47 組合連合
キアヒムの耳元で揺れる青色の石を見ながら、ピアス・・・・と茅乃はつぶやく。
「なんだか重たそうに見えます。それは正装ですか?」
「いいや。言うなら面会用だな」
組合で会議がある、とキアヒムは言う。
「カヤノは鍵職人に用があるんだったか?」
「そうです、鍵職人のひとに扉を造ってもらうんです!」
「ふうん?」
まだキアヒムは貴賓館の中身を見ていないので、わかっていないような相槌を返してくる。その顔を見ていた茅乃は、確認しなければならないことがあったのを思い出した。
「そうだ、キアヒム君。今度厨房の視察に行ってみたいんです」
「厨房の視察?」
「はい。食材とかどういうものがあるのか興味があります」
それと、設備そのものも大変気になっている。
「厨房のひとたちが忙しくないときに見てみたいんですけど・・・・・」
茅乃がそうお伺いを立ててみると、キアヒムは軽く頷いて傍らに立つラムジを見上げた。
「ラムジ、いけるか」
短い問いかけに対して、この国の宰相はすぐに答えを返した。
「かしこまりました。厨房に掛け合って、予定を調整いたしましょう」
「よろしくお願いします!」
マリクには話が通っている状態なので、調整自体はスムーズにいくはずだ、と茅乃は期待する。
なるべく近いうちに行けたらいいな、と茅乃が考えていると、それまで向かい合っていたキアヒムがその足を城下のほうへと向けた。
「会議があるから先に行くが、ほかに用はあるか?」
「いえ、ありません。・・・・・たぶん」
「そうか」
なにかあったらそこのふたりに言うといい、と言って茅乃の横にいるシャノンと背後のカシュアを指す。
「はい。それじゃ、いってらっしゃい」
ヒラヒラと手を振ると、今回においてはキアヒムが無言になることはなかった。
「・・・・ああ」
そう短く言って、プラトとラムジを従えて行ってしまった。
ほぼ国のトップといってもおかしくはないその三人の後ろ姿を見て、きっと重要な会議があるんだな、と茅乃は想像する。
さて、こっちも頑張らないと。
先ほど挨拶をしたきりになっていたシャノンに茅乃は向き直る。
「シャノンさん、昨日は贈り物をありがとうございました」
「あら、もう届きましたか」
「はい。さっそく使わせてもらいました!」
使い心地良かったです、と言うと、シャノンは微笑むようにした。
「それは良かったです」
お揃いですね、とシャノンが言った横で、カシュアが少し首を傾げている。
「贈り物、ですか?」
「はい。カーヤ様に、パリサの店のものを贈ったのです。パリサがすぐに包んでくれたようですね」
ああ、とカシュアが納得したような声をもらす。
「あの店は人気があるみたいですねえ」
「そうですね。わたしも、十代のときに上の姉が買ってくれました」
「えっ、シャノンさん、お姉さんがいるんですか?」
「おります。―――上に五人。わたしは末子です」
「えっ?」
ということは、と茅乃はシャノンをまじまじと見つめる。
「六人姉妹!」
賑やかそうですね、と茅乃が言うと、シャノンの目がどこか遠くなった。
「・・・・・そうですね。いまはもう姉たちは嫁いだり仕事だったりで家を出ましたが、それまではずっとうるさかったです」
家の中で立ち話をしてるんですよ、とシャノンがつぶやく。それを聞いて茅乃はなにそれ楽しそう、と思ってしまう。近所の井戸端会議みたいな感じが家の中にあるのだろうか。
「・・・・まあ、そういうことで、わたしお勧めのお店までご案内した次第です」
「素敵なお店を教えてくれてありがとうございます。化粧品は大事に使っていきますね」
「はい。お手入れは必要ですからね」
という会話をしながら、のんびりとした足取りで城下街へ向かう。
「そういえば、シャノンさんにも訊いておかないといけないことがあるんですが」
「なんでしょう」
「ええと、見たことのない書類が届きまして、月末までに記入して提出しなくちゃいけないみたいなんですけど」
「見たことのない書類?」
「はい。お店に関する細かいことを書かないといけないみたいで」
「・・・・・」
シャノンはどこか考え込むように無言になった。
「・・・・・わかりました。カーヤ様、いまその書類はどちらにありますか?」
「あ、部屋に置いてます」
「では、今日の終わりにお部屋まで行って見てもよろしいですか?」
「はい、もちろんです」
どのみち茅乃が書類を見たところでわからないし書けない。ならば先生に指導されながら記入したほうが確実だろう、と思った。
「それと、アビダさんからお借りした本を返却して、また新しい本をお願いしたいんですが、どうしたらいいんでしょう・・・・・?」
アビダが持ってきてくれたのは神殿の蔵書だ。また新しい本を借りたいと思うが、アビダの職場である神殿に行くことは止められている状態だ。連絡の取りようがないのである。
茅乃がそう言うと、そうですね、とシャノンはつぶやいた。
「では、アビダ様と連絡が取れるよう、こちらから確認しておきます。詳しく決まりましたらお伝えしますね」
「よろしくお願いします」
・・・・・なんだか、いろんなひとにたくさんのことをお願いしてばかりだ。
じぶんひとりでできることが少なすぎる、と茅乃は思う。だが話し相手もなく要望も通らなかったような状況に比べると、これは茅乃がひとりで勝手に悩んでいることで、贅沢な悩みでもあるといえるだろう。
できることを、増やしていかないと。
アビダに関してはシャノンが連絡を付けてくれるというので、安心して任せることができる。以降の連絡の取りかたを確認できれば、悩みごとはひとつ消えることになる。
そういえば、と茅乃は隣を歩いているシャノンを見ながら質問をしてみた。
「シャノンさん」
「はい」
「たとえば、遠いところにいるひととは、どうやって連絡を取るんですか?」
「ああ、手紙がありますよ」
「ということは、配達してくれるひとがいるんですか」
「生業にしている、という意味ではちょっとちがいますね。たいていは行商人に預けるか、軍部に託します」
「軍部・・・・」
背後を振り返ると、カシュアと目が合ったので詳しく訊いてみた。
「軍部のひとの業務なんですか?」
軍部の業務内容と郵便局のような業務が頭の中でうまく合致せず、どういうことなんだろう、と茅乃は首を傾げる。するとカシュアからは
「伝達手段である馬と鳥を所有しておりますからねえ」
という答えが返ってきた。
そういえば、とレオトールから逃走していたときの記憶を掘り起こす。
・・・・・ここに、ネットがあるわけでもないし。
瞬時にやり取りを行えるわけではない。そしてそんな文化圏にじぶんがいることがいまさらながらに不思議だと思えた。かといってアズイルが、というよりこの世界が年数を経て文明が進んだとしても、茅乃がいた世界と同じような進化を遂げることはないだろう。地球と同じ資源があるわけではないし、なにより発明者がいなければ話は始まらない。ここに地球上と同じ発明者はいないし、ここにはこの世界の発明者が立つだろう。
いわば、幾つも枝分かれしていく文明という枝葉の上に在るに過ぎない。その過程は穏やかなものかもしれないが、もしかすると急速に進むのかもしれない。
などということを考えながら、茅乃は目の前の世界を学ぶことにする。
「その、お手紙を届けてもらうのに料金は必要なんですか?」
「行商人に頼む場合はいくらか渡しますね。軍部に頼むとさらに数倍の料金が必要となります」
「ちなみにそれは幾らくらい・・・・?」
「行商人ですと五千ピア程度でしょうか」
というシャノンの言葉を聞いて、茅乃はパリサの店で見た硬貨を思い出しながら計算する。
おそらく高級な化粧品と同額程度の配達料。そして軍部だとさらにかかるという。
「軍部だと料金が跳ね上がるのはなぜですか?」
「馬を走らせすぎると潰れますからねえ。距離によっては四、五頭くらい潰れますよ」
必要経費、と茅乃はつぶやく。
遠方への連絡手段はわかったが、もうひとつ問題が出てきた。
物価がわからないのである。
「・・・・・・・」
のんびりと歩いていく城下街の中の、露店の商品を眺める。パリサの店のような戸建ての、扉や壁がきちんとある店舗ではなく、比較的多く見かける天幕を張っただけの店だ。その店先にある布製の商品に目を留める。
絨毯のようなしっかりとした布地ではない。むしろそれはとても薄く、寝台にかかっていた紗と似ている。端には布とは異なる色の刺繍が施されており、丁寧な手仕事の商品であるように見えた。
天幕の奥で欠伸をしていた店主らしき男性に声をかける。
「おじさんおじさん、これはおいくらですか?」
中年の男性は茅乃を見、そして茅乃の背後に視線を移してギョッとしたようにさらに口を大きく開けた。先ほどラムジが言っていた、カシュア将軍は有名だ、という言葉を身をもって理解する。
「あ、ああ・・・・、それは三十ピアだよ」
「三十・・・・」
訊いて、答えてくれはしたけれども、ここにきて茅乃はこの布商品が三十ピアで高いのか安いのかもわからないことに気が付いた。繊細な手仕事であるから良い品だろうと予想することはできるが、この世界はいわばすべての品が手仕事、つまり機械に頼っていない一点ものしかないのだ。とすると手仕事を経て商品となるものの価値は茅乃の思う概念で合うのだろうか。
「ううーん・・・・」
唸った茅乃の前で、中年男性がサッとその布製品を持ち上げる。
「良かったら手に取って見るかい? ―――い、いえ、ご覧になりますか?」
男性の目線が茅乃の背後から外れないのを見ると、なにやら知らない間でのやり取りがあったようだが、茅乃は商品を欲しかったわけではないので断ることにする。
「いえ、だいじょうぶです。ありがとうございました」
うっかり触って破いてしまってもいけないし、なにより買えないんだよね、ごめんなさい、と心の中でつぶやく。
ふたたび路を歩き、先ほどの露店からだいぶ離れたところで茅乃はシャノンとカシュアに質問した。
「さっきの、三十ピアっていうのは高いんでしょうか、それとも安いんでしょうか?」
すると、シャノンからは安い、カシュアからは妥当という返答が返ってきた。
「あの仕上がりであの値段は安いと思いますよ」
とシャノンが言う。
「私は女性用の衣類には詳しくありませんが、あれは贈り物には向いているんじゃないでしょうか」
「・・・・・」
というカシュアの答えも合わせると、ますます茅乃はわからなくなった。
シャノンさんは安いと思って、カシュアさんは贈り物に最適だと思うってどういうこと?
あの薄布は女性用の衣類なのか、ということはさておき、あまり安いものだと贈り物としてはどうなのか、もしかして贈る相手と仲が良いとかそういう条件? と茅乃は考え込んでしまう。
まじまじとふたりを見つめて、見つめて、そしてあることに思い至った。
このふたりもたぶん、国のトップレベルに立つ人物だ、ということに。
よく考えなくてもカシュアは軍部のトップであるし、シャノンはラムジというこの国の宰相の補佐であると言っていた。日本でいうなら官房長官の補佐官というような立ち位置ではないのだろうか。
とすると、一般的な国民の感覚とおなじ感覚を持っているっていえる・・・・?
そもそも国民の立場の中であっても金銭感覚の差はあるものだ。個人の感覚、立場、現在の懐事情。それらを含めるとほんとうに判断が難しい。
―――うん、保留。
にっちもさっちもいかなくなった茅乃は、この件に関しては考えることをいったん置いておくことにして、鍵職人の店を目指すことにした。
一方、そのころ。
茅乃たちよりひと足先に城下街に着いていたキアヒムたちは、組合の建物を目指しながら歩いていた。
宰相と第一部隊の隊長を引き連れているキアヒムは目立つ。ましてやこの国で、その色彩を持つものが誰なのか知らないのは赤子くらいだ。
胸に手を当てる礼は創造主、またはその代理人である神子といったものに対して行われる信仰心ゆえの礼である。したがって、神子ではなく人間であるキアヒムに対しての礼は正式な場でない限り目礼のみで行われる。
路を行く王に気付いたものは静かに目礼を行い、各自の作業へと戻っていく。かといっていつもどおりとはいかず、開店直後の店が並ぶ大通りは普段よりいくぶん静かな空気で包まれていた。
その中でラムジはひじょうに難しい表情をしていた。
「・・・・・あいつで本当に神子様の警護が務まっているのか」
ブツブツと不満のような言葉をもらす。
神子の警護は将軍が行うことになった経緯にラムジ自身関わっていたが、それは将軍職に就く人物を必要としていたという理由であって、カシュアという個人を指しているわけではない。
先ほども別れ際、真面目に励めよ、とひと睨みしたが、当の本人は薄笑いで首を傾げるだけだった。
わかっているのか、と問い詰めたかったが用事がある。王の随行が優先だ。
「カシュア様で務まらないようでは、誰であっても無理ですよ」
のんびりと言ったのはプラトである。年齢はカシュアより上だが、配下だ。立ち場上上司の庇えるところは庇おうとするし、軍部での最上位にある人物で駄目だというのなら誰にやらせても満足は得られないだろうと、事実を事実として発言する人物である。
「うむぅ・・・・」
低くラムジは唸る。
かといって、べつにラムジとカシュアの仲が険悪なわけではない。
そもそもラムジが睨もうが怒鳴ろうが、カシュアという人間はたいして意に介さない。たいていのことは薄笑いで返すし、場合によっては鼻で笑って相手にしないような性格の持ち主だ。カシュアがもうすこし他人に言われたことを気にするような側面を持っていれば、ラムジの対応もちがっていたかもしれないが、だからこそラムジも遠慮なく絡んでいけるというものだ。
「警護に関しては問題ないだろう」
露店の先に並んだ商品の価格を確認しながらキアヒムが言う。
「・・・・そうですな」
さすがに同意しないわけにはいかず、ラムジはそう答える。だが心の底から同意しているわけではないのはキアヒムが見てもプラトが見ても瞭然だった。
「なにか気がかりでもあるのか」
「気がかりと申しますか・・・・」
考え込むラムジの表情に険しさが加わる。
「カーヤ様の御年は陛下と同じでありましたな?」
「そう言っていたな」
「まだ十七歳なのですぞ」
「・・・・はあ?」
なにを言ってるんだ、という怪訝そうな表情を隠しもせず、キアヒムはラムジを見る。ラムジはラムジで厳めしい表情をしている。
「そのような若さで、このような縁者もない場所でひとりやっていくのかと思うとどうにも同情を禁じえません。カーヤ様が神子様である、ということは重々承知しておりますが、うちの末娘より若い娘がなんの後ろ盾もなく過ごさなくてはならないというのは、大変なことではありませんか」
神子という立場があれば十分、ということではない。立場は立場、立ち位置を示す言葉に過ぎない。そして後ろ盾というものはその立場を守るためのものだ。
ラムジは、その守るものが茅乃にないと嘆いている。
「とんでもない力をお持ちだということは見せていただきましたが、なにも知らない他人から見れば非力な子供に見えるでしょう。拐かされたりしたらどうするのですか」
なんということはない、六人の娘を持つラムジの父性が炸裂しているだけである。
「・・・・過保護すぎやしないか」
どこか呆れたような眼でキアヒムが言うと、ラムジは力強く言い切った。
「いいえ。・・・・・そうですな、いっそのことうちの七番目の娘にしますか」
「・・・・本人が頷いたらな」
さすがに、知らないうちに手続きが済まされていたら嫌だろう、と、釘をさしておく。そのやり取りをプラトは苦笑しながら見てはいるが、止めようとはしない。もうすでに成人してはいるが、プラトも息子と娘を持つ親の身である。
組合の建物に着くと、知らせを聞いていた組合長が玄関口で待っていた。
「お久しぶりでございます、陛下」
そう言って組合長は目礼ではなく、深く頭を下げる。その頭髪はすべて白髪だ。齢は七十近い。アズイルの中でもさらによく陽に灼けた肌色をしている。無骨そうに見える指先は繊細な作りの細工を生みだすことができる。茅乃のものになった金庫を製作したのはこの、小柄にも見える人物である。城下の職人をまとめる組合の長の名を、ナジフという。
ナジフの配下が開けた扉をくぐり、建物の中をともに進んでいく。
「本日は家具と細工に携わるものを招集せよとのお達しでしたが」
掠れたような声、それでもしっかりとした口調でナジフが言う。
「ああ。集まっているか?」
「連中はそろっております。が、ほかのものも集まりまして」
「ほかのもの?」
「さようです。陛下の御身をひと目でも見たいというものが、招集を聞きつけて参りましてな」
国王不在という前代未聞の事態に揺れたのは、城下の組合も例外ではなかった。その王が帰城を果たしているのなら、懸念材料はもうない。だが、それでも許されるならひと目でも拝謁を、と望むものが集ったのだ。
「そうか」
短く答え、開けられた会議室の扉の中に入ると、そこにいるのはたしかに家具と細工のふたつの部門に関わる職人だけではなかった。
部屋の奥には国旗が飾られ、空席のままの机とイスがある。その周囲に長机と、等間隔にイスが配置されている。というのが本来のこの部屋の形だったようにキアヒムは記憶しているが、等間隔のはずのイスの配置は乱れ、そのイスとイスの間には立ったままのひとがいる。それも多数だ。使えるイスがないので立ったままその場にいるわけだが、まるでみっちりと詰め込んだかのような光景がそこにある。
「・・・・思いのほか人望が残っていたようでなによりだ」
軽口を発しながらキアヒムは国旗の前に座る。
その背後にプラトとラムジが控えて立った。
会議室に集まった民を見、その中に見知った顔があったので、キアヒムは名を呼びかけた。
「マフズ」
立場や役職によっては、王と直接言葉を交わすことを許されているものがいる。王の身近で世話をするマーサや、執務にあたって重要な人物、ラムジやカシュア、そして組合長のナジフといったような人物がその範囲に含まれる。第一隊の隊長であるプラトも頻繁にキアヒムの警護に当たることがあるので許可されている。以下の隊長に許可はない。それは組合長以下のものであっても同様だった。腕の立つ職人であろうと、大きな商家の主であろうと、王からの呼びかけがない限り発言は許されていない。
その中での突然の呼びかけに、マフズという男は飛び上がるようにして声を発した。
「はっ、はい!?」
三十代くらいの、やや小太りの男だ。アズイルではよく見かける茶の髪と、濃い茶色の目をしている。まさかじぶんが呼ばれるとは思っていなかったのだろう、マフズは裏返った声になりながらも返答した。
「早々だが、店に戻れ」
「は、はっ・・・・。なにか、お気に召さないことがありましたでしょうか・・・・?」
ビクビクとしながら意向を訊いてくるマフズに、キアヒムはそうじゃないと手を振った。
「神子も城下街に来ると言っていた。今日は鍵職人を望んでいるらしい」
「・・・・なんですと!」
とたんにマフズの背筋が伸びる。マフズの生業は鍵細工だ。大店ではないが繊細で正確な鍵や錠を作るものとして名を馳せている。加えてそう多くはない鍵職人のまとめ役もやっている。シャノンが案内するというのならまちがいなくマフズの店だろう。
マフズはすぐに戻らねば、と足元に置いていた職人の命である工具鞄を手に取り、会議室の扉から出て行こうとしたが、直前で足を止めて振り返り、居住まいを正した。
「陛下のご健勝なお姿を見られましたこと、なによりでございます」
それが国民からの寿ぎの言葉である、と気付いたキアヒムは軽く笑んで頭上を指した。
「この地に神子の加護があらんことを」
本来であれば創造主の加護を、という口上が決まり文句なのだが、現在神子がアズイルに滞在しているので創造主の代理人である神子を立ててこういった言い回しとなる。すなわち、創造主、そして神子の加護がこの国にあり、遍くすべての国民に恩恵が降るように、という返答句である。
寿ぎに祝福で返されたマフズは満面の笑みを浮かべ、急いで去って行った。
ひとり減った会議室を見回し、キアヒムは招集以上の人数が集まったのはちょうどよかったかと考える。
「さて、すでに皆はレオトールの使者が貴賓館を荒らしたことを知っていると思うが、その件について詫びよう」
静かに話し始めた王の言葉を聞いた国民の、抑えきれなかった動揺の声が会議室に流れた。
国王が謝罪をするということはありえない、というのが民の間での共通認識だ。それはキアヒムも承知している。事実国王であるキアヒムの上には創造主の位しかない。なので王位のものが頭を下げるということはできないし許されてはいない。慣例のとおりに行動するのならキアヒムも謝罪することはなかっただろうが、現状国史の中でありえないことが起きたのはもう変えようもない事実だった。
身代金を巻き上げる目的とはいえ、他国の人間が使者として越境してきたこと。そもそも国王の身が捕らえられたこと。そして神子の滞在場所として使われるはずの貴賓館が占領されたこと。
どれをとっても前例のないことである。なにごとも起きなければ慣例どおりの王の行いで済んだが、異例の事態が起きた以上慣例に従っているだけではたちゆかない。
王位に在るので頭を下げる、という行為はできない。だが謝罪の言葉を口にすることはできる。
主に用のあった家具と細工を担当する職人たちにキアヒムは目を向けた。
「貴賓館の備品はすべて神子のものだ。神子のために作られ、奉納されたと理解している。過去腕のある職人が技に磨きをかけ製作したものを、本来であれば次代や後世へと繋げていくのが王の役割だと考えていたが」
室内に、沈黙が落ちる。
貴賓館の中に設えられた装飾や家具といったものは、時の王の命令のもと、職人たちによって作られている。その技術に対して報酬を支払っているのは国だ。国の予算から支出があるわけだが、だからといって貴賓館の内部にあるものが王族のものになるわけではない。国のものになるわけでもない。
ただ管理を任されたにすぎないのだ。他者の誰であっても発注はできないし支払いもできないであろう、技術の粋を集結させた最上級品を王族が管理していたにすぎない。
そして、それらのほとんどはキアヒムの代で損なわれた。使者による目も当てられない行いがあった間、囚われの身であったということはキアヒム自身も国民もよくわかっている。だが、だからといって知らなかった、関係なかったのだということにするのはそれこそ許されない。どうしようもなかったことであれば、見て見ぬふりをして流してしまおうと考えるようなものに、誰がついていきたいと思えるのか。
キアヒムが招集をかけこの場に来たのは、思慮分別を付けるためだ。
「有史以来の傑作に傷が付くことになったのはオレの責任だ。申し訳なかった」
濁すことも言い逃れすることもなかった、はっきりとした発言を受けて、すぐに返答できるものはこの場にはいなかった。そもそも大多数が発言を許されていない。ラムジとプラトもいまは聞く側の立場なので黙ったままだ。
必然、返答できるものはナジフくらいしかいなかった。
「・・・・・陛下の謝意を受け入れましょう」
返事をしないわけにも、受け入れないという選択肢も持ち合わせていない。けれどもナジフ単独で済ませていい問題でもない。そもそも王の用向きは家具や細工の職人にあるのだ。ナジフは代弁しているにすぎないので、確認は取っておくことにする。
「異論あるものはおるかの?」
どこからも声は上がらなかった。王から事前に今日の議題を聞いているものはひとりもいないのだ。ナジフでさえも。これは予定調和の話ではない。民の側は王が謝罪するなど予想もしていなかったし、キアヒムからすればこの謝罪が受け入れられるかどうかも定かではなかった。
けれども、異を唱えるものがすくなくともこの場にはいないということは、主だった職人には受け入れられたということだ。
「感謝する」
謝罪に続き謝辞も述べられては職人たちの間の動揺が収まらない。
そのざわめく室内を眺めながらキアヒムは思う。
王にとって言えない言葉などないのではないか、と。根拠がどこに在るのかもわからない矜持にしがみついて言うべき言葉も言わないでいれば、今回のような有事の際に混乱を招くどころか不信さえうまれる。王家と民の間で軋轢が生じかねないのだ。当代で貴賓館の中の財を失ったあげく、この先も繋がりを持っていかなければならない職人たち、ひいては民の信任を失うとあっては失策もいいところだろう。かといって情報としてすべてを晒せばいいわけではないので、その区切りを見定め諮るのがキアヒムの職務だ。
・・・・なにより、キアヒムがなにがなんでも守ろうとしたものは、国という形だけではない。捨てられる矜持であれば捨ててしまえ。そのほうが身が軽くなる。
会議室に満ちたざわめきの中で、ナジフに耳打ちするものがいた。家具職人をまとめている男だな、と認識しているうちにナジフから発言がある。
「陛下。貴賓館の中の品はいま、どうなっておりますかな」
「とりあえず外に出している」
「回収してもよろしいでしょうか」
「もちろんだ」
アズイルは資源が限られている。木材は特に稀少だ。再利用がかなうのならそれを行う。
「・・・・ときに、貴賓館は店に変わると聞きました」
「ああ、その予定だ。神子が張り切っている」
「詳細をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
というやり取りを、職人のみならず商人連合のものも身を乗り出すようにして聞いている。
その様子に苦笑しつつ、キアヒムは上着の中から手のひらくらいの革製品を取り出した。
「店についてはあとでいくらでも話そう。その前に、我が国の職人たちに見解を聞きたい」
「なんでしょうか」
キアヒムは机の上に革製品を置いた。といってもそれは表紙が革でできているだけで、中身は薄い滑らかな素材でできたものだ。
せいとてちょう、とカヤノは言っていたな。
と思い出しながら表紙を開く。
「これを見てほしい」
頁をめくってすぐ、実物を切り取ったかのような、絵よりも緻密なもの。
「しゃしん、と神子は言っていた」
ふたたび室内がざわめく。前列で写真を認めた職人たちが低く唸る。
「全員ここに来て見てもらってかまわない」
キアヒムがそう言うと、ひとびとの立ち位置が入れ替わり机の前まで見に来る。
キアヒムの背後で、ラムジの興味深そうな声がした。
「それは、カーヤ様の持ち物だということですか」
そういえば、ラムジとプラトのふたりはせいとてちょうを見たことがなかったな、とキアヒムは思う。
「ふたりも見るか」
と言うと、背後から覗き込むような気配がする。
「・・・・これは」
「まるでカーヤ様を小さくして貼り付けたような」
そのつぶやきを聞いて、横から覗き込んでいたナジフが顔を上げる。
「ということは、この方が当代の神子様でいらっしゃる?」
「そうだ」
「黒髪黒目の年若い女性ですな。同じ色の男性を王城内で見かけたものがいるらしいのですが」
「それは先代の神子だな」
「さようですか・・・・」
「当代神子もこの原理がわからないらしくてな。特殊な技術であるらしい。誰か、この技術を解明できるものはいるか」
手を挙げるものはいなかった。未知の技術であれば当然か、とキアヒムは思ったが、理由はそれだけではない。
茅乃が以前に見た、台地が平坦であるこの世界で、たとえ暗室を作りピンホールを造ったとしても対象が写しだされるとは限らない。そもそも光の屈折率がちがうし、可視光線と不可視光線が地球上に降り注ぐものとおなじではないのだ。この地でカメラと写真の原理が解き明かされることはない。
原理がわからないながらも、職人たちにとってはいい刺激になったようだ。ああでもないこうでもないと議論を始める職人と、新しい店について興味を持つものとにわかれたので、キアヒムは新店が銭湯であるということを伏せて、状況について話すことにした。
職人たちにも知れ渡れば、いい宣伝になるだろう、と思いながら。




