46 ヒノキ風呂
部屋に戻った茅乃は、さっそく風呂上がりの肌に昨日もらったばかりの基礎化粧品を使用する。
朝の空気と相まって肌の上にヒンヤリとした温度を感じる。それは寒いと感じるものではなく、サウナの熱が残っているいまの茅乃にとってはちょうどいい熱さましとなった。
「さて」
部屋に立てかけた釣竿を手に取り、茅乃はさっそく部屋の中にじぶん用の風呂を造ってしまおうと考えた。もちろんヒノキ製の風呂である。
家具は少ないが、部屋の大きさじたいは結構なものである。ひとりでこの部屋を借りていると思うともったいないと感じるくらいには広い。その内部を眺め、浴室を造れるくらいの空間を想定し、場所を決める。
ベッドの横くらいにしようかな。
風呂上がりにそのまま眠りへと直行できるコースである。充分な空間もある。申し分なし、と茅乃は釣竿を振るった。
スッと針が部屋の床を貫通していくのを見ながら、茅乃は浴室について考える。アズイルが乾燥気味の気候であることは理解したが、部屋の中に浴室を造る以上、湿気は気になるところだ。なるべく乾きやすい素材のほうがいい。換気は必要。そもそもこの部屋は三階にあるので大きな窓を設置してもいいかもしれない。窓の外にはせいぜい景色くらいしかないのだ。
などと想像していると、手応えを感じた。
「ここだっ」
瞬間、部屋の片隅に光の粒子が走っていく。茅乃の足元から広がり、壁を駆け上がるようにしてそれは天井まで到達する。
「・・・・・・」
光が消えたあとには、小さな浴室が出現していた。
貴賓館の設備のように広い空間ではない。どちらかというとごく一般的な家庭サイズの浴室だ。振り返ると擦りガラスの入った一枚扉がある。室内の空間と浴室を隔てる扉だ。
その扉を開け、向こう側を見てみるとなんの代わり映えもない天蓋付きの寝台があった。扉の隙間から脱いだ靴を出しておく。
素足の裏に感じる感触は硬い。細かな出来の軽石のようにも感じた。かといって肌が引っかかる感触はない。壁と天井は白く、床の素材とは異なりどこか水路の石とよく似ている。扉を背にして立てば、正面には茅乃の望んだそのものの木材の浴槽と、その浴槽の上側には壁半分を切り取ったかのような大きな窓がある。
スンスン、と空気を吸い込めば爽やかな木の香りがした。浴槽の縁を跨いでその窓を開け放つと、サラリとした風が入り込んでくる。
「・・・・・」
湯が張られていない、空のままの浴槽に身を横たえてみる。大きすぎず、小さすぎず、狭すぎず。茅乃の体型を測って造ったかのようなピッタリのサイズ感に茅乃はひとり頷く。
「うん、さいこー」
昼でも夜でもこの窓を開けて入浴すれば、ちょっとした露天気分が味わえそうだ。
贅沢、とつぶやきながら立ち上がる。浴槽の端には茅乃が見慣れた水とお湯の両方出るタイプの蛇口があって、そのすぐ横に栓があるのを発見した。
これまた見慣れたゴム製の栓である。いまの内に栓をしておこう、と嵌めて浴室を出ることにする。
浴室の扉を閉め、靴を履きなおしながら、どうせ手に釣竿を持っているのだからと調整を済ませておこうと考える。夜に気力体力が残ってない場合もあるので、できるときにやっておく、という習慣を身に着けたほうがいいだろうな、と思いながら扉の前で正座をする。
軽く放った針はふたたび床を貫通し、まるで緩やかな流れの中を揺蕩うように糸が揺らめく。といっても今日もまた釣果はないのだろう、とぼんやり考えていたところに、針がなにかにぶつかる感覚があった。
「んん?」
カツンと、軽いなにかに当たった感触。釣果がないのは良いことだ、と納得したあとなだけに茅乃は訝しく思ってしまう。
「なにが・・・・・」
軽々と上がった針の先には、拳大くらいの大きさの物体が引っかかっていた。それは実物とはだいぶかけ離れた形で作られている。まあるい頭部にまあるい図体。濃い黄色が全体の色で、濃いオレンジ色が口元にだけ使用されている。そしてどこを見ているのかわからない目元。
「・・・・・アヒルさん」
浴槽に浮かべるだけの、なんの益体もない玩具である。
「どうしてこんなものが」
とりあえず足の横に置いておき、そのあと釣竿を移動させてみたがほかに釣果は得られなかった。
唯一の、どうして釣れたのかわからない物体を矯めつ眇めつ検分してみるものの、見れば見るほどただの玩具に過ぎない。
まあいいか、と釣竿を片付け、玩具をつまみ上げてサイドテーブルの上にひとまず置いておく。
「・・・・・」
そして同時に、視界に入ったまだ咲いていない花を見つめる。
マーサさんに、交換しないでってお願いしておこう。
密かにこの花が咲くのを楽しみにしている。交換されないように伝えておこう。
陽の射す位置に花瓶があるのを確認し、茅乃は机の前に移動する。
机の上には借りたままの本がある。イスを引き、読めていない本に取りかかる。しばらくして最後の頁まで読み進めると、それでもう読んでいない本はなくなった。
読み終えた本をパラパラと見返し、地域の産物や特性をもういちど復習し、そして立ち上がる。黒板を手に取り、レンへ返信の礼と、時間があるときに歴史の授業を教えてくれないかと打診してみる。
どうしても、レオトールで読んだ本との齟齬が気になるのだ。同じ地上でのできごとを記しているのに、なぜこんなにも内容に差異があるのか。レンが茅乃の前にアズイルに滞在した神子である以上、レンの立ち位置はアズイルに寄ったものになるかもしれないが、すくなくとも当時からいまを生きている生き字引という点は変わりない。その人物から話を聞くことができれば、なにか参考になる部分が見つけ出せるのではないかと考えたのだ。
忘れないように、と黒板と釣竿を部屋の入り口の辺りに立てかけているときに、ちょうど扉の向こうから声がした。
「カーヤ様、お食事をお持ちしました」
マーサである。先ほど言っていた早めの朝食を持ってきてくれたようだ。立ち上がり、扉を開けに行く。
「はーい」
「お待たせいたしました」
そう言って部屋に入ってきたマーサはキビキビと動いて朝食の用意を整えていく。
お召し上がりください、と促されて机の前に座り、食事前の挨拶である例の姿勢を取って食事を始める。プレートの中のスープ皿を覗き込めば、小ぶりな肉団子と緑鮮やかな豆が入っているのが見えた。昨日の手伝いの成果である。
厨房の見学もお願いしてみないと、と考えながらスープを口に運ぶと、噛み応えのある豆の感触がした。おいしい、とふたくちめを運んだ茅乃の横ではマーサが食後の茶の準備をしている。
「カーヤ様、本日のご予定は?」
「今日はですね、城下街の職人さんを紹介してもらうつもりです」
「まあ、それは例のお店に関することですか?」
ニヤッとしたマーサに訊かれたので、茅乃もニヤッと笑いながら返す。
「そうです。例のお店のためです」
「楽しみでございます」
「はい、楽しみにしていてください」
などとたわいない話をしていると、マーサが部屋の奥の新しい扉に目をやったのが見えた。
「あら・・・・? あんなところに扉がありましたでしょうか」
「あっ、新しく部屋を造りました」
「まあ。カーヤ様はそんなことがおできになるんですねえ」
「・・・・・」
新しい部屋の出現をあっさりとマーサが納得しているのを見て、茅乃は内心首を傾げてしまう。驚いているふうには見えないけれど、こういった反応がふつうなのだろうか。
「となりますと、あのお部屋のお掃除はいかがいたしましょう?」
という言葉がすぐに出てくるあたり、さすが侍女のお仕事をしているひとだなぁと感じながら茅乃は答える。
「あそこはまだ汚れてないのでだいじょうぶです。しばらくしたらお願いすることになると思いますが・・・・」
よけいなお仕事を増やしてすみません、と茅乃が謝ると、マーサはこのお部屋をお掃除するついでですので構いませんよ、と朗らかに言う。
少なくともマーサが貴賓館の設備がなんであるかを当てるまでは、あの浴室は見られないようにしよう、と茅乃は思った。マーサが浴槽タイプの風呂を見て風呂であると気付くかどうかはわからないが、現在は正解を伏せている状態なのでなるべくうかつなヒントを見せたくはない。
「あ、それと、もうひとつお願いがあるのですが・・・・」
「はい、なんでございましょう?」
「寝台横のお花なんですけど」
「はい。なにかお気に召しませんでしたか?」
茶の準備をしていたマーサがその手を止めた。怪訝そう、というはっきりとした表情ではないが、どこか曇った目元が、なにか心配事でもあるかのように見える。
「いえ、逆です」
世間話の延長で話したけれど、なにか繊細な問題でもあるんだろうか、となんとなく慎重になりながら茅乃は続ける。
「あの花がどういうふうに咲くのか、とても楽しみにしてるんです。なので、咲くまでは替えないでほしいんですけど・・・・」
おそるおそるそう言うと、マーサの緩く息を吐く音が聞こえた。
「かしこまりました。それでは担当の侍女にそのように申しておきましょう」
「お願いします。・・・・お花を飾る担当のかたがいるんですか?」
侍女の仕事がどういう分担になっているのか知らない茅乃はそう訊いてみたのだが、そこでまたマーサの表情が翳ってしまう。
「なんと申しましょうか・・・・。わたくしの預かりという形にはなっているのですが、王城内の仕事をこなすことは難しい子がおりまして。ですが、働きたいという本人の希望もあって、庭園の管理を任せております」
「ああ、だからお花を生けてくれてるんですね」
「さようでございます」
という言葉で締め括られてしまったので、花担当の侍女がどういった人物であるのか茅乃にはさっぱりわからなかった。深く突っ込んで訊けば答えてくれたかもしれない。だが、それが通常の質問であるのか土足で踏み込むことになるのかわからなかった茅乃は、これ以上の質問はやめておくことにした。
いろんなひとが王城で働いてるんだな。
おそらく事情を知っているマーサがこれ以上の情報を出すことがないというのなら、マーサの中で線引きがなされたということなのだ。なので、すこし話題をずらすことにした。
「わたしは、お花のことはよくわからないんですけど・・・・」
整然と、塵ひとつなく整えられたレオトールの庭園を見てもなにも感じなかったように。茅乃にはどうしたって花を愛でるという感性はない。けれども。
アズイルに入ってこの部屋に飾られた花を見たとき、ゆとりが生まれたような気がした。
誰が生けてくれたのだろう。
この部屋の、空間を気遣ってくれたのだろうか、と。そういったことに思いを馳せる余裕が生じた気がしたのだ。
「そのかたに、お礼を伝えてもらえますか」
そう告げると、マーサは安堵したように微笑んだ。
「お伝えいたしましょう。そのお言葉はなによりの励みとなります」
そのころになると朝食も終わりかけになっていて、絶妙のタイミングでマーサが茶を出してくれる。
「いただきます」
「はいどうぞ」
茅乃が茶の入った器に手を付けると、マーサがプレートとカトラリーを片付けていく。
「カーヤ様、このあとお時間はありますでしょうか?」
「このあと・・・・」
今日の予定としては城下街に行くことを伝えたばかりだ。ということは、いまからの予定を訊かれている、と理解して茅乃は口を開いた。
「このあとは、二回目の鐘のときにカシュアさんが迎えに来てくれる予定ですが」
「では、それまでのお時間、このマーサがいただいてもよろしいですか?」
そう言ったマーサの手には、いつの間にか革紐やら櫛やらオイルの入った瓶などがある。
「ま、まさか・・・・」
―――またきれいに髪を結んでくれる!?
期待を隠しきれない茅乃に、マーサは力強く頷く。
「常に指先を動かしておかないと器用さが損なわれてしまうのでございます。お時間のあるときはご命令がなくとも整えさせていただきます」
「お任せでお願いします!」
「かしこまりました!」
かくして茅乃の髪は整えられた。
今日は髪全体を結い上げ、丸くまとめた紐を隠すように髪飾りが差し込まれた。
「きれいな髪飾りですねえ」
頭に付けられる直前までその髪飾りを見ていた茅乃が、ため息とともに言う。金色の櫛状の部分に繊細な植物を模した意匠が施されている。果実のような部分には粒状の小さな赤い石が付いていて、とても手の込んだ飾りである。
「そうでございましょう。城下にある人気店の意匠なんですよ」
人気店の意匠であり、名匠の逸品でもある。城下にある王城お抱え店舗の装飾品だ。これを身に着けて城下に赴くということは王城の威信を纏うことと同義である。
というマーサの意向など知る由もなく、茅乃はマーサに差し出された外出用の外套を身に着け、外用の靴に履き替える。そうしていると扉の外から声が聞こえた。
「カーヤ様はいらっしゃいますか」
日焼け止めを塗っていた茅乃は顔を上げる。
「カシュアさんだっ」
身支度の用意を片付けたマーサが扉を開ける。
「行ってらっしゃいませ」
「行ってきます!」
黒板と釣竿を持ち、マーサに見送られて茅乃は回廊へ出る。
「カシュアさん、おはようございます」
「はい、おはようございます。今日もマーサ殿の手が加えられていますねぇ。よくお似合いですよ」
茅乃の身なりを見てカシュアはそう誉め言葉を口にする。これはマーサの教育によるもの、というわけではない。カシュアにとっては単に異性に対する礼儀のようなものだ。その礼儀を息を吐くように言葉として吐き出している、というだけのことである。
あっさりと告げられた言葉だったので、茅乃もあっさりとその言葉を受け止めることができた。
「わあー、ありがとうございます」
などと礼の言葉を言っている間に、鐘が鳴った。それを聞きながらレンの部屋に立ち寄り、黒板を置いて出る。回廊に立つ隊員のふたりに挨拶をして階段を降りていく。
「今日、時間が余ったら貴賓館の手入れに行きたいと思います」
「わかりました。それより、書類に不備があったとおっしゃってませんでした?」
「そう、それもシャノンさんに訊いてみないとわからないんですよね・・・・」
などと会話をしていると王城の入り口に到着した。開け放たれた扉の向こう、いつの間にか強くなっている陽射しの中にシャノンを見付けた。そしてシャノンの横に立つ大きな人影・・・・。
シャノンと同じ色の、制服のような土色の服を身に着けている。どこかで見たような、と目を凝らして茅乃は思い出した。
「ラムジさん!」
アズイルの宰相だと紹介され、その後休養中ということでしばらく姿を見ていなかったラムジである。
「おはようございます。もうお加減は良くなったんですか?」
シャノンとラムジのふたりに挨拶をし、ラムジに体調を訊ねると、見上げた先の異色の目が低くなった。膝を着くより簡略的な挨拶の姿勢を取られたのだ。
「お久しぶりでございます、カーヤ様・・・・とお呼びしてもよろしいですかな?」
「もちろんです!」
ぜひ、と茅乃が言い募ると、近い位置にある異色の目が細くなった。
「このとおり、休養をいただきましたので復帰することが叶いました。王都に住んでいますと神殿が近いので、水の加護を得やすいという利点がございますな」
まあ寄る年波には勝てませんが、と年配の人間がよく言うような言葉が聞こえてきた。
「さて、シャノンはカーヤ様のお役に立っておりますかな?」
その、確認するかのような言い方に、茅乃は内心でドキリとした。シャノンは最初、ラムジが不在の間の代わりとして来た、というようなことを言っていた気がする。もしかしてここで交代なんてことがあるのだろうか、と不安になった茅乃は大きく口を開いた。
「シャノンさんはいつもいろんなことを教えてくれる先生で、とっても助けられてます。これからもいてもらわないと困ります」
はっきりとした意思主張に、目の前のラムジが破顔する。
「思ったよりも娘がお役に立てているようですな。それではシャノンはカーヤ様付きの文官といたしますが、よろしいですか?」
茅乃としては願ったりかなったりの言葉で、本来であればこのラムジの決定に頷くところであるけれど、返答よりも先に茅乃はシャノンを振り返る。
シャノンの意思はどうなのだろうか、と。
たったいまこの場で異動が決定されようとしているが、そこにシャノンの意思は反映されているのだろうかと考えたのだ。
企業というものに所属していると、個人の希望や意見などは最初から論外とされることは多々あるが、就業経験のない茅乃はそれを知らなかった。
「シャノンさん・・・・」
いいのだろうか、と目が合ったシャノンは、感情の薄い表情で口を開いた。
「誠心誠意お仕えいたします」
「いいんですか?」
「・・・・・むさ苦しい補佐室にいることも重要な仕事ではありますが、カーヤ様とご一緒して外に出ることはいろいろと刺激になります」
「・・・・・」
とんでもない本音が混ざっていたような気がするが、気のせいだろうか。
ともかく、シャノンが嫌がっているわけではないようなので、茅乃はなにに憚ることなくシャノンに頭を下げることができる。
「これからもよろしくお願いします!」
「わたしのほうこそ、よろしくお願いしますね」
シャノンとふたりほんわかと微笑み合っていると、その間にラムジは茅乃の背後にいるカシュアへと視線を定めていた。
「それで、カーヤ様」
「はい」
「そこの将軍は警護としてお役に立てておりますかな?」
シャノンのときとおなじ言葉であるにもかかわらず、その目線に和やかさはなく、どちらかといえば厳しささえある。
「心外ですねえ」
いつもの調子のカシュアの声が聞こえてきたが、ラムジは視線を緩めなかった。
「この男は職務上、カーヤ様付きにすることはできませんが、警護として付いている間はきちんとお仕えしておりますでしょうか」
カシュアの返答などはなから聞く気がなさそうなラムジは、真っ直ぐと茅乃にその視線を向けてくる。
「この王都で、この男が将軍らしいところをお目にかけたことがありましたか?」
「ええと・・・・」
アズイルの初日からずっとカシュアに警護として付いてもらっているが、その間のことといえばなにがあっただろうか、と茅乃は目まぐるしく過ぎていった記憶を掘り起こす。
警護として付いていた間のカシュアの行動は、様々な場所への案内と、茅乃への制服の返却と、果実水と昼食をご馳走してくれたこと、だと思う。
そしてそれはラムジの言う将軍らしいところ、だろうか。
ちがうだろうな、と結論を出して、茅乃は答えた。
「将軍らしいところというのは、特に・・・・」
「ほお」
短い言葉の後に、ラムジの目線に冷たさが含まれ、茅乃の背後にいるであろうカシュアに向けられる。その視線を遮断するように茅乃はちょこちょこと移動してラムジの正面に立ち、確認した。
「ラムジさん、それは、いいことですよね?」
「いいこと、ですか? 将軍職にありながら腕を揮う機会もないことが、ですか?」
確認のつもりで言った事項に疑問符で返された。それでも茅乃は言い募る。
「でも、それだけ安全なんだってことですよね?」
「・・・・・・」
ラムジから返ってくる言葉はなかった。
この王都でカシュアの将軍らしき働きを見たことはない、と茅乃は思う。役職上キアヒムの執務室にいたり、茅乃の警護をしていたり、ということはあったが、それは将軍らしい働きという限定された表現ではないだろう。
だが、王都に限らずいえば、その姿を見たことがあるのだ。
―――あの、砂漠の上で。
西の砂丘の上、軽々と弓矢を使い、軍を率いていたカシュアの姿を茅乃は覚えている。
全面的なものでなかったにしろ、あのときのアズイルとレオトールは戦争状態にあったのだ。
であれば、そのような姿はもう見ることがないほうがいい。
一国の軍を率いる将軍位にある人物が、国内で案内をしたり果実水を買っていたりするほうがよっぽどいいに決まっている、と茅乃は思うのだ。
どうでしょう、と見上げた先で、その異色の瞳が伏せられた。
「そのご意見をありがたく受け止めましょう」
そう言って簡略的な礼から膝を着く深い礼へと、その姿勢を変えるラムジを茅乃は慌てて止める。
「ら、ラムジさん、そんな姿勢取らなくていいんですよ」
こんな小娘に、と思う。
「これは神子様に対する礼ですぞ」
「慣れてないんです!」
これから先も慣れることはないと思うが、ひとまずラムジは苦笑しながらその姿勢を元に戻した。ホッとした茅乃の背後で、飄々とした声がする。
「王都の安全は我々の努力の賜物ですよねえ」
「・・・・お前はすこし黙っておれ」
などという殺伐としたやり取りを聞くと、ここも仲が悪いのかなあと思ってしまう。
「カーヤ様、先ほどお話したように、この男をカーヤ様付きにすることはできません。この先カシュアではなく別の、軍の隊長が警護をすることもありますが、それでもよろしいですかな?」
そういえばキアヒムが以前、プラトを紹介したときに茅乃の警護になることもある、と言っていたような気がする。茅乃としてはわざわざ人員を割いてもらっている立場なので否もない。
が、気になっていることがあったので訊いてみることにする。
「警護に関してはお手を煩わせてしまってすみません、としか・・・・。ですけど、べつにわたしにわざわざ人手をかけなくてもいいんじゃないでしょうか。それとも警護を付ける意味があったりするんですか?」
「・・・・・・」
カシュアであろうがプラトであろうがそのほかの隊長であろうが、それぞれ仕事があるはずなのだ。なのにじぶんのようなものの警護として一日を潰されるのはどうなのだろうか、と。
申し訳ないな、というつもりで言った言葉を、ラムジは無言で聞き、そして茅乃の背後に視線を飛ばした。背後もまた無言で、なにも、軽口さえ聞こえない。
難しい表情をしてラムジは答えた。
「御身のためです」
「ああ、神子の立場上、仕方ないんですね」
どこか上滑りをしているような茅乃の言葉を、シャノンは違和感を覚えながら聞いていた。
ラムジとカシュアは、違和感以上の感情とともに聞いていた。それは戦慄に近い感情だった。
執務室でのキアヒムの発言を、ふたりとも思い出していた。
神子を指して、危機意識がないのだ、と言っていた。
これは、あのときの言葉に通じるのではないのか、と。
要人警護は当然だと思うじぶんたちの常識が、平和なところにいたという神子の感性とちがうのだろうか。それとも神子自身がほんとうに警護といったものを必要ないと考えているのか。だとしたらその理由は。
キョトンとした表情で見上げてくる神子からは、どこから差異や隔たりがあるのかさえ汲み取ることができない。ラムジは立場上仕方ないとか、そういうことではないのだと諭そうとしたが、神子の思考さえ汲み取れないのであってはその方向性さえ摑むことができなかった。
逡巡の後、ラムジは慎重に口を開く。
「警護を付けているのは、カーヤ様の周知のためという点もあります」
「・・・・周知?」
「さようです。カーヤ様はまだこの国、王都の中でも馴染みのない存在です」
たしかに、じぶんはまだこのアズイルでも日が浅く、出会ったひとも限られている、と茅乃は頷く。
「先ほどこの王都が安全であるとおっしゃられましたが、様々な人間がいる以上絶対の安全がある、とは言い切れないのです。あまりなじみのない顔を見れば、この地に縁のないものであるとして良からぬことを考えるものが出ないとも限らないのです」
「・・・・・」
絶対はない、と。
その言葉には頷くしかなかった。茅乃がいた世界の、日本という場所は特に安全だといわれていた。けれどもその日本の中にあってさえなんの事件も事故も起きない日はなかったのだ、残念なことに。
茅乃がアズイルを安全だと感じたのならば、それはたまたま運が良かったか、カシュアをはじめとしたひとたちの、それこそ努力の賜物だったのだろう。
頷いた茅乃を、どこかホッとしたようにラムジが見てくる。
「そういった理由もあって、この目立つ男を神子様にお付けしたのですよ」
この、とラムジは茅乃の背後を指さす。振り返ると、大柄で、赤い髪が派手な人物が軽く頷く素振りを見せた。
つまり、カシュアとともに歩いていることで茅乃が神子であると宣伝していたようなものなのだ。
けれども、と茅乃は訝しく思う。
「ラムジさんのお話を聞いていると、神子だと知られたほうがいいというふうに聞こえるんですが」
「事実、そうですな。なんの後ろ盾もない子供だと思われることと、国の守護者として滞在される神子様だという認識では危険度もちがってくるといえましょう」
「はあ・・・・。と言われてもわたし、特に守護とかそういことはなんにもしてないんですが」
「なにをおっしゃいます」
ラムジが軽く目を見開いて言う。
「アズイルの上に守護星が上がった以上、そこからすでに恩恵は受けておるのですよ」
「・・・・・・・。ええ・・・・?」
まだ茅乃の知らない神子の仕事があるということなのだろうか。
困った、と茅乃の眉が下がる。こうなると、レンに歴史のほかにも教わりたいことが出てきてしまった。
情けない顔になった茅乃を、柔らかくなった目でラムジが見る。
「カーヤ様には窮屈な思いをしていただくことになりますが、しばらくはそのために警護が付くことをご承知くださいますかな」
「あ、はい。お手を煩わせてしまってすみません」
国としての措置なんだな、と茅乃が返答したところで、王城の出入り口から聞き慣れた声がした。
「カヤノ。これから城下街に行くのか?」
淡々とした声に振り向けば、そこにはきれいに磨かれたブーツを履き、直線的なデザインの外套という畏まった衣装を身に着けたプラトと、そのプラトを従えたキアヒムが出てくるところだった。
相変わらず陽の光を受けてキラキラと反射する色彩の持ち主は、なんだかいつも以上にキラキラと輝いている。
比喩ではない。
キアヒムの外套には銀糸が縫い込まれており、腰元には精緻な造形の剣が提げられている。いつもは無造作に見える銀色の髪は整えられ、外套から見える身には装飾の類が着けられている。金を主とした指輪には深海を覗き込んだような深い青色の石が嵌め込まれている。石の飾りがない指輪もある。髪の隙間から見える耳にも同じ青色の石が見えた。
陽光と、それを反射する煌めきに茅乃は目を細めた。
眩しい・・・・と。




