36 自由時間 3
ひとり王城の庭を歩いていると、足音が増えていた。
思わず背後を振り返って見ると、そこには闇との境目がないかのような恰好のワンワンがいる。
「ワンワン君、さっきはどこにいたんですか?」
「ボクは人前に出てはいけないことになっているので、誰かいるときは姿を消しています」
でも護衛として付いてますからね、と強く言われる。
「はあ・・・・。まあいいや、次は貴賓館に行きます」
「はい」
ワンワンを伴って王城を突っ切る。途中王城の外壁に当たったので、迂回するより近くて早い方法を茅乃はとることにした。
地面の上を歩くより、壁を登って、降りるルートを選んだのだ。大きな建物の外壁をぐるりと回るよりこちらのほうが手っ取り早い、と思いながら地面に降り立ったところで、声をかけられた。
「カヤノ? そこでなにをしてるんだ?」
振り返って見ると、そこには星と月の光を集めたような色彩の持ち主、キアヒムが回廊に立っていた。
「キアヒム君? お仕事は?」
「いま終わったところだが」
よく見ると、キアヒムの背後にはふたりの人物がいる。ひとりはキアヒムの護衛を自称しているカシュアと、もうひとりはユスフである。
・・・・・ユスフさんかぁ。
なるべく接触しないようにしよう、と考えた人物だけに、なんとなく苦手な感覚を持ってしまう。うかつなことはしゃべらないように、と決めた矢先にユスフにも声をかけられる。
「神子様は部屋でお休みになっているかと思いましたが」
「はあ。抜け出してきました」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
三人ともが、無言になった。カシュアでさえ黙っている。
なにか言ってくれないかな、と考えている先でキアヒムがカシュア見る。
「業務には、組み込んでいます」
「・・・・・」
茅乃にはよくわからないやり取りが交わされている。なんだろう、と首を傾げている茅乃の目の前で、蔑むようなユスフの声がした。
「警護もできないのか、無能が」
「・・・・・」
感情のない表情でカシュアがユスフを見返したことにより、空気がピリつく。
思わず首をすくめた茅乃とは正反対に、なにも気にしていなさそうなキアヒムの平坦な声がした。
「カヤノ、ワンワンはどうした?」
「えっ、さっきまで後ろにいましたけど?」
振り返ってみたところで、そこにあるのは城の外壁だ。ワンワンの姿はない。
「そういえば、ひとがいるときは姿を見せないって言ってたから・・・・・」
「この面子でそれはないな」
「そうなんですか?」
「この中ではもう顔は知られている」
「はあ・・・・」
茅乃がそう返事をしたとき、上からドサッと音がして黒い塊が落ちてきた。
落ちたのか降りたのかわからない様子のワンワンは、無言で地面の上に這いつくばっている。
「あの、ワンワン君、だいじょうぶ?」
怪我でもしたのだろうか、と考えた茅乃と、事態を問うたユスフの声は同時だった。
「ワンワン、お前、どこにいた?」
「城壁の、上に・・・・」
「どうして神子の近くにいなかった?」
「外壁を登っていたところ・・・・」
あ、と茅乃は思った。
―――ワンワン君、それ以上はしゃべんないほうがいい。
予想と同時にワンワンの言葉が吐き出される。
「神子様についていけず、後れを取りました」
「・・・・・」
無言になったユスフに、冷え冷えとした声がかかる。
「護衛もできない役立たずがおりますねぇ」
カシュアである。
「・・・・・」
「・・・・・」
なにも言わないまま睨み合っているふたりを見て、茅乃はそっとキアヒムに訊く。
「・・・・仲が、良くない?」
「ほんとうに仲が悪いわけではない」
放っておけばいい、と言われたので、茅乃は遠巻きに見つつ貴賓館へと向かうことにする。
「カヤノはどこに行くつもりなんだ?」
「ええと、貴賓館に行きます」
「用事があるのか?」
「用事というか、様子を見ようかと思って」
「いま行っても警備のものしかいないと思うが」
「ああ、それは好都合です」
それじゃ、と茅乃は行こうとしたが、ワンワンはまだ立ち上がっていないしその横ではカシュアとユスフが睨み合っているままだ。
まあワンワンはそのうちついてくるかな、と茅乃は昼間向かった貴賓館を目指す。その横をワンワンではなくキアヒムがついてきた。
「あれっ、キアヒム君も貴賓館のほうに用があるんですか?」
「いいや?」
と否定が返ってくるのになぜか歩いている方向は茅乃と同じだ。
まあいいか、と茅乃は慣れていない夜道の案内をキアヒムに頼むことにした。
目的の建物の前に着くと、その入り口には小さな火が焚かれていて、火に照らされるようにふたりのひとが立っていた。どちらの人物も、いわゆる軍の制服の一種だという軽装の出で立ちだ。だがそのシャツはパツパツ、スキニーではないはずのズボンも筋肉が盛り上がっていて生地のゆとりがない。
そのふたりの人物を見て茅乃は心の中でつぶやいた。
・・・・・熊ぁ。
上背もあり、厚みがあり、圧迫感がある。
「キアヒム君。あのひとたちはさっき言ってた、警備のひとたちですか?」
「そうだ。第四部隊の隊員だ」
「貴賓館は無人なのに、なにを警備しているんですか?」
そう訊くと、キアヒムは入り口の横の火の近くを指さした。
「いま、中の家財道具を運び出している最中だが」
そのあたりには中から運び出された大きな家具類が集めて置かれている。
「全部を移動させるには数が多い。さすがに一晩放置するうえで、誰も配置しないわけにはいかなくてな」
「はあ」
ふと、茅乃は気になったことを訊いてみた。
「ということは、中には家具がまだまだ残ってます?」
「おそらく。手が付いていない部屋もあるんじゃないか」
なるほどぉ、と茅乃は内心で息巻く。
これは、来た甲斐があるってものだ。
「じゃあ、ちょっと中を見てみましょう」
入り口で警備をしているふたりはキアヒムに敬礼を示し、茅乃には片手を胸に当てるあの姿勢を取った。
「こんばんは」
挨拶してみたが、熊のようなふたりは頭を垂れるようにしたまま動かない。
「・・・・」
そのまま建物に入ると、明かりのない屋内ではなにも見えなかった。
「暗い・・・・」
「外の火をもらってこよう」
そう言ってふたたび外へいったキアヒムは、火にくべられていた薪の一本を手にして戻ってくる。その背後にはカシュアとユスフ、ワンワンの姿があった。
キアヒムは残されたままの家財道具の中の、オイルランプに火を点けていく。
隅々まで照らすような、電気のように強い光ではない。だが先ほどの真っ暗という状況と比べたら格段に視界がよくなった。
ぼんわりとした橙色の光源が緩く室内を照らす。そこは昼間レンが修復した建物を入ってすぐの空間、リビングのような場所である。
ここから片付けを始めたのだろうか、このリビングに残っている家具類はほぼない。
まずは左端の扉から開けてみると、そこは寝室だった。
茅乃がもらった部屋にあるのと同じような、低めのベッドがある。ほかにはサイドテーブルと壁際には二台のチェスト、そして一台の大きな棚。ベッドは木製のようだが、ほかは石を削って造り出されたもののようだ。
リノベーションを進めるとして・・・・。
茅乃は想像をしながら、不要であると思われるものを確認していく。
おそらくこの部屋にあるものはひとつも使わない。むしろ壁を壊して広くしたい。
「キアヒム君」
「なんだ」
「この建物の中の、使わないなって思うものは外に運び出したらいいんですか?」
「指示を出せば、明日第四部隊がやると思うが?」
「ああ、いえ、いまここにいるのでやっちゃいます」
よいしょ、と茅乃は手近なところにあるチェストのひとつを手に取ってみる。
感覚としては空の机を持っているような、重みは感じるが持てないものでもない、という感じだ。
「この部屋の中のものは要らないなぁ。ベッドも運びたいけど、ちょっと大きさがね・・・・」
ひとりごとを言いながら、この寝室に造られた大きな窓を見る。
窓から出すってのもアリかな・・・・。
などと考えつつ、タタタ、と軽く走りながら手にした家具を外まで運んでいく。
入り口には相変わらず熊のようなふたりがいて、中から走ってきた茅乃を見ていた。
「あ、お疲れ様です。これ、ここに置いておきますね」
まとめられた家具類の端に、新たな家具を置いて行く。
さあ、運び出したいのはこれだけじゃないぞ、と茅乃はふたたび屋内に戻って同じようにもうひとつのチェストと棚を運び出す。
もともとあまり家具の多くない部屋だったこともあって、残るは大きな寝台と床に敷かれた絨毯だけになった。
「大物だなあ。どうやって出そうかな」
チラリと窓を見る。
サイズ的には通りそう、と目算を付けるが、いかんせん寝台のサイズがひとりでは手に余るサイズ感なのだ。持ち上げるとバランスが悪く、引きずっていけないこともないだろうが、あまり傷を付けたくはない。
窓を全開にして考えていた茅乃は、ふと壁際に立っているひとたちを見た。
「カシュアさん」
「はいはい、なんですか?」
「すみませんが、そっちの角を持ってもらっていいですか?」
「ああ、こちらですか?」
いいところに空いている手があるではないか。
手伝ってもらおう、と茅乃は寝台からいちばん近いところに立っているカシュアに頼むことにした。
「はい、じゃあいきますよ、せーの」
と声掛けしながらタイミングを合わせたつもりだったが、上がったのは茅乃が持っている角だけだった。
「カシュアさん?」
茅乃が呼びかけると、カシュアはその面になんともいえない笑いを貼りつかせていた。
「・・・・いやあ。これは、カーヤ様、無理です」
「はい?」
「あまりにも普通にカーヤ様が持ち上げてらっしゃるので私もいけるだろうと思ったのですが、重すぎます。持ち上がりません」
「・・・・・・」
ふたりなら運べるかと思ったけれど、と茅乃は眉を下げて思案する、までもなかった。
「では、手伝ってくれる人を増やしましょう」
ちょうどいるではないか。
外に、力自慢でもできそうな人物が。
茅乃が第四部隊のひとたちに手伝ってもらおう、と言うと、カシュアがふたりに指示を出しに行ってくれた。まもなく外のふたりを伴って戻ってきたので、先ほどと同じく茅乃は声をかけながらタイミングを合わせ、持ち上げる。今度は成功した。
ただ、一方は茅乃ひとり、もう一方は体格のいい男三人という明らにかおかしな対比ではあるが。
大きな寝台を持ち運ぶ隊員のひとりが、横で同じように運んでいるカシュアに思わずこぼした。
「将軍、俺はいま、なにを見ているんでしょうか」
そう言う彼の視線の先には、ひとりで角を持つ神子の姿がある。
もうひとりの隊員もたまりかねて同じようにつぶやいた。
「今日はきっと、悪夢だ」
そのふたりの弱音を聞いて、カシュアは薄く笑う。
「鍛錬が足りませんねぇ」
軍部の三人がそんなやり取りをしているとも知らず、茅乃は慎重に三人のペースに合わせて運び出していく。
窓から出し、庭を通って入り口まで迂回すると、茅乃は手伝ってくれた三人にお礼を言った。
「はい、ここでだいじょうぶです。ありがとうございます」
ひとまず地面に置かれた寝台を、行儀が悪いとは思いつつ足を使って一辺を浮かせ、押して建物の壁に立てかけておく。
薄い板でも扱うかのような軽い動作だが、その重さはいま持ったので身に染みて理解している。隊員のふたりは心の底から震えた。
「さ、次々ー」
と張り切った甲斐あって、建物に残っていた大きな家具類はあらかた運び出すことができた。あとのこまごまとしたものは明日、第四部隊のひとたちにお願いしよう、と茅乃は空っぽになった部屋を眺めて思う。
これで面倒だと思うような大掛かりな作業は終わった。
明日は釣竿を持ってきて、手を加えていこう。
予定を組み立てながら茅乃は、今日はこれで終わりにしよう、と考える。
「そろそろ、部屋に戻ろうと思います」
欠伸を噛み殺しながら、作業を見ていたキアヒムに告げる。
「そういえばキアヒム君はどうして貴賓館にきたんですか?」
「ここには用はないが」
「はあ」
「カヤノに渡すものがあった」
「渡すもの? なにかありましたっけ」
そう問うと、キアヒムは上着のようなシャツのような服の下から分厚い紙を取り出した。
「なんです?」
差し出されたので反射のように受け取ってしまったが、表側になんの表記もない紙に心当たりがない。
首を傾げた茅乃に、キアヒムが説明をした。
「暦の写しができたので持ってきた」
クワッ、と茅乃の目が見開かれる。
「カレンダー!」
「朝もそんな言葉を言っていたな。それはカヤノのいたところの、暦という意味か?」
「そうです!」
さっそく開いて見ると、もう一枚別の紙がある。
「これは?」
「アズイルの地図だ」
「地図!」
「執務室の地図を熱心に見ていただろう」
ふたたび茅乃の目が見開かれる。
まさか地図を見ていたのを見られていたとは、と思うが、資料として欲しいと思っていたのでありがたい限りである。
「えっと、これはいつまでに返却すればいいんですか?」
「写しができたと言っただろう。返却の必要はない」
ということは、と茅乃は考える。
これは、ふたつめの私物ということだ。
これも机にしまっておこう、とニヤニヤする茅乃に、釘を刺すような低い声がかかる。
「神子様。それは最重要に近い機密情報なので、なくさないようによろしくお願いしますよ」
ユスフである。
そうは言われても、と茅乃は困ってしまう。
「部屋の中でちゃんとしまっておきますけど、あの部屋鍵ないですよね?」
「・・・・・陛下、鍵を付けましょう」
「警護と護衛は付いているが」
「あのー、とっても重要なものならきちんと鍵があるほうがいいと思いますけど」
なにも部屋そのものに鍵を付けなくても、鍵の付いているものに収納すればいいだけなのでは、と言うと、キアヒムが思案するようにつぶやいた。
「なにか適当なものがあったかな・・・・・」
これから職人に作らせると時間がかかるな、と言ったキアヒムの言葉を聞いて、カシュアが思い出したように手を打ち鳴らした。
「カーヤ様、そういえば私の部屋に使っていない金庫があります」
「金庫」
「それでよろしければ、明日お持ちしますよ」
「それは、余っているということですか?」
「はい。私は使いませんので」
「・・・・・」
いいような気がする、と茅乃は思った。
一晩経てばカシュアがきちんとした金庫を持ってきてくれるという。
保管するにあたって無駄なタイムラグが発生しないし、余っているのなら使わせてもらおう。
それになにより。
茅乃は先ほどから眠気がきていて、思考するのが億劫になり始めていた。
「では、それでお願いします・・・・」
欠伸を噛みながらお願いする。
そこからふらふらになりながらもなんとか部屋にたどり着く。
壁からではなく、きちんと階段と回廊を使って戻ると、警護に当たっていた軍部のひとが驚いていた。
すみません、と謝りながら茅乃は部屋に向かおうとする。
「それじゃあカヤノ。また明日」
そう言って階段から茅乃の部屋とは反対の方向にキアヒムが歩いていく。
「・・・・・キアヒム君のお部屋も、この階にあるんですか?」
目をこすりながらした質問に答えてくれたのは、カシュアだった。
「要人の部屋はまとめておいたほうが警護がしやすいのですよ」
「はあ・・・・」
そういえば、いつの間にかユスフの姿が見えなくなっている。
挨拶を交わしたのか、ほんとうに知らない間にいなくなっていたのか、ちょっと記憶が怪しい。ワンワンはきっと姿を消して部屋までついてくるのだろう、と考えて茅乃は一日の最後の挨拶をした。
「それでは、おやすみなさい・・・・」
ヨロヨロとした足取りで外套を払い、部屋に入り、なんとか重要書類を机にしまって部屋の奥へと向かう。
薄布をくぐり、寝台に乗り、入りやすいようにとめくっておいた布団を持ちあげて中に入る。
サラサラのシーツに触れるのを気持ちよく感じながら、茅乃はつぶやいた。
「はー、長い一日だった・・・・・」
実際は、だった、くらいのところであっさりと意識が落ちていた。




