54 休日 2
「おはようございます、今日もお邪魔します」
と茅乃が声をかけて入っていったのは厨房の裏口、ではなく、昨日案内された正面入り口のほうである。
朝食が終わったとはいえ、片付けが残っている。次の準備もある。相変わらずひとの出入りが多い厨房の扉は大きく解放された状態だ。
「この扉、必要あるんですか?」
思わず扉を見ながら茅乃がそうつぶやくと、背後で立っているラムジが答えた。
「夜間は獣対策で閉めますよ」
「獣・・・・」
「小さい害獣がおりますからな」
「・・・・・」
見かけたことはないが、もしかしてネズミとかいるのだろうか、と茅乃は思う。そんなやりとりをしているうちに、厨房の奥から茅乃の声を聞きつけたマリクがやって来た。
「神子様、視察があるときは前もって・・・・」
言ってくれませんか、という苦言は音にならなかった。声が消えるよりも先に、神子の横に立つ銀色の持ち主に気が付いたからだ。
「陛下!?」
えっ、と驚愕したざわめきが作業中だった料理人たちから起きた後、厨房の中には茅乃が視察で来たときとおなじような静寂が落ちた。
あのときマリクは、神子の視察だからみんなが緊張しているのだと言っていた。つまり今回もみんなキアヒムを見て緊張しているんだな、くらいに茅乃は考えたが、実際のところは要因がちがう。
国王が来るような場所ではないのだ。
マリクをはじめ、厨房内で働いているほかの人員は、決してここが下賤の場だとは思っていない。まがりなりにも一国の中央に位置する王城内での業務だ。王城内で働くものに食事を作り、王へも膳を供している。王城の料理人だけに限らず、食という面で生活を支えている、という自負はどの料理人にもあれど、現実をいえばここは裏の部分でしかないのだ。
仕上げた料理を配し、たまにある行事のときにはそれはそれは華やかな食事を用意することもあるけれど、それは出来上がった状態の物体が表に出ているだけのことであって、それまでの行程は決して表に出ることはない。生肉を切り、野菜のカスを始末し、作業工程に至っては怒号が飛び交うような場所なのだ。本来部外者に見せる場所ではないのである。
「本日は、どのようなご用向きでしょうか」
予定にない、聞いてもいなかった人物の視察とあって、厨房内のだれもが動きを止めている。普段は遠目にしか見ることのない王を見て緊張している、という点はあるが、平たくいえば王と相対したときの正しい態度をだれもが知りえなかった、という理由もある。
固まり、成り行きを見ているしかできない料理人たちに代わって相対するのは、責任者であるマリクの役目だ。ましてや、昼食の用意にとりかかっているこのときに、手を止めている暇などないのである。
業務に支障が出る、と判断したマリクは用向きを伺うことにした。
マリクの地位は国王と直接言葉を交わすには充分だが、ふだんからそのようなやりとりを行うことがないマリクは慎重に口を開いた。国王個人に向けて、ではなく視察に来ただれかが言葉を受け、返すだろうと踏んだ発言である。
しかし、答えを寄越したのは真面目な表情をしたキアヒムだった。
「忙しいときだとはわかっているが、すこし時間をくれるか」
「・・・・是非もございません」
宰相ではなく、ましてや神子からの返答でもなかったことにマリクは一瞬息をのんだが、どのみち選択肢などないに等しい。
「神子が加護を施してくれるそうだ」
「は・・・・」
またこの小娘か、くらいに思いながらマリクは神子を見た。
「あの、お仕事中にすみません。十秒で終わらせますので」
マリクからは相変わらず鋭い眼つきで見下ろされたが、きっとあれは視力が悪いからなんだと思っている茅乃はへこたれない。だが、キアヒムが言ったようにいまの厨房は忙しいときなので長居するべきではないと考える。
「ここの、流し台なんですけど」
厨房の中を移動しながらマリクに確認を取る。
「水が出てくる装置を造りたいんですけど、やってもいいですか?」
「は・・・・?」
「やっぱりそういう反応になるんですね・・・・」
流し台の前に立ち、そこに置かれている瓶を茅乃は覗き込む。中身は半分より少なくなっている。そろそろ汲みに行くタイミングだったのではないだろうか。ちょうどいい。
流し台をよく観察してみると、台の底面は緩やかな傾斜が掛かっていて片方へと流れる仕組みになっている。その片方には排水口が取り付けられていて、茅乃は首を傾げた。
「ここの水はどこに流れていくんですか?」
「王城の外れに川がございましてな」
とラムジが教えてくれる。
そうなんですね、と答えつつ、見に行く場所の候補が増えたことを記憶しておく。
「試しに、やらせてくだい。・・・・この瓶を移動させたいんですが、これは重いものですか?」
思わず振り返ってカシュアを見ながらそう訊くと、カシュアはニコリと笑った。
「これは私の出番ですねえ」
と言いながら瓶を流し台から出し、慎重に床に置いている。茅乃もいっしょに手伝いたいところだが、触れれば持ち上げる以前に瓶を破壊してしまう。
ありがとうございます、とカシュアに礼を言いながら背中側に差してある釣竿に手を伸ばす。
指先で針をつまみ、すこしだけ糸を解いていく。
瓶が置かれてあった、流し台の中で傾斜がいちばん高かった位置に針を落とす。スッと消えた針を見つめ、次いで天井を振り仰いだ。
なんということはない石組の、王城の中でよく見かける天井である。けれども茅乃の視線がたどったのは石組の上ではない。
・・・・水は神域から流れている・・・・。
柱状の崖の上に乗った東屋のような建物。あそこから溢れた水は水路を流れて各国の起源となり、宗教の基礎をつくったという。茅乃にとってみればただの水でしょ、と思うものの、それがこの世界で礎となったのは奇跡に満ちていたからだ。
いわく、どんな傷も病気も治るという。
さすがにそんな水を料理用に引こうとは思わない。霊験あらたかな料理を出してほしいわけではないのだ。茅乃が思うのは、ふつうの飲料用の水である。
神域からの水路を流れる奇跡の水とは別の、支流を引くような感じでふつうの水を引きたい。
そう考えた瞬間、手首に負荷がかかる。
「うん!?」
かなりの手応えがきた。
簡単に引き上げることができず、茅乃はその場に踏ん張って釣竿を上げる。竿先は曲がり、折れそうなほどだが以前もっと重たいものが掛かったときだって折れなかった丈夫な釣竿なのだ。
あとは、引き上げるだけ・・・・!
足が引きずられていないだけまだマシだ。竿尻を腹に当て、両手でしっかりと握り直して引く力と拮抗して震える腕にさらに力を込めると、なにかから抜けるように竿先が上がった。
「わっ!」
流し台に光の粒子が走るのを視界の端で捉える。と同時に力が抜けたことで後ろに転びそうになったのをなんとか踏ん張り、体勢が整うと急いで流し台の前に駆け戻る。
砂の色をした石組の流し台の上には、金色がすこし黒ずんだような色をした水道栓が生えていた。
釣り針の形を下向きにしたようなパイプと、その先端の吐水口。蛇口は握って開け閉めするタイプではなく、レバーの形状をしている。使い勝手が良さそうだ。茅乃は試しにそのレバーを下ろしてみた。
ザーッ、と勢いよく水が吐き出されるのを確認し、さらに重要な確認として両手でその水を受け、口に運ぶ。
「カヤノ」
横に立つキアヒムから声をかけられ、水を試飲した茅乃は口角を震わせながら見上げた。
「キアヒム君、これは、水路の水とおなじです!」
美味しい! と告げるとキアヒムもおなじように水を掬って飲む。
「陛下」
窘めるような声音がラムジから聞こえたが、茅乃はその意図がわからなかった。なにかマズかったかな、と考えているところにキアヒムが頷く。
「まさしく水路の水の味がするな。これは神域の水とおなじなのか?」
「出所はおなじです」
安全な水、といえば神域の水しか思い浮かばなかった。
アズイルには天然の水場がある、と聞いたことはあるが、茅乃はそれを見たことがないので、どこからどうやって引けばいいのかわからない。そしてなにより料理に使っても差し支えない安全な水であるかどうかは確証がないのだ。
であれば確証のあるところから引くのが最善だ。露天にありながら濁らず、痺れるような冷たい温度を保ったまま国の中心部へ流れ着く水路の水、つまり神域の水はどう考えてもこの世界に齎された恩恵でしかない。
その水をすこしばかり拝借、というのが今回茅乃が発案した水道栓設置事業である。
「マリクさん」
糸を釣竿に巻き付けレバーを戻しながら、流し台の端に立っているマリクを茅乃は振り返る。
「水道を引いてみました。この、水が出ているのが水道栓です。この薄い金属板がレバーと言って水を出したり止めたりする部分です。あと、お料理にはふつうの水が必要だと思ったので、水路の水みたいに傷や病気に効くといった効能は無しにしてます」
アズイルの人間にとっては初めて見るのだろう設備を茅乃は説明したのだが、マリクにとってはそれどころではなかった。
・・・・・効能は無しにしてます?
あっさりとそんなことを言われたほうはたまったものではない。
水路の水、ひいては神域に関しては、人間にとって文字通り不可侵の領域なのだ。突然現れ厨房内に入り込んできたこの小娘は知らないかもしれないが、数十年アズイルの民として生活しているマリクは嫌というほど知っている。
恵みを受けようと、王都だけではなくほかの街にも水路を伸ばそうと計画されたことが過去にはあったという。けれども水路の石組は人間が作った工具を受け付けなかった。壊すことはおろか欠けることさえなかった水路と、果てにはとうとう水が枯れた状況を見て、当時の計画は中止されたという。そして中止されたと同時にふたたび水が流れた現象をふまえて、どうしても受け入れざるを得なかった。俯瞰している存在が在る、ということを。大昔の出来事らしいが、アズイルの民にとっては語り草として継がれている。
その領域から水を引いただけではなく、効能についても手出しをした、と?
マリクは茅乃のことを神子だと認識はしている。だが同時に思っていた。十代のただの小娘である、と。自らが任されている職場に入り込んできたのをはじめ、役職付きの人間を引き連れて来たかと思えば視察だなんだと余計な仕事を増やしてきた。未知の料理を知れたことには感謝しているが、はっきり言ってしまえばもうここには無駄に来ないでほしいと考えていた。
ただの子供だ、と思っていたのだ。その小娘が、見たことのない設備を造り出した。
水を汲み利用することがこれまでの当然、通常作業だったので利便性が上がるという想像はしたことがなかった。ただ、職務の作業上、どうしても時間に追われる。時間が惜しいときはいくらでもある。それが改善されるかもしれない設備が造られたのだ。実際にこの水道というものを利用してみないことにはどれほどの時間節約になるのかわからないが、汲みに行く往復の時間は確実に減り、そのぶん作業に取り組むことができる。
ただの小娘としか思えなかった存在。それが、王が言ったように加護を施した。
マリクは、目の前の子供がほんとうに神子であると理解した。じぶんの代で作業の効率がはるかに上がったという点は、マリクにはどうしたって変えることのできなかった御業である、と認めざるを得なかったのだ。
膝を折り、片手は胸の前へ。頭を垂れるその姿勢は領域の異なる存在へ謝意を示す行動だ。
「加護を賜り、感謝いたします、神子様」
かつての夜に見かけだけの行動で示したものではなく、マリクは茅乃を神子と呼んだ。
「ちょ、ちょっとマリクさん!」
頭上で焦ったような声がしたかと思うと、神子は目の前の床の上で両膝を折るという珍しい座り方をして見せた。
「まだ説明の途中なんですよ! この水道にはほかの機能も付けられますけど、どうしますか!?」
またこの姿勢なの、と茅乃は慌てた。
やるなら簡略的な形でいいと思うのだ。日本の学生であった茅乃には目上の人物に頭を下げられるなどほんとうに慣れない。
目線を合わせるために正座をして言うと、マリクは不思議そうに茅乃を見てきた。
「ほかの機能、と申しますと?」
「水だけじゃなく、お湯も出せたほうが便利ですか?」
部屋の風呂を造ったときの応用である。
「湯、ですか」
それはさらに効率が上がるだろう、とマリクは考えたが、燃料や窯を用いて煮炊きをしてきた経験上、勘が鈍るのは遠慮したかった。慣れればいいだろう、とは思うが慣れるまでに失敗した料理を出すわけにはいかない。
「いえ、水の設備だけでけっこうです」
マリクからはそう答えがあった。
アズイルは日中暑いから、お湯を使うのはいやなのかもしれない、と茅乃はマリクが考えていこととはまったくちがうことを想像して、頷くことにした。
「わかりました」
手も荒れるしね、と茅乃は立ち上がる。
「ということで、これが水道です。この流し台だけじゃなくて、厨房内のほかの場所にも必要だという箇所があったら造ります」
茅乃がそう言うと、マリクの先導のもと、ほかにもいくつかの場所に水道栓を設置した。
下処理を行う裏口にはハウラがいて、
「あんた、結局今日も来たの?」
と言われたが、
「これはお手伝いじゃないので!」
という会話を交わしながら作業を行う。
厨房内でマリクが必要だと思われる箇所の作業が終わると、茅乃はふとマリクを見た。
「そういえば、外に水場があるんですよね?」
ハウラが汲みに行っていたことから、厨房が使っていた水場があるはずだ、と訊くとマリクは頷いた。
「すこし離れたところに井戸があります。厨房で使う水はそこから汲んでおりました」
「井戸・・・・」
それは今後も使うのだろうか、と茅乃は考える。
「その井戸は、置いておきますか?」
使わない井戸であれば、放置しておくのは危険だろうかと考えたのだが、マリクはこんどは首を横に振った。
「厨房だけではなく、ほかの部署のものも使っております。それらのものは突然井戸が使えなくなれば不便だと感じるでしょう」
「そうですね・・・」
使うひとがいるというのなら廃す必要はない。厨房内に水を引いたとしても、井戸はこのまま活用されるのならそのままで、と茅乃は結論を出す。
結局は十秒どころではない時間をマリクにかけさせてしまったが、それについては苦言や文句を言われなかったので見逃してもらえたのかな、と茅乃は思うことにする。
お邪魔しました、と厨房を辞去し、回廊を歩きながら横を行くキアヒムを見上げる。
「ということで、水道というものがわかってもらえたかと思います」
正面から茅乃のほうへと目線を移したキアヒムが頷いた。
「理解した」
と答えたキアヒムにとっても、水路の水が不可侵の領域であることは民と同じ認識である。しかし目の前で設備を造られてしまっては現象を認めるしかない。
「あの設備は、茅乃が考えたものなのか?」
「いいえ。あれはわたしがいたところにあった設備なんです」
返答しながら茅乃は、日本のように各世帯に水道があるということはとてもすごいことなんだな、としみじみ思っていた。
地域によっては湧水など利用料がかからないといった理由で上水道を使っていない場合があるかもしれないが、下水道は利用しているだろう。日本という国土は広くはないとは思うものの、インフラを整備したということは偉業でしかない。
茅乃は当たり前のようにその設備を利用していたけれど、異なる世界に来てしまっては不便さを感じてしまう。
これで、すこしは便利になるだろうか。
じぶんの部屋だけで済ますことではなかった。
アズイルが、すこしでも便利になれば、と。
レンが言った、滞在費、という言葉を思い出す。
多少なりとも、支払いに値するだろうか。
真剣な表情をして考えている茅乃に、キアヒムもまた真剣な表情で口を開いた。
「カヤノ」
「はい?」
「厨房の、水道の件はすぐに広まることになる」
「はあ」
「その前に、行っておいたほうが良い場所がある」
「・・・・行っておいたほうが良い場所?」
「ああ。マーサのところだ」
「・・・・・・」
マーサさんのところ・・・・、と茅乃は考えて、すぐに気が付いた。
水を使う場所は厨房だけではない。料理だけではなく、生活に使う場合も水は必須なのだ。食事を用意してくれたマーサがいつも美味しい茶を淹れてくれていることを考える。茶だけではない。清潔な着替えやリネンを用意して持ってきてくれるのはマーサなのだ。
王城内のこまごまとしたことを管轄下に置いているマーサのことを考えて、茅乃は勢いよく頷いた。
「行きましょう!」
厨房は手始めだ。
役立てる場所があるのなら、と茅乃はキアヒムといっしょにマーサを探すことにした。
活動報告を書いております。よろしかったらお読みください。




