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胸糞描写注意です。
2024/5/12 数字を漢数字に変更、三点リーダの書き方を変更
この世界の夜、特に街の外はとんでもなく危険である。魔術を使いこなす強力な野生生物や、その野生生物をどうにかする程度の実力はあるならず者がひしめき合う場所に、少し魔力がある程度の一般人が足を踏み入れれば最後、どうなるかは自明の理であろう。重厚な壁に覆われている大都市ではともかくとして、そんなものはない小さな都市や集落では、子供たちは毎日のように夜中の外出の危険性を説かれており、そしてそうであっても子供の犠牲がなくなることはない。それならばと開拓を進めようとしても、同じく野生生物の強さと、強い人間の少なさゆえにうまくいかず、そもそも強い人間を集めるのには多額の金がかかり、集めたところで成功が確約されるわけではないので結局誰もやりたがらない。自然を大切にする思想を持つ民族との軋轢が予想されることも相まって、あまり金にならないのに火種ばかりをまき散らすこの話は、長い間放置され続けている。
そんなわけで危険な場所であるはずの、彼らが休息をとっていたすぐそばの、生い茂った森の中。傭兵ゼロはすやすやと眠るルーを抱きかかえ、依頼人ミサンダを伴って、ある方向に向かって足早に、それでいて慎重に歩を進めていた。あたりはしんと静まり返っており、また、彼らは森に入ってから生き物の姿を見ていない。
当然それには訳がある。あたりに張り巡らされたピリピリとした気配。普段のそれより一段と強い無言の圧力は、彼らを率いる黒の傭兵から放たれている。
「……威圧で露払いなんて、貴方本当に人間? 本当に獣の一匹もいないじゃない。」
「……奴らは聡明だ。勝てん相手はやり過ごす。ならば、こちらが奴らより強いと思わせればよいだけのことだ。」
「それが出来たら苦労しないわよ……その子もその子よ。こんな威圧の中でよく平然と寝られるわね。」
そうひとりごちるミサンダの額には、うっすらと冷や汗が浮いていた。多少強いとはいえ一般人のくくりに入る彼女にとって、大陸屈指の強者の威圧は、たとえそれが自分に向けられていなくとも十分に恐怖の対象となる。
「……それについては……私も不思議に思っている。」
ゼロが振るった右腕に合わせて、彼らの眼前に垂れ下がったつる植物がまとめて引き裂かれる。道なき道を行く彼ら、しかしその歩みは何の根拠もない考えなしなものではない。
「……足跡の間隔が。」
しばらくの沈黙の後に放たれた、ミサンダの言葉にゼロが小さく頷く。彼らが視線を向ける先には、大人の男のものと思われる足跡がうっすらとついている。ずっと彼らが頼りにしてきた道しるべの間隔が、ここにきて少しずつ狭くなってきていた。それはつまり、今まで走っていたか、少なくとも急いでいた足跡の主が、ようやく歩調を緩めたことを意味している。
「近くにいる?」
「……一人だ。」
「シックは?」
「……とうに足跡は分岐している。この先に誰がいるかは……賭けだ。」
驚くべきことに、ゼロは姿すら見えない男を捕捉しているようだった。方法も理屈も分からない彼の驚異的な能力に、ミサンダは瞠目し、ややあって笑みを浮かべる。
「やっぱり、貴方に頼んで正解だった。」
「……金の分は働かねばならぬ。外した場合は。」
「……見つからなければ何でもいいわ。」
「……行くぞ。時間がない。」
気がつけば、あたりに振り撒かれていた暴力的な威圧がすっかり消え去っている。このまま時間をかけすぎれば、運が悪いと余計な戦闘をはさむことになる。野生生物程度に後れを取るゼロではないが、ミサンダはそうではない。ルーもいる。それを知っている彼女は、神妙な顔でうなづいて、木の影を伝うように歩くゼロに続いた。
木の葉がすれる音を立てながら進むことしばし。彼らの眼前に、森の中とは思えないぽかりと開いた広場が現れる。ほとんど真っ暗な視界に辛うじて光るくたびれた鎧。ザンバラ髪の男が一人、そこに立っていた。ミサンダが興奮したように早口でまくし立てる。
「ノイアスだわ、よかった生きてたのね。見た感じ怪我もなさそう、本当によかった。」
よかった、よかったとしきりに呟く彼女に、ゼロがささやく。
「……行くのか。」
「……ええ、もちろん。貴方はどこか見えない場所で隠れてて。帰り道の案内もお願いしたいから。これ、追加料金よ。」
我に返ったミサンダはそう言って、ゼロの手を取り金を握らせ、がさがさと音を立てて広場に突進する。それを無感情な目で見届けたゼロは、まっすぐ上に飛びあがったかと思うと、小さな音と共にその場から姿を消した。
左手にルーを抱きかかえ、頑丈そうな枝に体を預けたゼロの視線が、小さな広場に向けられる。場面はちょうど、破落戸のような見た目の男が、ミサンダが鳴らしているのであろう音にびくりと肩を跳ね上げるところだった。
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「ノイアス!」
「っ!?」
怯え切った表情で揺れる草むらを見つめるノイアスが、声に合わせて勢いよく得物を抜く。両手で不格好に剣を構え、ぶるぶる震える彼の前に現れたミサンダは、明らかに怯え切った彼の様子に困った笑みを浮かべながら、優しい声音で語り掛けた。
「ノイアス、大丈夫よ。何があったのか分からないけど、もう心配ないわ。魔導車に戻りましょう?」
「ひ、ひぃ。」
「ここにシックはいないし、護衛も雇った。あの傭兵ゼロを! 噂通りの見事な腕だった。だから、ね。もう安全なのよ。」
一歩、一歩とミサンダがノイアスに歩み寄る。確かに彼女はノイアスに配慮しているのだろう。手を控えめに広げてゆっくりと、彼を刺激しないように近づく彼女だったが、それにもかかわらずノイアスは、ますます怯えの色を濃くしていた。
「や……やめ……。」
「大丈夫、怖くないわ。」
「やめて……。」
「ノイアス?」
「やめて、やめてくれ! 殺さないでくれっ!!!」
怯えが頂点に達したのだろう。それは一瞬の出来事だった。
ノイアスががむしゃらに剣を振り回す。彼が見せた鬼気迫る表情に、然しものミサンダも一瞬の硬直を見せる。
その一瞬を突くかのように、ノイアスの手から見事にすっぽ抜けた獲物が、ミサンダの首筋を切り裂いた。
「……え? のい、あす?」
「……は?」
何が起こったかもわからないまま、その場に崩れ落ちるミサンダ。何が起こったかもわからないまま、呆然とするノイアス。
「……は? え? うそ、だろ?」
「……のい、あす、わ、た、しは……。」
不格好な操り人形のように、真っ赤な血の池に彼がたどり着いたころには、何もかもが遅すぎた。ミサンダは最期に切なげに腕を持ち上げて、しかしその指先すらも彼には届かなかった。
「……ミサン、ダ。」
何もわかっていないかのような表情で、呆然と立ち尽くす彼のもとに、男の足音が近づいてくる。
「……ノイアスッ!」
「っ!? し、シック……。」
「ノイアス、どうしてこんな森の奥……え?」
怒りのままに詰め寄る男―シックだったが、彼自身の、びちゃり、という足音に思わずといった風情で立ち止まる。彼の視線が下に向く。
「……ミサン、ダ? ……おい、ノイアス、これは……これはっ、どういうことだッ!?」
始めは呆然と、そして湧き出す烈火の怒り。先ほどとは比べ物にならない怒気と魔力が小さな広場に吹き荒れた。がさがさと周囲に音が鳴る。
「……ち、違う! これは違うんだシック!」
「違う!? 何が違うんだシック言ってみろ! どうしてミサンダが死んでるんだ! こんな場所で!」
「違う違う違うッ! そんなつもりじゃなかった、殺すつもりなんてなかったんだ!」
「五月蠅い! 殺したんだな、お前が殺したんだな!? お前がミサンダを!!!」
怒りのままに得物を構え、上段に振りかぶってノイアスに襲い掛かるシック。慌てふためき、情けない悲鳴を上げて逃げようとするノイアスだったが、下手くそな後ずさりで足をもつれさせあっさりと転倒。生暖かい液体を臀部と共に地面にこすりつけ、涙目でずるずると後ろに進む。
そんな移動で怒り狂った男から逃げきれるはずもなく、あっさり捕まり胸ぐらをつかまれた彼は、それなりに整っていた見た目を酷くゆがめ、涙声で哀願する。
「頼むよ、頼むよシック殺さないでくれ! 死にたくなかっただけなんだ! 嫌だ、嫌なんだッ!」
……それが、単に火に油を注ぐだけの行為だということに。怯え切った彼は最期まで気がつけなかった。
「……クソっ、どうしてミサンダは、こいつだったんだ!? こんなッ!」
殴打。
「クズのッ!」
殴打。
「……どこにッ!!!」
最後に首を斬り飛ばされ、怯えた男はあっさり命を落とした。
肉の塊が倒れ、落ちるその音が、それの終わりを告げていた。ただ独り残された男の笑い声が響く。
「……はは、ははは。」
血に塗れた鎧を見て、血に濡れた剣を眺めて、自嘲するように笑い、呟く。
「……俺も、同じか。仲間だったのに。友達だったのに……幼馴染だったのに。」
膝立ちの姿勢から、地面を踏みしめゆっくりと立ち上がる。
「でも、許せなかったんだ。だって、なぁ……。」
だらりと垂らした腕に力はなく、瞳はとうに光を失っている。
「……ミサンダが、お前を殺そうとするわけないだろ……?」
最後に、ちらりと死んだ男に目を向けて。彼はのろのろと踵を返す。
その場所まで戻った彼は、自然な動作で首筋に剣を当てる。
「……どうして、俺じゃなかったんだ、ミサンダ……。」
……力を失った体が、死んだ女に覆いかぶさり動かなくなった。
辺りに静寂が戻る。
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「……救われんな。」
ただ一言そうつぶやいて、ゼロは惨劇の場を後にした。
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翌朝。
寝ぼけ眼をこすりこすり、ぼんやりと歩くルー。その手を引いたゼロ。魔導車からやや離れた場所で一夜を過ごし、魔導車に戻っていく二人のもとに、一人の男が歩み寄ってくる。魔導車の運転手を務める彼は、良い朝ですね、等と適当な挨拶をはさみつつ、ゼロに問いを投げかけた。
「実はですね、昨日までウチの魔導車に乗ってたはずの三人組が見当たらないんですよ。三人とも仲のいい元気な若者で、将来が楽しみだなぁ、とか思ってたんで少し気になったんですよ。何か知ってたりしませんかねぇ?」
昨日までいた、三人組の若者。まず間違いなく彼らのことだろう。
つまり、もうどうしようもない。
「……知らんな。」
「ですよね~。まあ仕方ない、きっと森で遭難でもしてるんでしょうね。」
元気が有り余ってるのも問題ですねぇ、等と言いつつ、彼はてきぱきと出発準備を始める。途中で欠員が出ても捜索はしない、気にも留めない。当たり前のことだ。そんなことをいちいち気に留めていたら、この物騒な世界では長生きできないのだから。
……それでも。
傍目にはわからない程度、ほんとうに少しだけ歪められたゼロの顔を、青い双眸が眠たそうに見上げていた。
魔導車が走り始めた。商人の国に、新たな客を送り届けるために。
瞬撃の魔剣士ー致命の妄想篇ー
完
ここまで来た方ならたぶんお気づきでしょうがこの小説は全篇にわたって胸糞悪い話ばかりです。
ということで、これ以降は胸糞、残酷描写の警告はしない方針で行こうと思います。ご理解の程よろしくお願いします。