4.
2024/5/12 数字を漢数字に変更、三点リーダの記法を変更
さて、ラーヴァールの街の象徴ともいえる存在、街の中心にて威容を放つ『塔』は、この街の価値に真っ先に気が付いた商会、『オルグ商会』の管理下にある。スワン商会を含めた、塔に出入りする商会の管理と営業許可、塔に属する炭鉱夫や職人の把握及び管理、塔の維持管理、食料の買い付け及び販売と、ラーヴァールの生命線をまとめて握るかの商会は、当然ながら、この地において絶大な権限と権力を持っている。
町一つを実質的に支配しているがために、ドリアの王族からの覚えもめでたく、やせ細ったラーヴァールの地を豆に頼らず大きな交易都市としたその実績から、大陸でも相応に名が知れている。そんな商会の長が、年若い青年であるということを知るものは、実はそこまで多くはない。もはや商会としての仕事はほとんどしなくなり、ラーヴァールにこもりきりになっているというその性質上、彼が外に出ていく必要性はあまりないのだ。
それゆえに彼は、たった一人でラーヴァールの地を緑あふれる地に変えただの、金鉱山を独占し酒池肉林の毎日を送っているだの、男を自称しているだけで実は女であるだの、あることないこと好き勝手言われているわけなのだが、これは完全に余談である。
「……それで、調査の結果はどうでしたか?」
「……確証はない。しかし、痕跡はある。あの男女の見立てに間違いはないように思える……少なくとも、あの女が感じたというそれは、幻や自意識の産物ではなかろうな。」
そんな、ある種の幻のように扱われる彼と向かい合い、黒の傭兵は自前のグラスをそっと隣に傾けた。机の傍らに立つ、目の覚めるような美人が、彼のグラスに音もなく透明な液体を注ぐ。
場所はラーヴァールの中央、塔の最上階。ルーを孤児院に預けたその翌日に、傭兵ゼロはそこを訪れていた。
傭兵ゼロが引き受けた小遣い稼ぎはさほど難しいものではない。とある女性が『塔』に持ち込んできた悩みの原因を探ってほしいというもの。その内容自体も、最近どこからともなく視線を感じる、といったありふれたものである。
商会長が難しい顔で顎に手を当てる。穏やかでとらえどころのない、しかしきれいに整った顔が、部屋を照らす蝋燭の炎に照らされ橙色に染まっている。
「やはりそうですか……痕跡とは?」
「……仔細を述べることに意味などあるまい。ちょうど貴様とよく似た体格の、素人が一人。」
「なるほど、それはありがたいですね。余計な心配をしなくて済みそうです。」
「どうだか。」
ゼロの投げやりな言葉に、商会長が首をかしげる。
「……それはどういうことです?」
彼の素朴な疑問に、ゼロは彼のほうを向きもせずに、ぞんざいに答える。
「……ものを知らぬ素人の執念というのは、えてして玄人の執着より恐ろしいものだ。連中は加減を知らんからな。それは、貴様もよくわかっているのではないか。」
何か嫌な思い出でもあるのだろうか、ゼロの言葉はかなりとげとげしい。
「加減……。」
「力を初めて手にするがゆえに、それの扱い方を知らないのだ。連中にはそれを知るだけの能もない。」
機嫌の悪そうなゼロに、商会長が長い脚を組み替え、少しだけ嫌そうに言う。
「……随分とあたりが強いのですね? シエルは優秀なのですが。」
彼の言葉に、ゼロは答えなかった。シエルという人物についても知っているのだろう。特段聞き返す様子もない。
「いずれにせよ。そやつの内心なんぞ知らんが、放っておくと面倒だ。対処は早い方がよいだろう。」
そう言って、彼はグラスを空にし立ち上がる。傍らの女性を押しのけ部屋の外へと向かう彼の背中に、商会長は不思議そうに言う。
「……つまりそれは、あなたの仕事はここで終わり、と?」
半開きの扉に手をかけたまま、ゼロが立ち止まる。
「放っておくと面倒だと、わかっているのに?」
振り返ったゼロの顔には、もうすでに、先ほどまでの辛辣さの面影はなく。なじみの深い無表情をたたえた彼に向けて、商会長は微笑んだ。
「ついこの間のことです。大陸中をめぐって厄介ごとを解決して回る、非常に有能な傭兵がいるとのうわさを聞いたのですよ。その実力は折り紙付きでありながら、性格は謙虚、依頼料も良心的。慈悲深くありながら苛烈、民を慈しみ巨悪を憎むそれはそれは……」
「もうよい。」
当然ながら、そんなうわさが流れていたところでその『有能な傭兵』とやらがゼロであるはずはない。能力面はともかく、人格が似ても似つかない。
開きかけの扉を閉じ、商会長の前に戻ったゼロ。彼に向けて、商会長はそっと右手を差し出した。
「……もう一度、今度は成功報酬で、いかがでしょう? 今ならうちのシエルもつけましょう。」
傭兵ゼロは、しばらく彼の手を見つめたのちに、小さく息をつき、手袋に包まれた大きな手で、それに応じた。
「……二割だ。それ以上は出さん。必要もない。」
ゼロの言葉に、商会長は満足そうに微笑んだ。
~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~
「ルーちゃんがいなくなった……いなくなった!?」
お手本のような驚き方をしたザグ。彼の大声を直接ぶつけられたシルはわずかにのけぞり目を閉じる。相変わらずのんきなシルに、ザグは興奮して詰めかかった。アル、ベルとともに働いていた少女たちが、嵐の予感を敏感に察知し部屋からそそくさと出ていく。
「おま、お前、あれほどちゃんと見ておけって!」
怒りと動揺をあらわにするザグの進路上に、アルが強引に割り込み彼をなだめる。
「落ち着いてくださいザグさん! シルはちゃんと見てたかも……多分見てなかったと思うけど一応! 一応言い分聞きましょうよ!」
「聞く必要ないだろ! 状況聞いたって絶対こいつ覚えてないぞ!」
「それはそうですけど! そうですけど一応! 一応ね!」
本人そっちのけで言い争う二人の横で、シルが傍観するベルのほうに向きなおる。
「私、こんなに信用ないの?」
「だってあなた、信用されるようなことしたことないじゃない。今回だって、あなたがルーちゃんを見ていてくれるって言ったのよ?」
「いや、まあ。でもさぁ……。」
「じゃああなた、ルーちゃんのことちゃんと見てたの?」
「見てない。」
即答である。ベルが思わずといった具合でため息をついた。
「そういうところよ。」
「がっくし。」
ほんの少しだけ傷ついた顔をしたシル。とはいえ監督責任を果たす気もなく、それを悪びれなく堂々と言ってしまえるあたり自業自得としか言いようがない。
「とにかく! まずはシスターさんに報告しましょうよ!」
「そうね。それがいいわ。もしかしたら、孤児院にいるかもしれないもの。」
「自分で帰っちゃったかもしれないってことか? 可能性は低いと思うが……まあそれ以外に心当たりもないか。アル、ベル。ルーちゃんのことは任せた。」
アルの提案にベル、ザグが同意する。これから本格的に仕事が始まるがゆえに、ザグは塔を離れることができない。必然的に、きちんと役に立つ二人に、ルーの捜索がまかされることになった。
しかし、それに異を唱える者が一人。
「いや、申し訳ないから私が行く。きちんと探してくる。」
いろいろな意味でない胸を自信満々にそらすシル。対して周囲の三人の視線は冷ややかだ。当然である。いくら下働きとはいえ、いきなり三人もいなくなるわけにはいかず、そしてとある事情からシルには塔にいてもらった方がよいのだ。
「……アル、ベル。こいつのやらかしをしっかりと伝えておいてくれ。」
「わかったわ。ちゃんと言っておくわね。シルが自分でルーちゃんの面倒を見るって言ったのに、全然約束を守ってくれなかった。ってね。」
「やっぱり! シスターさんに叱ってもらわないと!」
「そんなぁ。ねえアル、ベル。私たち親友だよね? 物心ついた時から一緒だもんね?」
信用の話をしているうちは勝てないと悟ったのだろうか、今度は情に訴えかけようとするシル。対するアルはにべもなく、縋りつくシルをぞんざいに引っぺがした。
「はいはい。死ぬ時も一緒なんでしょう? 大丈夫、私とベルはほとんどお仕事残してないもの。三人分のお仕事といってもその程度なんだから、一人でやっても死なないわ。」
「そ、そんなぁ……働きたくないよぉ……。」
「何でもいいけど早く来いシル! そろそろあいつらが帰ってくるぞ!」
いつの間にやら準備万端のザグが、シルの襟首をぐいとつかんで引き寄せる。間の抜けた断末魔とともに引きずられてゆく彼女は、いろいろな意味が込められた悲壮な表情をしていた。
往生際の悪いシルが扉のふちに足を引っかけ、しかし大人の男の力にはかなわずずるずると引きずられてゆく様子を呆れた顔で見送る一人。哀れな生贄の声が完全に聞こえなくなってから、ベルは隣に立つアルのほうに向きなおった。
「……私たちも行きましょう。アル。」
「うん。早く行きましょ! ルーちゃんが怖い思いをする前に!」
かくして、二人の少女が曇天の下に足を踏み出す。彼女たちの足取りに、迷いはない。