51 責任のありか
よくもこんな書類を差し向けてきたものだ、とラムジは思う。
書式自体は正確なのだから質が悪い。
国民を相手に作ったものであれば単に融資の審議を諮るための書類として通用するが、神子を相手取ったことによって扱いがかわってくる性質のものだ。先ほども述べたように、予備ではあるが公庫に触れる書類として扱われる可能性が出てくる。
最悪、この書類が通っていれば、それを取っかかりに神子のための予算に手出しできる、ということも起こりえた。
悪質である、と断じてラムジは部下に出所を突き止めるよう今後を託す。そして同時に、この書類に関する情報がどこまで出回っているのかを考えた。
陛下には、と視線を上げると、壁際に立つカシュアが表情のないまま目線だけで頷いた。それを確認してラムジも小さく頷く。
休養中にどのようなことがあったのかはシャノンから報告として聞いているが、これははじめて聞く案件だ。詳細はあとでカシュアから聞くとして、それとはまた別に、現状をまとめながら方針を打ち出さなければならない。
王であるキアヒムは少なくともこの書類の存在を知っている。その状態でラムジに特別な指示がなかったということは、この件は王主導で責任のありかを問うことはない、ということだ。
かといって免責されるわけではない。許されるような案件でもない。
最終的にすべての権限を持つのは王であるが、すべての問題に王が関わり裁量を取るわけではないのだ。国の根幹に関わることがあれば王とて表に出て行かなければならないが、そうでない場合、検知はしても関与はしない。
そして臣下とはそういった状況のために存在する。
神子を相手取った書類ゆえ、ともすればシャノン預かりになったかもしれない件だが、ゆくゆくはラムジのところまで上がって来ただろう。そして実際にそうなったということは、責任の所在を明らかにし事態を収拾するのは宰相であるラムジ、つまりはこの部署の預かりになった、ということである。
三部のだれかまではわからないが、筆跡という証拠を残している。どのみち時間の問題だ。
ばかめ、と内心で毒吐きつつ、もうひとつの方針を決定する。
目の前の、キョトンとした表情のままこちらを見ている神子にこう言った。
「カーヤ様、よくぞこの書類をシャノンにお見せくださいました」
つまり、この真相は神子には告げないでおく、と。
部下に正式な書類を取りに行かせる、と言った時点で、神子以外はラムジの心意を読み取っている。
ふと、王に言われたばかりの言葉を思い出す。
過保護だろうか。
ラムジは決して神子である茅乃を見て、この書類に込められた呼吸のようにさりげない悪意には耐えらえないだろうと考えたわけではない。
ラムジから見ればまだ年端のいかぬ子供のようにも思えるが、ほんの小さな子供というわけでもないのだ。すべからく悪意からは逸らしてやるべきだ、と思ったわけではない。けれども、隠しておけるならそれは些細なものなのだ。小さなことに躓いて悩むよりは、知らずにのびのびと滞在してもらいたいと考える。
そして褒める言葉をかけたのは、事実この書類が見過ごされていた場合、王が出る状況もあり得たからだ。
その言葉を向けられた茅乃本人は、当惑の末に困惑していた。
「書き方がわからなかったので、シャノンさんに教えてもらおうと思っただけですし」
それになにより、と茅乃はテーブルの上に置かれた書類を指す。
「月末までに提出ってありますけど、肝心の提出先が書かれてないんですよね・・・・」
書類を預かっていたマーサからは、申請に行った部署からのようだ、とは聞いたけれど、提出先もおなじ部署かどうかまでは確信が持てなかった。なので、先生であるシャノンに確認しなければ、と思ったのである。
下がった眉のまま茅乃が説明すると、厳しい眼つきで書類を見ていたはずのラムジが爆笑した。
横に座るシャノンを見れば深いため息をついている。部屋の端で仕事中の補佐官からは吹き出す音と、
「その書類、不備だらけっすね」
というなんとも明るい笑い声が聞こえた。それには賛同する。
「そうですね。不備があったということで、提出期限は伸びますかね・・・・」
期限はもう目前なのである。正式な書類とやらがいつ手元に来るかもわからないので、余裕をもって書き込みたいと思う。
「あっちの不手際なんで、交渉してくるっす!」
「お願いします」
ペコリ、と補佐官のひとにお願いして、ふと茅乃は目の前のラムジとシャノンの両者がいることはとてもいい機会だと思った。
「あの、教えてほしいことがあるのですが」
と口にすると、シャノンは無言でラムジを見、そしてラムジは
「なんですかな?」
返事を発した。
ということはいまの主導権はラムジにあるのだ、ということを理解して茅乃はラムジを見る。
「先ほど神子の予算ということを言ってましたけど・・・・・」
「はい。カーヤ様には公庫がございますよ」
シャノンが教えてくれた内容によると、職人に発注した仕事に対する報酬は、神子の予算、つまりこの国にある神子用の公庫から支払われると聞いた。
「その公庫というものの残高は、おいくらですか?」
「・・・・残高をお知りになりたい、と?」
驚いたような表情をするラムジに、茅乃のほうこそ驚いた。
「お財布の中身を知らなければ、お買い物ができません」
そもそも鍵職人であるマフズに相談をし、その話は石細工の職人まで巻き込む形となった。
支払えるだろうか、と不安になったのである。
真剣に言う茅乃を見て、ラムジは考え直したようだった。
「なるほど、そうですな。・・・・・神子様の予算については毎年決まった額が算出されております」
ラムジの説明によると、神子用の予算はこの国の軍事費の十分の一程度であるという。なんにんいるのかわからないが、大きな部署である軍部と比べてたったひとりの神子に対しての比率がおかしいのではないか、と思ったのだが、説明はそれだけでは終わらなかった。
「神子様が不在の期間であっても、貴賓館の手入れには先立つものが必要です。ですので、その部分に充てさせていただいたことについてはお許しください」
「あ、はい・・・・」
「とはいえ、神子様の顕現の時期と、また場合によっては我が国を滞在先に選出されないこともございます」
「ええと、レンさんのときから三百年以上・・・・」
「予算は毎年積み立てられております。先代の、レン様、ですかな。彼のかたはあまり滞在中に予算を利用されることがなかったと記録が残っておりますから、現在の残高はこのような数字となっております」
最終的に提示された金額は、ただでさえ比率のおかしい金額を毎年毎年数百年積み立てることによって発生した、あり得ない桁の額となっていた。
・・・・・て、天文学的、な・・・・。
目が回りそう、と茅乃は逃げ腰になったものの、そうだった、支払いができるかの確認がしたかったんだ、と質問の目的を思い出す。
「このままの話でいくと、職人さんへの支払いは、どれくらいの金額になるんですか?」
「そうですな・・・・。まず、王城からの発注ということは、品質のしっかりしたものが仕上がる点は確約されております」
「はい」
「必要以上に高品質を求めるわけではありません。もちろん、その対価も必要以上に支払われるわけではありません。ですが、王城が抱えている職人は一流の職人であることも事実なのです。職人への報酬が、城下の露店とおなじような対価ではないということも忘れてはなりません」
「はい」
「ですので、このあたりが妥当かと」
と言って示された額は、支払える額だった。それも余裕で。
・・・・でもねえ。
内心で茅乃は途方に暮れてしまう。
妥当な、支払い。けれども一流の職人に発注するからには、少々お値段が張りますよ、と。
言っていることはわかる。わかるが、茅乃にとってはどれくらいが妥当で、どれくらいが少々なのかがわからないのである。
・・・・相場が、わからない・・・・!
頭を抱えたかったが、ここにはひとがいるのでできなかった。借りている部屋にひとりでいる状態だったらきっとやっていた。
新たな悩みの種、と思いつつ。ひとまずは支払いについての懸念事項はなさそうだと安心できた。
疑問が消え、茅乃はこの部屋に来たもうひとつの目的を思い出す。
「ところでラムジさん」
「なんですかな」
「ラムジさんや、補佐官のみなさんは、いま、お時間がありますか?」
「時間、ですか?」
「はい。多忙すぎてひといきつくこともできない! という状況でなければ、おやつ休憩を提案いたします!」
そう言って、持ってきていた缶をパカンと開ける。
どのみち忙しくても置いて行こうと思っていたのだ、開けることにはかわりない。
「これは・・・・」
そうつぶやいて缶の中身を覗き込むシャノンに、茅乃は断言する。
「お仕事の合間に甘いものを食べると、疲れが和らぎますよ」
「おっ、お菓子の類ですか」
黙々と仕事していた補佐官、中年くらいの、ひとの良さそうなおじさんが笑顔で立ち上がる。
「お茶を淹れましょうかね」
のほほんとした口調である。
傍らのラムジは、思い出したように顔を上げた。
「そういえばマーサ殿が言っておりましたな・・・・。これは、いただいてもよろしいのですか?」
「もちろんです!」
と言っている間に、ちょうど鐘が鳴った。終業を知らせる音である。
「ちょうど良いですな。お菓子をいただいて休憩といたしましょう」
「・・・・・」
いや、これは終業なのでは、と茅乃は思ったが、仕事の配分があるのだろうからと口に出すことはしなかった。
中年の補佐官が淹れてくれたお茶とともに、みんなでお茶にする。
カシュアもカップとひとつの焼き菓子を受け取り、壁際へ戻っていく。ザクリザクリと軽やかな食む音がする中で、ラムジもまたそういえばとつぶやいた。
「カーヤ様、厨房の視察の件ですが」
「はい」
「料理長に確認を取ったところ、ぜひにと食いついてきております。今日は時間も時間ですし、日にちの問題もありますから、二日後以降のご予定に合わせて調整できればと思っておりますが」
「・・・・・」
茅乃はポカンとラムジを見返した。
「二日後、というのはなにか意味がある数字なんですか?」
特段詰まった予定があるわけではない。それとも厨房の予定だろうか、でもマリクさんは食いついてるんだよね、と不思議に思ったのである。
焼き菓子を飲み込んだラムジは怪訝そうに茅乃を見返してきた。
「なにをおっしゃいます。明日と明後日は休日ですぞ」
「・・・・・休日!」
なるほど、と茅乃は納得した。
「週休二日制。明日と明後日は土日・・・・」
「・・・・しゅーきゅー?」
耳慣れなかったのだろう、茅乃の言葉を繰り返したラムジに、なんでもありません、と誤魔化しておく。
「いつも夜はお手伝いに行っているので、これから行っても問題はありませんよ?」
終業の鐘が鳴ったとはいえ、そもそも茅乃はいつも鐘が鳴ったあとの夜間に行っているのである。夜の厨房の片隅に行くことは、茅乃にとって業務にカウントされていない。
「ですが・・・・」
と渋る様子のラムジに、茅乃は言い募る。
「ハウラさんとの約束ですし」
どのみち行きます、と茅乃が言うと、ラムジは折れてくれたようだった。
「かしこまりました。公式な視察ということで、こちらもついていきますが、よろしいですかな?」
「はい。すみません」
ラムジの仕事を増やしてしまった、と茅乃は反省する。
こうして、茅乃はこれから厨房の責任者であるマリクにカレーを教えにいくことになった。
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