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2021/7/22:細かいブラッシュアップ
2023/05/29 明らかに間違っていたところを修正
2024/5/12 数字を漢数字に変更、三点リーダの書き方を変更
大陸最強の傭兵と名高いゼロだが、彼が実際に依頼を遂行しているところを見たことのある者は実は意外と多くない。そもそも彼が日の当たるところをあまり歩かない、という事情ももちろんあるのだが、それ以上に大きな要因となっているのは、彼が築き上げてきた高すぎる名声そのものだった。
傭兵としてのゼロの評判は非常に高い。いかなる依頼であろうとも金さえあれば引き受けて、いかなる依頼であろうとも確実に成功させるとまことしやかにささやかれている。噂はあくまで噂だが、火のない所に煙は立たぬというものだ、その評判もまったくのでたらめではない。
必然、そのような評判が広まれば、彼の元には絶対に失敗してはいけない依頼を持った人々が集まることになり、そして必死な彼らは当然のごとく高額な依頼料をゼロの前に積み上げる。そしてゼロはその有能さ故、その依頼を何の気なく成功させ、その事実がさらなる評判を産み、彼の元にはそう言った人々ばかりが集まるようになる。ゼロの前にはさらなる金が積み上げられる。
そして、あくまで傭兵であることを貫くゼロは、もし依頼の日程などがかぶろうものなら迷いなく報酬が高いほうの依頼を選ぶ。傭兵稼業も信用商売ゆえ、先に受注していた依頼を取り消してまで乗り換えることこそしないが、それでも傾向としてゼロが受ける依頼は高額な、絶対に失敗してはいけない依頼であることが多くなる。
そして、そういった部類の依頼には大抵後ろ暗い事情が付いてくるものだ。人の命が多数失われるような依頼も珍しくない。そのような依頼ばかりを請け負っていれば、ゼロの存在そのものも少しずつ後ろ暗い世界に寄ってゆく。彼の活躍を目の当たりにしたことのない人が多い理由はほとんどがこれである。
蛇足だが、その性質故に、ゼロという傭兵の強さについては荒唐無稽なおとぎ話のような逸話が一部の民の間で語られている。単独で万の大軍を退けた、ひと凪ぎで千の兵を殺害した……さすがのゼロでも、そこまで人外じみた強さは持っていない。
ともかくとして、そういう事情があるためか、ゼロは大陸でも随一の美しい都市、ハリンマを訪れたにも関わらず、人の気配を感じられない寂れた通りを独り早足で歩いていたのだった。前を見据えるまなざしは鋭く、黒い生地のマントがゼロの背中ではためいている。彼が見据える場所も目指す場所も、傍目では到底わかりそうもない。
やがて彼がおもむろに立ち止まった場所は、何の変哲もない民家がいくつか立ち並ぶ、街の門から遠く離れた通りの一角。色褪せ、剥がれかけた壁と締め切られたカーテンばかりが外から見える、つもりに積もった埃を幻視させるような小さな建物。一見何もないように見える柱にゼロが手を当てると、その手の甲に、小さく精密な、美しい花が絡み合ったような文様が浮かび上がった。
「……。」
すぐに消えたそれの光に僅かに目を細め、おもむろに民家の扉に手をかけるゼロ。蝶番は壊れ、持ち手が腐り落ちた開くはずのない扉は、その途端に何かに引っ張られるように外側に開かれ、ぶわりと舞う埃っぽい空気とともに黒の傭兵を民家の中へと招き入れた。
「……やあ、ゼロ。久しぶりだね。」
「……反応があるとは思っていなかったぞ、貴様は今も逃げ隠れしているものと思っていたが。」
部屋の中はまさしく廃墟といった有様だった。崩れ落ちた棚に原形を保たない木材。厚く積もった埃とともにいくつもの家財が乱雑に地面に落ちており、辛うじて残っているのは頑丈なつくりの机のみ。その机の前に、茶色の髪を動きやすいようにまとめた女性が、今しがたゼロが入ってきた入り口の方を向いて立っていた。右手を上げて気さくに挨拶する様子からは、ゼロとの付き合いの長さが見て取れる。
ゼロの言葉に、彼女はにこりと笑みを浮かべた。その笑みは言葉遣いと裏腹に、大変にたおやかで洗練された美しい笑み。
「私は今でも追われる身ですもの。そうでなければ一年中、ロブとともに日々を過ごしたいくらいなのですが。」
「……多少は下手になったか。」
「生まれた時より身についた言葉使いといいますと、どうにも矯正しがたいものがありまして……こほん。それで、わざわざ呼び出した理由は何さ? キミの方から連絡術式を使うなんて珍しいからね、さっきから気になってしょうがないんだ。」
ゼロの方に体を向けて話をする、口調が不安定な女性を尻目に、ゼロは床のがらくたを足でよけ、唯一形を保っている机に寄りかかるように腰を下ろした。そのままの姿勢で懐に手を入れ、一枚の書面を取りだすとそれを女性に手渡した。いくばくかの金とともに。それらを女性は気負いなく受け取り、窓から差し込む光に掲げるように見つめた。
「……今回の依頼についてだ。この方面の話は貴様のほうが詳しいだろう。ハリンマの町とその領主についての情報なら何でもよい、知っていることを話してもらおう。」
「その程度にこんな額を……キミ、相変わらず気前が良いね。」
「……金は使うべき時に使うものだ。」
女性は受け取った金を懐にしまい、綺麗に折りたたまれた紙を手際よく開き、さらさらと目を通し始めた。
「えっと……報酬が……また随分とお高いね。依頼人は匿名。日程は三日後。そして依頼が……ハリンマ領主とその妻、長女、そしてメイド長、計四人の殺害!?」
「……声が大きいぞ。」
「何を考えていますの貴方は! このような依頼、危険すぎます! いくら貴方でも、権力者を殺したと知られたら何が起こるか分かりません!」
「……相応の金は受け取っている。何も問題は無い。」
「ですが! っ……。」
純粋に心配する眼差しも、その態度も一顧だにしないゼロを見て、女性は諦めたように息を吐いた。
「……そうだったね、キミはそう言う人だった。そう言うことならわかったよ。私ももうずいぶんとこの町にいるし、力になれるはずだから。」
「……感謝する。」
女性の目から心配の色が消えたわけではない。しかし、一応は納得したようでそれ以上ためらうそぶりを見せることはなかった。
女性は、ゼロと向き合い、ゆっくりと彼の求める情報を話し始めた。
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ここ最近のハリンマの情勢は、かつての栄華からは考えもつかないほどに荒れ果てた不安定なものである。人々は領主に不信感を覚え、最良とは言えなくともそれなりに善人だった領主一家は今や人々のことを見下す態度を隠そうともしない。高い税率と低い還元率はかつての美しかった町を荒廃させるとともに、領主の悪政に抗議する人民団体を生み出してしまった。
それらの始まりは四年前に起こった一つの事件だった。領主による突然の一斉解雇だ。当時領主館では多くの平民が従者として働いていた―その文化もまたハリンマの美しさの象徴であり、平民を大切にしているという喧伝でもあった―のだが、その日すべての平民出身の従者が解雇され、さらにそれ以来、領主館では一人として平民が雇われなくなったのである。
それだけならまだ取り返しがついただろう。不平不満は出るだろうが対応は残されている。解雇された人々に職を凱旋する程度でも火消しは簡単にできたはずだ。しかしこの後すぐに領主は、仕事を凱旋するどころか、人々に重税を課し始めるという暴挙に出る。取り立ても非常に厳しく、逆らった者は容赦なく罰せられた。
そして前述の低い還元率だ。ここまでの話をまとめると、領主が平民を見下す態度を隠そうともしなくなり、税は重くしかし領主は平民に何もしない、という状況。当然不満を持った民衆は、領主に対して組織だった抗議を始める。
それに対して領主は、彼らを無視するどころか容赦なく弾圧。その繰り返しが互いに互いの悪感情を育て続けたのだ。
そして、四年の年月をかけて熟成された対立は、数日前についに爆発したのである。
「ちょっと前……七日くらい前の話かな? 領主サマがありがたいお言葉をくださったんだよ。領主に抗議する者達は即座に訴えを取り下げろ、さもなくば殲滅する、って。酷い話だよね。仮にも自分が守るべき民なのに。」
「……それをハリンマの住民は受け入れたのか。」
確かにゼロの言葉を裏付けるかのように町は静けさに支配されているが、女性は首を縦ではなく横に振る。
「違うよ。だったら逆にやってやるって。言葉が届かないなら力でもって主張をするしかないって言って。確か三日後……キミの仕事と同じ日に領主の館を襲撃するっていう話を聞いたよ。町が静かなのは潜伏してる人が半々、怯えて籠ってる人が半々ってところかな。」
「……ふん。」
「……キミが受けた依頼は、やっぱり彼らの依頼かな。」
腰を掛けたまま目を閉じ、斜め下に顔を向けた……鼻で笑った後の姿勢から動かないゼロ。彼に向かって問いかける女性を、ゼロの鋭い視線が貫いた。
「……ハリンマの領主一家の家族構成を知っているか。」
「え? そりゃもちろん知ってるよ……確か領主本人とその妻、それと女の子が一人。じゃなかったかな。この前調べ直したときもそのままだったし、間違いないと思う。」
「……なるほど、よくわかった。」
非常に短い問答。その言葉を最後に、ゼロが素早く腰を上げる。追加と言わんばかりに女性に金貨を投げ渡し、そのまま小屋の出口に向かってゆく。その様子を目で追う女性は、手にぴったり収まった代金を懐にしまい込みながら、軽い調子でゼロに声をかけた。
「大体見えた?」
「……もう少し調べる必要がある。」
「依頼どころかそもそもこの町がきな臭いもんね……気を付けたほうがいいよ。」
「……貴様もせいぜい巻き込まれないようにすることだ。」
「大雨が降るってわかってるのなら、遠出なんてしないでしょ? だから君も。依頼が終わったらいつもの、頼むよ?」
「……ふん。」
彼らがそのやり取りに何を込めたかは分からない。あくまで見た目上は、彼らの顔色も声色も特に変わることなく。小屋の出口に手をかけたゼロは、ほどなくして、小屋に入った時と同じように手の甲に文様をきらめかせ、独りでに開く扉に導かれるように、女性の元を後にしたのだった。
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「あーあ。どうしてこっちから叩かないのかねぇ。例の連中の潜伏場所、分かってねえのか? なあマール。」
「さあ……。少なくとも僕はどこにあるのか知らないし、情報もおりてこないし。でもそれだけじゃ、ね……。」
「上が隠してる可能性なんて十二分にあるってのが悲しいところだなぁ。」
「見つけられていなかったらそれもまた悲惨ですよ……ハリンマなんてそんなに大きな町ではありません。」
「王都育ちがなんか言ってるなぁ。」
「確かに王都は大きすぎる……無人の家も多いし、ちょっと異常だと思った覚えがあるよ。」
「それは私もそう思います……権力者の見栄が全く無駄というわけではありませんが、最近のそれは少し度が過ぎているような気がしてしまって。」
「ほーん、どっかの秘書サマみてぇだなぁ? 三日後かもしれないって話も上がってるのに、頑なに四日後って言い張るどっかのさぁ。一体何の根拠があるのやら。」
「そんなに悪口ばかり言って、また謹慎したいのかな? でもまあ、そうだね。」
「確かに非合理的ですよね。可能性があるなら警備を強めるなりやりようはあるはずなのに、何もしないどころか肉か……従者は全員郊外に荷物を取りに行かせるなんて。」
「今肉壁って言った?」
「屋敷に残るのは領主サマの家族とメイド長だけ。それで俺たちも普段通り。おめでたいこった。三日後の警備はよりにもよってあの無能どもの隊だしな。詰所から屋敷までどれだけかかると思ってるんだか。」
「まあまあ。兵士長もただ手をこまねいているわけじゃないみたいだし。ここ数日屋敷の地図とにらみ合ってるって話聞いたよ。いざという時に救出作業に入れるようにとかなんとか。」
「あの兵士長が、ですか。目をつけるところが相変わらず無能ですが、ないよりはましでしょうか。」
「ふーん。あれにできるなら俺にもできそうだなぁ? エリン、お前の部屋の間取り見せてくれよ。」
「五月蠅いですねジェイ、もぎますよ。」
「ヒッ……。」
「何でおめーが反応するんだよ……。」
一見何の変哲もない……否、一つの軍に所属する兵士としてはあまりにも口の軽い会話。人目をはばかる様子もなく、人気のない路地裏を三人一組で歩く彼らの手には、それぞれ一枚ずつの金貨がひっそりと握られていた。そんな彼らを、黒い影が屋根の上からじっと見つめている。
やがて彼らの会話が、本当に何でもない雑談に代わったころ。屋根の上の黒い影は、どこか合点が行ったかのような表情で踵を返し、悠々とどこかへと消えていった。