6.
2024/5/12 数字を漢数字に変更、三点リーダの記法を変更
時刻は未だ昼間。薄い雲の隙間から差し込む日の光が、背の低い家屋を縫うように張り廻った道を照らす中、二人の少女は一心不乱に、やみくもに走り回る。彼女たちがリーエから得た情報は、ルーが知らない男とともに、孤児院と塔の間のあたりにいた、という情報のみ。彼女が何をしていた、どのような様子であった、といった情報が欠けている以上、その情報は捜索範囲をある程度限定する以上の効果を持たない。
孤児院と塔をつなぐ最も広い通りの交差点、ちょうど十字路になっている場所にて、息を切らした二人は再会する。
「みつかった!?」
「いいえ、見つからないわ……。」
「くっ……。」
ルーがいなくなった直後には、彼女たちには何かと余裕があったといえる。いつもと変わらない怠惰なシルに、
しかし、今となっては……もはや、彼女たちに余裕などなかった。額に玉の汗を浮かべながらせわしなくあたりを見回し、どちらからともなく走りだそうとする。
「アル! ベル!」
背後から投げかけられたか細い、聞きなじみのある声に、二人はとっさに地を踏みしめ、ぐるりと後ろを振り返る。彼女たちの視線の先にいたのは当然、先に分かれたはずの彼女たちの恩人。彼女は、その背姿に受ける印象とはかけ離れた、しっかりとした足取りで彼女たちに走り寄ってくる。
「シスターさん! 子供たちは!?」
「リーエが見ていてくれるそうです……だから、ルーを見つけてほしいと。」
リーエは一応、唯一の目撃者である。ゆえに彼女にも、何か思うところがあったのだろうか。確かなのは、彼女の提言により、人手が一人増えたということ。行方が知れなくなった子供を探すのは、大人の仕事の一つである。
「リーエちゃんが……わかりました、行きましょう! こっちです!」
アルの言葉に合わせて、三人は一斉に走り出す。細い道を抜け、十字路に差し掛かったところで再び三手に分かれようとし……そして、彼らの動きが止まった。彼らから見て右手側、建物の影が落ちる薄暗い一角に、見覚えのあるきれいな銀髪がぼんやりと浮かび上がっている。やや荒れ気味の毛先がゆらゆらと踊り、闇の奥へゆっくりと吸い込まれてゆく。
「ルー!」
「「ルーちゃんっ!」」
当然、それを見逃す三人ではなかった。真っ先に走り出したのはシスター、そして彼女の子供たちが追随する。そして彼女たちは、まだかろうじて日が当たる場所に立ち止まり、そこにいた二人と向き合った。
「……しすた、さん?」
「あなたは一体……ルーとどういう関係なのですか!」
シスターの厳しい詰問に、そこにいた男は、ルーと手をつないだまま、びくりと体を震わせた。
頼りない男、といった風情であった。リーエはのっぽと言っていたが、子供たちの中でも小さめの彼女にとって、といった話だったようで。シスターとさほど変わりのない背丈をして、体は薄く、手と足だけが長い。どこかアンバランスな見た目とおどおどとした態度のせいで、ルーを連れて行った、という事実が必要以上に目立ってしまう。
「答えられないのですか? やはり、あなたがルーのことを! ルーを返しなさい!」
「あっ、あっ、あっ……。」
ずいずいと詰め寄るシスターに対し、不明瞭な音を発しながら、ルーの手を引いたままずるずると後ずさりをする男。しかしその動きは緩慢でどんくさく、あっさりと追い付かれてしまう。シスターの細い手が男の長い手をつかみ、力ずくにルーの手を引きはがす。興奮からか、男のほほにさっと赤みが走った。
そのままシスターに抱きかかえられたルーは、ぼんやりと危機感のない表情で泣きそうな彼女の顔を見上げる。シスターは彼女を守るように、男とルーの間におのれの体を滑り込ませる。
「ルー! 大丈夫ですか、けがはありませんか?」
「ルーちゃん! ごめんね、ごめんね。」
「あ、え、あ……。」
次いで、駆けよってきたアルがルーの体を包み込む。その様子を、男はただ呻きながら眺めるばかりだ。
「ルーちゃん、何があったの?」
変わらず呻くばかりの男のほうを油断なく見据えながら、一足遅れてやってきたベルがルーに尋ねる。彼女はどこから拾ってきたのか、こぶしほどの大きさをした鈍色の石を手に、いつでも男に投げつけられるように半身で構えをとっている。
「ちかく、なの。ルー、さがす、する。」
「……探す?」
果たして、ルーの言葉はやはり、いつも通りの聞き取りづらいものであった。しかし彼女がはっきりと告げた、探す、という言葉に反応し、アルが小声で大真面目につぶやく。
「るー、と、ながいひと、さがす、する、する。ながいひと、みる、しすた、さん、いっぱい、する、いう、た。」
そういいながら、ルーは男のほうを指さす。彼女の動きに合わせて、その場の全員の視線が男に注がれた。
「あ、あっと、えっと……。」
「……間違いありません! この人の狙い、シスターさんです!」
アルが力強く宣言する。シルも追随して小さく頷き、ルーのほうを見やる。
「そうねアル。私もそう思うわ……そういうことよね?」
「……? ながいひと、しすた、さん、はな、はな……はなさ? はなす? ない?」
これほどまでにお粗末な証言を根拠とするわけにはいかないが、しかし少なくともこの様子では、男がシスターについて何かしらの言及をしていたことは間違いない。三人の視線は険しくなる一方だ。ルーは相変わらずのほほんとしていたが。
「……う、うわぁあぁあぁぁあぁぁぁぁぁぁっ!!!」
その空気に耐えられなかったのか、それとも単に言われたくないことを言われたせいなのか。ここまで何かと挙動不審であった男が、ルーの言葉が終わると同時についに爆発した。顔を真っ赤にしたかと思うと、長い腕をめちゃくちゃに振り回し、シスターたちに背を向けたかと思うと、どたどたと不格好な走りでその場から逃走を図る。
「っ、逃がすか待ちやがれこのクソ不審者がぁぁっ!」
そんな男に育ちの悪い罵声を浴びせるベル。でた! 裏路地モード! などと少しうれしそうなアルの声に追われながら、鬼の形相で男に襲い掛かる。
しかし、挙動不審であろうが何であろうが男は男。態度はともかくベルの体つきはあくまで女性。男の身体能力に真っ向から立ち向かうことができるほど、体を鍛えていたわけでもない。とっさに投げられた石は明後日の方向に飛んで行き、それならばと男に突進をかますも、長いうでにしこたま打ち付けられてたたらを踏んでしまう。シスターが反射的に腕を伸ばし、驚いた様子のアルとともにベルの背中を支える。
男にも良心があったのだろう。はっとした様子で刹那その場にとどまるも、しかし今はこの場からの逃亡こそが肝要であると考えたようだ。彼はそのまま何度か後ろを振り向きながら、猛スピードで走り去ってゆく。
と、思われた次の瞬間。わきの狭い道から黒い棒状の何かが突き出し、男の脛をしたたかに打ち付けた。男がよろめいた次の瞬間、その何かはぐるりと一回転したかと思うと、あっという間にその長い脚で男の背中を叩きのめし、地面に縫い付けた。うつぶせにされて背中を押さえられた男が不格好に手足をばたつかせるも、その誰かはびくともしない。
「う、うわぁぁぁぁっ! はっ、離せぇぇぇぇ!?」
「……あいにくと、私の足はそこまで大きくはない。」
そういうことではない、という微妙にずれた回答とともに、その男、ゼロの視線が四人のほうへとむけられる。
「ぜろ!」
喜びに満ち溢れたルーの叫びがラーヴァールの通りに響く。バタバタと手足をばたつかせるルーの様子には気が付いているのだろうが、件の怪しい男がそこにいるからだろうか、シスターはルーを抱きかかえた左手を離そうとはしなかった。
「……なぜ貴様達がここにいる。」
ゼロの冷たい声が、ルーたち四人に投げかけられる。対するシスターは、まだ少し緊張が残る風情で、ゆっくりと答えた。
「傭兵ゼロ……まだこの街にいたのですね。もう発ってしまったものかと……。」
「……野暮用といったところだ。本来であれば、必要以上に滞在する価値のある街ではあるまい。」
ラーヴァールにて実際に暮らしている彼らにとって若干失礼な言動であるが、言及するものはいなかった。ゼロが現れた裏路地から、さらに別の人物が現れたためである。その者の姿を目にしたシスターが静かに息をのむ。彼女の拘束が緩んだすきを見逃さず、ルーがシスターの腕の中からするりと抜け出した。
「お疲れさまでした、傭兵ゼロ。その男をこちらにお渡しください。」
「……シエル。」
現れたのは、頭からつま先まで全身を茶褐色のローブに包んだ線の細い人物。ローブの隙間から覗く薄青色の髪を揺らしながら、その者がシスターに視線を向け、低いかすれ声で話しかける。
「久しぶりですね。お元気なようで何よりです。」
「シエル、そんな風に言わないで。私は……。」
シスターの切なげな声を、その者はあっさりと遮った。
「わかっていますよ。私はとっくに諦めた。」
シエルはそう言って、いつの間にやら締め上げられ意識を失った男を軽々と抱き上げる。木の枝のような長い腕がその者の肩越しにだらりと垂れる。
「それでは。お元気で。」
きびきびと踵を返すシエルを、外面を取り繕いなおしたベルが丁寧に呼び止める。
「待ってちょうだい。貴方、シスターさんと、傭兵ゼロと、いったいどんな関係なのかしら。」
「……それを言う必要がありますか。」
「納得ができないわ。これで十分でしょう?」
それは掛け値なしの、ベルの本音であった。ルーを探していただけなのに、オルグ商会の情報部門が突然出てくる、その理由が簡単に説明できるはずがない。
それはシエルもわかっているのだろう。わずかに視線をそらしたのちに、まっすぐにシスターのほうを見つめ、話し出す。
「……傭兵ゼロは我々の協力者です。貴方が……貴方が、ここ最近視線を感じることが多いと言ったから。だから私が調査していた。」
納得がいかなかったのだろう。アルがシスターのほうに向きなおり訪ねた。
「……シスターさん、オルグ商会に貸しでもあるの?」
「違うでしょう、アル。多分だけれど……ねえシエルさん。じゃあ、あなたとシスターさんの関係について、教えてもらえるかしら。」
シルの言葉に、シスターは焦ったような顔を見せる。シルのほうを向き、シエルのほうを向き、右手でそっと口を押えた。
シエルは、今までにないほど穏やかな顔をしていた。切なげに目を細め、小さく笑みを浮かべながら、ポツリと、一言だけ。
「私と彼女は……友人ですよ。きっとね。」
そんな様子を見せられて、シエルを引き留められるものはこの場にいなかった。そのまま、大柄な男を引きずって帰るシエルを、彼らはその場で立ち尽くし、呆然と見送った。
「……。」
「……。」
「……なんだかよくわからないけど、とりあえずゼロさん、ナイスです!」
「……なれなれしい娘だ。」
上背のあるゼロと強引に肩を組もうとするアルに、ゼロは小さくため息をつく。そんな二人の様子を、ゼロの足に引っ付いたルーがぼんやりと見つめていた。