2.
2024/5/12 数字を漢数字に変更、三点リーダの記法を変更
ラーヴァールの孤児院の目的は、身寄りのない子供たちの保護ではない。厳密には、扶養、あるいは飼い殺しを目的としていない。金を生まない人間を長期にわたって養うためには莫大な金が必要となるし、そもそもそんなことをしたところで孤児院の運営をする側には何もメリットが無い。
現場の監督者である、ゼロに応対したシスターなら、そんなことはない、か弱い子供たちを守ることに理由などいらないのだと、もしかしたら言うかもしれない。しかしあくまでこの孤児院は、ラーヴァールに訪れる、あるいはここを本拠地とした複数の商会の寄付により成り立つ施設である。彼女の意思一つでどうにかなる話ではないのである。孤児院は、これまでもこれからも、出資者の意に沿った、出資者に利のある施設としてあり続けなくてはならない。そうでないと、存在できないのだ。
そもそもの話として、シスターは勤勉と慈愛を是とする、生真面目で融通の利かない女である。ただ養われるばかりでは堕落するばかりであり、身を粉にして働くことこそ美徳であると本気で信じるような女なのだ。彼女はその生来の真面目さゆえに、孤児院―より厳密にいうのであれば、塔―を運営している商会、オルグ商会のもとに乗り込むなどという蛮行を見事に成し遂げた。
彼女の願いは実に単純であった。孤児院の子供たちを、『塔』で働かせることを許可してほしい、というもの。小さな子供は荷物持ち。少し大きくなった子たちにはより高度な技術を身につけさせて。自分の力でその日の糧を得る喜びを、子供たちにも知ってほしいのだ、と。
実際のところ、シスターの話は決して孤児院側だけに利のある話というわけではない。商人たちにとっては、慈善事業に手を出しているというのは良いアピールになる、という点は変わらないまま、将来『塔』で働くであろう子供たちに、己の顔を通しておける、というメリットが生まれるのだ。その子供たちの中に、金の卵を産む鶏が混ざっている可能性も、決して零ではない。
それに加えて、孤児院の財政状況が楽になるということはそれすなわち自分たちの負担が減るということでもある。必要経費とはいえ、削れるものは削ったほうが良いのもまた間違いないわけで、自分たちが指示するまでもなく、相手が自主的にしているとなれば汚点にもならない。
とはいえ、シスターがいる子供を使いつぶすわけにもいかない以上、子供たちを労働力とする必要がなかったり、してもいいが割に合わなかったり、といった事情は多く。結局、シスターの願いを聞き入れたのは、オルグ商会を含めた二つの商会だけであった。今、身寄りのない、立場の弱い子供たちが『塔』にて一定の地位を獲得しているのは、間違いなく、この二つの商会の決定とシスターの努力のたまものである。
子供たちの仕事はあくまで手伝いであるため、給与の額は多くはない。しかし、仕事の内容も拘束時間も大したことが無いため、待遇としては決して悪くはない。子供たちの立場からしても、将来自分たちの食い扶持となる技術が身につけられる、という側面があり、この事業は現状、関係者全員が誰も損することのない、奇跡的なバランスを保って今もラーヴァールの経済循環に一役買っているのだ。
さて、時刻はゼロと別れた翌日の早朝。ラーヴァールの中心地たる『塔』にて。労働のために『塔』を訪れたはずのルーはなぜか、年若い少女二人に包囲され、ぐるぐると目を回す羽目となっていた。ルーと共にやってきた孤児院の仲間たちは、硬直してしまった彼女の様子をうらやましそうに見ているが、少女たちの勢いは止まる様子を見せない。
『塔』の一角にひっそりと存在する、寝床と椅子、軽い調理器具が離れて配置されたその部屋はおそらく休憩室なのだろう。孤児院のシスターに言われた通りの場所を訪れた孤児たちは、そこで待ち受けていた三人の年若い少女たちと合流し、仕事へと向かうはずであった。しかし、実際のところそんなことにはならなかったわけである。
二人の少女、茶髪の少女と金髪の少女が、新顔のルーを撫でまわす。
「ああ、本当にかわいい……ベルもそう思わない?」
茶髪の少女がはきはきともう一人に尋ねかけると、金髪の、ベルと呼ばれた彼女が穏やかに答えた。
「ええ、そうね。でも、ちょっと痩せてしまっているかしら? ねえルーちゃん、もっとたくさん食べないといけないわ。」
直接スキンシップをとってくる二人のほかにもう一人、背の高い椅子を三つも贅沢に使い、だらりと寝そべり分厚い本を胸に抱えた白髪の少女も、その眠たそうな顔とは反対に興味を抱いているようで。懐から小さな包みを取り出して、ルーの後頭部に向けて差し出し、一言。
「飴、食べる?」
ルーに、この三人の猛攻に対応する余裕はなかった。
さて、ラーヴァールの経済を支える金は、当然ながら、街の中央にある金鉱山にて採掘され地上に持ち出されたものである。日の光の届かない地下深くに潜り、足場の悪い洞窟を歩き、時には壁を掘って、決して軽くはないそれらを地上に持ち帰る。その役目は主に、力が強く体力にも優れる若い男衆の仕事であり、そして彼らが比較的に強靭な体を持っているとはいえ、過酷な労働、不運な事故の末にけがをしたり病気をしたり、最悪の場合死に至る、などということは、何も珍しいことではない。
そんな彼らの状況に目をつけた商会。それが、今まさにルーを愛でている少女たちが属する、シスターの願いを聞き入れたもう一つの商会『スワン商会』である。彼らはドリア王国首都リゼルタを中心に、その東、ラーヴァールまでの地域を中心に活動する商会兼医師団とでもいうべき組織であり、その標語にたがわず、医療品の流通を担う商会としての側面だけでなく、ついでと言わんばかりに、街を問わず活動する医師団としての側面も持つ色物である。広範な活動範囲と上質な品揃え、優秀な医師たちの存在を、慈善事業への貢献も踏まえて高く評価され、ドリア王城への立ち入りも許可されている大規模な商会なのだ。その勢いたるや、会長が次の目標として王宮付き医師への着任を掲げているほどである。
そんな『スワン商会』に勤める彼女たちは、簡単に言えば住み込みの雑用係である。医師になれるほどの技術も、商会の運営に携われるほどの知識も現状会得していない彼女たちは、数を数えるだけでよい在庫の管理や店頭に置く商品の運搬、掃除、そしてちょっと手を握っただけで簡単に完治する軽症の患者様の手当などの、割とだれでもできそうな、しかしなくてはならない業務を担当しているのだ。
そしてその割とだれでもできそうな業務に着目したスワン商会長によって、孤児院の子供たちの受け入れ先として彼女たちが指定された、というところまでは良いのだが。普段はドリア王国首都リゼルタを中心にあちらこちらを飛びまわる生活をしている商会長は、ある一つの重要な問題を見落としていたのである。つまり。
「アル、ベル、シル、いるか……いたか。お前たち、またこんなところで遊んでいたのか……。」
たまたま、三人の少女たち―より厳密にいうと二人―が無類の子供好きであった。ということである。そのせいで、『塔』のスワン商会管轄エリアでは、従業員であるはずの少女たちと孤児たちが仲良く遊んで、あるいは遊ばれているという光景が、例え商会の営業時間中であってもしょっちゅうみられるようになってしまった。
少女たちにも分別はあるため、その行動のせいで業務が滞ってしまう、といったことが今までに起こったことはない。しかし、実害が出ていないから問題が無いという話では済まない、ということもまた事実。スワン商会は従業員の統制もままならない、という噂が流れる可能性は十二分にあり得るうえ、都合の悪いことにそれはしっかり事実である。
「なあ、確かに今日は荷物の運び入れもないし暇かもしれないけど、一応仕事中だろ……? その子の相手ばかりしてないでそろそろ仕事に戻ってくれ……。あとシルは普通に椅子から降りろ。使いすぎだ。」
さて、三人の娘の名前を呼びながら部屋に入ってきたのは、目つきの悪い、若い男の医者である。彼はもう慣れっこになってしまったのか怒る様子も見せず、うんざりした表情と声音で彼女たちをたしなめた。それに反応してか、三人のうち一人、茶髪のアルが勢いよく振り返り、やれやれと言わんばかりの腹立たしいしぐさと共に、馬鹿にするように笑う。ちなみに白髪のシルはいうことを聞いておとなしく椅子から降りた。
「全く、分かってないですねぇ。そんなんだから奥さんに捨てられるんですよ?」
「捨てられてねえよ。会長について王都に戻っただけだわ。」
余談であるが、彼は夫婦で医者をやっているという珍しい人物であり、妻だけが会長について行ったのは単純に人手が足りないからである。しかしアルの言葉はどこかに刺さる部分があったのか、彼は少し狼狽していた。その隙を少女は逃がさない。すぐさま追撃の一手を放つ。
「いいですか、ザグさん!」
「お、おう。」
そして彼女は、堂々を胸を張って、こう宣った。
「商会のお仕事なんかより、この子にかわいい服を着せてあげる方が何倍も有意義ですっ!」
「聞いた俺がバカだった。戯言は良いから早く仕事しに行け。ほらほら早く! シスターさんには後で話通しとくから! その子と遊ぶ時間作ってやるから!」
少女たちはお墨付きに歓喜の声をあげながら、にぎやかに部屋を追い出されて行った。後に残されたのはぺたんと座り込むルー、そしてザグのほうをじっと見る孤児たち。彼らの様子からすると、一応子供たちも、現在はザグがスワン商会ラーヴァール支部のトップであることは知っているのだろう。彼は慣れた様子で孤児たちに近づき、話しかける。
「はあ……よう、みんな。元気そうだな。そっちの子は、新しい子かな?」
そう言って、ザグはルーの方に目を向ける。復活したルーはこてんと首を傾げ、彼の瞳をまっすぐに見つめ返した。
「そうよ。お姉ちゃんたちはいつもああなの。」
一人がそう答えると、ザグは困ったような表情を浮かべた。確かに、女の子の言葉は少しばかり唐突であるが、表情の理由はきっとそれだけではない。
「ああ……知っているよ……。」
「ルーちゃんは新しい子だから、お姉ちゃんたちが張り切ってるの。私が来た時も、皆が来た時も、そうだったのよ。」
「いやまあ気持ちはわからんでもないが……。」
それでも仕事はしてほしい、だのなんだの少女たちへの文句を一通り漏らすザグ。どうやらこうした緩い雰囲気はずっと前から変わらないものであるらしく、ザグの表情にも若干の疲れが混じっている。
最終的に、彼はあきらめたように眉間に手を当て首を横に振った。
「……まあ、後で考えるか……今日は仕事が少ないんだ。昼までに第一診察室から三まで、順番に掃除を頼むよ。それが終わったら上がって良いから。」
「わかったわ。行きましょう、みんな。ザグさんのご挨拶、たぶんおわりよ。」
女の子の言葉に従って、まるで退屈なお偉いさんのお話が終わった直後のように、ワイワイとおしゃべりをしながら、ぞろぞろと歩き始める孤児たち。彼らの前に、先ほど部屋を出て行ったはずの少女たち三人が戻ってくる。先頭を歩く彼女が、驚きにパチリと目を瞬いた。そんな彼女に、アルが元気よく声をかける。
「よかった、まだここにいた! 大丈夫? ザグさんになにもされてない?」
「するか。」
どうやら少女たちは、律儀に仕事場に向かった後に、全然後を追ってこない子供たちの様子を見に戻ってきたらしい。しかし、開口一番に軽口をたたくあたりが、彼女たちが微妙に雑な扱いを受ける理由でもある。最も、それはお互い様なのだが。
子供たちに視線を合わせようと、しゃがんでにこりと笑う少女に、先頭の彼女は表情を変えずに答えた。
「おじさんは大丈夫よ。やさしいのよ。」
彼女の言葉に合わせて、三人の少女が一斉にザグの方を向く。アルは面白そうに。ベルは「あー」とでも言わんばかりに。そしてシルは、なんとなく。
「ぷぷぷ、おじさんですって!」
「お、おじさん……。」
彼女たち三人を代表するように、大笑いするわけでもなく、ふざけ倒すわけでもなく、ただ口をおさえて笑いをこらえるふりをするアル。完全に煽っているが、それについて言及できる者は、幸か不幸か部屋の中にはいなかった。
心に傷を負ったおじさんは咳払いをして、強引に場の流れを引き戻す。
「そ、そんなことは良いから、さっさと仕事行け! ほらほら! 子供たちはともかく、お前たちは掃除の後も仕事あるんだからな!」
アルもまた、ただザグのことをからかっているだけなのだろう。素直に返事をすると、子供たちを引き連れ、今度こそ部屋から出て行った。後に取り残された男は、ようやく静寂を取り戻した部屋の中央で、小さくため息をつく。
「……はあ。疲れた。」
部屋の隅に、きっちりと整えられ鎮座する仮眠所に、彼の視線が引き付けられる。どうやら彼女たちは、あんなことをしていながらも、きっちりと己の仕事は果たしていったようである。彼は、にわかに沸き上がった誘惑を振り切るように、そっと首を振った。
「……戻るか。シスターさんにも、話つけとかねえと……。」
そう言って、彼は部屋を後にする。なんだかんだ彼女たちとの約束を守ろうとするあたり、彼も少女三人も、ある意味では似た者同士なのである。