ゼロとアンジュと幼い少女
お久しぶりです、Legeroでございます。
幕間です。これから物語が動き出す(キリッ)などと言いながらこのタイミングで幕間です。
しかも詰め込みたいことを片っ端から詰め込んでいたらめちゃくちゃ長くなってしまいました。これもう1篇分くらいあるだろ・・・。
ともかくとして、この章ではゼロの内面が少しだけわかると思います。ごゆっくりお楽しみください。2024/5/12 数字を漢数字に変更、三点リーダの書き方を変更
ガザレイド小国連合の党首であり、同時に連合最大規模の国家であるガルは、鉄鋼と鍛冶の国である。大陸で二番目の規模を誇る鉱山を抱え、そこから排出される上質な鉱物、宝石でもって様々な品を生産することを国家事業としている。指輪、首飾りなどの装飾品や、壺、鍋、花瓶等の日用品、あるいは工芸品はもちろんのこと、昨今では何に使うのかもよくわからない魔訶不思議な物体を、『近代芸術』と称して発表する代わり者が現れ始めている。未だ従来の工芸品が価値あるものとみなされる世の中、彼らの情熱に理解を示す者は少ない。それでも、一部の貴族や資産家からは高い評価を得ているようである。
最大規模の鉱山を抱えるイオニア帝国との方向性の違いとして、ガルは武器の生産が盛んでないという点がある。もちろん全く行われていないわけではないのだが、その占める割合は決して高くない。昨今の平和な情勢下でなおイオニアの軍事費が膨れ上がっているのは人為的な要素によるものではなく、むしろ環境的要素によるところが大きいのだが、ここで深くは語らない。要するに、イオニアがおかしいだけで、ガルにおける武器の生産量は国家規模に対して妥当である、ということだ。
それゆえか、ガルで生産された武器とイオニアで生産された武器との間にはかなり大きな差異がある。具体的には、イオニアの武器は手入れが容易く、振り回すだけでも十分な攻撃力を発揮し、程よく短いため重心も安定している。鋳造が主であるゆえに大量生産も容易く、粗雑に利用しても在庫切れの心配が無い。武芸の心得のない者にも使いやすい、というのがイオニアの武器が持つ最大の特徴である。
対して、ガルの武器の特徴はそれすなわち、見た目の流麗さ、そして刀身のしなやかな頑丈さである。見た目には生産が盛んな装飾品の技術が流用されており、刀身の頑丈さは、一振りを己の一生の伴侶とせよ、という、ガルが小国となる以前、部族規模であったころより戦士の間に伝えられる信仰を源流とした、長年積み重ねられてきたガルの鍛冶師の並々ならぬ努力と研鑽によるものである。その一方で長すぎたり重すぎたり、『斬る』ことに特化していたりで何かと取り回しが悪いため、ガルの武器は、武芸にある程度精通した玄人向けであるとされる。
ガルはそもそもがイオニアと比べ国土、人口等様々な側面においてはるかに小さい国だ。たとえガルが武器生産に力を入れていたとしてもイオニア全体の生産量には及ばない、というより必要がない。そうした特性が武器に出ていると考えるとなかなかに興味深いかもしれない。
さて、ガルの首都、ガル―ややこしいことに、ガルの国名と首都名は同じである―の表通り。ちょうど昼頃ということもあってか、人通りはそれなりに多く、食事処が賑わいを見せている。空は見事に澄み渡っているが、いよいよ冬が訪れる大陸は少しずつ、着実に寒さを増しており、人々はその身を小さく縮こませている。
「ぜろ、ぜろ! あれ! みたいみたいっ!」
「……まだ行くのか。」
「うんっ!」
しかし、そんなことは元気が有り余る子供にとっては何も関係がない話である。固く繋がれたゼロの手を力づくで引っ張り、好奇心の赴くままにあからさまに嫌な顔のゼロを引きずり回すルー。可愛らしい顔はキラキラと輝き、放っておいたら一人でどこまでも駆けていきそうだ。というより、ゼロがルーの手をしっかり握っていなければ、間違いなくルーは迷子になっていただろう。彼女はそんなことを考えられるほど分別のついた子供ではない。
そもそも、以前のゼロはルーの手を握るなどという温かみのあることをするような人ではなかった。というより今でもあまり納得していないのだろう。明らかに不服そうな顔を隠そうともしない。それにもかかわらず、いやいやながらもルーの手をしっかり握っているのは、言わずもがな、先の出来事のためである。はぐれた後に自力で帰ってきたルーを腰にくっつけたまま、ゼロは竜崎董千にこんこんと説教を受けたのである。
「良いかい? 子供っていうのは、私たちの思いもよらないようなことを平然とするんだ。君は確かに大人だから、今取るべき行動、避けるべき行動っていうのが分かるかもしれないけどね、子供にそんなことはわからない。それはこれから学ぶことだ。だから、それに子供が気づくまでは、私たち分別のつく大人が気を使ってやらないとならないんだよ。それなのに君ときたら。これじゃ放任主義を通り越してただの育児放棄だ。確かにこの子は君の子供じゃないからね、育児放棄と言われてもピンとこないかもしれない。だけどね、いくら依頼だからと言って、いや、むしろ依頼だからこそ、この子の安全を守るべく、この子から目を離すべきではないはずだろう? 君はすべてが人間の思い通りに動いていると思っているきらいがある。確かにこの子を殺すメリットはほかの人にはないかもしれないけどね、それでも予期せぬ事故っていうのは起こるものだ。もし荷車の積み荷が崩れて、その後ろにたまたまこの子がたっていたら? この細い体で重い荷物に潰されたらひとたまりもないだろう? それ以外の例でも何でもいいけどね、そういうことを想像してごらん。出来ないとは言わせないよ? 考えたらわかるはずだ。何も考えずにどこかにふらふら行ってしまう子供から目を離すことが、どれだけ危ういことなのかが。」
そんな長い長い説教の末、結局ゼロは董千にこう指示されたのである。
「分かったよ、君だって育児初心者だ。あんまり難しいことは言わないでおこう。とりあえず! 屋外ではこの子の手をつないでおくように! 屋内でもなるべく目を離しちゃダメだ! この子を一人にしていいのは自分のほかに信の置ける保護者がいるとき、あとは交戦とか睡眠とか、どうしてもかまっていられないようなことをするときだけだ! 良いね!?」
今現在、ゼロと董千は別行動をとっているため、言われた通りにしなかったところで後々ばれて面倒なことになる、などといったことは特にない。しかし、ゼロ自身にも何か思うところがあったのだろう。董千の指示にいやいやながらも従っているというわけだ。
「あーっち! いくのいくの!」
「……用事があるのだがな……。」
結局、彼らが本来の目的地に着けるのは数刻後、はしゃぎまわって疲れ果てたルーがゼロの腕の中で眠った後になるのであった。
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ガルは鉄鋼と鍛冶の国である。それは子供であるルーにとって全く関係のない話であるが、殺伐とした裏社会を主な活動範囲としているゼロにとっては重要な要素の一つだ。
単独行動を主としているゼロにとって、交戦中に武器が破損することはそれすなわち死を意味する。それならば、生存率を上げるためにはなるべく丈夫でなおかつ攻撃力の高い武器があるほうが良い、ということは想像に難くないだろう。そうした性質の装備として、ゼロの目に留まったものこそが、まさにここ、ガルの刀であったというわけである。竜崎董千の依頼が次に詰まっているにもかかわらず、イアラからドリアのリゼルタに直行することなく、態々ガルに立ち寄った理由こそが、彼が稼業を始めたばかりのころに手に入れた、ガル産の武器の手入れのためである、というわけだ。
ガルの表通りから少し離れた場所に、建物群に埋もれるようにひっそりと存在している小さな家屋。扉も、壁も、屋根すらも黒く汚れて、みすぼらしい雰囲気を醸し出している。一階建ての低い屋根から天上めがけて激しく存在を主張するすすけた煙突からは薄灰色の煙が立ち上り、ただでさえ狭い路地裏の青空を、さらに遠くへと押しのけている。
そんな陰気な家の前に、立ち止まった人影が一つ。しんとした空間に、石同士がこすれる音と共にわずかな埃が舞い散る。家屋以上に真っ黒な装いの彼、ゼロが自由な右腕で家屋の扉を押し開ける。黒く汚れた扉はまるで一枚の絵のように見えたが、手を掛け、押すと同時にわずかに建材のずれる音を鳴らす。
家屋の中は、外の雰囲気からは想像もつかないほどきれいで、想像通りの武骨さだった。壁際に乱雑に並べられた、美しい造形、装飾を持つ武器の数々。扉から向かって正面のカウンターには、額に傷をつけ、濁った青い瞳を不機嫌そうに歪めた男が、肘をついて葉巻をふかしている。安心しきった表情でぐっすりと眠るルーを左手で抱き上げたゼロに、彼の不躾な視線が注がれた。
「ゼロか……ん、その子供はどうした。」
「……少々厄介な依頼だ。ハリンマがらみのな。」
「ハリンマの話なんぞここまでは届かないな。語ってくれるなよ、余計なことは聞きたくない。」
「……もとよりそのつもりだ。貴様に関係のある話ではない。」
「俺に関係ある話がそうそうあってたまるか。何のためにこんなところに店を構えたと?」
「……余計なことを聞くつもりはない。」
「……言ってくれるじゃねえか。」
寡黙、というより偏屈な二人の会話はひどく静かだ。とはいえ仲が悪そうな雰囲気でもなく、むしろ雰囲気は普段のゼロと比べてだいぶん穏やかである。
会話と並行して、ゼロは右手に持っていた刀を少なくない額の金と共にカウンター越しの男に押し付ける。男は加えていた葉巻を乱暴に灰皿に押し付け、金を懐にしまい込み、おもむろに刀を鞘から半分ほど引き抜いた。
その刀身は小さな蝋燭の光に照らされ、てらてらと不気味に光っていた。わずかに反った刀身は銀色、まっさらですらりと薄く、よく手入れがされているのか、欠けも傷もほどんどみられない。
だが、男にとってはそうは見えなかったらしい。彼はますます不機嫌そうに顔をゆがめ、鞘に刀身を落とし込んでゼロを睨みつける。
「……お前、またとんでもない数をやったみたいだな。いつか後ろから刺されるぞ。その時になっても俺は絶対助けないからな。」
しかしゼロにとってはどこ吹く風だ。目を閉じ小さなため息をつき、全く関係ない話を男に投げかける。
「……貴様が葉巻を手放すとは、珍しいこともあったものだ。」
「お前のせいだろうがこの野郎。こんなところに子供連れで来やがって。そんなちっこい子に煙吸わせるわけにはいかないだろ。」
「……そういうものか。」
「つくづく依頼人は頭がおかしいね。こんな冷血に、よりによって女の子を任せるなんて。俺なら絶対にしない。」
「……貴様も知る女だが。」
「誰かと思ったら、リアの奴か。なるほどあいつならやりかねない。あの世間知らずのお姫様ならな。あいつはお前のことを過剰に信頼しすぎる。」
まあいい。その言葉と共に彼は追加で指を三本上げる。それを認めたゼロは即座に懐に手を突っ込み……なかなか手を出せない。むにゃむにゃと言葉にならない寝言と共に、ルーが一段と強くゼロの身体にしがみついたためである。わずかに困惑するゼロの様子に気が付いたか、男はさらに不機嫌そうに顔をゆがめた。
「はァ……調子狂うな。後で払え。それでいい。」
「……そうさせてもらおう。」
「どうせお前がうちに来たってことはこれからなんかでかいことやるんだろ。今夜は泊まれ。その子はアンジュに押し付けろ。」
ここまで驚愕の鉄面皮っぷりを発揮していたゼロの顔が、僅かに嫌そうに歪む。
「……あの女もいるのか。」
「滞納の迷惑料だと思っとけ。あとその子の世話代だ。」
男のほうはもう仕事の準備に取り掛かっているようで、話半分で投げやりな返答が送られたのだった。
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「ゼロ様ぁ~~~~~っ!! お会いしとうございましたわぁ~~~~~っ!!」
カウンターから奥に引っ込んだ男を見届けたのちしばし。ルーの拘束がある程度緩んだころ。店内にあるもう一つの扉、カウンターの横にある、居住空間に向かう扉を開けたゼロを、女の高い声が出迎えた。喜色満面の笑みを浮かべて、飛びつかんばかりの勢いでゼロの右手を両手で握りしめ、ぶんぶんと上下に振り回す。ゼロは顔ごと視線を右上に向け、うんざりした表情を隠そうともしない。
「……鬱陶しい。」
「まあまあ、そんなこと言わないでくださいまし……あらっ!? その子、もしかして私とあなたの」
「違う。」
食い気味に否定するゼロ。なかなか珍しい光景である。
「それじゃあこの子をあなたと私の養子にしてしまいましょう! そうすれば既成事実の完成ではありませんか!?」
「……。」
ゼロは大きなため息をついた。彼の態度からも推測できるように、この女性……アンジュは当然ゼロの妻ではない。先の男、ニコラの娘であり、一方的にゼロにラブコールを送っているだけの、言ってしまえば他人である。見目はそれなり、体形もそれなり、ついでに何をさせてもそれなりにこなす彼女の特徴と言えば、やはりその声だろう。声音自体はこの世のものとは思えないほど美しく、口調も丁寧。肝心の言っていることも少し厄介な妄信者、といった程度なのに、どういうわけだか聞いているだけで生理的な嫌悪感を掻き立てられる声。ある意味才能である。
「せっかく来てくださったのですもの、今夜はゆっくりしていってくださいまし!」
「……今夜は眠れそうにないか。」
「あらあらまあまあゼロ様ったら積極的っ!」
「そうではない。」
にべもなく、彼はアンジュを押しのけた。そのまま彼が廊下を進み、突き当りの右にある扉を押し開けると、そこにはこじんまりとして、清潔感のある小部屋が用意されている。しかし、部屋の様子を見る限り、そこに誰かが暮らしているような雰囲気は感じられない。
「ゼロ様が来たということで、準備しておいたのです! あなたが心穏やかに眠れるようにっ!」
「……そうか。感謝しよう。それについてはな。」
ドアの影からひょこりと頭を出し、今回の部屋のこだわりとやらを一人垂れ流すアンジュを一瞥し、ずっと抱き上げていたルーを部屋のベッドにゆっくりと寝かせるゼロ。小柄で瘦身とはいえ、子供一人を長時間抱き上げ続けていたにもかかわらず、左腕をわずかに振ったばかりで、ほとんど疲れた様子を見せていない。
「……この娘の世話を頼めるか。」
そのまま振り返り、視線の先のアンジュに声をかけるゼロ。その手にはいつの間に用意したのか、銀貨が数枚が握られている。
アンジュは即座にこだわりの話をやめ、にっこりと笑って部屋に入ってきた。
「はい、もちろんです! お出かけですか?」
「……この娘がいると捗らん用事だ。」
ゼロの方は明らかに嫌がっているとはいえ、なんだかんだで彼らの仲は長い。それがゼロの信条だと分かっているのだろう、アンジュは彼が差し出した銀貨を何のためらいもなく受けとった。しかし、その顔はあまりにも悲しげである。
「そんな……分かりましたわ。ゼロ様にだってきっと……そういう気分のこともありますわねっ!」
「何と勘違いしている。この食い意地の張った娘がいては糧食の確保ができんというだけの話だ。」
「なんだ、そういうことなら早く言ってくださいまし!」
先ほどの様子からは一転、そうならそうと言ってくれと言わんばかりの明るい表情を取り戻すアンジュ。そういうことも何も彼女の勝手な勘違いなのだが、ゼロは呆れた顔を見せるばかりで、何も言わなかった。
「それでは行ってらっしゃいまし! この子のお世話は、このアンジュにお任せください! 貴方のお帰りを待っておりますわ、旦那様っ!」
「その気色の悪い呼び名をやめろ。」
ここで否定しておかないと確実に言質を取られることが分かっているのだろう、いつもより強い口調でアンジュの言葉を否定し、ゼロは部屋から出て行った。ほどなくして廊下の先から扉が開閉する音と、僅かな話声が聞こえ、そしてすぐに部屋は静寂に包まれる。
胸元で手を組み、ゼロを見送ったアンジュは、音が完全に聞こえなくなった後に、ゆっくりとベッドに歩みより、すやすやと眠るルーの頭の隣に腰掛ける。ゆっくりと、先ほどまでの姦しさが嘘のように、優しい手つきでルーの髪をなでると、小さなうめき声と共にルーの瞳が開かれる。ルーの視線の先にあったのは、ゼロが見たらおそらく夢と見まごうであろう程の、別人のように憂いを瞳に浮かべた、優しく切ない顔だった。
ルーが寝ぼけた声をあげる。
「……だれ?」
「あ……ごめんね、起こしちゃった?」
アンジュに見守られながら、ルーはゆっくり体を起こし、ぼんやりとあたりを見回す。部屋を一通り見回した後に、異変に気が付いたのか不安げな表情を見せた。
「……ぜろ、いない。」
「ゼロは今お出かけ中。すぐに帰ってくるから、大丈夫だよ。」
「……おでかけ?」
かわいらしく首をかしげるルー。どうやらわかっていないようだ。
「……大丈夫。今ここにいないだけだから。すぐに戻ってくるよ。ね。」
そう言って、アンジュはルーの頭をやさしくなでる。ルーにとっては全く知らない相手であるはずだが、目を細め、気持ちよさそうにされるがままになっている様子からは、警戒の様子を全く感じない。
しばしの間、穏やかな時間が流れる。
アンジュがぽつりと、ルーに話しかけた。
「……私、アンジュっていうの。貴方の名前は?」
「……ルー、ルーだよ。」
「ルーちゃんっていうのね。いい名前。」
「えへへ。」
嬉しそうに笑ってはいるが、何を褒められたのかはいまいちわかっていなさそうである。
騒ぐこともせずに撫でられるがままになっているルーは、この年ごろの子供にしては異様におとなしいといってよい。その様子に思うところがあったのだろう、アンジュが再び彼女に声をかける。
「……ルーちゃん、遊ぶ?」
「……あそぶ?」
当然というべきか、ゼロにルーと遊んであげるなどという発想は少しもない。それに加えて生まれの家の環境も酷いものであったために、彼女にとっては毎日が生きるための戦いであり、遊ぶなどという概念を全く知らなかった。
そんな事情をアンジュが知るはずはないのだが、不思議そうな顔で見上げてくる少女の姿に生まれを悟ったのだろうか。泣きそうな顔をして彼女をひしと抱きしめた。
「わわっ。」
「分かった、今日はゼロがかえってくるまでにいっぱい遊びましょう!」
にっこり笑うアンジュの目の前で、ルーは変わらずぽかんと彼女の顔を見上げていた。
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「なんと、突き落とされた池の底に埋まっていたのは、大きな大きな宝箱でした。アルスが探していたお宝、盗賊団が奪おうとしていたお宝です。誰もが汚いからと、近づかなかった池の底に、探し物は最初からあったのです。」
「えー! すごいすごい!」
「『アルスよ、私の宝を見つけてくれてありがとう。お礼にお前の願いをかなえてやろう。』ドラゴンはそう言って、アルスの奥さんの病気を、一瞬で直してくれました。『ありがとう!』と、アルスと奥さんは大喜び。アルスはその後も、友人となったドラゴンの力をたまーに借りながら、元気になったお嫁さんと末永く、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。」
「はわぁ……!」
アンジュの股の間にすっぽりと収まり、背中を預けたルーは、アンジュが彼女の前に持ってきている絵本のページにくぎ付けになっている。彼女は文字が読めているわけではないのだが、色とりどりの絵を見ているだけでご満悦のようだ。
アンジュが読んでいた絵本は、大陸ではそれなりに有名なおとぎ話が題材になった、近代の作家の作品である。綺麗な絵と共に描かれる、勇気や愛情を教えてくれるお話は、大人にも子供にも人気を博している。
彼らの周りには、大小さまざま、色とりどりの石や粘土、ひも、謎の枝、小さな木箱等様々なものが散乱している。どうやら大分長いこと、様々な遊びに興じていたようで、アンジュの顔には楽しさと共に若干の疲れがうかがえる。
「ルー、これみる!」
「そう? 落としちゃわないように気を付けてね。」
大分ルーの扱いにも慣れてきたのだろう。アンジュはルーの小さな膝の上に、絵本をそっと置いた。どうやらそれが正解だったようで、ルーは未知への興味に瞳を輝かせながら、絵本を掴んでページをめくり始める。少女を抱え、見つめるアンジュは、しばらくして感極まったように小声で言った。
「楽しんでくれてるみたいで、よかった。」
「……?」
僅かな涙声が聞こえたのか、不思議そうな顔で振り向くルーに、アンジュは何でもない、とだけ言う。それでもじっと見つめてくる視線に居心地の悪さを感じたのか、そのまま視線をふいと横に逸らした。懐のルーもつられてそちらに顔を向ける。
音はならなかったはずだ。しかし突然、ルーがピクリと体を震わせ、叫ぶ。
「……! ぜろ!」
「え? ゼロ?」
アンジュの困惑にも無理はない。彼女たちの視界に、辛気臭い黒の傭兵の姿が見えるはずがないのだから。彼はまだ、食料の買い出しから戻ってきていない。
しかしルーにとっては違ったのだろう。小さな膝に乗った絵本を跳ね飛ばし、瞬く間に立ち上がり部屋の入り口に駆けてゆく。少し高い扉の取っ手に手が届かないようで、扉にぺたりと張り付いて一生懸命に背伸びをしている。
「もしかして……帰ってきたの?」
「ぜろ、いる!」
どうして気が付けたのかは不明だが、どうやらそういうことらしい。アンジュは目を見開いた。
「すごいね、ルーちゃん。どうしてわかったの?」
「……? ぜろ、いる!」
要するに、本人にもよくわからないようだ。これ以上聞いても無駄と察したのだろう。絵本を閉じ端によけ、立ち上がるアンジュ。扉に向かって飛び始めたルーに歩みより、少女をそっと手でたしなめた。
「じゃあ、ゼロを迎えにいこっか。今開けるね?」
「うん! えっと、かんしゃ、する?」
「ふふふ、それは、『ありがとう』でいいのよ。」
「……ありがとー? ……ありがとー!」
ゼロの影響をもろに受けた言葉遣いに思わずと言った具合に笑みを浮かべるアンジュ。とはいえ、意味はよく分かっていないのだろうが、使うシチュエーション自体は間違っていないあたりルーの地頭は決して悪くなさそうである。
扉に手をかけたアンジュは、何かを思いついたのか、いたずらっ子のような顔で足元のルーに言う。
「それと、ゼロがかえってきたら、『おかえりなさい』って言ってあげましょう。」
「……おかえりなさい?」
「そう。おかえりなさい、よ。」
「……うん!」
えらいえらい、とルーの頭をなでたのち、二人は手をつないで部屋から廊下に歩み出す。楽しみにうきうきと歩くルー。さほど長くない廊下だ、ほどなくして突き当りにたどり着いたアンジュは、そわそわとするルーを少し後ろに下げ、ルーの代わりに扉を開く。端が少しあいたとたんに、ルーは勢いよく部屋に飛び込んでいった。
「ぜろっ!!!」
「む……。」
無邪気に飛びかかるルーをしっかりと受け止め、ゼロは相変わらずの無表情で少女を見下ろす。彼の、ともすれば冷たいと思われるような無の視線を気にもせず、しがみついたルーは彼を見上げて楽しそうに跳ねる。
「えっと、えっと、おかえりなさい!」
ルーの言葉に、ゼロはわずかに目を見開く。ニコニコと笑う少女をまじまじと見つめ、しばらくして小さなため息とともに言う。
「……無事に戻ったぞ。」
それは、あまりにも彼らしい『ただいま』だった。
「えへへ~。」
「……はあ。店主よ。まだ済まぬのか。」
嬉しそうな笑みを―最近は常にだが―浮かべるルーの頭に手を置いて、不可解だ、と言わんばかりのため息をつくゼロ。後半の作業場に向けた言葉には、今持っていく、というかすかなニコラの声が戻ってきた。
「そうか。」
そう言ってあたりを見回すゼロの視線は、ある一点、居住空間に向かう扉の前に固定された。視線の先には、二人の再会を立ちすくんで呆然と見ているアンジュの姿が。彼は、相変わらずの無の視線を彼女に向けた。
「あ……。」
「あんじゅ?」
「……この娘が何かしたか。」
「あ、いえ、違う……。」
彼らの付き合いはそれなりに長い。アンジュがやけに静かなことに違和感を感じたのだろう、ゼロはわずかに片眉をあげて静かに彼女を見据える。
そのいかにも居心地の悪い視線は、今日に限っては何よりも有効だった。あからさまに挙動不審になったアンジュは、あたりをそわそわと見回した後、自信なさげに体を縮め、おずおずと。
「ちょっと、今日は、その、お暇しますわ~……。」
そう言って、奥に戻って行ってしまった。不思議そうに彼女を見送る二人のもとに、ようやくニコラがやってくる。
「おう、ゼロ、約束のもんだ……あん、どうした?」
「……何も。」
実際アンジュの様子がおかしかろうとゼロにとってさほどの意味はない。彼は即座に意識を切り替えたようで、ニコラから剣を乱雑に受け取り、左で鞘を、右で柄を握って愛刀をスラリと抜き放った。
それは見事な輝きだった。ゼロがニコラに託した時とは比べ物にならない光沢、輝き。新品と言われても信じてしまいそうなほどの出来だ。
「文句ねえか?」
「……貴様も変わらんな。」
「へいへい。毎度。」
ゼロの迂遠な言い回しにも最早慣れているのだろう、ニコラは大した反応も気分を害した様子もなく、雑にゼロの称賛―一応ゼロはそのつもりである―を流す。
ゼロが刀を腰につけたのを見計らって、ニコラがゼロに尋ねる。
「で、夜はどうする。」
その問いかけに、当然とでも言いたそうな顔でゼロが答える。
「……そこまで世話になるつもりはない。」
「ちっ。吹っ掛けてやろうと思ったんだがな。」
「貴様に頼むべきことではなかろう……ゆくぞ。」
「うん。……。」
軽口を軽くあしらい、ルーの手を握り歩きだすゼロ。ゼロの顔、ニコラの顔、そして奥の扉を交互に見て戸惑っているルーの様子に気づく様子はない。ニコラは気が付いているようだが、特に何も言わなかった。
結局、それがその日の最後の会話だった。ゼロの姿は居住空間に、店の錠を閉ざしたニコラは作業場に消え、そして店には誰もいなくなった。
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そして翌日。
「もう出るのか? ゼロ。」
「……世話になったな。」
あの後は特に何も起こることがなかった。普通に帰ってきたゼロはアンジュと違う部屋でルーと共に休息をとり、朝早くから半ば寝ているルーの手を引き、店を出ようとしている。無事清算は終わったようで、店主ニコラの手には追加の金が握られている。
「相変わらずせっかちなやつだ。生き急いでも仕方がないだろう?」
「……此度の依頼は少々厄介でな。」
「厄介?」
「……竜崎呉羽の名は知っているか。」
「……これ以上首を突っ込むのはやめておく。にしても……。」
そう言って、ニコラはあたりを見回す。
「ゼロ、アンジュ知らねえか。」
「……知らん。」
「いつもなら見送りって言って五月蠅くしているころだが、お前まさか。」
「生憎と、私に奴をどうにかする理由はない。昨晩は客人の姿もなかったが。」
「なら寝てるだけか。珍しい。」
どうやらニコラはゼロにそれなりの信頼感を抱いているようだ。それ以上の追求は一切為されない。
「んう……あっ!」
不可解な顔をする二人の男の足元で、眠たそうにしていたルーが突然、ハッと頭をあげ店の奥を見据えた。
「ん、どうしたお嬢ちゃん。」
「ぜろ、まつ!」
そう言って、店の奥に消えるルー。呆然と彼女を見送る男二人を尻目に、やはり少し取っ手が高い扉を、今度は無理やりこじ開けて、ぱたぱたと昨日の部屋に走ってゆく。
部屋の中央には、いくらか顔色の悪い女性がぼんやりと座り込んでいた。ルーは迷うことなく彼女に走り寄る。
「あんじゅ!」
「あ。ルー、ちゃん。どうしてここに?」
「あのね、あのね!」
わちゃわちゃと忙しなく両手を動かすルーだが、言いたいことが言葉にならないのだろう、なかなか話し出そうとしない。状況を掴めないアンジュを置き去りにさんざん悩んだ末、ルーは置いたままになっていた昨日の絵本を拾い上げ、アンジュに差し出しこう言った。
「またあそぼ!」
「……っ!」
「あんじゅ、ありがとー!」
アンジュが何か返事をするより先に、ルーはアンジュの手に絵本を押し付け、ばいばい、と手を振りながら廊下を元気よく走っていった。
ゼロのもとに帰ってきたルーは、彼の手に飛び込んで抱き着いて、ぐいぐいと店の外に向かって手を引っ張る。
「ぜろ、いこ?」
「……言われずとも。」
「何だ、結局何だったんだ?」
「知らん。」
結局、大した別れの挨拶も形式的な誓いも口にすることなく、子供の体力に流されるがままに、あわただしく二人は店を去って行った。
「……元気なお嬢ちゃんだったな。ゼロにもなついてるみたいだし、案外悪くないのかもしれねえな。」
などと独り言ちている彼のもとに、一人の女性が近づいてくる。店の奥からゆらゆらと出てきたアンジュである。
「おはようアンジュ。よく眠れたか?」
「……ルーちゃんは?」
「もう出たぞ。今回の依頼は厄介だとか言ってた……待て。珍しいな、お前がゼロ以外を気にするなんて。」
あれだけゼロに執着していた娘の口から、ゼロが連れているとはいえ、彼ではない人物の名前が出たことに、ニコラは若干の驚きを示す。それに気が付かないはずもない、かなりあからさまな表現であったが、アンジュは特に何も言わなかった。代わりに、気まずい沈黙ばかりが続く。
「……。」
「……。」
ニコラはおもむろに葉巻を取り出し、緩慢な動作で火をつけた。
「……お父さん。」
「何だ。」
「……。」
「……。」
「私、ゼロのことが好きなの。本当に。本当に愛しているの。」
アンジュは、ゆっくり、ゆっくりそう言った。対してニコラの反応は平坦、というより普段通りのそれである。煙を細長く吐き、一言呟く。
「知ってるぞ。」
「……やっぱり、そうだったんだ。」
「そりゃお前、どんだけあからさまだったと思ってる?」
若干呆れた父の声に少し安心したのか、アンジュの語り口がわずかに軽くなる。
「私は……彼の特別な人になりたかった。彼にとってかけがえのない人になりたかった。彼に求められたいと思ったこともあったけど、それは無理なことだって分かってしまって、だから、せめて彼の安らぎになりたくって。」
彼女の綺麗な瞳から、ぽつぽつと涙が落ちる。
「でも、それさえも、彼は許してくれなかった。彼は私に心を開いてくれなかった。彼はいつも、独りだったから。私はただの、依頼人の娘としか、思われてなくて。」
「まあその気持ちはわかるな。だが言っても仕方ないだろう? あいつにとっては、契約以外に意味なんかねえんだから。」
「分かってる! ……分かってた。彼の視界に、世界に、私は何処にもいなかった。」
ゼロは、金で引き受けた依頼は確実に遂行し、また相手にもそれを求める傾向がある。しかし、それは同時に、情や義理、そして愛情といった、人の心によるものをまるきり信じないということでもある。それは、一人の人間としてはあまりにも歪んでいた。
「もっと、私を見てほしかった! 知ってほしくて、分かってほしくて。感じてほしかった! 私は彼の、味方なのに。」
血を吐くような娘の独白に、ニコラは苦しそうにつぶやいた。
「……それであんな態度を取り始めたってことか。」
「うん……いっそおかしくなったと思われても良かったのに。それでも彼は……。」
「結局、あいつは変わらなかった。俺も不可解だったよ。あいつは、気が付いていねえのかってな。」
「……だから、びっくりしたの。ゼロが、あんなことを言うなんて。」
『無事に戻ったぞ』。この言葉に込められた意味は決して軽いものではないだろう。たとえそれが、嬉しそうな少女を幻滅させないために言った言葉であっても……いや、むしろそうだからこそ。
「彼は……嫌だ。どうして、私はずっと、なんで、お願い、おかしい、ねえ……っ!」
いよいよ語り口が不安定になってきている。ぽろぽろと涙を流し、歯を食いしばり、絞り出すように。
「あの子みたいに、私のことも見てよ……。」
有体に言うと……アンジュはルーに嫉妬していたのである。彼女を締め出し続けたゼロの懐に、いともたやすく潜り込んだ、年端もいかない小さな女の子に。
「……でも、これは彼にとっていいことだから。彼が、誰かの温かみを知れるのなら……きっとそれは、私じゃなくてもいい。」
「……。」
その顔は悔しさに歪んでいる。素直にゼロを諦められているとはいいがたい。そのことに気が付けていないのは、傍から見ることのできない本人ばかりである。
「……諦めんのか。」
「……私にはもう、資格がないもの。あんな小さな子を利用しようとするような、汚い女に。」
「んなことねえと思うがなぁ……。」
「……ありがとう、お父さん。」
その感謝が何に向けたものなのか。ニコラは尋ねなかった。
「でも、もういいの。今はただ、待つことにする。ゼロのことも、ルーちゃんのことも。きっと私にも、時間が必要だから……。」
アンジュはそう言って、二人が去って行った店の扉を、複雑な表情で見つめ始める。ニコラは切なげに、しかし何も言わずに、作業場へと向かっていった。
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ガルの表通りをのんびりと北に向かって歩く、背丈の大きく違う二人。どこかに行ってしまわぬよう、しっかりと手をつながれた少女が、男を見上げて尋ねる。
「ぜろ、ぜろ。」
「……どうした。」
「あんじゅ、すき?」
「……。」
その問いに、男はすぐには答えようとしなかった。しかし、どうにも彼は、少女のキラキラとした目に弱いようだ。小さなため息とともに淡々と述べる。
「……危うい女だ。」
「あやうい?」
「……己の信条のためならば、何処までも堕ちていける女だ。ちょうど、あの女がそうしているように。」
それはきっと間違っており、そしてある意味は正しいのだろう。いずれにせよ、こうしたまどろっこしい言い回しでは、幼い少女にはとても伝わらない。
「……積もり積もった汚泥の底に、伽話の宝なんぞ存在せんのだ。」
話はそれきりだった。ぽかんとした少女の手をしかと引き、その男は、賑わいを見せ始めた早朝の人ごみに消えていった。