45 王族
パカリと茅乃の目が開いた。
寝台を覆う薄布越しにぼんやりと明るい天井が見える。
―――朝だっ!
今日となった日の予定を思い出し、そわそわと起き上がる。部屋の端に行き、大きな窓を開けるとすこし肌寒いくらいの風が入ってきた。陽射しは強くなく、どこかやわらかい。早朝だろうか、と見当をつける。
早めに寝たので早くに目が覚めてしまったようだ。
ちょうどいい、と茅乃はチェストまで移動し、引き出しを開けて着替えを取り出す。昨夜は戻ってそのまま寝てしまったので、朝風呂ならぬ朝サウナに向かうことにする。
部屋を出、回廊を進むと階段付近には見たことのないひとたちが立っていた。
「おはようございます」
イフラスとザイドのふたりはどうやら交代したようだ。さすがに夜から朝の鐘までずっと警護をしているわけではないらしい。
そう挨拶をすると、警護に立つ二人の隊員は姿勢を正し、片手を胸の前に当てた姿勢を取る。おそらくこの姿勢は、神子に対する挨拶の略式なんだろうなと茅乃は思う。イフラスのように仰々しい形にならないのでこれでいいんじゃないだろうかとさえ思う。
サウナ部屋に入り、中の扉を開けるとすでにモクモクとした蒸気で満たされている。
蒸気を顔に浴びながら、二十四時間稼働してるんだな、と寝起きの頭で茅乃は考えた。
水が貴重なアズイルにおいて、それが多大な勘ちがいであると気付かないまま、茅乃は髪を簡単に纏めサウナに入ることにする。
蒸気に包まれながら、どうしても汗を流すだけになってしまう仕様に慣れないなぁと感じる。汗をかくとそのあとはお風呂で流したい、と考えているじぶんに気付くのだ。
どうしようかなぁ。
風呂という施設は貴賓館に造った。サウナではなくお湯を張った浴槽に浸かりたいと思うのであれば貴賓館に行けばいい。けれどもその場所まではそこそこ距離がある。茅乃の生活圏内ではないのだ。
・・・・・部屋を改造したらだめかなぁ。
建物をひとつリノベーションすることができた。ならばいま借りている部屋の一部を造り変えることもできるかもしれない。さすがに王城内の施設のうちだから勝手にやってはいけないだろう、許可をもらえるか確認してみようかと予定にもならないことをつらつらと考える。
そんな考えごとをしていると、体力の限界がやってきた。サウナの温度には慣れていないので早々に音を上げて出ることにする。
「熱い・・・・」
下着を身に着け、下衣を履く。汗がなかなか引かないのでキャミソールのような服だけを着て脱衣場にある小さな窓を開けて涼むことにする。
ウチワとかないのかな・・・・。
と考えたが、窓から入る風は涼しく、必要ないかも、と考え直す。
サウナ部屋は王城の正面に位置する部分にあり、小窓からは城下に続く石畳と、向こうのほうには日時計のある広場が見える。今日の行き先だ。いまのところ城下街あたりまでが茅乃の行ったことのある範囲、ということになるが、いずれその先も行けたら、と思う。
小窓からの景色を眺めながら物思いにふけっているとサウナ部屋の扉が突然開いた。
「・・・・・!」
ぼんやりとしていた茅乃の肩が思いっきり跳ねる。
振り返った入り口には軽く目を見開いて立っているキアヒムと、その背後にはタオルを持ったマーサと、マーサと同年代くらいに見えるほかの侍女のひとがふたりほど立っていた。
「おはようカヤノ。今朝は早いな」
すぐに表情が戻ったキアヒムが朝の挨拶をしてくるので、茅乃は肩と同時に跳ね上がった動悸を落ち着かせつつ挨拶を返した。
「おはよう、キアヒム君」
「カーヤ様、おはようございます。カーヤ様も朝風呂でございますか?」
「おはようござ・・・・」
と声をかけてきたマーサにも挨拶を返している途中で、茅乃は首を傾げた。
わたし、も・・・・?
そして、侍女を引き連れて立っているキアヒムを見て、このサウナ風呂が稼働していた理由はキアヒムが入るために用意されていたからだということに思い至ったのだ。
「あっ・・・・! ごめんなさい、先に使ってしまいました!」
マーサはとくになにも言わず、キアヒムへと目線を向けた。その先でマーサの主であるキアヒムがたいした頓着もなさそうに答える。
「この階用の風呂だ。使いたいときに使えばいい」
「えっ」
「だいたい夜は準備されている。それ以外で使いたいときはマーサに言っておくと用意してくれるだろう」
やっぱり今日は特別に準備されていたのだ、と茅乃は焦ってマーサを見る。するとマーサは用意した風呂を先に使った茅乃に対して怒る様子もなく、キアヒムの言葉に頷いた。
「いつでもご用意いたしますよ」
おっしゃってくださいね、と続けるマーサに、茅乃はすみません、とふたたび謝る。
「わたしがいたところでは、いつでもお風呂に入れる環境だったので・・・・」
習慣という意味でいえば夜に入ることが多いが、休みの日の時間があるときはいつでも風呂に入ることは可能だ、ということを思い出しながら言い訳がましく小声で茅乃が言うと、キアヒムが上着に手をかけながら興味深そうに振り返った。
「それは朝だろうが昼だろうがいつでも用意されている、ということか?」
「え? はあ、そうですね。といっても用意するのはじぶんですが」
風呂掃除をし、給湯器のボタンを押せばいつでも入れる状態にできる。
「用意は茅乃がするのか?」
「そうです」
「ひとりで?」
「そうですが」
「それは大変だな」
「そうでもないですよ。ここみたいに広い空間じゃないですし・・・・って、キアヒム君?」
ごく一般的な家庭サイズの風呂なのだ。王城の中の設備とはちがうんだよ、と考えていた茅乃は、先ほどからテキパキと動いているキアヒムを捉えて動揺と疑念の入り混ざった声を上げた。
「なんだ?」
「なんだじゃないですよ。さっきからなにをしてるんですか?」
「はあ? 服を脱いでいるが?」
「なにを言ってるんですか? わたしはまだここにいるんですけど?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
互いに互いの言っている意味が理解できずに無言で見つめ合う。
首を傾げながらキアヒムが口を開いた。
「風呂に入りに来たんだから服は脱ぐだろ」
それともカヤノは服を着たまま風呂に入るのか、と問われ、茅乃は論点がズレていることに気が付いた。
「いや、そういうことを言ってるんじゃなくてですね。どうして他人がいる状態で脱いでいけるのかってことなんですよ」
茅乃が造った公衆浴場、銭湯というのならいざ知らず。いまこの脱衣所は、茅乃はおろかマーサをはじめ侍女のひとたちもいる状況なのである。
靴を脱ぎ、重ね着の上着を脱ぎ、キアヒムが纏う衣服は残りのほうが少ない。頼むからそれ以上は脱がないでよ、と心の中で念じた茅乃の思いもむなしく、キアヒムは先ほどのように頓着なくTシャツのような上衣に手をかける。
「オレは気にならないが」
言葉のとおりに、ほんとうに羞恥も抵抗も見せずに、それよりも時間のほうが惜しいと言わんばかりに上衣の最後の一枚を脱いでしまう。
心の中で悲鳴を上げながら、もしかしたら本当に口からも漏れてしまったかもしれないが、残りは下衣だけになったキアヒムのほうをなるべく見ないようにして茅乃はこの脱衣所を出るという選択肢を取った。
「わたしが気にするって言ってるんですぅ・・・・!」
文句を言うことは忘れずに、転ぶようにして茅乃が回廊に出たのとキアヒムが中扉を開けて入って行ったのはほぼ同時だった。
・・・・・あぶな、かった・・・・!
回廊に敷かれた絨毯に手を着き、その布地の文様を目に捉えながら茅乃はギリギリだったということを実感する。サウナ後とはまた別の汗が噴き出す。
そして、ハッと脱衣所のほうを振り返った。
「わたしの着替え・・・・!」
持って出てくる時間も心の余裕もなかった。取りに戻らないと、と立ち上がったところでマーサの姿がその脱衣所から出てくるのが見えた。
「カーヤ様、上着をお忘れですよ」
そう言って部屋用の上着をかけてくれるが、ほかにも忘れ物がある。
「ありがとうございます、マーサさん。でも着替えも忘れちゃってですね・・・・」
「そうですね、持って出る暇がございませんでしたね」
頬に手を当て、困ったようにマーサが首を傾ける。どちらかというとサウナ部屋から逃げ出す羽目になった茅乃にいくぶん同情しているような眼差しであったので、茅乃は思い切って訊いてみることにした。
「あの、マーサさん」
「なんでございましょう?」
「・・・・キアヒム君は、どうしてあんなに堂々と脱げるんでしょう?」
人前で衣服を脱ぐことの抵抗感というものは性差や個人差が現れる点だろうと茅乃は考える。だがそれにしても先ほどのキアヒムは思い切りがいい、というよりは思い切るものさえないように見えた。本人が言ったように、気にならない、ということだろうか。・・・・それにしても、と茅乃は思う。
それにしたって、もうすこし遠慮してくれてもいいんじゃない?
一切の配慮がされなかったことに若干うらめしく思いながら訊いてみた質問に、マーサはさらに首を傾けて、言葉を探すふうにした。
「そうですねえ・・・・。ごく一般的には、カーヤ様がおっしゃっていることは当然のことと頷くところなのですが」
「はあ」
「陛下の場合のふつうと、わたくしたちのふつうとを当てはめて考えることはむずかしい点があるのかもしれません」
「むずかしい、ですか?」
「・・・・・なんと言いましょうか、陛下は、ほんとうにああいったことは一切気にかけません」
「そうみたい、ですね」
「というより、慣れていらっしゃるのです」
「慣れ・・・・」
「ご存知かと思いますが、陛下は生まれついての王族ですので、周りにひとがいることが普段の、陛下にとっての通常の環境なのです」
「・・・・・・」
「幼少期の頃で言いますと、キアヒム様が朝起きたときにはすでに誰かが室内におり、一日を過ごして寝入るまでそれは続いておりました。お世話をするべく誰かが近くに控えているのです。現在は成長されましたので付きっきりということはなくなりましたが、それでもお世話をする際には誰かが付いております。用聞きの際には軍部のものであったりしますし、先ほどのような身支度を整える場合にはわたくしども侍女の手が要りようとなります。そういった環境下の理由で、陛下はわたくしどもとはすこしちがった感覚をお持ちなのでしょう」
「・・・・・」
マーサの言葉を聞きながら、茅乃は執務室でのキアヒムとのやり取りを思い出していた。
「そういえば、おなじような感じが前にもあったなって・・・・・」
「以前にも?」
「はい。ワンワン君を捕まえて執務室に行ったとき、わたしがお手洗いとお風呂はひとりで入るものだって言ったら、キアヒム君がそうか? って言って全然理解してくれなかったんですよ」
「ああ、ございましたね」
「あれって、ほんとうに心底そう言ってたんですね」
「そうでございましょうねえ」
マーサの返答を聞きながら茅乃は、先ほど考えた個人差というものの中に育ちや環境といったものが含まれるのだということを認識した。そして同時にキアヒムに対して、単に同年代の男子と接しているという感覚が拭えていないのだと実感する。
・・・・・そういえば、国王なんだった。
一般人とは感覚がちがうのだろう、と言われればそれもそうかと受け止めるしかない。そもそも茅乃が茅乃だけの感覚でこうなのだろう、と決めてかかったのだ。そのことは反省すべきなのだ、感覚がちがえば配慮される点もちがってくるのだから。
「・・・・・ということは、十代男子であっても、侍女のひとがいて恥ずかしがるとかそういう感覚はないってことなんですね」
「皆無でしょうね。お世話をする際に恥ずかしがられてはわたくしどももやり難うございます」
「・・・・逆に、侍女のひとはお風呂のお世話をするということになんの抵抗もないんですか?」
レオトールにいたころは茅乃自身もよくひとの手で風呂に入れられていたが、まだ同性同士だったこともあって抵抗するというよりは諦めの感覚が勝った。だが先ほどの状況は異なるものである。
かなり踏み込んだ質問をしているのかもしれない、と茅乃は思ったが、マーサはあっさりと返答してくれた。
「こちらもお務めでございますから」
「はあ・・・・」
「ただ、中には不届きな侍女もおりますので、人選には細心の注意を払っております」
マーサの言っていることがわからなかったので、茅乃は
「ふとどき」
おうむ返しに訊くことしかできなかった。
チラ、とマーサは周囲に目配せをし、階段付近に警護中の隊員が立っているのを見て取って声を低める。
「人選を誤ると、陛下の貞操が危のうございます」
「・・・・・ひえぇ」
マーサはわかりやすい言葉を使ってくれた。意味を理解できた茅乃が返せたのは小さな悲鳴くらいだった。
口元が引きつった茅乃を、マーサが真剣な表情のまま見て言う。
「陛下が同意してのことならある程度の問題は起きずに済みますが、そうでない場合は不幸しか生じません。否であるときは命令という形で断るでしょう。最悪の状況であれば単純に腕力で拒絶するかとは思いますが、なにごとも起きないようにするのがわたくしどもの務めでございます」
「・・・・・・大変なお仕事なのですね」
「さようでございます」
謙遜するでもなく、真面目な表情で頷くマーサを見ていると、仕事というものは表面上のものだけではないんだなということを茅乃は学ぶ。
きっと、どのお仕事も大変な部分があるんだろうなあ。
茅乃はただの学生で、社会に出たことがないので仕事に関することは想像することしかできない。
なるべくお仕事の邪魔にならないようにしよう、と茅乃は考えながら、ふと落とした視線の先の絨毯を見て先ほどの窮地を思い出す。
・・・・・可能性として。
あくまで可能性の場合だが、もしも茅乃があと数分目が覚めるのが遅かったらどうなっていたのだろうか。
脱衣所でキアヒムとニアミスするのではなく、サウナの中でおはようございますという事態になる、ということは起こりえたのだろうか。
「あのー、マーサさん。全然さっきと関係ない質問なのですが」
「はい。どうされました?」
「もしもわたしが先にあのお風呂を使っている最中だったら、キアヒム君はどうしたと思いますか?」
「・・・・・・」
難しい質問ですね、とマーサはふたたび首を傾げてしまった。
「カーヤ様が出てこられるのを待つか、予定がある場合なら声をかける、というお答えをしたいとは思いますが・・・・・」
「それもまた一般的な答えの範疇、ということですか」
「そうですねえ」
つい長々と回廊で話し込んでいると、サウナ風呂の扉が開いた。かすかに白い蒸気が流れ出し、ともにキアヒムの姿が現れる。
きちんと服を着ているキアヒムの姿を見、そして先ほどの話を思い出した茅乃は、言った。
「・・・・・キアヒム君。苦労してるんだねえ」
心底からの言葉を聞いたキアヒムは怪訝そうに眉を寄せ、チラリとマーサを見る。
「・・・・・なにを吹き込んだ?」
「まあ。心外でございます。侍女としてのお話をしていただけでございます」
嘘ではないが、丁寧に説明している言葉でもない。そのような言い方もあるのか、と茅乃は感心しつつも、当の本人が目の前にいるので訊いてみようかと声をかけた。
「キアヒム君、いまちょっと訊いてもいいですか?」
朝も早くから身支度をしているので話をする時間はあるのだろうか、と確認をしたのだが、キアヒムは身を翻すでもなくその場に留まった。
「なんだ?」
「もしもの話なんですけど。さっきわたしが脱衣所ではなく、サウナの中にいたらキアヒム君はどうしたと思います?」
あくまで仮定の話ではある。
あるが、どういった答えがキアヒムから返ってくるのか、ただの一般人である茅乃やマーサでは見当もつかないのだ。なので、本人がいる以上訊いてみたほうが確実だろうと考えたのである。
さて、ふつうの感覚がふつうのひととはちがう王族のひとはどういう返答をするのだろうか、と心の中で身構えた茅乃に、あっさりとキアヒムは答えた。
「カヤノが嫌がるようなら出て行くと思うが」
「・・・・・・」
あまりにも隔たりを感じる答えに、こりゃダメだ、と茅乃は思った。
そして同時に決めた。
うん、じぶん用のお風呂を造ろう。
ある意味ひとつ屋根の下、共用の風呂場の中でニアミス、などという事態は断じて御免なのである。
「キアヒム君。いま借りている部屋の中を一部改造してもいいですか?」
「かまわないが」
「いつもの深く追求しない返答には感謝しています」
「・・・・なにか含みがあるな?」
「いえ、特には」
決して目を合わせて答えられない茅乃を訝しそうにキアヒムは見ていたが、事実この後予定があるのだろう、まあまたあとでな、と言って侍女のひとたちとともに部屋へと戻って行った。
「あっ、と、着替えが・・・・・」
取りにいかないと、と足を踏み出しかけた茅乃を、マーサが止める。
「陛下のお着替えと一緒に洗い場まで持っていきますので、カーヤ様はそのままお部屋にお戻りください」
朝食も早めにお持ちしますね、というのでその言葉に甘えることにする。
おねがいします、と脱衣所に戻っていくマーサに頼んで、茅乃も部屋に戻ることにした。
「はー、なんだか朝から疲れたような気が・・・・・」
部屋に戻ってひとりになると疲労感を感じた。
部屋の壁面にたてかけた釣竿が目に留まり、茅乃はつぶやく。
「ヒノキのお風呂にしよう・・・・・」




