表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
瞬撃の魔剣士  作者: Legero
幕間―3
33/46

動き出した世界

どうも皆さま、Legeroでございます。

今回は早めにできました! って書こうと思ったんですよ。前回更新から2か月くらいたってるんですね・・・

2023/01/01追記 本小節の頭に資料集を追加しました。本ページは既存のお話となります。ご了承ください。あと矛盾点直しました。

2024/5/12 数字を漢数字に変更、三点リーダの記法を変更

 ドリア王国の首都リゼルタ。その西部に位置する宿屋の一室、そのバルコニーにて。とうに日が暮れ暗くなった東の空を見つめる女の影が一つ。その人影は長い袖のついた単衣(ひとえ)の衣装を身にまとい、そしてその高貴なたたずまいからは想像もつかない、完全な無の表情で身動き一つせずにその場に佇んでいる。


「お疲れですか、董千様。」


 そんな女、竜崎の巫女董千のもとに、彼女の従者、鳴海蓮がやってくる。彼女の心配そうな声に、振り返った董千は先ほどとは打って変わった、柔らかい笑みを浮かべて答える。


「ああ……少々、『眼』を使いすぎてしまったみたいだ。想定外のことが起こりすぎたからね。」


 そう言って董千は、蓮が胸元に恭しく持った、小さく、背の高い、細やかな彫り細工の美しいグラスを手に持ち、中に入った透明な液体にそっと口をつけた。


 魔族という種族には、武術とも魔術とも違う特別な力、すなわち異能を操る者がそれなりの頻度で現れる。そうした異能は得てして強力、あるいは個性的な場合がほとんどであり、そのほとんどは魔術による再現ができない。ゆえに異能を持つということは魔族にとってはある種のステータスとなっており、より善く神へと仕えることができるのだ、と喧伝する要素の一つとなっている。最も、鳴海親娘のように、異能が無いにも関わらず重用されている魔族も多くいるため、それが全てというわけでもないのだが。


 そして何を隠そう、竜崎董千はその異能持ちの一人である。代々の竜崎家は皆それなりに強力な異能を持っていたが、董千のそれは歴代で見てもかなり強力な部類である。名を『深蒼審理』、己の目を通し、あらゆる生物を『色』で見分けることの出来る力である。善いものを明るい青色に、悪いものを暗い紺色に見せるその力は、周囲の者の害意や敵意、これから訪れる脅威を見抜き、幾度となく彼女の道を助けてきた。


 故に、一般には公表されていない、董千の異能を間近で見て、知っていた蓮にとっては不可解であったのだろう。彼女は少し、遠慮がちに切り出した。


「……董千様。」


「何だい?」


「董千様には……彼らは、どう見えていたのですか。」


 蓮はあえて、誰が、とは言わない。彼女は話題の行く末を董千に任せ、体の前で手を組み、静かに彼女の返事を待った。


 しばらくの間、董千は黙ってグラスを傾けるばかりで、彼女の疑問に答えようとしなかった。いつの間にか彼女から外された視線は、真っ暗な東の空に吸い込まれ、行く先を見失い彷徨う。


 蓮は敬虔な神の従者であり、そして神の代弁者たる董千の従者である。そして、たとえそうでなかったとしても、あからさまに話したくなさそうにしていることを、無理やり聞き出そうとするほど不躾な魔族ではない。董千の態度に感じるものがあったのだろう。彼女は小さく口を開き、別の話題を持ち出そうとする。


「……待ってくれ、蓮。君には、話しておきたいから。」


 しかし、それはほかならぬ董千自身の言葉によって遮られた。彼女の意思を知ることで安心したのか、僅かにこわばった体を弛緩させ、小さく肩を揺らす蓮。そんな彼女に視線を向けず、相も変わらず真っ暗な空を見つめたまま、董千は少し掠れた声で言った。


「……私にも、なんと言えばよいのか分からない。いや、言うべきことは一つだ。見間違いですらない。しかし……まさか、私を始めに裏切るのが、ほかならぬ私自身だとは思ってもいなかったんだ。」


 彼女が、真実をそのまま口にすることはなかった。しかし、蓮にとってはそれだけで十分。ハッと驚いた顔を見せ、そしてすぐさま真剣な表情を見せると、毅然とした態度で言い放つ。


(わたくし)は、董千様のことを裏切りません。何があっても、絶対に。」


 話題逸らしもいいところである。しかし、彼女の瞳は決意と使命感に燃え上がっている。振り返った董千の不安げな顔が、バルコニーの手すりに燃える松明の炎と共に、蓮の黒い瞳に移りこむ。


 至って真剣な彼女の顔を見つめて、董千は小さく笑った。


「……知っているよ。」


 余談ではあるが、蓮は董千より三つほど年上である。女にしては長身の董千。しかしその立ち姿は、何処か小さく見えた。


 董千に微笑みかけ、蓮はその場で踵を返す。


「さあ、ドリアとはいえ、夜は冷え込みますから。部屋に戻りましょう。お茶をお入れしますね。」


「ああ、ありがとう。」


 バルコニーの扉を開いて部屋に入り、扉の脇でかしこまって立つ蓮。彼女に微笑みかけ、部屋に戻ろうとした董千であったが……その直前に、床にあるわずかな段差に蹴躓き、小さくよろめいた。咄嗟に蓮が手を差し出したおかげで大事には至らずに済んだが、間近で見ていた彼女は心配そうな顔を見せる。


「董千様、やはり『眼』を使うのはお控えになったほうが良いのでは……?」


 彼女の心配の言葉に、董千は首を横に振る。


「そういうわけにはいかない。これからが正念場だというのに、今になってこの力を、この武器を安易に放棄することはできないよ。物事には必ず因果がある。何故私の『眼』は間違えたのか。少なくとも、それくらいは突き止めなくては。」


 先ほどまでの頼りない様子からは一変、董千の顔には彼女らしさあふれる表情が戻ってきていた。その意思が固いことを知っているであろう蓮は、それ以上の反論をするつもりはなさそうであったが、しかしそれでも、不安そうな顔を隠せていない。


 最も信頼する従者を安心させるためか、董千は部屋の椅子に腰をおろしながら、笑って言った。


「なに、少し疲れただけさ……ゆっくり休んで、一晩寝れば問題ないよ。」


 とはいっても、董千は魔族の統率者にして今なお多忙の身。ゆっくり休む、ができるかどうかは別の話である。


 蓮も当然それは知っており……そして割り切ったのだろう。小さく笑って、董千に背を向けた。


「それでは、お茶を用意いたしますね。体に良い、薬草茶を。」


「ああ……おいしく入れてくれたまえよ。」


 董千の言葉に、彼女は董千に見えない角度で、小さく、嬉しそうに笑った。


「はい、もちろんです。」

 ~~~~~~~~~~








 ~~~~~~~~~~

 背の低い椅子にゆったりと腰かけ、手に持った資料に目を通す董千。僅かに湯気の立った、ティーカップに入った茶を運んできた蓮が、組まれた足にちらりと目を向け、困ったように言う。


「董千様、足癖がお悪うございますよ。」


「どうせ誰も見ていないのだから、良いのさ。」


「私が見ておりますよ。それに、足組みは骨にも悪いと聞きます。」


 蓮の忠告に、董千は苦笑を浮かべた。


「そうか……それは困るな。」


 蓮の忠言を信じたのかどうかは分からないが、董千はそう言って姿勢を改めた。資料を前の机に置き、蓮がまさに持ってきた茶を上品に持ち上げ、口をつける。


 しばしの間、無言の時が流れる。優雅に休息する董千の背後で、蓮がせっせと荷物をまとめ始める。明日には宿を発つのだろうか、あたりに並べられていた数々の日用品を次々に手に取り、赤茶けた、角の丸い箱の中に放り込んでゆく。箱の大きさが足りないのではないか、と思わされるほどの量の荷物が、まるで魔法のように次々と吸い込まれてゆき、そしてなお箱の上部には空間に幾分の余裕がある。神業じみた―本人に言ったら怒るでは済まないだろう―整理術であったが、彼女たちにとっては日常なのだろう。蓮が得意げな表情を見せることも、董千が感心した表情を見せることもない。


 淡々と仕事を終えた蓮は、なおものんびりと座る董千に目を向け、おもむろに言った。


「して、董千様。あの『緋色の翼』の連中をゼロに同行させても良かったのですか。」


「同行? 彼らはこれからの行動を共にするのかい?」


 首をひねる董千に、蓮は首を横に振りながら答える。


「そういうことでは、無いのですが……単に、彼らの目的が同じであることが、善い結果をもたらすとは思えないのです。」


 そうして、彼女は俯き、こぶしを握り締めてつぶやいた。


「……今回のように。」


 ティーカップを机に置いた董千は、悔しそうにする彼女のほうに体を向け、上品に一つ頷いた。


「確かに、今回の件で彼らに一切の過失がなかったとは言えないね。私から見ても、彼らは少し、甘すぎる。」


 董千はそんな厳しい言葉を、静かな口調で紡いだ。そして、何かを考えるように目を閉じ、言葉を続ける。


「だが……甘さとは単なる弱さではないよ、蓮。」


 明らかに納得していない様子の蓮だったが、彼女は静かに、目を閉じたままの董千を見つめ続ける。


「少なくとも、彼らはただの考えなしではない。信じた己の無知を知り、誇った己の弱さを知って、それでもなおそう(・・)あらんとする。そうした気高さを持った人間だ。」


 あまりに抽象的な言葉の数々。蓮に彼女の意図するものが全て伝わっているのか。二人の表情からそれを読み取ることはできない。


「つまり……あの底抜けの甘さ、他でもなくそれこそが、少なくとも彼らにとっては強さとなる。」


 董千は最後に、そう締めくくった。


「……そういう、ものでしょうか。」


「あの冷血と彼らが道を交わすことで、あるいは彼らにとっても、善い結果が訪れることもあるかもしれない……そうはならない可能性もあるが、それはいずれにせよ変わらないさ。」


 董千の『眼』の力は、決して未来を見通す力ではない。むしろその逆、人の善悪を見抜く眼は、それすなわち現在を生きる力だ。そうした力と共に生きてきた彼女は、まだ見ぬ未来を恐れはしない。彼女が時折見せるその豪胆さも、彼女が『誅世の書』の回収という大役を担う根拠の一つである。


 それゆえに、ともに道を歩む従者に心配性の気があるのだ、ということもできるが。いずれにせよ、蓮が未来を見通せるわけでもないのだ。


「……そうかもしれませんね。」


「ああ。我々は我々がなすべきことをなせばよい。ただそれだけのことだよ。」


 頷いた蓮に、董千は力強くそう言った。


「今回のことは、我々にも不足があった。君には言うまでもないだろうが……逃避が良い結果を生み出すことはない。我々は水龍神様の代行者。己の愚を知り己の賢を掴み、己の敵さえもこの手で導かなければならない。」


 蓮の右手を両手で包み込む董千。彼女の凛とした視線に、蓮は一つ、頷くだけで答える。それ以上の言葉は、二人の間に必要無かった。


 穏やかなドリアの夜が更ける。空に浮かんだ満月に、細い雲がかかり始めていた。

 ~~~~~~~~~~








 ~~~~~~~~~~

 ドリア王国首都、リゼルタには、つい数日前にゼロたちが入門した大門、小門のほかに、都の東部と西部に小さめの門が存在している。西部の門は『イオニア門』と呼ばれる、主にイオニア、そしてセイヴァの地に向かう人々が利用する門である。それに対し東部の門は単純に『東門』と呼ばれ、ドリア王国の領土、そしてその先に広がる死の荒野を見る角度で建っている。こちらの門は国内で活動する商人や、他領を統治する貴族、近隣の街から出稼ぎにやってきた人々によって、方面のきな臭い情勢ゆえに利用が控えられているイオニア門以上に、連日の賑わいを見せている。


 そんな東門からは、リゼルタの中心へと向かって真っすぐと大通りが伸びている。通りには保存食、水筒、簡易寝具などの多種多様な品を取りそろえた、主に旅人を狙った店が多い。次に多いのは食事処で、連日の味気ない食事に飽き飽きした旅人たちを魅惑の香りで手招いている。要するに、この通りは徹頭徹尾、旅人のための店が集まっているというわけだ。


 店の間の小道を抜け、少し奥に入れば、格も雰囲気も様々な宿が並ぶ宿屋街。董千達のような力、権勢がある者を対象とした宿ほど、宿屋街の奥まった部分に、すなわち、リゼルタ中央部に存在する貴族街、そして王城に近い場所に存在しているのが特徴だろう。


 そんな宿屋街の、最もすさんだ区画。駆け出し、あるいは底辺の旅人が立ち寄る地より、真っ黒な男が一人、小さな女の子の手をつないで大通りへと現れた。彼、傭兵ゼロは周囲の奇異の視線を気にすることもなく、眼前に居を構える、旅人向けの装束を商品とする店へと足を踏み入れる。彼に恐れを抱いたのか、それとも彼がつれる少女に配慮したのかは分からないが、彼の進路に従って、人の波が綺麗に割れる様子は、さながら王族の凱旋であった。


 こじんまりと落ち着いた雰囲気の店内の奥行きは狭く、ちょうど中ごろの場所におかれた背の高い台によって二つに区切られている。台の奥は外と比べて一段ほど高くなっており、背の低めな椅子と机が数個おかれており、机の上には綺麗に畳まれた布が種類ごと、がら(・・)ごとに、毛糸の山から塔のように頭を出していた。店の奥の壁には、まさに今彼女が作っているのであろう首巻や、少し高そうな服、反物といったものが、ぽかりと開いた出入口をはさんで等間隔に吊るされている。


 店内には若い男女の客が数名いるばかりであったが、ゼロの入店と共に彼らは店の入り口に目を向けて、ざわりとちいさく動揺の声をあげる。しかし、例によってそうした反応に慣れ切っているゼロはそちらに目を向けることもなく、つかつかと、背の高い台のすぐ後ろで編み物をする、背の低い老婆のもとへ歩いて行った。


「おや……いらっしゃい。」


 目つきの鋭いゼロからは、それ相応の威圧感というものが放たれているはずではあるのだが、店主であろう老婆は、全く気圧される様子もなく、のんびりと答える。


 それだけではない。ゼロが身にまとう装束を一目見ただけで、感心したように息を吐いた。


「これはなんと、見事な服ですこと。お客様の服より上等なものは、私の店には置いてないわねぇ。もっとあっちの、お貴族様向けの店になら、あるかもしれないけれど……。」


 そう言って、老婆は北西の王城の方を手で指し示そうとしたところで、彼女はルーの存在に気が付いたのだろうか、ゼロの後ろに隠れる少女に目を向け、小さく瞠目した。


「あら、かわいいお嬢ちゃん。もしかしてお客様はそっちの子かしら?」


 驚く老婆の前にルーを引きずり出しながら、ゼロはぶっきらぼうに答える。


「……ラーヴァールに向かう用がある。」


「なるほど、ラーヴァール。リゼルタはこの時期でもあったかいからいいけれど、確かにその服では大変ねぇ。」


 そう言って、老婆は改めてルーの服装をまじまじと見つめる。辛うじて見られる程度には綺麗になっているものの、経年劣化でぼろぼろの服では、寒さの厳しいラーヴァールの地におもむくにはいささか心もとない。


「金はある。あの地の気候に合った、下手に目立たぬ服を用意してもらおうか。」


「分かったわ。それと、それよりももう少し、薄手の服もつけてあげましょう。ちょっとお高くなるけれどね。」


 老婆の言葉に、ゼロはちらりとルーを見下ろす。端は擦り切れ、ところどころ落としきれないシミが残った貧相な服装をした少女が、ゼロを不安そうにまっすぐ見上げている。


「……下着も見繕ってやれ。必要ならな。」


 そう言って、ゼロはルーの背中に手をやり、店の右端の方に向けて押しやった。数歩前に出て、ゼロの方を振り向いた彼女はなおも不安そうな顔のままである。


「そう。よかったわねぇ。お嬢ちゃん。」


 老婆は安心させるようににこりと笑い、ゆっくりと立ち上がる。台の左に開けられた小さな隙間を通り、ぽかんとした、何も考えていなさそうな表情のルーのもとにやってきた老婆が、ルーの小さな手を両手でそっと包み込む。


 そしてそのまま、彼女は出てきた場所から再度店の奥に戻り、ルーを連れたまま、店の奥、壁の向こう側へと消えていった。


 その場に残されたゼロは、肩の力を抜き、小さくため息をつく。そしておもむろに後ろを振り向いた。彼の動きと連動して、他の客たちの視線が一斉に逸れる。一人の男が店からおずおずと出てゆく様子を横目に見ながら、彼はもう一度、深く息をついた。

 ~~~~~~~~~~








 ~~~~~~~~~~

 老婆とルーが店の奥に消えてからしばらく。店内では気まずい沈黙が続いていた。店の奥でじっと佇むゼロに、他の客たちは声をかけることができず。かといって老婆がいないため己の用事を済ませることもできない。結果として彼らは、まさに彼がそうしているのと同じように、無為な時間をただただ過ごす羽目になる。老婆に渡された服を意味もなく眺めまわす女性、毛糸の玉を両手で(いじく)りまわす男性、所在なさげに立ちすくむ夫婦。そして我関せずなゼロ。外を通っただけの人々が、何事かといわんばかりに店の中を覗き込み、真っ黒な影を視界に入れるや否や、なにも見なかったふりをして通り過ぎてゆく。


「お待たせしたわね、お客様。」


 そんな空間に耐えられるものがそうそう居るはずもなく。老婆の声が聞こえると同時に、人々はいっせいに、救世主でも見るかのように彼女のほうに喜色満面で振り返る。この店の店主である老婆は、奥の高まった床に立ってなお、ゼロの胸程に頭がある程度の背丈しかない。しわが走る唇はにっこりと穏やかな笑みを形作り、低めの鼻にパチリと開いた目を乗せて、年老いてなお豊かな白髪を後ろでひとまとめにしている。年を重ねた女らしい、ある種の貫禄が、店の空間を弛緩させ絵画のような安らぎを彼らに与えているようであった。


 当然、そのような些事、ゼロにとっては関係ない。店の右端に立ちすくむ若者を手で追い払い、中から出てきたルーを片手で引き寄せるように受け取った。


 彼女の変化はまさに劇的であった。深い青色の、白いボタンがよく映えるワンピースは、腰のあたりで緩くまとめられ、必要以上にはためかないようになっている。わずかにのぞいた足元からは相変わらずボロボロの靴が見えるが、その下にある靴下は明らかに小奇麗で、丈夫そうなものに代わっていた。そして、彼女の細い首には、身にまとう軽装とあまりにも似つかない、ふわふわとした首巻が巻き付けられている。


「普段着と、防寒具、少し薄手のはおりもの、そして下着と首巻も。下着に二つ、普段着に一つ予備を用意したわ。首巻は、巻いていたいって言うからそのままにしておいたけれど、暑いって言ったらとってあげてちょうだいね。あとはお靴だけれど、私のところでは取り扱っていないから、お向かいさんに行ってみてはどうかしら。そのままでは長旅も大変でしょう?」


 そういいながら、店の表に出てきた彼女は大きなカバンをゼロに手渡した。ゼロが左腕に下げたそれを、ルーが興味ありげにつんつんと指で突く。見ていたはずの中身を忘れたのか、はたまた中にあるそれの使い道がいまいちわかっていないのかもしれない。


「……感謝しよう。」


 店を区切る台に銀貨を数枚、大きめの音と共に押さえつけるように置いたゼロが、老婆に向けて言う。老婆が彼のこと、あるいは彼とルーのことをどれだけ感づいたのかは分からないが、少なくとも関係性はわかったのだろう。老婆はにっこりと笑って、それきり店を去ろうとした彼の背中に言葉を投げかけた。


「子供の成長は早いものよ。次の冬かその次くらいには、もう一度服屋に行ってあげてちょうだい? そのころには、ほとんどが使えなくなってると思うからねぇ。」


 ルーの見た目はちょうど成長期の女の子だ。確かにそれくらいの時がたてば、彼女も今のようなちんまりと小さなだけの女の子ではなくなっていることだろう。


「……そうかもしれんな。」


 そう言って、彼はルーの手をしかと引き、店の入り口をくぐる。顔をあげた彼の、帽子のつばから覗く視線の先。確かにそこには、店棚にずらりとブーツが並ぶ、ゼロに負けず劣らずの強面―ゼロのような冷たさは感じないが―の男が番をする小さな店が居を構えている。小さく片眉をあげたゼロがそちらに足を向けた時、彼の背後から声がした。


「おい、ゼロ。」


 振り向くと、そこにいたのはいつぞやの傭兵団。つまり、『緋色の翼』のリーダー、ライバートが、彼に向かってしかめ面で立っていたのである。彼の仲間三人も当然一緒であった。彼らは最早初対面とは違い、彼に対する敵意を隠そうともしていない。


 彼ら三人はルーには目もくれず、感情を感じさせない瞳をしたゼロを詰問する。


「お前、今度は何をしたんだ。武器屋のおっさんが、お前のせいで用事が終わらなかった、って言って嘆いてたぞ。」


 ゼロは記憶を手繰るようにわずかに遠い目をして、そしてすぐさまため息をついた。


「……あの男か。つまり私は貴様らの用事さえも邪魔したと。罪な男だ……全くもって、下らん。」


 一瞬ぽかんとする『緋色の翼』の一行。三人の後ろで一人、紫髪のサリアだけが、ルーをじろじろと見ている光景は、彼らの普段の様子さえもにじみ出るようで、非常に印象的だ。


 ……さて、彼らの現在地から、ドリアの武器屋、それも旅人向けのものへ行くのであれば、最も近い場所であってもそれなりに時間がかかる。もちろん、日が沈むまでにはたどり着ける程度ではあるが、少なくとも、ゼロが用事を済ませるまでの短時間では、往復するのが精いっぱいである。


 回りくどい上にセンスのない皮肉に気が付いたのだろう。金髪のラーナが彼に道端のゴミでも見るかのような視線を向ける。


「まあ、己が犯した罪を自覚なされているとはなんとご立派なことでしょう。これでは、私たちがここに来る必要はなかったかもしれませんわね?」


「……無駄に生き無駄に死ぬ貴様達には似合いだろう。」


「まあ、己の知己を無駄と断じた愚者の末路をご存じないのかしら?」


 友達は大切にせよ、という、何処にでもありそうな御伽噺はこの大陸にも存在している。ラーナの反撃はそれになぞらえたものであったが、友情とは無縁のゼロにそれが刺さるかどうかはまた別の話である。舌戦は白熱の様相を呈し、彼らの周りには人だかりが完成しつつある。ゼロがさらなる反撃をしようとしたときに、それは起こった。


「ぜろ……。」


 ゼロの外套の裾を引っ張る幼い声。そちらを振り向くと、悲しそうな顔をしたルーが、先ほどまで巻いていたはずの首巻をゼロに向かって差し出している。


「いない、ちゃった……ちょうだい、ちょうだい。」


 相変わらず何を言っているか分からない―特に今回はひどい―が、状況からして、ルーが何を望んでいるのかは流石のゼロにもわかったようだ。大きくため息をついて、ルーのそばにかがみこむ。


「……世話の焼ける娘だ。」


「傭兵ゼロよ、その娘は……。」


 サリアが思わずといった具合に声をかける。残りの三人は彼女の気配に気が付か(・・・・・・・)なかった(・・・・)のか、ひどく驚いた様子で目を見開いていた。


「……貴様達には関係のない話だ。」


 そう言って立ち上がったゼロの足元では、再び首巻を撒いてもらってご満悦のルーがくるくると笑っている。首巻の端がすでに空に踊っているあたり、もう一度外れてしまうのも時間の問題かもしれない。ゼロの技術が足りないのか、それともルーの動きがいけないのか。それを判断できる者はここにはいなかった。


「……最早互いに時間の無駄だろう。せいぜい己の余裕を噛みしめることだ。最も、最早そこからは何も出んがな。」


 あっさりと矛を収め……てはいないが、捨て台詞を吐いたゼロはそれでもどこか気高い風体(ふうてい)のまま、彼らに背を向け反対側の店へと去って行った。


 取り残された三人は当然、ゼロの態度に憤慨を隠せていなかった。いきり立つ彼らをサリアが困り顔で宥める。


「何ですか、あの人、さんざん人に迷惑かけておいて!」


「そうですよ。それにあの品のない言葉!」


「全くだ。あいつが罪な男だなんて……その通り過ぎて冗談になってない!」


「まあまあ。店先じゃ。続きは場所を変えてだの……。」


 適当にそれらしい相槌を打ちながら三人を人だかりから押し出した彼女は、文句を言いながらしぶしぶ歩きだした彼らの後ろで、静かに振り返った。彼女の顔には困惑が浮かんでいる。


「あの娘。あの傭兵に随分と懐いているようじゃ。悪人とのことであったが……単に悪であるだけの悪ではないということか……?」


 しばらくそうしていたサリアだったが、彼女の仲間の呼ぶ声に思考を中断し、ゆっくりとその場から歩きだす。


 そうした彼女の様子を、靴屋の店先から見つめる傭兵が一人。彼の足元では可憐な服の女の子が小さな足をそれより小さなブーツに押し込んでいる。強面の店員がおろおろと彼女を止め、一回り大きな靴を持ちだしてくる。


 ……光と闇でありながら、しかし互いに立場を近くする傭兵たち。互いに立場を近くしながら、そして決して相いれない彼ら。天に燃える太陽は、そんな彼らのことさえも、等しく、まぶしすぎるほど平等に照らしていた。







次の更新はおそらく人物紹介とかになると思います。私の脳内整理も兼ねてになりますが・・・。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ