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2024/4/21 微修正
2024/5/12 数字を漢数字に変更、三点リーダの書き方を変更
空に広がる朝焼けがまぶしい早朝のドリア王国、その王城前に、鈍く光る武骨な鎧に身を包んだ兵士が二人立っている。槍を片手に背筋を伸ばし、眼光も鋭く周囲に軽い威圧感を振りまく彼らからは、一晩中城の警備を続けていたことによる疲労の類は一切感じられない。彼らがその場にいるだけで、悪人に王城への侵入を諦めさせるには十分すぎるほどだろう。
そんな彼らの眼前に、三つの人影が現れる。明るくなりつつある王都に映える薄青い衣の女が二人。そしてその背後に追随する真っ黒な男が、まっさらな紙にたらされた一滴のインクの染みのような異物感をこれでもかと放っている。前二人の姿を認めても特に反応しなかった兵士たちだったが、ゼロの姿を認めると同時にわずかに身構える。そんな二人に対し、王城の入り口にたどり着いた竜崎董千は、にこりと笑いながら言った。
「朝からご苦労様。見ての通り、私たちは特に怪しくもない者だ。君のところの王様に、少し用がある。」
「伺っております。定例で開催されている陛下との茶会である、とのことでしたが……。」
そう言って、兵士たちは視線をゼロのほうに向ける。そんな彼らを見返すゼロの鋭い眼光に、彼らは慌てて視線を董千のほうへ戻した。
「ああ、彼かい? 彼なら問題ない。単なる私の護衛だよ。君たちのお仲間を信頼していないわけではないが……少し厄介な敵を相手にしていてね。少し兵力を増やしておきたかったんだ。」
嘘ではない。が、真実でもない。相変わらずよく回る口である。
「そうでしたか……承知いたしました。どうぞお通りください。案内の者がおります故、彼女たちの指示に従うよう、お願いいたします。」
「ああ、ありがとう。二人とも、行くよ。」
「はい、董千様。」
そうして董千、蓮、ゼロの三人は、兵士二人に見送られ、頑丈そうな石でできた円形のアーチをくぐる。その先で彼らを出迎えたのは、豪奢な庭園、そして緑に囲まれ鎮座する巨大な白亜の王城であった。左右に向かって伸びるレンガの道は花のアーチに覆われ、その先に広がる広場に目を向けると、右には噴水、左には机といすが配置されているのがちらりと見える。見上げるほどに巨大な城に向かう道は、一部の隙間もなく舗装され、一段上がった場所に色とりどりの花が咲き誇り、その背後を守るように生け垣が生い茂っている。上にさえぎるものが無いおかげで、ドリア王城の威容がこれでもかと強調されていた。
そんな道を、彼らは言葉もなく、視線を揺らすこともなく淡々と進み、大した時間をかけずに王城の門へと到着した。そのまま扉に向かうかと思われた一行であったが、先頭を歩く董千が突然歩みを止め、追随していた残り二人も自然にその場で立ち止まる。
彼らを出迎えたのは、三人の壮年の女性であった。背筋を伸ばし、白髪を高く結った彼女たちの眼光は鋭く、ゼロの存在を目の前にしても同様一つ見せていない。
「お待ちしておりました。竜崎董千御一行様。誅世の書の封印場所まで、ご案内いたします。」
「ああ、ご苦労様。」
そう言って董千は、踵を返した女性たちの後を追い始める。蓮、ゼロもそれに続く。彼らの向かう先で、金属と木でできた大きな扉が、独りでにゆっくりと、内側に向かって開いていった。
城に入った一行を出迎えたのは、吹き抜けになったエントランスホール。床に広がる敷物の彩度の低い赤が目に優しく、壁際にはほぼ等間隔で壺や絵画などの美術品が飾られ、一階分高い天井にはやたらと仰々しい一枚の絵が描かれている。よく見ると、一冊の本と二人の男女が描かれているようである。
ホールには正面の階段、階段の左右にえぐるように配置された道、そして右と左に向かう道が一つずつ、計五つの進路があった。一行は真正面の階段を上がり、踊り場を右へ進み、そこから右に曲がるように伸びる階段を上がり、吹き抜けを見下ろせる二階の通路に進出。そのまま正面に進み、突き当り、すなわち王城の門の直上で右にすすみ、長い廊下をまっすぐ進む。
一行の左手側に並ぶ部屋の扉は皆ぴっちりと閉じられ、中に何があるか窺い知ることはできない。そのため彼らの視界に入ってくるのは、せいぜいが壁に掛けられたランプの光程度。そんな殺風景な廊下をしばらく進んだのち、突き当りを左に進む。そして、右手側に伸びる階段を使って、さらにもう一つ上の階へと進んだ。
階段から廊下に出てしばらくまっすぐ進み、二本目の道を左。まっすぐ進み、左に四つ目の部屋に入ると、そこは書房であったようだ。大量の書物が収められた本棚が、壁際に数え切れないほど並んでいる。部屋は彼らから見て右手側に長く広がっており、天井には等間隔に穏やかな光を放つシャンデリアが下げられている。
一見どこにもつながっていなさそうなこの部屋であったが、彼らを先導する女性三人のうち、先に会話をしなかった二人がおもむろに一団を離れ、本棚二つを間に挟む、二つの本棚に手を当て、力一杯に奥へを押し込み始めた。
なんと、ず、ず、ず、と石と石がこすれ合う鈍い音と共に、本棚二つが奥に押し込まれたのだ。十分に押し込まれたことを確認したもう一人が、つかつかと本棚二つに歩み寄ると、今度は二つの本棚を両手で横にこじ開けた。ここまで来たら自明だろう、隠し扉である。本棚をおさえていた二人はすぐさま手を離し、独りで二つの本棚を支えている女性から一つずつをもらい受ける。結果、一行の前には、真っ黒な道がぽかりと現れたのである。
「どうぞ、こちらです。」
そう言って、白髪の彼女は臆することなく暗闇へと消えてゆく。董千一行もそれに続いたところで、残った二人が本棚をもとの位置に戻したために、彼らは暗闇の中に取り残されることとなった。
「足元がお暗いので気を付けて。ランプをお貸ししますが、必要であれば魔術で光を生み出しても構いません。」
その言葉と共に、細かいしわの刻まれた生真面目な顔が暗闇に浮かび上がる。光のあたり加減により、彼女の顔は青白い死人のマスクのように見えた。ぎょっとした表情を見せつつも、そろそろとランプを受け取り、その場でかざす蓮。無言で手元に光を発生させる董千。ゼロは夜目が効くのだろうか、特に何かする様子はなかった。
それ以降に続く道は、まさに迷路であった。複雑に伸びる、あみだくじのような道をたどり、時には梯子で上、そして下へと向かう。暗闇に包まれてはいるものの、意外にも辺りは無音ではなく、彼らの足音、息遣いのほかにも、城で働く人々の話声や水音等、様々な音が漏れ聞こえてくる。石造りの床には剥がれ落ちた壁や原形を失った人骨等、物騒なものがいくつも転がり、侵入者を惑わす足止めが自然に作り出されていた。
曲がり角を数十回、階層移動を七、八回はさんだあたりで、一行は松明に照らされた石造りの部屋に到着する。その左手には、同じく石造りの薄暗い階段が、地下に向かって一直線に伸びていた。先導の女性に遅れて部屋に入った董千が、そっと手元の光を消した。
ここまで先導してきていた女性の足が止まる。彼女は三人を振り向いて、深々とお辞儀をした。
「私の案内はここまででございます。この階段を下りた先にて、陛下がお待ちになっています……どうか、何事もございませぬように。微力ながら、祈っております。」
……驚くべきことに、ここまで一行はただの一言も話すことはなかった。久しぶりに董千が口を開く。
「ああ……ありがとう。君も、万が一のことに巻き込まれないよう、気を付けてほしい。」
その言葉に女性は、再びの最敬礼で答える。彼女に見送られながら、三人はグラグラと不安定な階段を、一列になって慎重に降り始めるのであった。壁に等間隔で据え付けられた燭台は黒く汚れており、ともされた炎だけが薄暗がりにぼんやりと浮かび上がる。
……一、二階分程度であろうか。上で見送っている女性の姿が完全に見えなくなるほど階段を下りた辺りで、董千がゆっくり、うんざりしたような口調で呟いた。
「……まるで迷路じゃないか。蓮、ゼロ、覚えられたかい?」
「申し訳ありません、途中までは覚えていられたのですが……。」
彼女にしては珍しく、悔しさを言葉に滲ませていた。対してゼロは、これまたうんざりしたような口調で答える。
「……記憶するに支障はなかったが……無駄なものを覚えてしまった気がしてならんな。」
「というよりもこれ、中で万が一のことがあったら逃げられなくて大変だろうに……よくやるね、本当に。」
この異常なまでに厳重な守りも、ドリアの王族が抱く誅世の書へのトラウマが現れたものなのであろうか。不安定な足場とは対照的なほどに頑強に組まれた壁に触れ、董千は小さく息を吐いた。
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長い階段の果て、大地の底と見まごうほどの、夜より黒く、底冷えする静寂をたたえた石造りの大きな部屋に、三人の姿はあった。道の両端には、使い物になりそうもない燃えカスが放置された、これまた石造りの、腰ほどまである篝火台が、彼らが持つ灯りにぼんやりと照らされ屹立している。
「……ふむ。いかにも仰々しい部屋だね。これは……戦時のドリアの地下室を再利用しているのかな?」
董千の言葉が、がらんどうの部屋の隅まで響く。
「……連中は奥か。」
「そうではないかな。見なよ、扉の隙間から光が漏れているだろう。こちらが暗いから、よくわかる。」
彼女が手で指し示す先には、黒々とした石の扉が鎮座し、ちょうど両開きの扉のような形で発光している。特に何もない道を先行し、その前までたどり着いた蓮がそっと扉を手で撫でた。
「……董千様、開きません。取っ手もなければ、押し開けるわけでもありません……これは、横にずらすのでしょうか。」
「単純に重いだけかい?」
「おそらくは。魔術的な痕跡はありません故。」
蓮の報告に、董千が片眉を挙げた。
「ほう、無いのか。相当な使い手だね。」
そう言って、彼女は後ろで静観していたゼロのほうに振り返る。
「少し力を貸してもらえるかな?」
ゼロは小さく息を吐き、それに答える。
「……私である必要はなかろう。」
「実態がどうであれ、見た目って言うのは案外大事じゃないか。か弱い婦女子に、重たそうなものの移動を任せるのかい?」
「魔族の女はか弱くないはずだ。」
男女間の身体能力における差という意味では、魔族と人間は非常によく似ている。しかし魔族の女性は一般的に、魔族の男性より高い魔力を持っている傾向にあるのだ。
「おっと、それもそうだね。」
愉快そうに笑う董千を尻目に扉に近づいたゼロは、ちょうど光が漏れ出している、扉と扉の間の隙間に、手袋に覆われた右手の指を四本差し込んだ。それを見届けた董千が手のひらに魔方陣を展開し、扉の上下が白色に発光し始めると、全く動きそうになかった扉が、ゆっくり横にずれてゆき、重々しい音と共に静止した。動いたのは片方だけであったが、大きな扉であったために、三人程度なら並んで通れそうである。
董千が魔術を切ると同時に、部屋の中から声が聞こえてくる。
「その扉は、少し経ったら自動的に閉まるようになっている。入って来てくれたまえ。」
「ああ、お気遣い感謝しよう。行くよ、二人とも。」
そう言い残して扉をくぐる董千に、後ろで静観していた蓮、扉を開けたまま、その陰に隠れていたゼロが後ろに続く。
八角形の部屋の中は、中央に設置された篝火によって明るく照らされていた。床には上質なカーペットが敷かれ、部屋の奥には一つの扉が見える。その部屋の中央付近、篝火のちょうど手前に、二十名程度の人が彼らのほうを向いて立っている。中央で存在感を放つ初老の男性が、隣で立つ金髪の男性のほうに目をやると、それに答えた彼が董千の前まで歩み出る。入室した董千がにこりと笑い、彼に先んじて言った。
「久しぶりだね、ドリア王国第二王子アルフレッド・レベティリア。」
「息災そうで何よりだ、竜崎の巫女董千よ。急な予定に応じてくれたこと、感謝しよう。」
「こちらこそ、我々の悲願に協力を示してくれたことに感謝するよ。今日この日は、君たちの、そして我々の歴史の大きな転換点となる。旧世代より受け継がれた忌々しい呪いを、断ち切るときがようやく来たというわけだ。おめでたいね。」
大切な場においても程よく砕けた董千の態度が、ドリア陣営の緊張を程よく和らげる。先頭に立つアルフレッドが困ったように笑い、己の後ろを指し示した。
「今回の引き渡しに同席する、我が国の重鎮たちだ。私の右後ろ……君たちから見ると左だな。そこにいるのが我が国の宰相一家、フラミア家だ。そして、右にいるのが、『誅世の書』の封印に代々携わってきた、バータ家だ。」
アルフレッドの言葉に合わせて、紹介を受けた貴族の二家が順番に礼をする。フラミア家は若い当主と妻、そして妻似の息子と当主似の娘の四人。バータ家は壮年の当主と妻、母似の娘の計三人だ。彼らの礼を、董千は小さく頷きながら聞いている。
「そして後ろにいるのが、ドリア王国の王国騎士一団と、傭兵団『緋色の翼』だ。彼らは今回我々の護衛と『誅世の書』の安全の確保を行う。」
彼の陣営紹介をじっと聞いていた董千は、彼らを一通り見回したのちに、満足そうに頷いた。そしてその場から数歩前に踏み出し、ドリアの人々に対し礼の姿勢を取る。
「これはご丁寧にありがとう。改めて、私は竜崎董千だ。君たちから見て右にいるのは私の信頼できる従者、鳴水蓮。そして左……じゃないみたいだ。後ろの黒いのが……」
董千がそこまで言った時だった。ドリア側の人間たちの中から甲高い声が上がる。
「よ、傭兵ゼロ!? どうしてあなたがここにいるんですかっ!」
我慢できずに、といった具合で叫んだ緑髪の少女―リィンヴァルナの口を、隣に立っていたサリアがとっさに抑える。しかし、一度出してしまった言葉は取り消せない。明らかな非難の色を込めたその声を聴き、董千はゼロのほうを振り返った。暗い部屋の中から、真っ黒な男の顔がゆっくりと浮かび上がる。
「……知り合いかい? ゼロ。」
その言葉に、ゼロは大きなため息だけで答えた。