8 後宮2
―――お渡りになられました。
した、ってことは過去形?
「えっと、もう来てるってことですか?」
「そうです!」
立ち上がった茅乃の肩を摑まんばかりにロザンナが距離を詰めてきた。しかも前のめり気味にしゃべる彼女によって追加情報が足される。
「しかも、特例としてセイラ姫が同行されています!」
「・・・・・誰?」
「なにを言っているのですか! 王室で唯一の姫、セイラ様に決まっているじゃないですか!」
ロザンナのテンションが下がらない。常にない興奮気味な彼女の態度に茅乃はやや引く。早くいつもの事務的なロザンナに戻ってくれないだろうか。
「ええっと、そのお姫様は、いったいどういう用事で来てるんですか?」
「存じません!」
「ええ・・・・・」
「ですが、セイラ様は女性の中では王妃様に次ぐ高位の方。しかも聖女として教会に属している、国教の中で最高位に立つお方です」
「はあ・・・・」
「神子様にはぜひとも、セイラ様に覚えめでたくなっていただきたいのです!」
「それは、なんのために・・・・?」
「先ほど申し上げました! セイラ様の地位は王宮でも教会の中でも高貴な方なのですよ!」
先ほどからロザンナは王族の人間のことと地位に関してしか言っていない。おまけに普段の彼女からは想像もつかないまくしたてる口調、その眼はキラキラを通り越していっそギラついている。ロザンナの剥き出しの執着心を目の当たりにして、茅乃はどこか呆れた気持ちで納得してしまう。
はあ、そういう・・・・・。
とはいってもロザンナの言うとおりにする理由もない。
やれやれ、と歩き出しながら心の中で愚痴めいたことを吐く。
というか、そんな周知の事実ですって思ってるようなことは、もうちょっと早めに教えてよね。
ひと月近く経っているのだ。この国のことや仕組みを教えようと思えばいくらでも時間はあったはずだ、と茅乃は心のどこかで憤慨する。
「それでは、応接室にお茶の用意をお願いできますか」
「もう用意は整っております!」
「・・・・・」
そうですか、と茅乃はもはや無言で応接室へと向かう。
応接室には、普段より畏まっている様子のメイドたちと、三人の人物がいた。
ひとりは部屋の入り口に立っている。
かっちりとした軍服を思わせるラインの服を身に着け、腰には剣帯を巻き当然のようにそこには剣を提げている。相変わらず物騒な国だな、と思いながら見上げた貌はしかし、どこか柔らかさを含んだ女性のものであった。
女性の騎士のようだ。
茅乃と目が合うと、静かに目礼を寄越してくる。鋭さのない茶色の目はどこか温和そうな垂れ目がちで、動いた拍子に下ろしたままの焦げ茶色の髪がさらりと肩口から流れる。
お姫様の護衛かな・・・・。
予想しながら会釈する。すると微笑みを浮かべていたその騎士はどこか驚いたように目を丸くした。
なんなの、その反応。
心の中で首を傾げながらも、茅乃はスタスタと部屋に入る。
部屋の中のソファには、神域で殿下と呼ばれていたあの子供と、その子供よりいくつか年上そうな少女が座っていた。ロザンナが言うところの高貴な方、というのがこの少女だろうか。殿下と同じ輝くような金髪と、透けるような白い肌。けぶるような長い睫毛の下にある瞳は南洋を思わせる碧色をしている。すっきりと通った鼻筋と艶めくようなピンク色の唇の持ち主だ。その肩は薄く華奢で、誰が見ても可憐だと思うくらいに絶世の美少女だった。
その少女は茅乃の姿を見るとソファから立ち上がる。そして薄桃色の飾り気のないワンピースのスカート部分をつまんで、こう言った。
「初めまして、神子殿。わたくしはこの国の聖女を務めておりますセイラと申します」
そして直角に近いほどに上体を倒す。その、ゆったりとした丁寧な物腰に茅乃の足が思わず止まった。
この姫から見れば、茅乃は突然現れたどこの者とも知れない存在だろう。神子であるとされていてもどこか疑わしい、もしくはそもそもそれがどうした、という認識の方が多数で、だから今までのような扱いになるのだろうと考えていた。
だがこの少女が放ったのは、圧倒的な気配だった。
―――これは、この国の礼儀ある挨拶だ。
威圧感という強いものではない。力圧しに周りを威圧する、というよりは自然と頭を下げてしまうような気配。この国の文化を知らない、と茅乃は常々思っていたが、知らなくても通じるもの、伝わるものがあるのだと目の覚めるような思いだった。
日本式の正式な挨拶さえ知らなかった茅乃は、できるだけ失礼に当たらないように背筋を伸ばした。
「こちらこそ、初めまして。ここでは神子と呼ばれています、茅乃と申します」
スカートをつまむ文化は知らないので、手を軽く重ねて深いお辞儀を返す。しっかりと頭を下げた後に上体を起こすと、セイラ姫の碧の目が茅乃の目を捉えていた。
「まさかこの御代で、神子殿にお会いできるとは思っていませんでした。ようこそ我が国レオトールへ。心から歓迎いたしますわ」
穏やかな微笑みでもってそう言われる。セイラ姫が茅乃の目を見てくるのと同じように、茅乃もまたセイラ姫の目を見返した。
碧の目は冷静な知性を宿しているように見えた。さらにそこに、茅乃では図ることのできないなにかを内包している。
読み取れないな。
そう思った茅乃は揺さぶることにした。
「そうですか。歓迎のお言葉、痛み入ります。ですが、その割には一月近く経ってからのご挨拶なのですね」
瞬間、ピリッと走った緊張感は部屋の入り口から、動揺したような気配は部屋内のロザンナとメイドたち、そしてソファの上からは傲慢な言葉が返ってきた。
「なんだその態度は。我が国の王族のあいさつに不満があるというのか」
ソファに座ったままの、王子からである。
こちらは無視することにして、セイラ姫を注視した。穏やかな笑みのまま、けれどもどこか困ったように眉尻を下げている。
「まあ。神子殿には失礼をしてしまったでしょうか。神子殿は体調がよろしくないと、この不肖の弟から聞きまして、訪問はしばらく控えさせていただきましたの」
「・・・・・・」
相変わらず読み取れない表情をしている。だがこの王子のように横柄な態度になることはない。同じ姉弟であるといって同じに考えるのはそれこそ失礼になるだろう。
茅乃も薄く微笑んで答えた。
「神子は体調が良くないのですか。わたしはすこぶる健康ですが、この国には神子がふたりいるのですか?」
「まあ・・・・!」
痛烈な皮肉に、今度こそセイラ姫の微笑みが剥がれた。目を見開いて口元に手を当て、どういうことかと弟である王子を振り替える。当の王子は舌打ちしそうな苦り切った表情になり、茅乃を睨んでくる。
「余計な口は慎め。王族の言葉にははいかいいえで答えろ」
「・・・・・」
茅乃は無言で王子を見返していると、その王子をセイラ姫がたしなめる。
「セドリック、あなたこそ口を慎みなさい。神子殿はわたくしたち王族と同等の位を持つのですよ」
「・・・・ふん」
いかにも子供らしい返事を返して王子はソファに肘をつく。都合が悪くなると子供ってこんな感じだよね、と思いつつ茅乃はセイラ姫の言葉に内心驚いていた。
―――同等? 初耳なんだけど。
この姫からもたらされる言葉は驚きの連続だ。おそらく姫が聞いている事情と実情とがだいぶ食い違っているのだろう。
たぶん、と茅乃は予想をつける。
この姫は度々ロザンナがもたらした王宮の答え、というのには関わっていないような気がした。
この姫とは、話が通じるかもしれない。
一種の賭けのような気持ちだった。
茅乃はセイラ姫の目を見据えてこう言ってみた。
「これは、失礼いたしました。なにぶんこの国に来てから教わることがなにもなく、この国の礼儀も常識も知らないままなのです。誰か教師でもいればこのような事態にはならなかったかもしれませんが」
今度こそセイラ姫は驚愕の表情を浮かべた。教会に属している身であるからか、同等に、という言葉を疎かにしていない姫からすると、神子が放置状態で置かれていたとは考えもしなかったようだ。
「なんということ! そんなことになっているとは思いもしませんでしたわ。すぐにふさわしい者を探して、こちらの離宮に寄越します」
「ご配慮くださって、ありがとうございます」
「ほかになにか、不足しているものはありませんか?」
いろいろあるけど、と思いはしたものの、これ以上の要求は控えることにした。今までの待遇からみれば、ひとつの要求が通っただけでもありがたいというものだ。本が欲しかったり街の様子を見てみたかったりと要望は尽きないけれど、もうすこし様子を見てからにしようと考える。
「いいえ、今はほかになにも。おそらく覚えることがたくさんあるでしょうから、どなたか教師をつけてもらえるだけでもありがたいです」
「まあ、そう言っていただけて感謝いたしますわ。国として不手際があったこと、お詫びいたします。さっそく神殿に戻って審議を諮りたいと思います。今日はこれで失礼いたしますわ」
「よろしくお願いします」
そう言って茅乃が頭を下げると、セイラ姫は王子を伴って離宮を後にした。
そういえば・・・・・。
あの王子、セドリックって呼ばれてたな。
初めてあの子供の名前を知ったわけだが、茅乃はじぶんも部屋に戻りながら首を傾げた。
結局、あの王子は何の用事があったんだろ?




