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2024/5/12 数字を漢数字に変更、三点リーダの記法を変更
農業を生業とする辺境の小さな村。何か牧歌的な風情を感じる言葉であるが、その実態を端的に述べると、そこは労働者の村である。単に生業が農業であるというだけでそれ以外の仕事がなくなるわけではない。原生生物への対処や村の警備、壊れた家や柵の修繕、幼児の世話や料理、洗濯などを、彼らの少ない人手ですべて回さないといけないのだ。
一日の時間が限られている以上、その仕事を回すために必要になってくるのは適材適所の考え方。すなわち、力がある者は力仕事を、力のない者、子供は力がなくともできる仕事を。魔力を持たぬ者が集まるザザルでは特にその傾向は顕著である。魔力を持つものは『滞留系魔術』で己の肉体を強化することができるが、彼らはそうではないため、物理的に不可能な仕事というものが存在するのだ。
余談ではあるが、魔術の分類としてはほかに、『放出系魔術』と『付与系魔術』がある。この大陸では統一された基準というものが未だ完成していないため、三つの魔術の明確な分類は存在しない。しかし、大まかには、『放出系』は魔術で人体の外に現象を発現する―炎や水を出すなどして、物体に干渉できる―魔術、『滞留系』は自分の人体に意図して魔力を巡らせ変化を起こす―肉体強化や戦意高揚術など―魔術、『付与系』は武器や防具など、自分以外のものに魔力を巡らせる―炎の剣や結界、死霊術や洗脳など―魔術である、といわれている。
閑話休題、そんな事情があるために、村の男衆は日々の仕事で鍛えられた肉体を持つ、ごつごつした威圧感のある武骨な者が多くなるのである。村の酒場という場所は、そうした粗暴な者たちにも等しく門戸を開いている。そんな中に、口調こそ荒いが小柄で、静かな場所が好きだという女が入っていったらどうなるか……考えるまでもない。
名もなき村の小さな酒場。今にも吹き飛びそうなガタガタの扉と酒やら何やらでシミだらけの壁に囲まれて、人々の泣き声とうめき声と、そして時々怒鳴り声と食事が飛び交う、あまりにも治安が悪い空間。石造りの広い床に法則性もなくおかれた木製の粗末な卓に、大勢の男と、そして彼らに負けず劣らずガタイの良い女が同じくらい、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てながら折り重なるように腰掛けている。その、人間の塊を押しのけて強引に脱出してきた彼女、フィルテは、酒場のカウンターに腰掛ける赤ら顔の男のもとに駆け寄り、頭についた調理されしなしなの草を払いのけ、小声で猛然と抗議する。
「お、おじさんっ! なにあいつら! 何なのよあいつら!」
しかし、酔っぱらった男のなまりきった思考では、彼女の怒りをまともに受け取ることはできなかったようで。彼はのんきに酒瓶を傾けながら、間延びした情けない声で彼女に問いかける。
「お~? フィルテかぁ! 楽しんでるかぁ~?」
「楽しんでるわけないじゃない! すっごく大きいしうるさいし、おまけにすっごく臭い! こんなところ来るんじゃなかった……!」
心底嫌そうに半泣きで、ぶつぶつと文句を言い続けるフィルテ。若干自分の世界に入りかけている彼女を、男が相変わらず覇気のない声でなだめにかかった。
「まあまあそう言うなって~。これから、旅の魔術師さんがすごぉいものを見せてくれるんだとよ。フィルテと、あとあんたも。それだけでも、見て行ったらどうだぁ?」
そう言って男が振り向いた先には、カウンターに腰掛け無言でグラスを傾ける傭兵の姿が。その膝の上には当然ながらルーの姿も。口の周りに食べかすを付けたままカウンターにほほを押し付け、すよすよと気持ちよさそうに眠っている。
彼はフィルテのほうに振り返ることもなく、男のほうをかろうじて見る程度。どうやら昼のことを蒸し返すつもりはないようである。
「……魔術を用いた見世物、か。」
「いやぁ、あんたが今まで見たもんとは一味違うと思うぞ~? なんてったって、術者の兄ちゃんは魔力なしだっていうからなぁ!」
魔力なしが魔力を用いた見世物をする。明らかに矛盾した彼の言動にゼロも興味を持ったようで、眠ってしまったルーを動かさないように上半身だけで男のほうに振り返った。片眉がわずかに上がっている。
「ほう。それは魔術で間違いがないのか。」
「いやぁ、それは見てのお楽しみってこった! なあ、シシ。」
「そうねぇ。どんなものを見せてくるのか、今から楽しみだわ。」
「で、でも……。」
怖気づいたフィルテが情けない声を上げる。しかし、今更人の山を越えて酒場の出口に向かう度胸もないようで。あたりを見回し、大勢の人間が騒ぎ続ける酒場の中心に目を向け、そして結局彼女はどうしようもなくその場に立ち尽くした。比較的静かなカウンター回りにいた方がまだましである、という判断なのだろう。
まさにその時、建てつけが悪い酒場の扉が開き、新たな客がやってくる。彼らの姿を見るや否や、騒ぎ立てていた人々の歓声がより大きくなり、するすると、いっそ不自然なほどの速度で人の波が割れる。人々に導かれやってきたのは、動きやすそうな、しかし気品と高貴さを兼ね備えた服に身を包む男女。貴族かそれに類する立場のものなのだろう。立ち振る舞いも堂々としており、周囲に控えめな笑顔を振りまく様からは、単なる旅芸人とは違う気高さを感じられる。
一瞬で酒場の空気を支配した二人組。そのうち、金の長髪が美しい女が、周囲を見回し口上を述べ始める。もう一人は兄か弟だろうか。男は彼女の隣で静かに微笑みながら、短い金髪をそっとなでつける。
「皆様、ここにお集まりいただいたということは……私、キーラ・ドルマンの研究成果、そしてそれが織りなす一夜の幻想をご覧になり、そして味わいたいと……そういうことでよろしいですね?」
一応疑問形ではあるが、もはやただ一つ以外の回答を想定していない女、キーラの語り口調。その認識は間違いでもなんでもなく、酒場の人々は彼女の言葉に合わせて大歓声を上げ、まだ何も始まっていないのにもかかわらず、彼女のもとへ一斉に押し寄せる。そんな彼らを、男のほうがやんわり、しかと抑え込んだ。
「まあまあ落ち着いてください。まだまだ夜は長いのです。焦らずとも皆様は、キーラの素晴らしい研究結果を、心行くまで体験できるのです。」
「ええ、ええ。そうですねネル。……そうですね。せっかくですから、貴方。私の研究結果、魔宝飾具を実際に使ってみませんか? おそらく、それが最もよいでしょうから。」
旅芸人キーラが上品に手で指し示したその先にいたのは、所在無さげにカウンターに座る少女。キーラとしてはおそらく気遣い、緊張している様子の少女の気を紛らわしてやろうという計らいだったのだろう。しかし本人にしてみれば、不安げな顔をしていたのが仇になったとしか言いようがない。隣に並ぶ己を見るも、酔っ払いと傭兵では助けを見込めるはずもなく。結局腹をくくったか、彼女はおずおずと立ち上がった。
「……魔宝飾具。宝飾品に術を込めたか。」
二人の客人に背を向けたまま、半身で催しを観察するゼロ。彼がぼそりとつぶやいた独り言に、隣に座ったラルフが耳聡く反応する。
「おっ、兄ちゃん聞いたことがあるのか?」
この短時間でさらに飲んだのか、すっかり出来上がって上機嫌のラルフ。大柄で筋肉質な体を危なっかしく揺らしながら、ゼロの背をバンバンとたたく。膝を揺らさないようにか、ゼロの背中に力が入る。
「……理論として存在は知っていたが。実現させる酔狂がいるとはな。」
「酔狂? なんかその、あー、理論、とやらに問題でもあるのか?」
「……貴様はおとなしくあの娘を見守っておけ。」
当然ゼロがその疑問に答えることはなく。彼は無言で、己の背後を目線のみで指し示す。酔っ払いのほうも大概まともな思考力が残っていないせいか、おとなしく振り返ってフィルテに向かってヤジを飛ばす。
つまり、彼らの背後では、今宵の催しがまさに始まろうとしていたのである。彼女はおっかなびっくり酒場の中央に向かい、キーラと向かい合う。キーラのほうは妙齢の女性であるが、二人の女性の背丈は大体同じ程度。目線をまっすぐ合わせたキーラはニコリと微笑み、フィルテに小さな青い指輪を渡した。
「これはもっとも使いやすい、指輪型の魔宝飾具です。まずは、そうですね、あのグラスに向かって指輪の宝石部分を向けて、手を思い切り握りこんでみてください。」
大柄な人間に隙間なく取り囲まれたフィルテの顔は心なしか青い。近くに寄ったことでフィルテの緊張がよくわかったのだろう、キーラは背中を押す―つまり、勇気を出させる―ように、彼女の背を優しくさする。
おっかなびっくり、顔をひきつらせたフィルテが彼女の言う通りにすると、なんということか、彼女の手元から突然水があふれだしてきた。それは案外緩やかな挙動を描いて空中を帯状に漂い、小さな音とともに彼女が指し示したグラスに注がれてゆく。
つまり、魔力を持たないはずのフィルテが、魔術を使ったのだ。この光景に、酒場の人々は驚愕を隠せない。驚愕とともに手元を見つめるフィルテ、今の光景を解釈せんと騒ぎ始める村人たちに紛れ、得心がいったように頷くものもいる。彼らはおそらく、旅芸人の片割れが魔力なしである、という情報を知っていたのであろう。それでも、文字通り信じられないようなものを見たような、そんな表情を隠せていない。
「皆様も、きっと一度くらいは。魔術を使ってみたいと、普通の人たちが何気なく享受している、ほんの少しだけ便利な生活をしてみたいと、そう思ったことがあるでしょう。」
見せつけられた光景があまりに衝撃的だったためだろうか。彼女の良く通る声に、普段はこの上なく騒がしい酒場の住人達が、彼女の話し出しとともに一斉に口をつぐむ。
「この魔宝飾具とは、そんな貴方たちへの救済です! 身に着けるだけで、誰でも簡単に魔術を使えるようになる道具……これさえあれば、魔力を持たずとも魔力がある者と同じようになれる。魔力がないなどという悲しみを背負う必要はもうなくなるのです!」
彼女の説明で、ようやく自分たちが何を見ているのか、はっきりと理解したのだろう。彼らの喧騒はやがて叫びへと変わり、興奮した彼らはそろって彼らに続きを所望する。
そして彼らは、その期待に応える。彼らはもとより、そのために来たのだから。
「さあ皆さま、次はこちらをお見せしましょう!」
そして、彼女が取り出したのは金のチェーンのペンダント。あしらわれた宝石の内部では赤と緑の筋が揺れ動き、吸い込まれそうな模様を形成している。
「さて、続いてお見せしますは、魔力を持たないネルによる、炎と風の混合魔術。制御はもちろんできますが、くれぐれも魔術に触れませんよう!」
どうやら次に彼女が見せるのは、魔力なしの魔術師、その完成形らしかった。彼女の口上に従い、ネルの首元で宝石が輝きを放つ。それに呼応するように、酒場内を縦横無尽に飛び交う渦巻く炎の帯。本物の魔術師かと見まごうほどの、荒々しく繊細な魔術が、そこにあった。
ギラギラとまぶしく輝く魔術、そしてネルを交互に見たゼロが、最後に小さく頷く。そうして彼は、興味を失ったようにカウンターに向きなおってしまった。膝に乗せたままだったルーを抱え上げ立ち上がると、そのまま酒場を後に、二階の宿へと向かう。わずかな揺れにルーの目が開かれるも、彼女も特に抵抗する様子はなく。ゼロの肩に眠たそうな顔を乗せ、ゆさゆさと連行される。
いままで彼にさんざん絡んでいたラルフも、己の力では再現できない魔術の威容に興奮して、ゼロの行動に気が付かない。
「いやぁ、これはすげぇ! 俺も魔術が使えるってことだもんな! 今からでも英雄になれちまうんじゃねえか!?」
酔っ払いの戯言に、妻のシシが、マスターからグラスを受け取りながら、おっとり応える。
「そうねぇ。本当に……魔術って、すごいわ。あこがれちゃうわね。」
彼らはそう言って笑いあい、酒場の中央に向きなおった。
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ゼロがいなくなった酒場で、彼らの見世物はしばし続いた。少しの火の粉が舞い散り、飛び回っていた光り輝く水球が消える。一仕事終えほっと息をついたネルの肩を、キーラがねぎらうようにぽんぽんとたたく。そして彼女は、ネルの肩に手を当てたまま、手に持っていたグラスを近くの卓に置き、酒場内をぐるりと見まわした。
「さて、皆様。もはや『魔宝飾具』の素晴らしさは疑いようがありませんね。そして……私は、このまま何もせずにいなくなるような薄情さを持ち合わせてはいません。」
今までと打って変わった彼女の真剣な表情に、酒場の喧騒に慣れて、また己もその一員であろうとしていたはずの人々が、皆一斉に静まり返る。酔っ払いさえ静かになった空間に、キーラの金を打つような声が響く。
「だって、そうでしょう? 魔力なしでも魔術を使える。それを知るばかりで終わりだなんて。あんまりではありませんか。」
キーラの手を肩にのせたまま、ネルが足元の何かを手に提げる。大きな茶色い袋は、揺れるたびかすかな金属音を鳴らしている。
「まだ話していなかったかもしれませんが……私の目的は、魔力がない方々を助けることなのです。魔術を授け、ほかの人と同じように、普通の人になれるように。」
ザザル以外のほとんどの国では、魔力なしに対する人々の目は決して好意的ではない。火を起こせない、力が弱い、体力がない……一つ一つは些細なことでも、魔力がない、というその一点だけでそれらすべてが奪われるというのは、共同生活を送るにあたってあまりにも不利である。そもそも、ザザルという国自体、他の国では『役立たず』扱いされる魔力なしたちが、唯一対等に暮らせる国、という位置づけのもと生まれた国なのだ。
「だから、これは私からの贈り物です。一人一つの魔宝飾具を。満足な生への、初めの一歩を。皆様には踏み出してほしいから。」
そんな、一種の分断がなされた中で、魔力なしを助けようとする人間など見たことがなかったのだろう。人々は、おそらく彼女の目論見の通り、藪から棒に何を言わんか、と放心する。そしてわずかな困惑ののち、それは歓声へと変わった。
「魔力がなかろうと関係ない、あなたたちにだって、誇り高く、幸せに生きる権利はあるのです! さあ皆さま、一列に並んで。皆様それぞれに最も合った、最高の魔宝飾具を選んで差し上げます!」
彼女の言葉が、行動が、そして想いが。酒場の人々の興奮を最高潮に持ってゆく。村を守れる攻撃魔術が欲しい、力が強くなる魔術が欲しい、簡単に火を起こせるようになりたい……歓喜の渦の中で、しかし、たった一人の少女だけが声を張り上げた。
「……ざっけんなっ!!」
先まであれほど静かにしていたはずのフィルテが、顔を赤くし怒りをあらわに、ずかずかと主役だった二人に詰め寄ってゆく。困惑する彼らをぐっとにらみつけ、彼女は猛然とまくしたてる。
「聞いてりゃさっきから勝手なことばっかり……! 幸せに生きる? 普通じゃない? ほざくなこの偽善者が! あたしたちは、この村で普通に生きてるの! 魔力がないのがあたしたちの普通、劣ったことなんて何もない! それなのにあんたたちは、あたしたちのこと勝手に憐れんで、かわいそうみたいな……バカにすんなっ!!」
少女がキーラの右に置かれた卓に何かを勢いよくたたきつける。鈍く輝きをはなつそれを中心に、毎日飲み物を吸い続け劣化した卓に亀裂が入る。
「ほんっとうに気分が悪い! こんな場所、金輪際来てやるもんか!」
最後にそう吐き捨て、彼女は扉を蹴飛ばすようにして開け、真っ暗な道へと消えて行ってしまった。
先までの盛況が嘘のように静まり返った酒場の中。微妙な気まずさに一人、また一人と人々が酒場から去ってゆく中、呆然としたキーラが的外れな感想をつぶやく。
「……お代は、ちゃんと払うのですね。」
彼女はゆるゆると首を振り、卓に置かれたグラスを手に取り、中の酒を呷った。