5.
胸糞描写あります。
2021/10/22 内容の差し替えを行いました。詳しくは活動報告にて
2024/4/14 内容が割と変わりました。またかよ。
2024/5/12 数字を漢数字に変更、三点リーダの書き方を変更
襲撃から数日がたったその日は、朝からひどい雨が降っていた。セイヴァと呼ばれる大陸の一角、雨に濡れる森の中、強風に悲鳴を上げる木々の間を、鎧をまとった一人の少女と軽装の人々がゆっくりと移動している。雨粒を滴らせ、剣の柄に手を置いて先を進む少女、ユーリの後ろで、彼女について来た人々、セイヴァの民が、寒さに震える体に濡れそぼった布を巻き付け、背を丸めて体を縮めて、しかし彼らを引率する少女に遅れないよう必死に足を動かしている。
「……もうすぐです。」
藪から棒にユーリがつぶやく。焦燥しぼさぼさの髪の、ユーリよりいくつか年下の少女が、自身のほうを振り向きもしないユーリに遠慮がちに聞き返す。
「兵士さん?」
「もうすぐ、この森を抜けられます。橋を渡って少し走れば、もうすぐにベルシェッド……私の友人が、待っています。」
それは、ほとんどうわごとに近かった。ユーリの瞳に、もはや光はない。
当初、ユーリはセイヴァ東部の集落という集落をめぐり、人々を全員逃がすつもりでいた。
イオニアとセイヴァをつなぐ道はちょうどセイヴァの北部頂点に存在しており、ベルシェッドはそこからセイヴァを斜めに突っ切った先の南。それゆえに、当初の予定であれば、セイヴァ東部の東の果てに崖を背負った森の中など通る必要はなく、また人々の旅立ちの準備にもある程度の時間が使えるはずであった。
しかし現実はどうか。人々の説得に時間がかかったこと、イオニアが攻勢に出るのが想像以上に早かったことにより、大した準備もできぬまま、森の中に追い込まれて。急だったために物資が不足する中、彼女は慣れているからと、ここ数日雨水しか口にしていない。
また、彼女が助けたかった大勢の人々の存在も、彼女を苦しめていた。彼らはきっとあの老人のように、憎きイオニアの侵攻に楽観とともに奮い立ち、そしてもはや退けない状況に至って初めて、敵との戦力差に絶望するのだ。彼女が初日に訪れた一つ目の集落の人々だけは警告を受け入れたが……彼女には時間がなく、彼らの出立を見届けることができなかった。最後に訪れた集落で落ち合うことを約束していたが、この状況ではその約束も守れない。
それに加え、この移動でも。閉塞的な森に心を病み、やけを起こして逃げた女は。木の根に足を取られ転倒し、頭をぶつけてあっさり死んだ。足が悪かった男は過酷な移動に耐えられず、自分を置いて先に行ってほしい、と彼女に懇願した。生まれたばかりだった女の子は、両親が起きたころには冷たくなっていた。
もともと戦いに耐えられない体であるがゆえに逃亡を選択した者たちだ。そんな彼らに、雨が滴る森の中を何日も移動するなど、初めから無理な話であったのだ。
そうして犠牲が出るたびに、大切な人を失った者たちが、何人もユーリに襲い掛かってきた。彼らは怒りのままにほえたて、同胞たちに取り押さえられてもなお、濁った瞳でユーリをねめつけ、恨み言を吐き続ける。
そして、少女はそれをすべて受け止めようとした。歯を食いしばり、涙を流して。絞り出された謝罪の言葉が、当人に届くことはないにもかかわらず。
……セイヴァの民も阿呆ではない。移動を始めて数日の間は、あくまで笑顔で自分たちを元気づけてくれた少女が。死人が出てからはだんだんと、その笑顔から輝きが失せてゆき。ここ最近は暗い野営地の端でぶつぶつと独り言を漏らすばかりになっていれば、彼女がもはや限界なのだと、嫌でも気づかされる。
「……兵士さん。」
それでも彼女は、足を止めなかった。口数は少なくなって、ふさぎ込むことも多くなって、それでも声をかけられれば、無理やりにつくった笑顔で自分たちを元気づけようとしてくれる。何度も何度も、もう少しだ、もう少しだ、と。
……そんな姿を見せられては、セイヴァの民も、彼女のことを認めざるを得なかった。
「……兵士さん。」
たまたま見つけた木の実を大事そうに抱え、ユーリに声をかけるセイヴァの少女。しかし彼女の声がユーリに届くより先に、彼女が振るった剣が草木を払いのけ、やかましい音を立てる。
「……はは。」
それと同時に、昼なお暗い森が少しだけ明るくなる。雨雲に包まれた空が、彼らの進行方向に姿を現した。
「はは……ハヒュッ、ハハハハハハハゲホッゲホアハハハハハハッ!! やりました、やりましたよ皆さん! 森を抜けました! ヒヒャハハハハハハッ!!!!」
狂ったように笑う少女は守るべきものたちに向きなおり、ここ数日鳴りを潜めていた満面の笑みを彼らに見せる。彼らの心配も、安堵も……戦慄も、彼女には届かない。
「ほら、あの橋! あの橋を渡ればすぐにベルシェッドです! これでもう終わり! 私はやり遂げたのです! アハッハハハハハハハッ!!!」
ユーリはまるで子供のように、セイヴァの民を顧みることなく、笑いながら一人走ってゆく。おいていかれてはたまらないと、その後ろを生き残った人々が追いかける。
ここ数日の消耗が嘘のようにはしゃぐ彼女は、ゆえに近づくまで気が付かなかった。彼女が目標とする橋、その欄干に背を預ける男の存在に。
そして、気が付いたころにはもう手遅れだった。
「……?」
走る彼らの眼前で地面が突然光を放つ。それは葉脈のような模様を描きながら円状に広がってゆき、困惑する彼らの背後まで周りこむ。
「結界魔術……いったい、誰が……?」
結界魔術。簡単にいえば、特定の空間を周囲から隔離し、外からも内からも通り抜けできなくする術。隔離の範囲は部屋、家、集落、国、あるいは。
「兵士さん! 壁が、壁が後ろに……!」
術を発動する魔法陣の、上。
疲れ果てた少女は、悪意に満ちた罠の前でも、呆けたまま。退路を断たれてなお、自分がおかれた状況を理解できていない。
「兵士さん! 兵士さんしっかり!」
追い付いてきたセイヴァの少女に肩をゆすられ、ようやく理解が追い付いたか。よろよろと剣に手を当て、警戒態勢をとる少女の前に、一人の男が姿を現した。黒を身にまとった男の正体に思い至るや否や、夢うつつに溺れかかっていた少女がようやく意識を取り戻す。
「傭兵、ゼロ……!?」
「……存外早い到着だな。」
増水し、流れが速まった川に頼りなくかかった木製の橋を背後に、なおも強まる豪雨の中、背筋を伸ばし、帽子から水滴を滴らせるゼロが、無感情にそう言った。
「ど、どうしてここに……なぜ貴方が!?」
「……単なる効率の問題だ。貴様に教える義理はない。」
セイヴァの北側には山脈を隔ててイオニア帝国、南側にはリース・ヴィアラ王国がある、ということは先に述べたとおりだ。それ以外で言うと、セイヴァ西部、親帝国派の集落は山脈と隣接し、そしてセイヴァ東部、反帝国派の集落は崖を境としてガザレイド小国連合という、小さな国の集合体と隣接しており、さらにガザレイドの北部にドリア王国の領土が少し挟まっている。
ここで反帝国派の周辺勢力との関係を考える。北部のイオニア帝国は敵対、ドリア王国はイオニアの同盟国、親帝国派と反帝国派は仲が悪い、ガザレイドとは可もなく不可もないが、崖を超えた移動は現実的ではない。
つまり、この状況において、セイヴァの民が故郷を捨て逃亡するということを考えると、必然的に選択肢がリース・ヴィアラしかなくなってしまうのである。
そして、反帝国派の集落からリース・ヴィアラを目指そうとすると、どうしても南の橋を渡る必要がある。セイヴァを斜めに分断する川には、南の橋ともう一つ、はるか北、上流にかけられた北の橋以外に、橋が架かっていないのである。
確かに、セイヴァの民の殲滅を依頼されたゼロは、セイヴァの民やユーリの動向について大した情報を得られていなかった。しかし、それだけの前提知識があれば。『セイヴァの民を率いて逃げたユーリは、南の橋からリース・ヴィアラへの逃亡を考えるだろう』ということは、ゼロでなくても簡単に推測できる。
「……本来ならば介入するつもりはなかったのだがな。依頼となれば話は別だ。」
依頼。その意味に気づけないほど、ユーリは蒙昧ではない。警戒を解かぬまま、震えた声で言い放つ。
「……死なせはしません。」
全てが終わったと、そう思った瞬間に訪れた最大の難敵。本人からしてみれば理不尽と叫びたくなるような状況であろうが、それでもユーリは、己の信念を曲げようとしなかった。
「貴様の意志に興味などない。契約は守られねばならぬ。」
「私だって、約束したのです……!」
剣の柄に手を当てて動かないゼロ、彼をぐっと睨みつけるユーリ。怯えて縮こまるセイヴァの民。
全身に刃を突きつけられているかのような禍々しい緊張感と共に、にらみ合いが続く。ゼロの僅かな身じろぎを観察し、それに合わせるように少しずつ体の角度を変えるユーリが、何の前触れもなく体を光らせ、消えた。
「ギッ!?」
甲高い金属音とユーリのうめき声とともに、消えていたはずのユーリが地面にたたきつけられる。鎧の突起に地面がめくられ、硬質な音とともに少女が地に伏せる。絶望したセイヴァの民が、悲鳴を上げて逃げ惑う。
何日にもわたって、まともに食事もせず、気を張り続け、己の無力に打ちひしがれて。精神的にも肉体的にも弱り果てた今の少女に、大陸最強の傭兵に一時でも抗う力など、もはやどこにも残っていなかったのだ。
「……貴様の討伐は私の任務ではない……黙ってそこで寝ていてもらおう。」
ユーリの横を通り、逃げ惑うセイヴァの民たちめがけて歩き出すゼロ。彼には、少女を殺すつもりはないようである。ゼロは契約に固執する。このまま倒れていれば、彼がいたずらにユーリを傷つけることはないだろう。
しかし。それでも。少女には倒れられない理由がある。
「……。」
背後から放たれた一撃は、心底つまらなさそうに、あろうことか素手で払いのけられてしまう。ただそれだけで、よろよろと後退を余儀なくされるユーリ。まともにバランスをとることもできずに、膝をついて荒い息を吐く。鈍く光る得物が地面に突き刺さった。
振り返ったゼロが面倒そうに口を開く。
「……貴様のそれは時間稼ぎにしかならんぞ。所詮は、遅いか早いかでしかない。」
ゼロが周囲の結界にちらりと目を向ける。彼が仕掛けたそれは未だ淡い光を放ち続け、半狂乱になったセイヴァの民にいくらたたかれてもびくともしない。
息を整えることもせずに、少女が応じる。全身泥にまみれながらも、足を震わせ、剣を引き抜き、傭兵ゼロに対峙する。
「させ、ません……ぜっ、たいに。」
「最早趨勢は決している。貴様の博愛は不発に終わり、セイヴァの蹂躙を止めるすべは、少なくとも貴様にはない。」
集落に残された人々はイオニアに、橋にやってきたセイヴァの民はゼロに。ユーリの願いは恐らく叶わない。
「なれば、もはや貴様が傷つく理由などあるまい。」
一方的に傷つけておきながら。狼藉者の分際で。それでも、ゼロが吐いた言葉はまごうことなき正論だった。
もう、彼女が何をしても変わらない。
「……そうかも、しれませんね……ですが……でもっ!」
それでも、彼女はゼロから視線をそらさない。その身に残ったわずかな魔力が集約され、彼女の体が弱弱しい光を放つ。
「私は、貴方と、違う!」
この程度ではゼロの敵にはなれない。ゼロは構えることすらせず、納刀した柄に手をかけ、黙って少女の言葉を聞いていた。
「私が、剣を握るのは、罪のない人々を守るためですッ! この剣は、力なき民に代わって振るわれる、守るための剣であるはずなのです! だから、私は……国も、兵も、貴方のことも! 私は、絶対に認めない!!」
「認めて、なるものですかッ!!!」
咆哮とともに少女が駆けだす。先の一瞬と比べ、明らかに遅くなっていたが、それでも目で追うには困難な速度で。泥まみれの鎧が宙を駆ける。
「……そうか。」
そんな乾坤一擲の一撃に対し、ゼロは小さく横に飛び、彼女を強かに蹴りつけるだけで応じた。ただそれだけで、小柄な体がバラバラになった鎧とともに宙を舞う。魔力が霧散するその中心で、少女の左腕は不自然な方向に曲がっていた。
「……覚えておこう。」
彼の眼前で、少女の小さな体は二、三度地面を跳ね、なおも勢いは止まらず川に落下してしまう。かろうじて浮いた彼女の体は流れに抵抗する様子を見せず、ほどなくして見えなくなった。
「……思いの外、時間を取られたか。」
流れてゆく少女を観察するゼロに、かろうじて持っていた短刀を得物に、セイヴァの少女……ユーリを心配していたあの少女が鬼の形相で切りかかる。
そんな彼女を一瞥もせずに切り捨て、ゼロは足早に駆けだした。
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その後、イオニア帝国軍は当初の戦略通り、セイヴァ東部の併合を成功させた。
反帝国派の勢力が文字通り壊滅したことで、セイヴァ内での小競り合いも激減した。いたずらに集落が燃やされることもなくなり、生き残った人々の帝国に対する好感情はますます大きくなってゆくのだろう。
その突然の変化に、どのような犠牲が払われたのか、知る人間は決して多くはない。
……あの橋の近くの森には、今でも、おおよそ二集落分の、かつて人間だったものが積み上げられているという。
瞬撃の魔剣士ー純白の願い篇ー
完