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8/12 孤児院にいないはずのシルが出没していたので修正
2024/5/12 数字を漢数字に変更、三点リーダの記法を変更
ラーヴァールの東端に位置する小さな教会。つい昨日ゼロが訪れたその場所に、二日連続で客人が訪れる。かつてこの教会を巣立っていった子供たち二人は、ここに至るまでの速足に息を切らし、不安を胸に抱えながらも、その顔にはどこか安心したような、うれしそうな笑顔を浮かべている。
「シスターさーん、いますかー?」
「今忙しいかしら? お話しできる時間はある?」
アルとベル、二人の少女の声が静まり返った住宅街に快活に響く。さほど時間をおかずして、その声に答えるものが教会の建物の中から現れた。彼女、シスターは嬉しそうに笑い、両手を優しく広げて少女たちを迎え入れる。
「アル、ベル。よく来てくれましたね。」
「シスターさん!」
両手を広げた彼女に、二人の少女が勢いよく覆いかぶさる。自身より大きな二人に抱きすくめられながらも、彼女は細い手を伸ばし、二人の頭を優しくなでた。
ややあって、シスターが二人の背をなでる。名残惜しそうにシスターから手を離した二人に向けて、彼女は何気ない疑問を投げかける。
「ところで、シルは? 今日はいないのですね?」
そんな疑問に、二人は一斉に視線をそらした。
「あー、あの子は……ね。」
「ええ、またやらかしてしまったの。」
その告発に、シスターが困ったような笑顔を浮かべる。
「また、ですか……今度は何を?」
「……今日はその件、というかルーちゃんの件で、シスターさんに聞きたいことがあるの。」
「そうなんです。シスターさん、ルーちゃん見ませんでしたか? シルが見ていてくれるって言ってたのに、結局目を離してたみたいで。」
シスターがルーを『塔』に預けたのはつい先ほどのこと。忘れるはずもない。
シスターの顔に不安がよぎる。その彼女たちからもたらされた情報は、何が起こったのかを察するには充分であったようだ。
「……まさか、ルーがいなくなってしまったのですか?」
「はい……ごめんなさい。ちゃんと面倒見るって約束したのに。」
「ごめんなさい……シルのあの性格は、私たちが一番よく知ってるはずなのに。」
しゅんとする二人の頭を、背伸びをしたシスターがゆっくりなでる。彼女たちは浮かない表情のままで、遠慮がちに育ての親の顔を覗き込む。
彼女は怒っていなかった。普段通りの、教会の孤児たちがよく知る優しい顔で、優しい言葉を投げかける。
「過ぎてしまったことは仕方ありません。まずはルーを探すのが先決です……お入りなさい。もしかしたら、子供たちの中にあの子を見た子がいるかもしれませんから。」
シスターの切り替えは早かった。普段通りにふるまう彼女に安心を覚えたのか、少女二人はシスターの手に導かれるように、先んじて教会の扉をくぐる。
それゆえに、二人は、シスターが背後で手を固く握りしめ、不安気に屋外を見つめていることに、気が付かなかった。
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以前ゼロが応対された部屋のさらに奥には、シスターと子供たちの生活スペースがある。薄暗い広めの部屋は左に曲がったかぎ型をしており、ちょうど突き当りの部分には年季の入った円形のラグマットが縮こまっておいてある。その右手にある扉は開け放たれ、わずかな日の光と元気に動き回る子供たちの通り道となっているようだった。
扉が開いた小さな音にも、子供たちは敏感に気が付く。小さな瞳が来訪者たちのほうにむけられ、そして間もなく、小さな彼の顔に笑顔が浮かんだ。
「アル姉とベル姉だっ!」
男の子特有の、少し高い声が響く。それからすぐに、あるものは部屋の奥から、あるものは建物の外、教会の庭からぞろぞろとやってきて、あっという間に少女二人を取り囲む。何人もの子供たちに囲まれた二人は、思わずといった具合に柔らかな笑みを浮かべ彼らに応えた。
「見てくれよアル姉、この石庭に落ちてたんだ!」
「あれ? シル姉は?」
「お本よんでー!」
「ベル姉、またお針の使い方教えてくれる?」
彼らの様子を見るだけでも、二人の少女、そしてここにいないもう一人も、孤児院の子供たちに慕われていることがよくわかる。しかし、好意しかない彼らの、喜びに満ちた行動は、当然ながら、少女たちの事情や状況を加味したものではない。
それは悪いことではないのだが、この時に限っては黙って受け入れるわけにはいかないものである。ゆえに、はしゃぐ子供たちに向かって、シスターは少し申し訳なさそうな顔でこう言った。
「ごめんなさい、子供たち。今日は、二人は用事があってここに来たのです。また今度来てくれた時に、遊んでもらいましょう。」
「えー! でも、姉ちゃんたち全然来てくれないじゃんかぁ!」
「今日のおひまな時間だって、今日はずっとルーちゃんと遊んでたもの!」
「そーだぞー! 俺たちだって遊びたかったのに!」
わいわいがやがやと、好き勝手自身の主張を展開する子供たち。彼らの不満げな言葉、表情から、二人の少女は申し訳なさそうに視線を逸らす。シルの行動について好き勝手言った手前、気まずさを感じているのかもしれない。
……というより、そもそも仕事中に遊んでいてよいのかという話ではあるのだが。そのような理屈は当然子供には通じない。アルがベルに耳打ちする。
「ベル、どうする?」
「今ルーちゃんのこと聞いたりしたら、みんなもっと嫌になっちゃいそうよね……。」
おそらくベルの懸念は正しい。この期に及んでルーばかり、と思われてしまってもなにもおかしくはない。堪忍したのか、アルとベルは互いに頷きあった後、改めて子供たちのほうに顔を向けた。
「わかった! それじゃあ、お仕事終わったらシルもつれてまた来るね。その時遊んであげる!」
「ほんとー!? やくそく!?」
「ええ、約束するわ。」
子供たちは二人の言葉に、やったー、と、飛び上がったり回ったりと、全身で喜びを表現し始めた。わざわざ走り寄ってきてお礼を言ってゆく子がいたり、楽しみが過ぎて準備のために早々にどこかへ行ってしまう子がいたり、薄暗い孤児院が一気に明るくなる。
「……良いのですか?」
心配そうなシスターに、二人は苦笑しながら答える。
「まあ、こうでもしないと収まらなかったと思いますし……。それに、子供たちと遊ぶのは私も楽しいですから。」
「そうね。ルーちゃんのことは何とかするわ。さすがにラーヴァールの外には行ってないでしょうし。」
ラーヴァールは決して大きな街ではないが、子供一人をしらみつぶしに探すには広すぎる。少女たちとしても何とか情報をつかみたいと考えていたところだろうが、今回の成り行きは彼女たちが制御できるものではなかった。
シスターもそのことはわかっているのだろうが、彼女には子供たちの面倒を見るという大切な仕事がある。申し訳なさそうにうつむいたのち、二人の目をしかと下から覗き込む。
「……わかりました。私はここを離れられませんが……ルーのことは、たのみますね。」
「はい!任せてください!」
アルの頼もしい言葉に、シスターは柔らかく微笑んだ。
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「それじゃあ、後でまた来ますからお願いしますね!」
「その時にはシルも、あとルーちゃんもつれてくるわ。」
「ええ……今日だけでなくてもよいのです。私はいつでも、あなたたちを歓迎しますからね。」
シスターの言葉に、二人の少女は力強く頷く。
「はい! いつになっても、私たちの帰る場所ですから!」
「ルーちゃんのことは安心して。私たちがきっと見つけて見せるわ。」
名残惜しそうに抱擁を交わし、別れを惜しむ彼女たち。この後の約束があるにもかかわらず彼女たちがそうしているのは、その間に結ばれた絆が故か、あるいは不安を紛らわすためか。長い袖からのぞく、細く痩せたシスターの手を、ベルが包み込むように握る。
その時である。彼女たちの背後、ピタリと閉じられた扉がキイキイと小さな音を立てながら開かれた。彼女たちは一斉に後ろを振り向き、特にシスターはもはや、不安そうな表情を隠すことができていなかった。
しかし、結果だけ見るならその不安は完全に杞憂である。扉をくぐって表れたのはおかっぱ頭の人形と見まごう少女。
「あれ、リーエちゃん。」
「アル姉、ベル姉。久しぶりなのよ。」
帰ってきたのは、昼間『塔』で働くルーを助けていた少女、リーエであった。
「久しぶりって。今日のお昼も会ったじゃない。」
つまり、まったく久しぶりではない。
「そうよ。でも、久しぶりよ。」
ルーとは別の方向性で話が通じない少女であるが、彼女たちも慣れっこなのだろう。大して追求せずに、むしろちょうどよかったとばかりに、アルが少女の前にかがみこむ。リーエはガラス玉のような瞳でアルの人好きのする瞳をじっと見つめ返した。
「リーエちゃん、覚えてたらでいいんだけど、ルーちゃんのこと見なかった?」
「ルーちゃん?」
リーエの声は、わからなくて聞き返したというよりも、なぜそんなことを聞くのか、といったような風情であった。彼女はそのまま、何でもないように続ける。
「ルーちゃん、みたのよ。」
「本当!? ねえ、どこ行ったか分かる?」
「あっちの方にいたのよ。」
そう言って、彼女は自身の背後を指さす。
「塔のほうね、やっぱりそんなに遠くには行っていなかったんだわ。」
「もしかしたら、塔に帰ってこようとして迷っちゃったのかもしれない。探しに行こう、ベル!」
ベル、そしてアルが続けて喜びの声を上げる。何も言わないシスターも、心なしか表情を和らげたが……リーエがもたらす情報はそれで終わりではなかった。
「のっぽの男の人と一緒に歩いていたのよ。男の人、私を見て、逃げちゃったのよ。」
「……男の人? シスターさん。」
アルの視線を受けたシスターは、眉を下げて不安そうに首を横に振る。
「い、いえ……そんな話は……あの傭兵が戻ってくるとも思えませんし……ま、まさか。」
顔面蒼白になったシスター。そのただならぬ様子に、年長者二人の顔もこわばる。
「……・ここ最近、孤児院の周りで視線を感じることが多かったのです。子供たちの中にも、視線を感じたとか、おかしな男に話しかけられたとか……リーエも、この前言っていましたね?」
「そうよ。でも、同じ人かはわからないのよ。」
リーエが年齢らしからぬ慎重な見解を述べるが、悪い予感に取りつかれたシスターは止まらない。
「もしや、ついにその男が手を出したのでは……もし、ルーが何か、よからぬことに巻き込まれたりでもしていたら……わ、私、は……。」
「落ち着いてください、大丈夫ですから!」
根拠のないアルの言葉が、狭い部屋に必要以上に大きく響く。
しばらくして、落ち着きを取り戻したシスターを抱きかかえながら、アルはそっと、緊張した様子のベルと目で会話する。ルーは無事なのか。どこで、だれと、何をしているのか。何もわからない。状況そのものは先から変わっていないはずなのだが、それが心理的にも同じであるとはとても言い切れない。その場のだれもが、シスターほどではないにせよ、嫌な予感を感じているのだろう。アルとベルの額に冷や汗がにじむ。
「アル、急ぎましょう。もし何もなかったとしても、それでも、合流するのは早い方がいいわ。」
「うん。シスターさん! 私たち、行ってきますから! 待っていてください!」
二人はシスターの体を離すや否や、全速力で部屋を出て行った。
彼女たちは、最後の最後に、大丈夫、とは言わなかった。部屋には憔悴した様子のシスターと、ぽつねんと立ち尽くすリーエだけが残された。
「……ねえ、シス姉。」
「どうしましたか、リーエ。」
「あのね……。」