7.
2023/08/12 一篇完結表示をつけ忘れていたので追記
2024/5/12 数字を漢数字に変更、三点リーダの記法を変更
微妙に気まずい空気を打ち破ったのは、うつむき表情が見えないままの、シスターのか細い一言だった。
「……帰りましょう。ルーも見つかりましたし。」
「……失礼する。」
とはいえ、その雰囲気を気にしているのはシスターと、そしてシルだけのようだった。元気がないシルに対して、アルはというと、よくわからないけど解決したしめでたしめでたし、とでも言わんばかりの笑顔で孤児院へ向かう道をすでに歩き出している。
「……そうね。私はザグさんに報告してくるわ。アル、シスターさんとルーちゃんを送って行ってくれる?」
「はーい。それじゃあ行きましょう、シスターさん。ルーちゃんも……あれ?」
消沈しているシスターに手を伸ばし、ルーのほうを振り返ったところで、アルの動きが止まる。彼女の訝し気な声に、うつむいていたシスターがそろそろと頭を上げた。
立ち去るゼロのひらひらと大きい外套を、ルーの小さな手がひしとつかんでいる。彼女は今までにない真剣な表情でゼロのほうを見上げ、相対する彼は温度のないまなざしを、かつて面倒を見てやった少女に注ぐ。
「……何用だ。」
「えっと、うーんと、あ、のね!」
ルーが拙く言葉を紡ぐ。ぱっとゼロの外套から手を放し、ゼロに買ってもらったワンピースの、小さなポケットをまさぐり始める。
ルーの壊滅的な語彙も相まって、何をしようとしているのかはた目にはわからない。後ろで彼女を見守る三人も、口を出すこともできず不安そうに、ゼロが警戒するルーの行動を見守る。
ゼロがそっと右足を後ろに下げ身構える中、ルーはそっと、鈍い輝きを放つそれを取り出した。
「……それは。」
それは、つまるところお金であった。おそらくその日ルーが塔でもらったのであろう、たった二枚の銀貨。小さな子供の一日の食費で、そのほとんどがなくなってしまうような、ほんのわずかなお金。
それを、己の全財産を、ルーは迷うことなくゼロに差し出した。
「はい! あのね、えっとね、い、い……いら、い? ……いらい! いらい、する!」
「ルー、ぜろ、いっしょ!」
「依頼……?」
ベルがいぶかしむ。アルがぽかんとする。そんな中、シスターは泣きそうな顔で、ゼロに向かってこう言った。
「……受けてあげたら、どうですか?」
ゼロは何も言わなかった。そっとルーから銀貨を受け取り、手のひらで二、三回躍らせて、ぐっと握りしめると、そっとそれをルーのワンピースのポケットに押し込んだ。
「あ……。」
ルーの顔に絶望が浮かんだ。シスターのそれとは違う、悲しみに暮れた涙声で、彼女は呆然と、踵を返したゼロを見送ることしかできない。
ゆっくりと歩き始めたゼロが、音もなく立ち止まる。そして彼は……涙を浮かべるルーに向け、手袋に包まれた大きな左手を差し出した。
「……何をしている。来い。あの面倒な女の依頼が残っているのだ。これ以上無駄な時間を使うわけにはいかん。」
「……! うんっ!」
世話になった三人のほうを見ることすらなく、ルーは走り出した。きっと風より早く走った彼女は、そのままの勢いでゼロの左手に抱きついて、そのままぶらぶらとぶら下がる。がくりと重さがかかったはずではあるが、ゼロは全く動ずることなく、わずかに左に顔を向けるだけ。
ぶらぶらと揺れるルーがやがて地面に降ろされると、彼女は思い出したかのようにその場で振り返り、残された三人に向かって大きく手を振り始める。呆然とするアルとベルに声をかけることもなく、シスターはついに泣きながら、ルーに向かって手を振り返す。
そうして、彼らの姿はどんどんと小さくなっていって……やがて、角を曲がって、見えなくなった。
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数日後、大した仕事のないうららかな午前中。『塔』のスワン商会管轄区は、つい数日前の騒動などまるで初めからなかったかのように、何事もなく、普段通りに回っていた。
結局、というより、むしろやはりというべきか。あの後、ルーが再び孤児院の仲間たちに会いに来ることはなかった。きっと彼女は、大好きな瞬撃の傭兵についてこの街を出て行ってしまったのだろう。子供たちは初めのほうこそ、新しい仲間が一日と経たずいなくなってしまったことに興味を持っているようであったが、日々を全力で、精一杯生きるうちにいつしか彼女のことを忘れて行ったようで。今となっては、ルー、という少女について言及する子はもう一人としていなかった。
ルーが初めてアル、ベル、シルに会った例の部屋では、いつも通りの職務怠慢が繰り広げられている。端のほうの床には色とりどりの布地が敷き詰められ、その上では子供たちが、ベルの指導の下で思い思いに針を繰っている。それと反対側の高い椅子の上には、口からカラコロと小気味良い音を立てながらだらだらと本を読むベルの姿が。そんな一応仕事中とは思えない弛緩しきった空間で、足元に孤児院の子供たちを大勢くっつけながら、申し訳程度に箒を振っているアル。彼女がふ、と、思い出したように言う。
「そういえば……結局なんだったんですか? あの男。」
さて、彼らがここまでのんびりしている理由はさほど難しいものではない。近くの机では、彼ら彼女らにとって大恩ある二人が腰掛け、彼らもまたのんびりと、優雅なティータイムを楽しんでいる……要するに、上司がのんびりしているのだからその部下に当たる自分たちがのんびりしていてもバチは当たらないだろうという、筋が通っているのか通っていないのかわからない理屈である。
小さな音をたてティーカップを置いたシスターが、困ったようにザグを見る。
「そういわれてみますと……私も、聞いていませんね。ザグさんは何かご存じですか?」
「ん……ああ。一応な。」
曲がりなりにも現場を任されている彼は、一応今回の事情をあらかた知らされていたようだ。微妙に話したくなさそうな顔で口を開く。
「なんというか……うん、悪気はなかった、らしいんだよ。」
「悪気はなかった?」
訝し気なアル。ベルとシルは視線こそ向けないが、聞き耳を立てているようだ。年長者三人に放置される形となった子供たちは、リーエがどこからともなく取り出してきたお菓子の争奪戦に夢中になって、きゃいきゃいと姦しい声を上げている。
「シスターさん、オルグのところの旦那に、最近おかしな視線を感じることが多いって話をしたんだよな。」
「ええ。」
「その視線の主ってのが、やっぱりあいつだったらしい。あいつはずっと、シスターさんと、あー……お近づきになりたい、と思ってたらしくてな? たまたま孤児っぽい女の子が一人でいたから、シスターさんのところに連れて行けばなんかその……いい感じになるんじゃないかって。思ったらしいんだ。」
リゼルタにてゼロが買い与えた服装は決して孤児っぽいものではない、とだけ付け加えておこう。午前中の掃除で多少は服がよれていたので、もしかしたらそれが原因かもしれない。
「……ルーを連れ去ったのではなく、保護したつもりであった、と?」
「だそうだ。あいつ自身、ふらふらあっちこっち行っちゃうルーちゃんに大分手を焼いていたらしい。ルーちゃんがいなくなってしまったら自分も困るし、その……シスターさんも悲しむだろうってことらしいぞ。」
そういって、ザグは一口お茶を口に含んだ。
「それ以外、出自とか名前とか、そういうことは教えてもらえなかったよ……んまあ、そんなに悪いことしたわけじゃないから、ラーヴァールには二度と来んなってことで魔導車に詰め込んでリゼルタに送り返したらしい。リゼルタに着いた後は、相応の仕事をしてそれなりに暮らしていくんじゃないかね。」
ザグが頑張って配慮した言い回しを、空気を読まずざっくりと両断する不届き物が一名。シルが本から目を離し、机に肘をつきながらおとな二名のほうを向いていた。
「つまり、悪くないけどキッツくてキッモい奴だったんだ。」
あんまりにもあんまりな言い草を、子供たちから解放され、アルの隣にやってきたベルが苦笑いを浮かべながらたしなめる。
「シル……あんまりそういうこと言わないほうがいいわよ……。」
「ほんとのことでしょ。どうして、自分が一方的に顔を知ってるだけの人に相手してもらえると思うわけ? フツーに自意識過剰というか、自分を過大評価しすぎだよ。それにシスターさんにはシエルさんが……。」
「シル。そういえばこの前のお説教がまだでしたね。」
「ひえっ!?」
あまり触れられたくない内容なのだろうか、シスターが珍しく、本当に珍しくシルの言葉を遮る。彼女の表情を見たシルは何を思ったのだろうか、手に持つ本を取り落としあわあわと口に拳を当てることしかできない。立ち上がったシスターは笑顔だが、その額に青筋を幻視させる謎のオーラを放っていた。
「ほら、こちらへいらっしゃい、シル。もとはといえば貴方がちゃんとルーを見ていればよかったのですからね。」
「ぬわーーたすけてぇ……アルぅ、ベルぅ……。」
彼女はあっという間に逃げようとするシルの手をつかみ、抵抗するシルをずるずると引きずって部屋を出て行ってしまった。
「……シルが消されてしまった。」
「シルったら、一体何を知っているのかしらね……。」
「お前らも知らないのか……。」
彼らはシスターの本名も来歴も年齢も、彼女についてほとんどのことを知らない。三者三様に首をかしげることしかできず、謎は深まるばかりである。
「……まあいいや。で、どうしてあそこにシエルさんと、あと傭兵ゼロがいたんですか?」
一応十数年来の友人の末路を「まあいいや」で済ませるアルも大概薄情といえるかもしれない。いつも通りのこと過ぎて慣れているだけの可能性もあるが。
「ああ、それな。まあ大したことじゃない。オルグの旦那のところに持ち込まれた視線の話を、旦那のところで働いてるシエルが調査してたってことらしいぞ。」
おそらくザグは本当にそう聞かされているのだろう。少女二人も、ふーん、とでも言わんばかりにのんきに首を振っている。
実際のところ、孤児院の運営にシスターは便利ではあるが、必要不可欠ではない。子供の面倒を見るだけなら、それこそ『塔』に寝泊まりさせてもよいのだ。わざわざ孤児院という形式をとる必要はない。
それでも、事実として、オルグ商会長傘下のシエルがシスターの安全確保に動いた。そこに誰のどのような思惑があったのか、それを推し量れるだけの材料を三人は持ち合わせていなかった。
「でまあ、ゼロの話はさすがにしてもらえなかったが、普通に依頼だったんだろうな。シエルの手には余るとかそういう感じの理由でゼロも呼ばれたんだろ。」
「ふーん……傭兵ゼロかぁ。あのやばいと噂の傭兵ですよね? そんなに悪い人には見えなかったけどなぁ。ルーちゃんすごいなついてたし、私勢いで肩組んじゃったし。」
「そんなことしてたわね。本当に恐れ知らずなんだから。」
ベルがあきれたように言う。というよりあきれているのだろう。やれやれと肩をすくめ、まぶしそうに友人を見つめている。その友人はついに、今の今まで持っていただけの箒を放棄し、シスターの飲み残した茶を一気にあおる。
支えを失った木の棒がカランカランと鳴る。そろそろとやってきたリーエが身長ほどある柄をむんずとつかみ、部屋の隅へと引きずってゆく。
「まーいずれにせよ、変な人はいなくなったし、ルーちゃんもゼロさんと一緒にいられるようになったし! みーんな幸せ、めでたしめでたし。ってことですね!」
「そうかぁ? 傭兵ゼロにとっては良くも悪くもなかったんじゃねえの? だって、結局ルーちゃんのこと手放せなかったし。」
ザグが反論する。実際、あちらこちらを飛びまわり物騒な案件に片っ端から首を突っ込む、という行動をせざるを得ないゼロにとって、小さな少女を一人守りながらの旅路というのは決して楽なものではない。ザグは決して口にしないし、おそらくほかの二人は考えもしていないだろうが、ゼロにとっては、はっきり言ってルーはただのお荷物、より露悪的にいうのならば足手まといである。
「いやいやいや、そんなことないですって!」
「本当かぁ?」
しかし、実というとそのアルのまとめは、きわめて雑に、間違いなく、今回の騒動の結末を総括していた。それを証明するのは、一人の年若い少女の確かな証言。彼女の言葉に、ザグと、ついでにベルは今度こそ驚愕に目を見開く。
「だってゼロさん、嬉しそうでしたよ? ちょびっとだけですけど、優しーく、笑ってました。 間違いありませんよ!」
そう言って、アルは胸を大きく張った。
瞬撃の魔剣士ー少女奮闘篇ー
完