44 自由時間 5
一日の鐘が鳴るときは決まっているが、特に夜、終業の鐘が鳴り終わると翌朝の目覚まし代わりの鐘が鳴るまではいっさいの報せがない。
・・・・・いまは、何時くらいなのかなぁ。
細かな時刻がわからないのだ。
終業の鐘を聞き、部屋に戻って夕食を食べ、散策をしながら執務室に行きささやかな茶会をして厨房に向かっている。体感的には一九時くらいだろうか、と思うものの、確かなことがわからない。茅乃の習慣からすると時間が大まかであるというのはしっくりこない部分もあるが、ここでは夜の時刻は必要とされていないようなので、いずれこちらの習慣にも慣れてくるのかな、と考えながら厨房の裏口と思われる場所に着く。
「ワンワン君、ここは」
「厨房で合っています」
いつの間にかふたたび背後で闇色と一体化しているワンワンに確認を取ろうとすると、その前に断定された。ここにも迷わずに来ることができたので、脳内の地図に厨房と記して記憶する。
「ワンワン君も一緒に豆の筋取りしますか」
フードで顔を隠していればやれるのではないか、と考えた茅乃が訊いてみると、素っ気ない答えが返ってきた。
「しません」
「そっかー」
「諜報部は国の暗部なので、下手に表の人間と関わると面倒ごとが起きます」
「・・・・そうなの?」
「はい」
よくは理解できなかったが、ワンワンにその気がないというのなら無理強いさせるものでもないだろう、と考えて、茅乃はひとりで裏口の扉をくぐることにする。
「・・・・お疲れ様でーす」
声をかけながらそっと戸を開けて見ると、中にはハウラだけではなくほかに三名ほどのひとがいた。
昨日の入り口に近い作業場ではなく、すこし奥に入ったところに作業台のような大きな台があった。その台を囲むようにして背もたれのないイスが無造作に配置されている。点在するイスには歳も性別もバラバラなひとたちが座っていた。
その中のひとり、ハウラが戸口を振り返って声を上げた
「あ、カーヤ来てくれた!」
「お手伝いに来ました」
「空いてるからここに座って。さっそくこれをお願いね」
「はい」
ハウラが作業台の上に積まれた豆の山を示す。指一本くらいの大きさの、薄い緑色をした豆の莢はどこかスーパーなどで見かけたスナップエンドウとよく似ている。
これまで用意してもらった食事を思い起こしてみると、食材に関してはさほど世界の隔たりを感じなかった。野菜があり肉類があり芋類がありこういった豆を見ることもある。料理に関しては文化のちがいが大きく出る部分だろうから、おなじようにはいかないだろうなぁと思いながら茅乃は白色の缶を台の上に置き、示されたイスのひとつに座る。
「良かったらこれ使って。やりやすくなるわよ」
「ありがとうございます」
お礼を言って受け取ったのは昨日も借りた小さなナイフだった。
座り直し、さりげなく周りで作業しているひとの様子を見ながらお手伝いしよう、と目線を向けてみると、ハウラ以外のひと全員とがっつり目が合った。
「あんたがハウラの言ってた、手伝いの子かい」
そう言ったのは茅乃が座っている場所から比較的近いところに腰を下ろしている女性だ。五十代くらいだろうか、ハウラと似たような服装と靴、ということはこれが厨房の制服かもしれない、と茅乃は思う。明るい茶色の髪をまとめているのもハウラと同じだ。
「はじめまして、カーヤと申します。よろしくお願いします」
「あたしはランダだよ。こんな時期に新人なんて珍しいね」
「ほんとほんと。料理長はいつも決まった時期にしかひと入れないんだけど。あ、あたしはファリダっていうの。よろしくね」
明るくハキハキとしゃべった女性はファリダと名乗った。二十代後半くらいだろうか。やはり制服のような同じ形の服を着ている。髪は短いのでまとめていない。化粧っ気のない顔ではあるが目鼻立ちははっきりとしているので、美人なお姉さんだという感想を茅乃は持つ。
「よろしくお願いします」
ペコリと茅乃は頭を下げる。
そんなやり取りをしている間にも従業員である彼らの手は止まっていない。スッ、スッと滑らかな動きで豆の筋取りを終えては筋取り済みの山に積んでいく。
茅乃も慎重に力を込めて同じように筋を取ろうとするが、ブツリブツリと筋が千切れてうまくいかない。手の中の豆とナイフを見つめて黙考する茅乃に前方から別の声がかかった。
「向きがあるんだよ」
顔を上げてそちらを見ると、台の角を挟んで斜め前に座っている男性が茅乃の手元を見ている。
二十代半ばくらいに見える男性だ。濃い色の直毛と、黒に近い瞳。表情は無表情に近いので素っ気ないひとなのかと一瞬思った。が、ほんとうに素っ気ない人は新人にアドバイスなんてくれないだろう、と茅乃は考え直す。
「向き、ですか」
「そう、ここから刃を入れて」
そう言いながら男性はじぶんの手元で実演して見せてくれる。
「こっちに引くと、取れるから」
「・・・・・」
言われたとおりにやってみると、ほんとうにきれいに筋が取れた。
「できました! ありがとうございます!」
うん、と男性は短く頷いて自身の作業に戻っていく。
無口な人だなぁ、と思いながら見ていると、隣に座っているハウラが豆の先で男性を示しながら教えてくれる。
「あいつはデミルよ。無愛想に見えるかもしれないけど、新人には丁寧に教えるやつだから、なにか困ったことがあったら聞くといいわ」
「デミルさん。とてもわかりやすい説明でした。親切な方ですね」
「そうなのよ。意外でしょ」
「あんた、デミルのこと褒めてるの? そうじゃないの?」
ファリダが怪訝そうな目つきでハウラを見ている。そんな他愛のない会話をしながらもハウラたちの手は止まることなく動き続けている。芋の皮剥きに続き茅乃はどうしても遅れを取ってしまうが、丁寧に仕上げる方が優先だろうとひとつひとつ仕上げていく。
世間話のようなおしゃべりに耳を傾けつつ作業を行っていると、山のように積まれていた豆がいつの間にか移動しており、筋取り済みのほうへと積みなおされていた。
「んー、今日の作業は終わりね!」
言いながら、ハウラは両腕をほぐすように上げている。達成感からか満面の笑顔である。
「いつもより早く終わったな」
デミルがそう言うと、ファリダが
「大量の作業はやっぱり作業員の数で勝負よね」
と頷く。豆をまとめてカゴに入れていたランダが振り返って茅乃に言う。
「あんた、手伝ってくれて助かったよ。良かったらこの後お茶でも一緒に飲むかい?」
「あ、いただきます」
茶は先ほど別の場所で飲んできたが、お腹いっぱいというわけではないのでもらうことにする。ハウラたちにとっては仕事であるということは理解しているが、軽く会話をしながら作業している空気はどこか放課後の教室の空気にも似ていて、もうすこしここに座っていたいような気がしたのだ。
茅乃の返答を聞いたランダが作業台の隅にある石組のある場所に向かっていく。イスの上から伸びあがって観察すると、その石組の中にはかすかに炎の色が見えた。
暖炉かな、と茅乃は思ったが、その上に小さな鍋が置かれたのを見て見当が外れたことに気付いた。
あれは暖炉ではなく、かまどなのだ。
そうか、ガス管もないんだな。
城下街を歩いたときに、金属の類が少ないことを知ってこの世界の時代観を考え直したのを思い出す。
となれば茅乃の思うような都市政策、ましてやインフラといったものはそれほど整備されていない、と考えるのが妥当かなと考える。
あのかまどの火の始末はどうしているのだろう、と疑問に感じた茅乃は訊いてみることにした。
「あの、ハウラさん。かまどの火はずっと点いているのですか?」
刃物の片付けを行っていたハウラが頓着なく教えてくれる。
「ああ、あれ? ずっとっていうか、朝から点けて作業が終わるまではずっと点いてるわよ」
消した火をまた点けるのは大変なのよね、とファリダが小さくぼやく。
「ということは・・・・」
燃料はなんだろうか。
単純に薪と思いついた茅乃は、ここアズイルが砂漠の多い地であることを思い出した。中庭などで植栽を見かけることはあるが、それが毎日の燃料として使われるほど豊富な資源だとは思えない。
「なにで燃やしているんですか?」
「家畜のフンとか使ってるわよ」
畜舎からもらってくるの、と説明してくれる。
「転がしてるだけで乾燥して使えるようになるから便利よ」
「はあ・・・・」
地の利を活かしている、ということだろうか。
そう考えていた茅乃の前に、陶器でできたカップが置かれた。
「ほら、飲みな」
ランダが置いてくれたカップから、ふわりと湯気が立ち上がる。茅乃が知っている香りとは別の香りだ。カップの中を覗き込んでみると、薄茶色の液体で満たされている。底が見えず、トロリとした色を見て、茅乃はそれがいままでマーサに淹れてもらっていた茶とは別の茶であると気が付いた。
「ありがとうございます」
それぞれの前にカップを置いたランダが、最後にじぶんのカップを持ってイスに座る。茅乃の言葉にひとつ頷いてランダもカップを口に運ぶ。
コクリ、とひとくち飲むと、それは軽い刺激のある飲み物だった。どこかチャイティーに似ている。
「おいしいです」
陽が落ち、昼間とは気温ががらりと変わるアズイルの夜にはもってこいの飲み物だと思い、ふと作業台の上に置いた缶の存在を思い出した。
「そういえば、いいものがあります。このお茶にとても合うと思います」
カップを置いて、パカリと缶の蓋を開ける。すると、茅乃以外のものが缶を覗き込むように中腰の姿勢になった。よっつの頭が缶の上に集中し、そしてそれぞれの目が缶と茅乃を往復する。
「カーヤ、これは?」
「お茶菓子です」
「食べていいの?」
とファリダに訊かれたので、どうぞ、と茅乃は答える。
「見たことのないお菓子だねぇ」
ひとつの焼き菓子をつまんだランダがポイと口の中に放り込むのを見て、ハウラたちも缶に手を伸ばして好みの菓子をつまんでいく。
「いただくわね」
「ありがとう」
「これおいしそう!」
思い思いの言葉を口にして茅乃以外のひとたちが菓子を頬張る。茅乃のおやつの時間は先ほど終わったので食べずにおいた。
ザク、ボリッと音が鳴る中で、茅乃は温かいカップを両手で持ちながらそれぞれの様子を窺う。
さきほどの執務室では好評の菓子だったが、厨房の中の料理に携わるひとの感性でも同様の意見が得られるだろうか、とすこし不安を覚えたのだ。
わたしはおいしいと思うんだけど、と思いながら見回した視線の先で、ハウラたちの視線が交差し、そしてそれは茅乃へと降ってきた。
もぐもぐ・・・・、と咀嚼していたハウラの口の動きが止まっている。
「カーヤ、これ、すごくおいしいんだけど」
そう言った口調はとても大人しいものであったけれど、瞠った目はキラキラと子供のように輝いている。それを見て茅乃は頷いた。
「そうでしょ!」
「えー、なに、なんだか食べたことない味がする・・・・」
そう言いながらハウラは咀嚼を再開する。未知の味というのを探ろうとしているのだろうか。ファリダは空いた片手で頬を押さえ、緩んだ口元からハウラに同意する言葉を放つ。
「ほんとにこれおいしい。硬さとか甘さとかちょうどいいわ」
「疲れた体に染みるね」
静かにランダが言う。デミルは最初につまんだ菓子を食べ終わって、茅乃に視線を向けて訊いてきた。
「・・・・もうひとつもらってもいいかな?」
「もちろんです!」
良かった、口に合ったみたいだ、と茅乃が内心でホッとしていると、裏口とは別の扉からのっそりと姿を現した人影があった。
「おい、下準備は終わったのか」
マリクである。
「あっ、親方。お疲れ様です」
そう言った茅乃の姿を視界に捉えて、マリクの寄って来ようとしていた足の動きが鈍る。
「・・・・ほんとうに来られたので?」
苦々しい声音に茅乃は怯まない。
「お手伝いはハウラさんとの約束ですので!」
「・・・・・」
無言の後にため息が聞こえたような気もするが、気のせいということにしておこうと茅乃は考える。そのやり取りを見ていたファリダが不思議そうにマリクを見上げた。
「料理長、この子は新しく入った子じゃないんですか?」
「そんなわけあるか。新しく来たことにはちがいないが、厨房預かりじゃねえよ」
「ええっと、じゃあこの子は・・・・?」
困惑するファリダやデミル、ランダの前でマリクが声もなく動いた。それはこのアズイルではよく見た動きで、見慣れた姿勢だったので茅乃は反応が遅れた。
「当代神子様にはご機嫌麗しく」
先ほどののっそりとした動きではなく、流れるような動きでマリクは片膝を着き、片手を胸の前に当てた。
簡潔な紹介がなされると同時にイスの足が乱れる音が響いた。
「・・・・あんた、神子様かい」
引かれたイスの上、半分立ち上がりかけた姿勢のランダに問われて、茅乃の眉が下がる。
「・・・・はい。お世話になります」
「それなのに、豆の筋取りを手伝ってくれたんですか」
改まった口調になったのはデミルだ。下がった眉が戻らない。
「昨日ハウラさんにまた来るって言いましたし」
「ハウラ!」
突然大声を上げたのはファリダである。
「あんた、この子が神子様だって知ってたのね!?」
茶を飲んでいたハウラの面が上がる。
「は? そりゃ昨日会ったから知ってるけど」
「なんでそれ先に言わないのよ!」
「べつにどうでも良くない? 本人全然なにも気にしてないみたいだけど」
ハウラがなにげなく言った言葉は、茅乃の心中を的確に表した言葉だった。
そう、なにも気にならない、と茅乃は思ったのだ。
神子がどうとか、どうでもいい。それによって言葉を改められるとか、いまここの空気感が変わってしまうことのほうが残念だと思った。さっきまでの、放課後の教室のような空気感のほうが茅乃は好みなのだ。
ここぞとばかりに茅乃は大きく頷いてハウラに同調する。
「そうです、なにも気になることはありません」
「だよねえ?」
「はい」
そう言ってふたつめの菓子に手を伸ばすハウラと、カップに口をつける茅乃の姿を見た各々が、ゆっくりと恐る恐るイスに戻ってくる。
その中で元からイスに座っていなかったマリクに、茅乃は缶を差し出す。
「よろしかったらマリクさんもどうぞ」
「・・・・これは?」
「お茶菓子です。といっても貰いものなんですけど」
「・・・・・」
無言ながらマリクの眼は缶から離れない。カシュアやランダが言っていたように、見たことのない菓子があるらしいのでそれが気になっているのだろうか、と茅乃はマリクの反応を待つ。
デミルは散らかったイスのひとつを運んできてマリクの席とした。ランダが立ち上がり、ふたたびかまどへと向かい、新しいカップを手に戻ってきた。マリク用の茶である。
「いただきましょう」
まるでなにかを決意したかのように重々しくマリクが言う。ただのおいしいお菓子なんだけどなぁ、と茅乃はマリクがその菓子を口に運ぶのを見守る。
ザク、とマリクが菓子の半分ほどをかじる。そして、
「・・・・・?」
その顔には、疑問の表情が浮かんだ。ザク、と食べ進めると疑問の色が強くなる。なんなら眉間のしわも増えている。
「神子様」
「はい、なんでしょう」
「これは、貰いものだとおっしゃいましたね」
「はい」
「どちらから貰ったものですか。食べたことのないものの味がするのですが」
「えー・・・・」
ここでも出所を訊かれて、茅乃はなんと答えるべきかを考えた。
「ええと、先代の神子でレンさんというひとがいるのですが」
「ああ、あなた様とおなじ黒髪黒目を持つ美丈夫の神子様ですね」
「・・・・・見たことがあるんですか?」
「先日王城内で歩いているのを見かけましたので」
はあ、と相槌を返しながらも、それなら話が早いかと茅乃は説明した。
「その、レンさんの知り合いというひとが作ったものです」
ザク、という音がしたきり、静寂が落ちる。マリクの眉間のしわが深くなった。ハウラ以外の人物の目が茅乃を凝視するように集中する。
その中で茅乃は指先を上に向けて、答えた。
「たぶん・・・・、特殊な原材料とかあるのかもしれませんね」
たとえば、アズイルでは採取や収穫が難しいもの、とか。
といったところで茅乃はこの幾種類もある菓子がどのように作られているのかもわからないので、マリクに提案してみることにした。
「あの、材料とか、訊いてみるだけ訊いてみましょうか?」
レンへの黒板を通じて質問できるだろうか、と考えた。といってもレンは忙しいだろうしソラも時間がある身かどうかがわからないので、確実に返答が返ってくるかどうかは保証できないが。
その旨を伝えると、マリクからは否の答えが返ってきた。
「いいえ、遠慮しておきます。どのみち、アズイルで入手できないのであれば再現は難しいでしょうから」
「はあ・・・・」
再現するつもりだったのか、と茅乃は思う。
ボリボリとハウラは菓子をかじり、マリクは眉間にしわを刻んでいる。ランダたちからはどこか遠巻きにされているような雰囲気の中、目の前に座っているマリクを見ているといくつか厨房に関する質問が浮かんだ。
ちょうどいいので、マリクに訊いてみることにする。
「マリクさん、教えてほしいことがあるのですが」
「お答えできることであれば」
そう返答するマリクの目線は白い缶へと向けられている。その缶をサッと茅乃は差し出した。
「おかわりどうぞ」
「よろしいのですか?」
そう問う間にも目線は缶に釘付けだ。執務室で思ったことを茅乃は口に出す。
「おいしいものはみんなで食べるとよりおいしいですよね」
「・・・・・」
マリクは無言だったので、その言葉にどう思ったのかはわからない。そもそも聞いてもいなかったのかもしれない。けれどもふたつめの菓子を取り上げるのを見ていると、べつに返答を期待しているわけではないことに気が付いた。それよりも茅乃が気になる質問に答えてくれればそれでいい。ファリダたちにも缶を差し出しつつ、茅乃は質問をする。
「厨房ではどんな素材が使われているのか、わたしも気になるんですが」
材料にはそれほど茅乃の記憶とは差異のないものが多い、ということはわかったが、細かなところまではわからない。ここアズイルで調味料や香辛料がどういったものが使われているのか、素人の茅乃では食べただけではわからないのだ。
「食材庫、みたいな場所があれば、見学させてもらうことは可能ですか?」
ボリボリ、と菓子を咀嚼していたマリクの目線が動いて、ようやく茅乃を捉える。
「神子様がそれをお望みとあれば可能となりますが」
たいへんに含みのある言い方である。マリクが二個目の菓子を食べきる前に、茅乃はみたび缶を差し出す。賄賂代わりである。
「それでは、厨房の中の設備を見学することも可能ですか?」
「同様に、可能です。陛下からのお達しがあればいつでも対応いたしましょう」
ふむぅ・・・・、とつぶやいて茅乃は思考する。
材料に関しては完全に茅乃の好奇心だ。どういったものが使われているのか、小麦らしきものがあるのなら卵は、牛乳は、といったふうに興味がわく。それを見てみたいだけである。
だが、厨房内への見学は好奇心だけではない。それこそ神子としてなにか役立てることがあるかもしれない、と茅乃は考える。
「では、見学したいということをキアヒム君に申請してみます。そのときはまたよろしくお願いします」
見学をするだけならいまここで頼み込んでみるというのも考えたが、責任者であるマリクが下処理の済んだ素材を取りに来たというのなら、厨房内での作業はまだ終わっていないということだ。作業中に別の仕事を増やしたいわけではないので、キアヒムに申請をしてまた日を改めて来ようと思う。
さて、と茅乃はハウラを振り返る。
「ハウラさん、明日のお手伝いはなんですか」
「明日はねー、玉ねぎの皮剥きがあるわよ」
「わかりました」
とふたりで言い交わしていると、眉間のしわが取れていないマリクが茅乃を見てくる。
「・・・・明日もいらっしゃるおつもりで?」
「夜は時間があるので!」
探索も兼ねて厨房まで来るのはどうということでもない。それに、と茅乃はつぶやく。
「玉ねぎというとカレーですよねぇ」
アズイルにあるとは思っていないが、茅乃のレパートリーの中では玉ねぎを使うというとカレーの献立が真っ先に思い浮かぶ。チキン、ポーク。どれも美味しい。ビーフは元がお高いのでちょっとしたご馳走だ。などと考えていた茅乃に、瞠目したマリクの視線が注がれる。
「な、なんですか?」
なぜか驚いている、ようなマリクからは眉間のしわが取れていた。深いしわがなくなるとどこか若いようにも思えるマリクを見返しながら、茅乃も驚いて訊ねてしまう。
「神子様、いま、なんと言いました?」
「は、はい? 玉ねぎといえばカレーと言いましたが」
「かれえ? かれえとはなんですか。聞いたことのない名のようですが、もしかしてそれは料理の名前ですか」
そう言いながら立ち上がり、じょじょに詰め寄ってくるマリクから言い知れぬものを感じ取る。茅乃は逃げようとしたが、イスの上ではそう逃げ場もなかった。
「ええと、カレーというのはわたしがいたところではよく食べられていた料理ですが・・・・」
のけ反るようにして答えた茅乃の手が、カップに当たる。幸い空になっていたカップは傾いただけで済んだが、その陶器の音にハッとマリクは目を見開く。
「失礼いたしました」
元の位置に戻り、着席したマリクが冷静に言う。
「は、はあ」
「それで、神子様はこの厨房を見学に来るとおっしゃいましたが、いつ来られる予定で?」
「いや、あの、申請してみないとわかりませんが・・・・」
「なるべく早くしていただけますか」
その言葉を聞いて、早く終わらせろということかなあと茅乃はすこし心が落ち込むのを感じる。見学に来たいのは茅乃の勝手であるし、やっぱりお仕事の邪魔になるよね、と考えたが、どうやらそうではなかった。
「見学の際はそのかれえという料理をご教授していただきたく」
真剣な表情で言うマリクの眼は、とてもつよく、とても輝いていた。・・・・まったく冷静ではなかった。
「とても簡単な料理なんですけど・・・・」
いわゆる家庭料理のひとつだ。王城の厨房で責任者をしている人物に教えるようなものではない、と言外に伝えた茅乃の意思は無視される。
「必要な材料があれば確保しておきます。鍋も磨いておきますので」
「は・・・・」
「お待ちしております」
「わ、わかりました。早めに申請しておきます」
また明日も来るのか、と言われたときに比べると手のひらを返したような対応だが、嫌々迎えられるよりかははるかにましだろう、と茅乃は思う。どうやら次回から歓迎されるようなので、手伝いとは別に見学したい旨を明日にでもキアヒムに伝えておこう、と記憶にとどめる。
カップの片付けはランダがやってくれるということなので、言葉に甘えて茅乃は厨房を辞去することにした。ハウラと手を振り合い、ランダたちにはまた明日来ますと伝えて裏口を出る。
厨房の窓の明かりが届かない距離まで歩くと、いつの間にか背後にワンワンが歩いていた。
「ワンワン君、さっきみたいなしばらく離れているときはどこにいるんですか?」
「木の上か屋根の上ですね」
「ははあ・・・・」
ということは、先ほど背後に現れていたワンワンは、木の上か屋根の上から降りてきたことになる。
足音もなく、振り返らなければ茅乃が気付くこともなかった。身のこなしはそれなり、と言っていたユスフの言葉を思い出す。
「今日の厨房でのやり取りもキアヒム君に報告しますか」
「いえ、陛下にというよりかはユスフ様に報告します。そこから陛下に上がっているのではないでしょうか」
「そうですか」
プライバシーがない、とは思うが、ワンワンが行っているのは業務に値するので、目くじらを立てても意味がない。
回廊の端、火が灯されているところを歩く。
今日はもう予定も約束もない。いや、約束がひとつ残っていた。
シャノンに早めに寝るように言われているのだ。
それを実行するため、茅乃は借りている部屋に戻るべく足を進めている。体感的には二十時過ぎくらいだろうか。二十一時にはなっていないだろうから、きちんと早寝に該当するはず、と茅乃は思う。
王城の西側から中央部へと戻り、階段の手前でより明るく灯された火の傍らで茅乃は足を止める。
「神子様?」
後ろのワンワンが怪訝そうに立ち止まる。
「・・・・ちょっと待ってくださいね」
明るく、より手元の見える場所で茅乃は持っていた缶の蓋を開ける。パカリと開けた缶の中身は部屋を出たときに比べて半分くらい減っている。
「すみません、ワンワン君。ちょっと持っててもらえますか」
缶をワンワンに持ってもらい、茅乃は適当な菓子を選ぶ。マーサにもらった布でそれを包み、裏返した蓋の上にそれを置く。
「はい。ありがとうございます」
缶を受け取り、その上に蓋を置く。みっつの包みが乗った缶を抱えて、茅乃は階段を上がっていく。
壁を登るより、やっぱりこっちのほうが楽だな・・・・。
などと思いながら階段を昇りきると、いちばん上の回廊には部屋を出たときと同じくイフラスとザイドが立っていた。
「お疲れ様です」
そう言って茅乃はふたりを見上げた。
「おかえりなさいませ、神子様」
片手を胸に当て、頭を下げて挨拶をするふたりに、茅乃は確認を取ることにした。
「イフラスさんとザイドさんは、甘いものは食べますか?」
「は・・・・、甘いもの、ですか」
キョトンとしたのはイフラスで、
「食べますよ」
あっさり答えたのはザイドだ。
では、と茅乃は蓋の上からふたつの包みを手に取った。
「これ、おいしいお菓子なんです。良かったらどうぞ」
「おっ、お土産ですか。ありがたくちょうだいします」
と頓着なくザイドは受け取ってくれた。
「ま、まさか閣下から贈り物を賜るとは・・・・!」
イフラスはなんだかまたややこしいことを言い出したので、渡した後茅乃は早々に部屋に入ることにした。
「それじゃ、おやすみなさいっ」
ランプの灯された部屋に入ると、茅乃に続いて部屋に入ったワンワンが天井裏へと繋がる板のほうへと移動していく。
「あ、ワンワン君」
「なんですか?」
振り向いたワンワンにも、茅乃は包みを差し出す。
「はい。ワンワン君もどうぞ」
「・・・・・」
突き出された腕の先の、布の包みをワンワンが無言で見つめる。
「あれっ、もしかしてワンワン君は甘いもの苦手でした?」
「いえ・・・・。これは、ボクに、ですか?」
「そうですが?」
なにを言っているんだろう、と茅乃は首を傾げる。
この部屋にはいま茅乃とワンワンしかいないのだ。その中で菓子を差し出しているのが茅乃なら、受け取るのはワンワンでしかありえないはずだが。
「・・・・・」
まじまじと包みを見つめるワンワンに、茅乃は言う。
「苦手じゃないのならぜひ! おいしいですよ!」
お仕事の後にでも、と茅乃が続けると、ようやくワンワンの手が包みを取った。
「いただきます・・・・」
しげしげと包みを見つめるワンワンをおいて、茅乃は机の上にいったん缶を置く。
部屋に戻ったときは両手がふさがっていてできなかったので、部屋の扉を少しだけ開けて外套を払う。そしてふたたび閉めて缶を持つ。
「もうこの後は部屋から出ませんので。ワンワン君も、おやすみなさい」
そう声をかけると、ワンワンはわかりましたと答えて天井裏へと上がっていった。
ほんとうに定位置なんだなと見送り、寝台の横のサイドテーブルに缶を戻す。
茅乃も就寝するべく掛布をめくる。
「明日は城下街に行って、職人のひとと会って、それから果樹園に連れていってもらう・・・・」
予定をつぶやきながら、そういえばと机の上に置いた手紙のような書類のようなものを思い出す。
「シャノンさんに書き方を教えてもらって、そうだ、あとはキアヒム君に申請を・・・・」
つらつらと考えているうちに、茅乃の意識は薄れて眠りに落ちていった。




