後部屋に吹き荒れる突風。広い胸板と小さな背もたれに吹き付け、前足二本がちいさな弾みとともに地面の感触を取り戻す。


「相手が何であろうと関係なかろう。なあ、ラーナよ。」


「ええ。いずれにせよ、我々がすべきことは決まっています。」


 二人は互いに顔を見合わせ、まるでもうすべてが決まったかのように頷く。そしてラーナだけがくるりと女性に向きなおり。


「貴方たちも、ついてきてください。それが一番安全ですから。」


 そう、厳かに告げた。

 ~~~~~~~~~~








 ~~~~~~~~~~

 ドーラの警邏は腰が重い。これはこの街に住まう者にとっては常識である。泥棒の一つや二つ起ころうと泣き寝入りは日常茶飯事、人死にがでようとも、あからさまに機嫌の悪い男たちが現場を見るだけ。腰が重いというのはあくまで柔らかな表現であり、はっきりと『役立たず』とののしる国民も少なくない。


 しかしそれはあくまで国民目線の話。本人たちにも当然ながら言い分の一つや二つはあるというもの。


 そして、彼らの腰が重い理由はほかでもなく、彼らが国のあぶれ者であるが故なのである。


 ドーラは農畜の国である。代々受け継がれた畑や家畜が彼らの今日の飯の種。今日も明日もその先も、曽孫の台に至るまでこの財産は代々受け継がれるものである。それはこの国の、多くの人々の共通認識であるが、しかし当然、中には財産を根こそぎ失った者たちもいる。土を死なせてしまっても、病気で家畜を失っても。それでも明日の朝日を拝むためには、どこかで価値を得なくてはならない。


 すなわち、何らかの理由で代々の飯の種を失った者たち。それこそが警邏の正体である。国の救済によりかろうじて生きるすべを取り戻した者たち、しかし年中として安定した気候のドーラで、まさか飯の種を根こそぎ奪われるような事態に陥ることはそう多くない。かといって、手を抜けばすぐ駄目になってしまう畑や家畜を放置して、一日の長い時間を警邏の仕事に費やさんと希望する変わり者もまた、ほとんどいない。そもそも警邏は役立たずであることもその傾向に拍車をかける。


 つまり、ドーラの警邏は単純かつ深刻な人手不足に陥っているのだ。男たちは機嫌が悪いのではなく、単に不健康で顔色が悪いだけなのである。


「……というわけですので、警邏を二人、お借りしたいのです。彼女の保護と、彼女をつけ狙う人物の捕縛、そして連行を皆様にお任せしたく。」


 当然、ドーラの()―ドーラの指導者もそうした事情は分かっており、わかっていてなお手をこまねいている状態なのだ。


「うーむ……。」


 そしてラーナも、そこは大国ドリアの王女。そのことは当然に把握している。最も、ラーナの場合は知識として知っている(・・・・・・・・・・)だけであり、やや実感にかけるところはあるのだが。


 場所はドーラの小さな王城、謁見の間。豊穣を想起させる、編みあがった草の根にも見えるタペストリーを背に背負い、二人の顔色が悪い兵士に囲まれ、光沢を放つ木製の椅子に座った男を相手に、『緋色の翼』よりラーナが両の足でしゃんと立ち、相対する。残りの三人は一歩分後ろで膝をつき、片膝に肘を合わせて二人のやり取りを見守っている。


 煮え切らない男の返事に、ラーナがわずかに顔をしかめて見せる。


「……私はドリアの王女です。」


「わ、わかっている。だから少し待ってくれないか。」


 謁見の間の玉座は広い部屋の中でも一段高い台座の上に鎮座しており、そこに腰掛ける男からは必然的に、話すラーナを見下ろすような形になる。


 ラーナは確かに王女であるが、しかしこれは非公式の謁見、たとえ謁見にこぎつけるに至った理由の一端に彼女の身分があろうとも、あくまでここにいるのは『緋色の翼』の傭兵ラーナである。


 それであるにもかかわらず、冷や汗を浮かべひきつった笑みを見せるドーラの()に、上位者たる貫禄は微塵も感じられなかった。


「我が国、ドリアには優秀な兵士が多くいるのです。日夜修練に明け暮れ、我が国を守らんと粉骨砕身する精鋭たちが。その忠義が。」


 いじらしく後ろで手を組み、ゆらゆらと歩く少女の一挙手一投足に男の視線は吸い寄せられる。右往左往落ち着かない光彩、わずかに震える口元。


「わ、わかっている。だから……。」


 ガザレイド、などと嘯いているが、小国は小国。大国ドリアの後ろには国家イオニアも控えている。戦になればほぼ間違いなく、ドーラの国土は焼かれ血に濡れ、数十年の不毛の地を抱え込む羽目になる。


「ですから。どうでしょう。今回の協力の謝礼として、こちらから少しの間、()をお貸しするというのは。」


 ゆえに彼には、ラーナに屈するほかに道は残されていない。


「人手が足らぬことは問題の本質にあらず。実際は、警邏に誰もなりたがらぬことが問題なのでしょう。であるならば、いかなる形であれ組織の改革は必至。折よく、我等ドリアの軍には治安の維持に長けた者も多くおります故。我等ドリアに受け継がれし日常の極意、手ずからお教えしましょう。」


「そ、それは……。」


 戦の示唆から急変、思いがけない申し出に男は動揺を隠せない。それでも彼は王である。在位中幾度となく訪れた危機をつぎはぎで乗り越え、初老に至るまでこの国を維持した剛の者である。ゆえに、こうした交渉の場には何度も臨んだことがあり、それだからこそ彼にもある種の勘のようなものが備わっている。


 つまり、この話には裏がある。男は首を横に振った。


「……い、いや。それはダメだ。」


 もともとの話に立ち返れば、その結論は何ら不思議なものではない。つまり、『緋色の翼』がドーラの警邏に声をかけ、結果何が起こるのかということである。


 これはラーナからドーラへの貸し(・・)なのである。少なくとも、彼には状況がそうと見えている。本来傭兵団で勝手に解決したうえで、最後に結果だけを突き出せば解決するところ、そこに警邏をかませてくれる、という状況。つまり、これは警邏の、ひいてはドーラの面子をつぶさないための提案なのである。たとえラーナの側にドーラの面子を(・・・・・・・)保ちたい(・・・・)幾分の理由があろうとも、それは男からは見えない。


 ラーナ、つまりはドリアからの貸しに、ドリアからの貸しを対価とする。そんな条件を飲んでしまえば、後で何を言われるか分かったものではない。何より、ことあるごとに大国を敵視しがちなガザレイドの構成国として、そのような施しを受けたとなれば、連合内での発言力は地に落ちる。


「……では仕方がありませんね。この話はなかったことに。」


 ゆえに、話を持ち出したのはラーナであるにもかかわらず、主導権は完全に彼女に移っていた。踵を返そうとするラーナを呼び止める声、その主が苦虫をかみつぶしたような顔で絞り出すように言う。


「貴国との貿易において……幾分、条件をよくしよう。詳細は後日、改めて場を設けることとしたい。」


「はい。陛下にはそのように伝えておきましょう。」


 にっこり少女らしく笑うラーナ。最上の結果である。

 ~~~~~~~~~~








 ~~~~~~~~~~

 男の子を城に預けて、女性と二人の警邏を伴って。『緋色の翼』はドーラの王城を後にする。前後から傭兵たちが、左右から警邏達が、間に挟まる女性を守るような形で。


 一行のしんがりを務めるはサリアとラーナの二人。紫髪の少女がため息をついた。その顔は、呆れか、あるいは諦めか、嫌悪には及ばないまでも決して美しい感情とは言えない、それでもあくまで仲間に向ける類の表情が浮かぶ。


「お主の交渉は何度見ても背筋が凍る……王族というものは皆こうなのか。」


「交渉なんてものは、多少口調が上品なだけの脅しですよ。脈々と受け継がれる(まつりごと)の基本です。」


「世も末じゃな。」


 淡々と何でもないことのように告げる王女、サリアが嫌そうに頭を振る。


「とはいえ……治安維持の件についても、後ほど魔文(まぶみ)を込めておきますよ。」


「道理じゃな。」


「ええ。」


 恐らく、彼女ら二人は違うことを言っているのだろう。サリアの視線はなおも厳しい。『交渉』の結果に不満を覚えていながら、『治安維持』の言葉に内心の期待を隠しきれない、前を歩く警邏の二人の態度さえも、彼女の心を掻き立てているようであった。


 前を歩くリィンヴァルナが肩越しに後ろを振り返る。長身の彼女の動きはよく目立ち、後ろを歩く二人は自然と顔を上げる。


「魔文? ラーナ、いつの間にそんなものを。あれ高くない?」


 魔文とは、その名の通り魔術を用いた文、つまり手紙を送るための仕組みのことである。特殊な加工がされた紙―これそのものを魔文と呼ぶことも多い―に伝達事項を記載し、最後に己の魔力を通すことで、対となるもう一つの魔文に所有者が触れた際に、情報が複写されるというもの。情報の即時性、伝達の確実性において通常の手紙を大きく上回る一方で、作成に高い魔術の才と多大な手間が必要なこともあり、市場にはほとんど流通していない。


 そんな高級品をなぜラーナが持っているのか。考えるまでもなく自明である。


「ドリアを出る前に、お兄様からいただいていたのですよ。重大な事項は余さず報告するように、と。」


 完全に寄り道しているが、彼らの目的はあくまで、おそらくミクソリディア共和国に逃げたであろう、『誅世の書』を簒奪した大罪人、ルヴァーサ・バータの身柄の確保である。ラーナの兄、アルフレッド・レベティリアも、彼女たちの同行と旅の行方を把握しておきたかったのだろう。流通が少ないとはいえ、大陸最大規模を誇る国家の王族に、それを手に入れられない道理はなかった。


「はえ~、流石ラーナ!」


 そんなわけで、高級品をさも当然かのように扱うラーナに感嘆の声が上がったのである。


 そんな他愛もない話をしながら、一行は女性の案内に従ってドーラの街を出る。広大な国土に禿げた樹木がまばらに生え、彼方まで白く広がる大地が一度に目に入ってくる。


 橋の上を進むことしばし。張り巡らされた白木の道を楽し気に揺らしながら、リィンヴァルナが後ろを歩く警邏に何気なく話しかける。


「にしてもこの足場、すごいですね。どうやってお手入れしているんですか?」


「はあ……魔術で、どうにかしていると聞いたことはあります。家の近くの道は自分の家で管理するのだとか……。」


「へぇ~! みんな魔術が使えるんですか?」


「ええ、まあ。」


 元気なリィンヴァルナに帰ってきたのは警邏の疲れ果てた声。ともすれば邪険にされているとも捉えられかねない態度であるが、リィンヴァルナとしては話ができるだけで満足なのだろう、くるりと回って前を向き、揺れる足場に跳ねる心をゆだねている。


「リィ、そんなに揺らしたら壊れるぞ。」


「大丈夫だよライ、ちゃんと加減して……?」


 唐突に黙り込み立ち止まるリィンヴァルナ。広い畑を横断する長い道、葉の揺れる音の中、少女はもう二、三度足元を揺らす。


「ライ。」


「ん。」


 リィンヴァルナが目で畑をさす。視線の先に目をやって、ライバートは一つ頷いた。自身の前方を指で指して、一言だけ指示を出す。


「行くか。」


「了解。サリアお願い。」


「心得た。」


 ラーナはさりげなく、守るべき女性の背中に張り付き、そしてサリアはおもむろに杖を取り出し、正面で横向きに掲げる。ここまでわずか数秒。事態を理解できない警邏の男二人は困惑するばかりである。


「あ、あの、何が起こったのですか。」


「いや、どうやらこの足場、少し劣化しているようでして……リィ、お前があんなふうに揺らすからだぞ。」


「えー、そんなことないってばー。」


「儂らの責任じゃからな、この件が終わった後で、橋の直し方を教えてもらいたい。」


「ええ。私も、ドーラの未知なる魔術に興味があります。」


 いつも通りの三人、そして平坦にわざとらしく話すリィンヴァルナ、四人はゆっくり前をさし、何事もなかったかのように歩きだす。先までの張りつめた空気はまるきり嘘のように、彼らが感じ取ったものは、初めから橋の劣化であった……そう思わせるように、しかしその所作は、ただ一人を除いて、自然そのものであった。


「そう、ですか。」


 不可解な顔のまま追随する警邏達、広い足場を横並びに、小さなきしむ音と共に足を踏み出す。わずかに揺れる橋、小さな破断音、確かに橋の状態は思わしくないようだ。


 最後尾のサリアまでが橋脚(きょうきゃく)の直上を通過する。状態の悪化した橋にリィンヴァルナもはしゃぐ気がなくなったのか、先までの喧騒が嘘のように、ギシギシと嫌な音ばかりが晴天の下不相応に響く。しかし当然ながら、彼らの様変わりは橋の劣化なんぞを理由にしてはいないのである。


 歩き始めて数秒後、突如として響き渡る物音。何か固い物が外れ、はじけ飛び、そして柔らかな雪の地面に落下する音。同時に、小さく橋板をたたく音が、猛烈な速度で一行に近づいてくる。刹那の出来事、並の人間ではとても対処のしようがなく、しかしそれは彼らにとって全く唐突ではなかった。待ち構えていたサリアが杖を持った右手を前に振り返り、襲い掛かってきた黒い塊の一撃を、透明な障壁で受け止める。


 否、受け止めるばかりではなく。きらめき、高く澄んだ音とともにその塊は弾き返され、二、三度跳ね返り顔から橋に落ちる。


 その澄んだ音は、一行にとっての狼煙(のろし)。さりげなく踏み出していたラーナが女性に背を向け剣に手をかける。前方を歩いていた二人が跳躍し、まるで一体の生き物のように、まったく対照的に空に体をひねり、そして襲撃者とサリアの間に着地する。足場の橋から決定的な音が鳴り、ちょうど襲撃者の後方、橋脚に支えられた節の部分、橋板に穴の開いた場所から通路が断絶する。支えを一つ失った橋板たちが振り子のようにふれ、すれ違うように反対に傾いて行く。


 とはいえ、橋の下は雪、当然に歩行可能な逃げ道の一つである。そこで襲撃者が転身ではなく再突撃を選んだ理由は、降り積もった雪をかき分け逃走するなど現実味がないこと、道なき道を歩む行為に必要な勇気が欠如していたこと、何より彼の執念に他ならない。彼に戻る道などないのである。


「来るぞッ!」


「サリア! 橋の維持を!」


「己ら一々儂の仕事を増やしおって!」


 それがリィンヴァルナの仕業かどうかはわからないにせよ、また魔術による保全があろうとも、ここはちょうど周辺に立つどの家からも絶妙に離れた中間地。ゆえにもともと劣化があったのだろう。襲撃者の背後で、橋脚が根元から折れ、橋板が中途から割れ、深い雪をほじくり返しながら木材の破片が落ちてゆく。その光景を背景に黒い人影が走る。


 しかしその走りに勢いはなかった。理由はさほど難しくない。反対側、一行が立つ足場も徐々に傾いでいたのである。このままでは傭兵たちの足場もなくなってしまう、しかし彼らはそのような失態を良しとはしない。あわや、橋の先が地面につかんとしたときに、ささくれだった先端から緑の魔力が絡みつき、それはやがて不安定な橋板全体を包みこむ。不安定だった足場はたちまち安定を取り戻すも、傾いた橋の先の先は人が直立するには足場が鋭角。一方橋の足に近い側、すなわち傭兵たちの立ち位置は幾分傾きがやわらぎ、ラーナが立つ足のあたりまで行くとほとんど傾きはない。


 一瞬の間に作り出された圧倒的な有利状況。待ち構える傭兵たちの下にたどり着いた頃には、襲撃者の勢いはすっかり失われ、たたらを踏み低姿勢で無理やり走っているような状態。ナイフの一閃をライバートがあっさり手で払いのけ、体勢を崩したところにリィンヴァルナがとびかかる。腕をねじり上げられ、痛みに呻きを上げる男に、橋を支える緑の風が絡みついた。


 敵の無力化を確認し、二人の傭兵が立ち上がり拳を突き合わせる。


「お疲れ様。意外とあっさりだったね?」


「そうだな。拍子抜けだ。」


 腰に手を当て、すっきりとした笑み。まさに一仕事終わらせ、この空のごとく晴れ晴れとした気持ちの傭兵二人。しかしその光景に青筋を立てる少女が一人。


「あっさり、ではない。」


「あ、サリア……。」


 怒り心頭のサリアはまなじりを吊り上げ、杖で二人の傭兵を指し示す。きっと、背後で微妙な笑みを浮かべている王女の様子には気が付いていない。


「そ奴に話を聞かねばならぬ。お主ら。こちらに歩いて(・・・)戻ってくるのじゃ。良いな。」


「「……はい。」」


「はいで良いのじゃな?」


「「……橋を壊してしまいすみませんでした。」」


「よし。」


 とはいえそれは、彼らの間ではよく見る光景。サリアが『緋色の翼』のかじ取り役たる所以である。ゆえに、彼女も実のところ本気で怒っているわけではなく、どちらかといえば一種のけじめ(・・・)に過ぎない。一通り謝罪が済んだとみるや、すぐさまラーナが一つの提案を投げかけた、その行動も彼らの慣れの産物である。


「サリア、ここは不安定ですから、移動しましょう。あちらの……三叉路が良いかと。」


「ふむ、そうじゃな。主ら、橋の維持を弱める。歩いて(・・・)来るのじゃぞ。」


 否、本当は、少しは腹に据えかねているのかもしれない。橋を覆っていた魔力が薄れ、サリアの足元に移り、そして拘束された襲撃者が魔力に絡まれ宙を舞う様子を、二人の傭兵は絶望的な表情で見送った。

 ~~~~~~~~~~








 ~~~~~~~~~~

 おおよそ二名は這う這うの体で、残りは悠々と、安定した足場に移動してきた一行。傭兵たちの眼前には、緑の帯で拘束された襲撃者。一行の後ろには、ついに根元から橋脚が折れ、途中から真二つに断絶され、見る影もなくなった橋の残骸が、新雪の上に巨大な獣の亡骸がごとく横たわっている。季節が冬でなければ確実に大顰蹙(だいひんしゅく)を買っていたであろう事態、実際のところは冬であるからこその蛮行である。


 息を切らした前衛二人が膝に手をつき、襲撃者の頭部に視線を落とす。縮こまりしわを作る外套は頭部を含んだ全身を覆える形をしており、そのままでは相手の顔も性別もわからなかった。


『緋色の翼』一行の目的はかの者の悪事を白日の下にさらし、その恥と悪評を喧伝することではない。彼らの行動はあくまで専守防衛、ただ生き延びるため必要なことにすぎないのだ。とはいえど、己と関わった人間が無防備に転がっているというのならば、そしてその相手に遠慮が要らないのであれば、その顔を一度だけでも見ておきたいのが人情というもの。まして相手が悪意を持っているならばなおさらである。ゆえにライバートは、手をついた姿勢からそのままおもむろにかがみこみ、横たわる襲撃者のフードをそっと外したのである。


 果たして、中から出てきたのは男の頭であった。どこか幼さを感じさせる丸みを帯びた顔。眦をあげ口を真一文字に結び、自身を捕らえた傭兵たちを憎々しげにねめつける。


「あ……。」


 ラーナの隣に所在無さげにたたずむ女性から、思わずといった具合の声が漏れる。一斉に振り返る傭兵たち、女性がびくりと肩をすくめる。


「どうかしましたか?」


 口を開くはドーラの警邏、その一人。まるで子供にするように腰を落とし視点を下げて、覗き込むような姿勢をとる。彼らは女性の臆病を知らぬはずでありながら、その所作に迷いはなく、それは人柄の表れか、あるいは職務柄のものであったか。


 いずれにせよ、その所作こそが、女性から言葉を引き出す決め手となったことは確かである。


「……この人、です。」


「ん?」


「この人が……私を追いかけていた人です。」


 女性の声に反応するがごとく、男が声なき声をあげながらもぞもぞと体をよじる。しかしサリアは杖を構えたまま。強固な魔術の拘束を振り切ることができない。


 傭兵たちは動かない。それでも、その目に浮かぶ驚愕を隠しきることはできていなかった。


「まさか……よくわかりましたね、リィンヴァルナさん。」


「え? そうだったんですか? すごい! 偶然~!」


 全く同時に発せられた正反対の言葉。それも無理はない。リィンヴァルナという少女に超自然的な索敵能力などなく、かといって襲撃の可能性を考慮するほど懸命でもなければ、すべてを疑い気を張り続けるほど人間不信でもない。彼女にしてみれば今回の件は、橋の下に何者かが潜んでいることに気が付いた、以上の意味を持たない。何事もなければそのまま通り過ぎたところを、襲い掛かられた故に迎撃しただけに過ぎないのである。


「気づいていなかったのですか……?」


「そうですよ! だって、わざわざ橋の足にしがみついて待ってるなんて、どのみちろくな奴じゃないです!」


 少女の言葉に、『緋色の翼』一行が無言で頷く。怪しい者はまず無力化してから事情を聴く。彼らが生き残るために身に着けてきた処世術の一つである。


「う、っく、ふっ……。」


 足元に横たわっているろくでもない奴(・・・・・・・)の口から嗚咽が漏れる。憎々し気な視線は地に落ちて、身動きできないまま、滂沱の涙を流しながら。それでも、彼は女性を付け回し恐怖を与えた悪人(・・)である。そんな相手に情けの心を抱ける程、傭兵たちは優しくなかった。悪人に与えられるべきは情けではなく、贖罪と改心、それから許しである。それを間違えれば最後、先に死ぬのは自分たちであることを、彼らは知っている。


「……どうしたのですか。」


 一方警邏の二人は、経済的困窮により生業を転換せざるを得なかっただけであり、心根は善良な農民のころからなにも変わっていない。どれだけ怪しい相手でも、自分の安全さえ確保されているのならば、その事情を勘案してやる程度のやさしさを、今なお持ち合わせていた。あるいは、薄汚い身なりに過去の己を重ねたのやもしれない。


「……死んだんだ……。」


「っ。誰が、ですか。」


「……、……俺の、弟が、死んだ。」


 蚊の鳴くような声であったが、それでも最後の部分だけはその場の全員の耳に届いた。ラーナにびくびくと守られる、女性の耳にも。


「それは……。」


 おびえたように女性が後ずさる。つい、と言わんばかりに漏れ出した言葉は、男の耳にもしかと届いていた。


「っ、お前ぇッ! 何知らないふりしてんだ!」


 その権幕に警邏達は上体をのけぞらす。ラーナが女性を左手で庇い、サリアが表情を一段と険しく。ライバートとリィンヴァルナは固い顔でいつでも動けるよう構える。


「お前が、お前があいつの薬を盗んだんだろうがッ! 何が高く売れそうだ、高いに決まってるだろうがッ!!! この人殺し、お前さえいなけりゃ! 舐めやがって道連れにしてやる! ふざけんなっ、ふざけんな、畜生……。」


 バタバタともがき暴れ、それでも身を縛る緑の帯は固く、いくら動こうとも千切れる気配はない。素人の男に、現役の傭兵(サリア)の魔術を解くだけの力などあるわけがない。


 しばしの後に、諦めたように、固い音と共に男が頭を打ち付ける。それは悲しみからか、己の不甲斐なさからか。木造りの橋にぽたぽたと黒いしみが落ちる。


「……こんなんじゃ、あいつに顔向けできねえよ……。」


 その口ぶりは、あまりにも真に迫っていた。男に厳しい目を向けていた傭兵たちの間にも疑念が生じるほどに。ラーナが、続いてライバートとリィンヴァルナが。険しい顔のまま女性のほうを振り向く。三対の視線に射抜かれた女性は顔を蒼白に、急いで首を横に振る。


「ち、ちが……私は盗んでなんていません!」


 よしんば男の言うことが本当であったとて、彼女がそれを素直に認めるわけがない。何をおいても、彼女の前にいるのは国の僕と他国の王女、そんな相手に盗みを白状すれば、見逃される謂れなどどこにもない。


 そしてそのことは、この場にいる誰もがよくわかっている。警邏が男の前にしゃがみ込み、優しく(おとがい)を持ち上げ、目を見て穏やかに問いかける。


「……何か、それを証明できるものは? あるのであれば、我々にもできることがあります。」


「そうですね。彼女が貴方の……家、でしょうか。貴方から薬を盗んだ場所に入った証拠でもかまいませんよ。何かを置いていった、とか。」


 それに同意したのはラーナ。険のとれた口ぶりで男を諭す。女性を諭したあの時と同じ、わずかな微笑みを浮かべて。


 男が眉尻を下げる。半開きの口で呆然とラーナを見上げ、しかしそれでも、彼は何も言わずに目を伏した。そんなものはないのか、はたまた初めから嘘八百なのか。うかがい知れずとも、言葉がないのであれば彼らにできることは何もなく。せいぜい顔を見合わせるばかりである。


「証拠、証拠……! はははっ! そうですよ、私はやっていませんよ、私の手元にそんなものはありませんもの! だから私はやっていないんです! 残念でしたねッ!」


「……。」


 女性が心底嬉しそうに笑う。そう、証言しか残っていないのであれば、ラーナが、警邏が、ひいてはドーラの国として、できることは何もない。たとえその顔が醜悪に歪んでいても、その口ぶりに、安堵の隙間に、隠しきれない侮蔑と、余計なこと(・・・・・)(のたま)った男への怒りが混ざっていたとしても。その確信は、女を裁くまでには至らない。至ってはならない。


「ねえ。」


「おやめなさい、リィンヴァルナさん……わかりました。では、彼の輸送をお願いできますか? サリア、もう離していいですよ。」


 撒きつく魔術が離れていっても、男は動こうとしなかった。警邏の一人にわきに手を入れ引き立てられても、うつむいたまま抵抗せず、まるですべてをあきらめてしまったかのような。あるいは、まさにその通りであるのか。


「貴方も……城に着いたら、質問くらいはされるかもしれませんから。それには答えてくださいますね?」


 ラーナの澄んだ声に呼応するように、それがせめてもの抵抗であると言わんばかりに、男が女を見る。光を失った瞳。憎しみばかりが残った目。そんなものに射抜かれても、開き直った女は全く痛痒を感じないようだった。


「ええ、ええ、もちろんですとも! ハハッ。」


「……行きましょう。ラーナさんも来てください。」


「ええ。彼女の安全は私が保証しましょう。皆様、先に宿に戻っていますね。」


 ついに我慢できなくなったリィンヴァルナに、何度目かわからない緑の帯が襲い掛かる。暴れるリィンヴァルナに見送られて、弾む女性の足取りが、すっかりしおらしくなった男の背中が、遠い地平に消えていった。

 ~~~~~~~~~~








 ~~~~~~~~~~

「さて……ではサリアさん、橋を直す魔術について、お教えしますね。」


「うむ、よろしく頼む。儂の仲間が済まぬな。」


「いえ、ええ、まあ。」


 発端が自分たちにある手前、申し訳なさそうに目を伏せ頭を下げるサリア。しかしそういいながら、彼女の瞳は新たな魔術への渇望にきらきらと輝いている。老成した口調と落ち着きを身に着けていても、サリアの外見は他より背の低い少女のそれである。彼女が男を見上げれば、そしてその目が輝いていれば、そのつもりなど毛頭なかろうと気まずさを感じてしまう。警邏は人並みの善性を当然に持ち合わせており、何より彼も青年である。


 ゆえに硬直した警邏、サリアはいたずらっぽく笑って、ぶらぶらと木枯らしに吹かれ揺れる橋に足を運ぶ。我に返って追従する警邏、わずかに赤らんだほほは寒さゆえではないのかもしれない。


 そして三叉路には、足場に結わえ付けられ放置された少女と、そしてもう一人。先から口を開かない一人の青年が残るのである。


「……ほれ、何をしておるライバート。お主も手伝うのじゃ。」


 動かないライバートにサリアが、続いて警邏が振り返る。呆然と中空を見つめて動かないライバート。サリアが仕方がないと言わんばかりに苦笑する。


「どうした、先の結末が不満か? それは儂もじゃ。」


「……。」


「……。」


 それでも動かないライバートを見かねてか、サリアが無言で、青年の元に戻ってくる。顔を見上げる少女と、彼の視線は交わらない。こつり、という音とともに、青年の口が開く。


「……サリア。」


「なんじゃ。」


「俺は、間違えたのか?」


 きっと、あの男が言っていたことは本当なのだろう。女のあの態度も、きっと演技などではなかった。


 だから(・・・)、サリアは目を伏せ、淡々と言った。


「……お主は、あの女を助けることこそ正しいことと思ったのじゃろう。だからラーナに協力したし、リィンヴァルナの呼びかけにも答えたのじゃろ。」


 青年は答えない。図星であるか的外れであるか、あるいはそこまで考えていなかったのか。どちらでもよいのだろう。サリアの言葉に澱みはない。


「ならばその決断に信念を持て。我々は、今その時その瞬間に、自分が最も正しいと、そう思ったことをするのじゃ。」


 青年が視線を下げる。少女は顔を伏して、つぶやく。誰にも聞かせるつもりはなかったのか。蚊の鳴くような声で。


「……そうするしか、無いのだから。」


 誰も答えなかった。不本意に縛り付けられたままのリィンヴァルナさえも。誰もがみな、その場にいない誰かに想いを馳せていた。


 はじかれたように顔をあげた少女が、杖の先でライバートの胸を突く。


「ほれ、わかったか。お主が今最もすべきことは己の尻ぬぐいじゃ。はよう来い。」


「あ、ああ。」


 気圧されたようにのけぞるライバート。前に投げ出された手をサリアがとっさにつかみ、魔術師然とした小柄な体躯からは想像もつかない強さで引く。勢いに流されるがまま、たたらを踏んで小走りで、壊れた橋に足を運ぶ。


 時刻は夕暮れ、壊れた白木の橋の上に、歩く若者たちと暴れる少女の影が伸びる。傾きだした陽の光に照らされて、降り積もった新雪がこの日最後の輝きを放っていた。




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