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青の塔  作者: あきお
35/55

34   自由時間






 しばらくの間、花を見つめていた。


 なにかを考えていたような気もするが、もしかしたらただぼんやりと見ていただけなのかもしれない。部屋に響いたノックの音で我に返ったとき、それまでの思考が霧散したのではっきりとしたことがわからなくなった。


「はっ、はい!」


 茅乃は慌てて顔を上げ、部屋の出入り口のほうを振り返る。

 閉じられたままの扉の向こうから、マーサの声がした。

「カーヤ様、夕食を召し上がりますか?」

「はい、いただきます!」


 座り込み、握ったままだった釣竿をサイドテーブルの横に立て掛ける。急いで扉を開けると、扉の外にはトレイを持ったマーサが立っていた。

「あら、カーヤ様、外套を着たままではないですか」

「すみません、さっき戻ってきたばかりで・・・・」

「外出から戻られたときは、いちど外套を払ったほうがよろしいですよ。でないと小さな砂粒をお部屋に持ち込んでしまいますから」

 部屋の中央に配置されたテーブルにトレイを置くと、マーサは慣れた手つきで茅乃の肩から外套を外した。そして開けたままの扉の外側、回廊に向かってバサバサと払う。部屋に置かれた明かりに照らされて細かな粒がキラキラと反射したのが見えた。

 外からふたたび戻ってきたマーサが外套を畳んでチェストに片付ける。そして茅乃が適当に腰に巻いただけにしていたブレザーを見た。

「カーヤ様、そちらもしまいますか?」

「あ、すみません」

 ブレザーもいちど外で払われ、丁寧に畳まれていく。

「カーヤ様が着てらした服はこちらにしまっております。この服も横に入れておきますね」

「ありがとうございます」

 お礼を言いながら作業をしているマーサの背後から覗き込むと、いちばん大きな最下段にはブレザー以外の制服と革靴、そして靴下がしまわれているのが見えた。その横にブレザーが入れられたので、これで一式が揃ったことになる。

 その一段上に外套が入れられている。外出のときはここを開けて外套を使う、と記憶しておく。


 夕焼けの時間も終わり、闇の領域が増えた部屋には明かりがいくつか置かれている。茅乃が知る電気の光源よりいささか弱い光なので、個数を増やすことで明かるさを強くしているようだ。

 平らで小さな皿の上に火が灯っている。

 蝋燭のようなものが見られなかったので、光源としてなにを使用しているのか見当がつかず、茅乃はテーブルの端に置かれてある皿を見てみた。


 皿の中には黄色がかった液体が入れられており、太めの縄のようなものが浸されている。先端が一センチほど外気にさらされていて、そこに火が点けられている状態だ。


 オイルランプだ。

 茅乃はマーサを振り返る。


「あの、マーサさん」

「はい、なんでしょう?」

 テーブルに置いたトレイの上で食事の支度を整えていたマーサが顔を上げる。

「この火の始末は、どうしたらいいのですか?」

 きちんと火の元を管理しなくちゃ、と考えながら訊くと、マーサが丁寧に教えてくれる。

「夜になれば、私か別のものが消しに参ります。ただ、それより先に就寝することがあるようでしたら、こちらに火消しを置いておきますのでお使いください」

 そう言って食事の用意をしていた手を止め、チェストの引き出しから小さく被せるような釣り型の金具を取り出して見せてくれた。

「わかりました」

 電気ではなく、火を使っている照明だ。しかも燃料はオイルである。

 気を付けないと、と茅乃は自身に言い聞かせる。

「さ、それではカーヤ様、お食事にしましょうか」

「はい、いただきます!」

 用意されたのは薄いパンとスープ、そしてデザートのフルーツ。ここまでは朝食と似たような内容だと思ったが、メインの料理があった。

 一口大の大きさにカットされ焼かれた肉料理、に見えた。

 サイコロステーキ、と茅乃は目を輝かせる。おなじ皿には肉と同じくらいの大きさの野菜もグリルされ盛り付けられている。野菜もしっかり摂れるのはありがたい、と茅乃はアズイル方式の礼を取って食事を始めることにする。

「カーヤ様、本日は図書館に行かれた後、どちらに行かれたのですか?」

 茶器を使いながらマーサが話を振ってきたので、茅乃は今日一日の報告をしながら市場調査を行うことにした。

「図書館の後は、カシュアさんに兵舎のほうを案内してもらいました。それから貴賓館にも連れていってもらいました」

「貴賓館、ですか?」

 マーサが不思議そうな表情になったのは、いま使えない状況である、と知っているからだろうか。

「あそこを片付けているみたいなんですけど」

「はい、たしか第四部隊のものたちが整理をしているようですね」

「その、貴賓館についてマーサさんに訊きたいのですが・・・・」

「はい、なんですか?」

「あの場所は、マーサさんやほかの王城で働くひとたちにとって行きにくい距離だったりしますか?」

「はあ・・・・、あそこは王城で働いているものにとって帰り道の近くですから、距離はそう感じないと思います」

「マーサさんもそう思います?」

「ああ、わたくしはこの王城でお部屋をいただいておりますので、帰り道ということにはならないのですが」

「え、ということは、マーサさんは王城に住み込みで働いている、ということですか?」

「そうですねぇ、いろいろと業務がありますので」

 とマーサがおっとりと微笑む。


 ここにもしゃちくが。


 働くことの厳しさに慄きながら茅乃は質問を続けることにする。

「ええと、じゃあ王城で住み込んでいる人があそこへ行くのは、遠いと感じますか?」

「遠い、ですか? いいえ、城下のほうへ買い物に行くこともありますし、その距離に比べると近いと思いますよ」

「そうですか、ありがとうございます!」

 行くのが面倒だと思うような距離ではない、ということだ。

 質問の主旨を説明していないにもかかわらず、ひとつひとつ答えてくれたマーサにお礼を告げて茅乃は食事を進めていく。

「カーヤ様、お食事のあとはお風呂にお連れしますね」

 茅乃の食事の進み具合を見て、マーサがお茶を淹れてくれる。

「お風呂! あるんですか!?」

「ございますよ。階段の近くにお手洗いがございましたでしょう?」

「ああ、ありました」

「その横の扉がお風呂ですよ」

「そうなんですね!」

 どんな設備なんだろう、と茅乃は食事の速度を速め、マーサが用意してくれたお茶をもらってから浴室へと向かうことにした。

「こちらです」

 着替えを持ち、マーサに案内された扉を潜ると、中にはもう一枚の扉があった。

「わたくしは外でお待ちしておりますね」

 そう言ってマーサが廊下側の扉の外へと行ってしまった。ということは扉と扉の間に当たるこの場所は脱衣所ということだろうか。

 どれどれ、と茅乃は内扉の中を見ることにした。

「しつれいしまー」

 す、という声は続かなかった。

 扉を開けた瞬間、中からモワッと白い蒸気が出てきて視界を奪ったからだ。

「なっ、なにこれっ」

 同時に、アズイルに入ってからあまり感じることのなかった湿度を感じる。

「こ、これは・・・・」

 扉を大きく開け放つと、内部がうっすらと見えるようになってきた。

 滑らかそうな質感の石材で造られた腰を掛けられそうな段差と、そして中央にはレンガで丸く囲われた筒状のようなもの。その筒からは絶えず白い蒸気が立ち昇っている。


「・・・・サウナ」


 いわゆる蒸し風呂だ。


 そうか、と茅乃は考える。

 きっと水は大切な資源だから、こういった風呂が主流なのだろう、と。レオトールでは広い浴槽にメイドたちの手によって入れられていた。だからこの世界でのお風呂はそういったものなんだな、と捉えていたが、ところ変われば文化も変わる。

「・・・・」

 浴槽に張られたお湯にゆっくり浸かろう、と期待していた茅乃はのろのろと服を脱ぐ。


 いや、お風呂はいろいろな文化があるし・・・・。

 ここは砂漠の中の国だし・・・・。

 お風呂をひとりにしてくれただけでもありがたいっていうか・・・・。


 広めだと感じるに室内に入り、誰もいないのに段差の端っこに腰かけ、じんわりと汗が出るまで待つことにする。その間にどうということもないことを考える。


 洗髪は・・・・、そういえば石鹸とか見当たらないな。というか視界悪いけど。もしかしてここでは汗を流しておしまいなのかな。


 ポタポタとじぶんの太ももに落ちる水滴、汗を見つめて、限界の寸前まで頑張ることにする。


「・・・・熱い!」


 フラフラになる前に出よう、と茅乃は扉を開ける。

 外部の涼しい空気に触れて、ひと息つく。マーサが用意してくれていたタオルを肩から引っ掛け、汗がおさまるのを待つ。

 ふー、と大きく息を吐きながら、茅乃は真剣な表情で思考する。


 これは、早急に改革が必要だ、と。


 置かれていた部屋着のような寝巻のような服に着替え、外の回廊へ出るとマーサが立っていた。

「あら、カーヤ様、もういいのですか? 汗はしっかり流されましたか?」

「はい。あの・・・・」

「どうかされました?」

「わたしがいたところのお風呂文化とはちょっとちがったので・・・・。アズイルでは、こういった蒸し風呂が主流なんでしょうか?」

「そうですね。王城の中にはいくつか浴室がありますが、どれも蒸し風呂ですね。城下ではお風呂じたいが贅沢なことですので、家の中にお風呂の施設を持っているものは少ないですよ」

 マーサの返答を聞いて、ガッカリと落胆するのと同時に、とても良い情報を聞くことができた。

「つまり、ふつうのお家ではお風呂が家の中にないってことですか?」

「そうですね」

「ということは、みなさん体を清めるのはどうしているんですか? 川で水浴びをしたり?」

「とんでもないことです。川や泉の水は貴重ですので、水浴びなどすれば罰せられます」

「ええ?」

「体を清潔に保つのであれば、清拭ということになりますね」

 拭くだけなんだ、と茅乃はつぶやく。

「さ、あまり外に居れば体が冷えてしまいます。お部屋に戻りましょうか」

 マーサに促され、茅乃はじぶんに与えられた部屋に戻ることにする。


 陽が落ちた後のアズイルは日中の暑さを感じさせないほどに気温が落ちていた。

 涼しい、を越えてどこかヒンヤリとしている。上着がいる、と茅乃はマーサに頼むことにした。

「マーサさん、なにか、上に羽織るものを貸していただけますか?」

「お部屋にご用意しておりますが・・・・。この後はお休みになられないのですか?」

 不思議そうな表情で振り返るマーサに、茅乃は答える。

「借りている本を読んで、その後に寝ようと思います」

「まあ」

 勤勉でございますねぇ、と感心したように言われたが、茅乃にとって借りているのは神殿の貴重な記録であるし、早めに読んで返そうという考えと、知らないことを知っていくという好奇心を満たすための行動でしかない。

「では、お休みの前にお部屋のご様子を見に参りましょうか?」

 わざわざ来てもらうのも手をかけさせてしまう、と茅乃は断ることにした。

「いえ、本を読んだら火を落としておきますので。もし夜中になっても明かりが点いていたら、そのときはお願いしてもいいですか?」

 部屋にこもろう、という茅乃の思考を読んだのか、マーサはそれ以上訊くことはなく了承してくれた。

「かしこまりました。警護のため階段付近には護衛のものがおります。なにか用があれば、遠慮なくそのものにおっしゃってください。わたくしどものほうに伝達が来るようになっておりますので」

 そう聞いて、茅乃はもしかして夜のあいだずっと用聞きのひとが起きているのだろうか、と考えてしまう。あまり手間をかけないようにしなくちゃ、と茅乃は覚えておくことにする。

「それではおやすみなさいませ」

「はい、おやすみなさい」

 マーサが丁寧に部屋の扉を閉めてくれたので、茅乃は振り返って部屋の中を改めて見る。

 壁際、窓の横、机の上といったところに配置されたオイルランプを確認し、部屋の端にあるものと窓際のものは使わない、と判断する。マーサが置いてくれた火消しの道具を手に取り、さっそく明かりを落としていく。

 いくらか薄暗くなった部屋の中、テーブルとイスのセットになったイスの背もたれに、大判の布のようなものが掛けられているのを見付けた。

「これは?」

 手に取ってみると、首元にボタンが付いた形の上着、のようだった。マーサが先ほど部屋に用意してある、と言った羽織りとはこれのことだろう。

 さすがにキャミソールだけでは冷えを感じるので、ありがたく使わせてもらうことにする。

 肩に掛け、潰してしまわないように慎重な手付きでボタンを留めると、首元と肩がふわりと温かくなったのを感じる。重さを感じない軽い素材の生地だが、保温性はばっちりのようだ。

「では」

 置きっぱなしにしていた営業許可証を広げ、いちど確認したはずの書面をふたたび隅から隅まで見、ニンマリと満足して折り畳む。とりあえずこの部屋の中で物をしまえるような場所はチェストの中かテーブルの下の引き出ししかない。

 テーブルのほうだよね、と茅乃は引き出しを開け、空っぽのその中に最初の私物をしまう。

 そして図書館で読みかけになっていた本と神殿の記録という書物を読んでしまうことにする。

 二冊の本をテーブルに置き、イスに腰かける。

 読みかけの本はもともと薄く、半分以上は読み進めていたものだったのであまり時間をかけずに読み終えた。主な内容はアズイルに滞在した先代神子、レンと、先々代神子の記録である。

 初代の神子は建国の際に現れた、とある。

 そして次の神子、レンは当時のレオトールとの間に起きた戦争に加わり、勝利をもたらしたとある。


「・・・・・」


 過去ふたりの神子が現れたとき、どう考えてもこの国は混乱の最中だったのではないか、と茅乃は思えてならない。国が興るときが平常時であるわけがないと思うし、レンのときに至っては戦争が起きている。

 そして現在、国境を越えてきたレオトールの軍とアズイルの軍は衝突した。よくよく思い出してみればあのとき砂漠の上にはそれぞれの国の王族が存在しており、なおかつその下で指揮が執られ、また防衛のため軍備が敷かれていたのだ。


 もしかして、と茅乃は予想する。


 歴史上になにがしか記されるような事態のときに、神子が出現している?


 あくまで予想でしかなかったが、タイミングが合いすぎている。だが一方で、レオトールに滞在したという神子の記録にはそのような符号は見当たらなかったように記憶している。

 過去五人の神子がレオトールに滞在したとあったが、功績のようなものが記されていただけで、史実上の混乱した事態、という記載はなかったはず、と。

 だとすればこの予想はハズレだろうか。


 ―――レオトールの書物に省かれた点がなければ。


 重いため息が出る。

 どうしてもレンに訊かないと正確な点がわからない。

 メモメモ、と茅乃はテーブルの上に目をやったが、そこには本があるだけで書くものも記すものも見当たらなかった。


 しまった、マーサさんに筆記具頼めばよかった。


 と後悔するがもう遅い。


 まだ夜中というわけじゃないけど、あまり迷惑をかけたくないな。


 明日頼もう、と茅乃は読み終えた一冊目の本を置く。

 二冊目の本は、神子が出現した年代と滞在した場所について書かれていた。

 アズイルに限定された記録ではなく、記録上残されているものをまとめた書物のようであった。

 過去レオトールには五人の神子が滞在し、アズイルにはふたりが、南のローゼンタルにもふたりの神子が、そして北の国にはひとりの神子が滞在した、と。


 ・・・・北の国。


 国名さえ記されていない、謎に満ちた国だ。

 霧に包まれ、行くことはできても戻ることは難しいとされている国。その国にも神子が現れていたのだ。

 年代は、と目線を走らせた先で、比較的最近のできごとだと知る。

 北の国に神子が現れたのは二十年近く前だと記されている。ということは霧が発生し、国として交流が潰えた、もしくは情報が絶たれたのは最近、ということだろうか。


「・・・・・」


 レンへの質問項目が増えていく。

 逆に南の国で神子が現れたのはどちらも古い。直近、といってもひとりは四百年以上前、そしてもうひとりに至っては五百年以上前だ。


 この年数、伝説級じゃない?


 レンの、三百五十年前という記録を上回るとは思わなかった。


 神子の寿命はどうなってるんだろうなぁ。


 長命で、人間のそれとはちがうのだろうか。

 それともふつうに数十年で終わる場合もあるのだろうか。

 レオトールで読んだ記録の、五人の神子たちの滞在期間の短さは関係あるのだろうか。


 ・・・・・そして、じぶんは。


 やめよう、と茅乃は本から顔を上げた。

 薄暗い中で下を向いて思考しているから思考が暗くなってしまうのだ。


 これは明日、明るくなってから読もう。


 軽く伸びをして、本をまとめ、今日一日を振り返る。


 朝からいろんな出来事があった。たくさんの初対面のひとと挨拶をし、はじめて行く場所に連れていってもらい、いろんなことを教えてもらった。


 アズイル初日、濃厚だったなぁ。


 本は読み終えた。

 晩御飯も終えたし、お風呂にも入った。さて、と茅乃は立ち上がる。

「鐘が鳴りましたし、いまは夜なのです」

 明日の朝の起床時間を知らせるまで、鐘は鳴らないという。

「夜は、自由時間なんですよね」

 引いたままのイスを片付け、本を整頓して位置を整え、そのまま部屋の奥にある寝台へと向かう。

 垂れた薄布の間を潜って寝台の上に乗り、きちんとメイキングされた肌布団の角を折り曲げて布団の中に入りやすいようにしておく。

 寝る準備は万端、だがまだ寝ない。

「自由時間は、探索をするにはもってこいだと思うんです」

 先ほどからひとりでしゃべっているのは、大きなひとりごとが出てしまっているから、ではない。


 チラ・・・・、と茅乃は目線を天井へ向ける。


「聞こえてますよね、ワンワン君」


 ・・・・・・。


 部屋の中は静かで、つまりそれは無反応ということだ。


「ワンワンくーん、無視ですかー?」


 ・・・・・・。


 反応は無い。


「わかりました、わたしがそちらに行きますね」


 寝台からとび出して部屋の端まで行き、チェストの上によじ登って天井に見える部分を壊さないように軽く叩いてみる。石のように硬質な感触がなければそこが天井裏の通路への入り口だろう。

 ゴンゴン、ゴンゴン、と叩いていると、乗り上げたチェストがある場所とは反対の、背中側でかすかな音がした。


 カタン・・・・。


 振り返って見ると、正反対の方向にある天井板が一部ズレていた。その隙間から黒い塊のようなものがドサッと床の上に落ちる。

 まるで本当にただの黒色の布の塊が降ってきたように見えるが、よく見れば丸くひとが蹲っているようにも見える。

 その形は朝、茅乃が追い詰めた天井裏の通路にいたワンワンの姿と酷似している。


「こんばんは、ワンワン君。今朝ぶりですね」

「・・・・・」

 降りてきたというのに、ここでも反応がない。

「無視ですか。それはちょっと傷付きます」

 神妙な面持ちでそう言ってみると、床に張り付くようにしていた布の塊がゆっくりと立ち上がった。

「ボクは・・・・、今日」

 沈んだ声で、ワンワンがしゃべり出す。

「う、うん・・・・」

「とても、しゃべりすぎだと怒られてしまったので、もう話をしないようにしようと思います」

「うん・・・・?」

 頭のてっぺんまでフードのようなものを被っているので全身真っ黒づくめ、その背は高いがとても細身に見えるので相対しても圧迫感を感じない。

 そのワンワンは小さな声でボソボソとそう言う。


 ワンワン君、それは。


 思わず口を開きかけた茅乃は、すこし考えてふたたび口を閉じることにした。


 話をしない、と言いつつも、その経緯を話してしまっている。まさかとは思うが、茅乃が神妙な表情を見せて傷付くなどと言ったことが経緯を話した理由だとしたら、ワンワンは諜報機関所属でほんとうにいいのか心配になってくるところだ。


 それを指摘しようかと思ったのだが、結局茅乃は口を閉じた。


 ・・・・・まあ、いいか。


 そう考えたのだ。

 ワンワン自身の情報はもう引き出せた。というより勝手に本人がボロボロとしゃべった後だ。しゃべらない、話さないというのなら好きにすればいいと思うが、このぶんだと今後もじぶんでボロボロとしゃべるにちがいない。


 放っておこう。


 別に敵対関係というわけでもないし、ワンワンの情報を茅乃が得たところでなんにもならない。

 それよりも、と茅乃はワンワンに頼みごとをすることにした。

「ワンワン君はこの王城内について詳しいですか?」

「ここには何年もいますから、そりゃ・・・・」

「それは頼もしいです! 案内をお願いしますね!」

「は、はあ・・・・?」

「あっ、天井裏とか、そっちの道も興味あります!」

「そっ、そっちは連れていけません!」

「じゃあふつうに窓から出ましょうか」

「それはふつうの出口じゃないですよ!」

 話さないと言ったわりには会話が成立している。おそらく、アズイルの中でいちばんわかりやすいひとだな、と茅乃は思う。


 要するに、もしワンワン君がなにかうっかり暴露しちゃっても、それがユスフさんにバレなきゃいいんだよね。


 茅乃の見識や知識では、まだなにが秘密にしておくことで、そうでないことなのかの区別がつかない。ワンワンが今日怒られたと言うのなら、それは朝、口を滑らせてしまったじぶんにも責任があるのかもしれない。

 というのなら、なにを言って良いのかわからない場合、ユスフとの接触を避ければいいのである。そうすればなにもバレないし気付かれない。


 諜報機関に属しているひととはなんだか、やりにくそうだなあ。


 ―――ワンワンは例外として。


 そう考えながら茅乃は最後に残った机の上の明かりを落とし、毎夜のルーティンとしてしみついてしまった夜の探索に出かけるべく、部屋の大きな窓を開けた。




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