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青の塔  作者: あきお
38/55

37   金庫






 とても大きな音で体が震えた。


 一瞬で目が開く。

 見開いたまま、まだなんなのか捉えきれない音の余韻が静かな部屋に響くのを聞く。


 これは、昨日聞いた音・・・・。


 アズイルの王都に鳴る鐘だ。

 強烈で大音量の目覚まし音に、茅乃の意識はすっかり覚醒した。


 ベッドの上で体を起こしてみると、部屋用の上着を巻き込んだまま寝ていたことに気が付いた。若干しわになった生地を見て、ちゃんと掛けておかないと、と反省しながら着なおす。

 天蓋の布をかき分けて出ると、まだ外は薄暗い。窓は閉めているが、どこかひんやりとした空気が流れている。

 上着を着ているからだろうか、寒い、というほどではない。乾いた空気が手や頬に触れると表面だけを冷やしていくような温度で、芯から体温を奪うような気温ではない。


 暑くもなく、寒すぎず。とても、動きやすい。


 ベッドのそばに転がっている靴を拾って履く。

 ふとサイドテーブルの上の花に目をやり、今日はまた別の色に変えてくれるのだろうか、と考える。

 そしてその横にある白い缶を見て、これをどうするべきかということも思案する。

 いっぱいに詰まった焼き菓子は、ひとりで食べるにはもったいない。空気が乾燥しているから日持ちはするだろうが、かといって保存料などは使われていないだろうから、早めに食べるほうがよさそうだ。


 この焼き菓子を作ってくれたひとのことを考える。


 ソラは、じぶんがこのお菓子をどう取り扱っても気にしないだろうか。

 いつでも来なさい、と言われたような気がするが、夢の中のようなあの場所にどうやって行けるのか、どうしたら会えるのか茅乃には見当がつかない。


 仕方ない、と茅乃はどうやら知り合いのようであるレンに書き置きをして訊いてみよう、と決める。


 今日の予定がひとつ確定したところで、茅乃は昨日マーサに教えてもらったチェストの引き出しを開ける。

 身だしなみには気を付けないと、と反省したばかりだ。

 中から櫛を取り出し、部屋を出てお手洗いへと向かう。

 外の回廊を歩いて進むと、お手洗いの近く、階段付近に警護をしているひとがいた。

「おはようございます」

 挨拶をすると、無言で例の姿勢を取られる。

「・・・・・」

 扉を開け、中に入る。


 できれば気楽に話してほしい、とは思うものの、ここは茅乃にとってまだよくわからない世界で、馴染みのない国だ。文化も作法もほとんど知らない場所で、そういった場所に住んでいるひとたちがどのように考えているのかも想像がつかない。


 会うひとすべてに、茅乃がこうしてほしい、と思うことを望んでいいものだろうか。


 ―――できたら、挨拶を交わせるくらいには顔なじみになりたい、という一縷の望みを持ちつつ、洗面台に櫛を置く。


 置かれてある壷のような瓶のような器から水を汲み、顔を洗う。早朝にもかかわらず洗いたての清潔なタオルが用意されていて、それで顔を拭きながら考える。


 このお手洗いには水が置かれてあるけれど、鏡はない。

 部屋に鏡はあるけれど、水がない。


 どのみち身だしなみを整えようとすると、この洗面台に向かうまでに警護担当のひとと顔を合わせることになる。起き抜けの顔を、である。


 うん、と茅乃は髪をとかしながらひとり頷く。


 これは、早めになんとかしたいところ。


 とかし終えた髪は、昨日マーサがヘアオイルを使ってくれたおかげでサラサラだ。サウナに入ったときに解いてしまったが、また昨日みたいにきれいに結ってくれることがあるだろうか。


 ・・・・マーサさんが忙しくしていないときに、お願いしてみよう。


 昨日のこと、これからのことをつらつらと考えながら部屋に戻ると、中にはちょうどマーサが立っていた。

「おはようございますカーヤ様。よく眠れましたか?」

 振り返り、朗らかな表情で朝の挨拶をしてくれるマーサの手元では、朝食の用意がされていた。

「おはようございます。とてもよく眠れました」

 いつ眠りに落ちたのかわからないほどにはよく眠った。

「それはようございました。さ、朝食の用意が整いましたよ」

「ありがとうございます、いただきます!」

 勧められるままイスに座り、用意してもらった朝食を見ると、昨日の朝のモーニングプレートと同じような献立であった。ここではこの内容が定番なのだろうか、と茅乃は考える。フルーツまでしっかり付いている点を確認し、スープボウルの肉団子が盛りっと入れられているのを見る。

「・・・・・・」

 器の中身が盛りだくさんなのを見て、ふふふと笑う。きっとマリクがサービスしてくれたんだろう。

「では」

 いただきます、ともういちど心の中でつぶやきながら、茅乃は手を胸に当てた姿勢を取る。

 すぐにカトラリーを取り、朝食を始める。

「カーヤ様は今日、どのように過ごされるんですか?」

 お茶の用意をしながら、マーサがそう訊いてくる。昨日もそうやって茅乃に世間話のような気楽な話題を振ってくれた。食事中の空気が和やかになるように、と気を遣ってくれているのかもしれない。そうではないのかもしれない。ほんとうのところは茅乃にはわからないけれど、無言で食事をするよりはこちらのほうが好ましいと思う。

 茅乃は昨日立てた予定を思い出しながら、口を開いた。

「とりあえず今日は、貴賓館に行って片づけをお手伝いして、それが終わったら手を加えていこうかと考えています」

「手を加える・・・・ですか?」

 キョトンとしたマーサを見て、そういえばマーサには貴賓館を使ってお店をやることを伝えていなかったと気付く。

「実は、あの場所を使って、お店をやろうと考えているんです」

「まあ!」

 思いがけないことを聞いた、と言わんばかりにマーサの声が高くなる。それでも表情を見れば朗らかさの中に興味を持ったような、キラリとした目の輝きがうかがえる。

「それは、どのようなお店になるのですか?」

「ええと、わたしのいたところによくあった文化のひとつなんですけど。ここにはないもののようなので、造ってみようと思います。誰もが気軽に使える場所になればな、って考えてるんですけど」

「まあまあ! もっと詳しく教えてくださらないのですか?」

「じゅ、準備が整ったら、マーサさんに教えますね」

「ぜひともお願いいたしますね!」

 なぜだかマーサのほうが乗り気だ、と思っていると、マーサが茶葉を濾しながら言った。

「王城にほど近い場所にお店ができるのは何年ぶりでしょう。城下の店も年季の入った店ばかりで、重宝はしますけれども代わり映えのないものだったのですよ。いまから楽しみでございますねえ」

 うっとりと微笑むマーサに、茅乃は慌てて言う。

「あの、キラキラしたものを売り買いしたりするようなお店ではないんですが」

 たとえば女性が好むような装飾品、アクセサリーといったものを扱う、ということにはならない。そのようなものは仕入れ先がないしツテもない。

 マーサがそのようなものを想像して求めていたらがっかりさせてしまう、と茅乃は考えたのだが、マーサはあっさりと頷いた。

「そうなのですか。売り買いでないなら、どのような?」

「そうですね・・・・。ものの売り買い、というよりはその場所を利用する、という形で開くことになると思います」

「まああ・・・・。謎々のようで、面白いですわねぇ。カーヤ様、これは、ほかの侍女仲間にもお話してよろしいですか?」

「・・・・・」

 まだ営業許可証を得ただけで、なにも確定していないけれど。そう考えた次の瞬間、茅乃は逆にチャンスではないだろうか、と考えた。

「あの、侍女の方たちの間で、おしゃべりは」

「大好物でございます」

「はぁ。では、どうぞおしゃべりのネタに使ってください」

「ありがたいことでございます!」

 とマーサは上機嫌でお茶を淹れてくれた。

 が、ありがたいと思っているのは茅乃も同じなのである。


 まずは王城の中から宣伝を・・・・・。


 アズイルの王城にどれくらいの数の侍女がいるのかは知らないが、彼女たちがおしゃべりをしてくれればそれは、宣伝に繋がる。様々なひとが新店の情報を聞き、たくさんのひとが興味を持ってくれればいうことはない。

 茅乃は密かに、マーサをはじめとする侍女のひとたちを宣伝担当に任命した。


 ・・・・・よろしくお願いします!


 心の中で念じながら茅乃は朝食を終える。

「カーヤ様、昨日の今日ではありますが、なにか必要なものは出てきておりませんか?」

 とマーサが聞いてくれたので、茅乃はメモ帳のようなものを頼むことにした。が、どうやらアズイルの中で紙というものは貴重品らしく、茅乃の説明するようなものは得られないようだった。だが代わりになるようなものを用意してくれる、ということになったので、茅乃は食後のお茶をゆっくりと飲みながら待つことにした。


 のんびりと食事をしたので、起きてから一時間くらいは経っているだろうか。おそらくカシュアとシャノンが迎えに来てくれるという時間まで二時間ほどは猶予がある。

 朝食の後片付けをしてくれているマーサに訊いてみた。

「あの、マーサさん」

「はい、なんでしょう?」

「朝食をここまで運んで用意してもらっていますが、負担ではないですか?」

 昨日の夜も、今朝もこの三階にある部屋まで運んでもらっている。どう考えてもエレベーターがあるようには思えない。階段でわざわざ運んでもらっているわけだが、どうにも慣れなくて心苦しい。

「一階に、食堂とかそういう場所があればそちらに行きますけれど・・・・」

 提案のひとつとして言ってみたのだが、それはやんわりとマーサに断られた。

「カーヤ様、これはわたくしの、侍女の仕事なのです」

「・・・・・」

「どうかこのマーサに、お仕事をさせてくださいませ」

 おっとりとした表情と、それとは反対に断固とした言葉だった。

 良かれと思って、というほど茅乃自身良い提案だったと思っているわけではない。だが遠慮の結果口にしたことが、必ずしも良い結果になるとは限らない。

 僭越だった、と茅乃はじぶんの考えの足りなさを恥じた。

 けれどもここですみませんと謝ることは考えの足りなさを上塗りすることになるとも思った。

 マーサの発言をよく考えてみる。

 わざわざ、この三階の部屋まで食事の用意をすることをマーサが仕事であると考えているというのなら、茅乃が言えることはひとつだけであろう。


「そういうことなら、マーサさん。今後もお願いしますね」


 お任せします、と。

 それ以外になかった。


 聞いたマーサの頬がゆっくりと持ち上がる。

「はい。どうぞお任せください」

 満面の笑みで頷かれる。心強いしぐさと、通じたということに茅乃の表情も明るくなる。

「それでは、朝食の後片付けを終えましたらめもちょうというものの代わりをお持ちいたしますね」

「はい、ありがとうございます」

 部屋を出ていくマーサを見送り、ひとりになると茅乃は立てかけておいた釣竿を手に取った。

「調整しなくちゃ」

 昨日は部屋に戻るなり倒れるように寝てしまった。寝る前の日課としたかったが、その前に体力が尽きてしまったので仕方ない。昨夜できなかったのでいまやろう。

 正座になり、針を外し、糸を解いて軽く釣竿を振る。絨毯を貫通した針先には、やはりというかなんの手応えもない。

「・・・・・?」

 首を傾げながら針の場所を少しずつ移動させてみたが、どこにもなんの反応もない。


 ・・・・・昨日といい、どういうことなのかな。


 よくわからないので、これもレンに書置きで訊いてみようと思う。

 今日はこの釣竿を持って出かける予定なので、針と糸を片付け、部屋の扉の方へと忘れないように立てておく。

 マーサが戻ってきても迎えが来るという時間まではまだ間があるだろうと、茅乃は読みかけの本を読むことにした。

 読み始めた本の内容は、風土を記したもの、といった内容だった。国内の地形や気候が簡単にわかりやすく記されており、その場所ではどのような産業がなされているのか。農業に関しても記載があったので、茅乃が知りたいと考えていた農作物に関する知識も得ることができた。

 アズイルでは通年太陽の季節のようなもの、とキアヒムが言っていた。そのアズイルでは日中の陽射しの強さと、夜の寒暖差が大きいという理由で繊細な作物は育ちにくい。逆にいえば逞しさを持つ作物なら栽培に適しているといえる。種類が限定されることはあるが、年間を通して栽培することができるのだ。

 日本とはちがい、栽培に関して季節を考えなくてよい、といえる。そして収穫もまた季節を問わず行えるので、収穫量が落ち込むということもない。ただ、ひとつの季節を省いて、ではあるが。


 ・・・・・死の季節って呼んでたけど・・・・。


 天が荒れる、と言っていたような気がするが、そのひと月はどのように過ごすのだろう。


 シャノンさんに訊いてみよう。


 興味が尽きない。

 分厚くもない本をちょうど読み終えたとき、扉の外からマーサの声が聞こえた。

「カーヤ様、入ってもよろしいですか?」

「あ、はーい」

 メモ帳の代わりを持ってきてくれたのだ、と茅乃は扉に駆け寄る。

 待ってました、とばかりに開けた扉の向こうには、マーサだけではなくほかにも三人の人が立っていた。

「あれ」

 ひとりはカシュアである。

 迎えに来る、と言っていた時間よりも早い気がする。それにシャノンの姿がない。カシュアの背後には昨日会った第四部隊の隊長だというラージーと、見たことのない人が立っていた。

 二十代半ばくらいだろうか、短く刈られた濃い茶色の髪と、どこをどう見ても筋骨隆々といった体格にカシュアやラージーと似た服装を身に着けている。

 ということは軍のひとで、カシュアの管轄下の人物なんだろうな、という予想が付いた。

 初対面のそのひとはよく見れば濃い青色に見える目を茅乃に向けていた。その目を見返しながら、茅乃は立派な体格を視認し、熊ぁと内心でつぶやく。

「おはようございます?」

 視線が外されないので、怪訝に思いながらも挨拶をしてみる。だがラージーとその初対面のひとからは無言の目礼が返ってきただけで、言葉の挨拶が返ってきたのはカシュアの方からだった。

「おはようございます、カーヤ様。よく眠れましたか?」

「はい。グッスリ眠れました」

 と答えつつ、どうしてこんな初対面のひとも含めてやって来たのだろう、と考えていると、カシュアがチラリと背後のふたりに視線を向けた。

「昨日言っておりました金庫をお持ちしたのですが、どちらに運びましょうか?」

 つられて見ると、ラージーと初対面の人物はふたりでひとつの箱を大事そうに持っていた。

 三十センチ四方、厚さは十五センチくらいの箱だ。


 わざわざ持ってきてくれたのだ、と茅乃は進み出てお礼を言う。


「ありがとうございます。机の上に置こうかな・・・」


 置ける大きさだろうか、と茅乃は室内の机を振り返る。

 読み物机としてマーサが用意してくれた台の上には、借りた本くらいしか乗っていない。半分ほどの場所が余っているのでだいじょうぶかなと考えていると、戻って来たばかりのマーサが入り口のところで口を開いた。

「なにやら人数が増えたようですので、お茶の用意も増やしてまいりますね」

「お気遣いなく」

 そう言ったのは茅乃ではなくカシュアであったが、マーサは無言でじっとりとした目線を向けただけで階段の方へと行ってしまった。

「ほんとうにいいんですけどねえ」

 そうつぶやきながらカシュアはマーサの姿を見送っている。そして茅乃はそのカシュアを見、そして箱を丁寧に持っているふたりを見上げた。

「わざわざすみません」

 そう言って壊さないように慎重に箱を受け取り、どうやら石を削って作られたふうの箱を上から横から眺めつつ机の上に置く。

 金庫というからには錠があるはずだが見当たらない。


 はて、と首を傾げた茅乃はカシュアを振り返った。

「カシュアさん、これは金庫ですよね・・・・?」

 という質問を投げかける前に、カシュアは下を向いていた。その肩が震えている。

「あの・・・・?」

 なんだろうか、と疑問に思いつつカシュアの向こうにいるふたりを見れば、ふたりともが唖然としたような、あり得ないようなものを見るような眼つきで茅乃を見ている。

「なんですか・・・・?」

 まったく状況がわからない茅乃がさらに質問をすると、ようやく顔を上げたカシュアがひじょうに緩い表情筋でもって答えた。

「いやあ、ご健在だなあと思いまして」

「・・・・どういう意味です?」

「その箱、男ふたりがかりで持ってきたのですよ」

「え?」

「防犯も兼ねて、ひじょうに重い箱なんです」

「・・・・・あ、わたしのうでがこわれるー」

 いちおう言ってみたが、

「カーヤ様、いまさら無理だと思いますねえ」

 カシュアの冷静な指摘に、茅乃は眉間にしわを刻みながら箱を見下ろした。




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