33 役所と城下街
キアヒムは茅乃の答えを受けて、生徒手帳を上着にしまった。
果たして写真技術の解明は為されるのだろうか、その答えに想像を馳せることもなく茅乃は思考を切り替えることにした。
受け取った制服を丸めて抱え、部屋に戻ったらどこにしまおうかなと考えつつカシュアを見上げる。
「カシュアさん、わたしの服を管理してくれてありがとうございました」
そう言うと、カシュアは淡く微笑む。
「神子様とその服には命を助けられました。こちらこそ改めて御礼を」
カシュアもそう言って片手を胸に置く。言われたとおりにしただけなんだけど、と思いながらカシュアを見ると、体勢はそのまま、軽く頭を下げるだけの姿勢を取っていた。膝を着かれたりするよりは表情が見えやすい、と茅乃は思う。
ほんわかとふたり笑い合っていると、開かれた扉の向こうに先ほど別れたプラトの姿が見えた。
「あ、プラトさん」
茅乃が声をかけると、プラトは目礼をしながら廊下側で立ち止まる。
「陛下を探しておりました。いまよろしいでしょうか?」
「なにかあったか」
応えながらキアヒムが部屋を出ていく。
なにかを耳打ちされたキアヒムが顔だけこちらに向けて、
「雑務ができた。オレは執務室に戻るが、カヤノはどうする?」
この後の予定を訊かれたので、茅乃は最初の目的をこなしていくことにする。
「ええっと、シャノンさんに窓口へ連れていってもらおうと思います」
「ああ、店をやるんだったか」
「許可を、もらいに・・・・!」
いいですか、とシャノンに確認すると、もちろんです、と頷かれる。
「そうか。オレはこのままプラトを供にする。カシュア、後を頼む」
「かしこまりました」
そういえばカシュアはキアヒムの護衛だと言っていたはずだが、代わりにプラトを連れていくということだろうか。ということはカシュアはこの後茅乃の護衛として付いてきてくれるのだろうか。
そもそも・・・・・、と茅乃はキアヒムの後を追おうとしていないカシュアを見上げる。
「カシュアさん、朝の話だとわたしには見えない範囲で護衛が付いているっていうことになってませんでした?」
たしかワンワン君が付いているんだっけ、と茅乃は思い出す。
人に聞かれてはいけない話なので、こっそりと小さな声で訊いてみた。
小さく笑ってカシュアは肯定する。
「そうですねえ、もうひとりの神子様には必要ないでしょうが、貴方様には必要ということで付いておりますね」
もうひとりの神子、とはレンのことだろう。
剣を持っているひとだから必要ないのだろうか。カシュアがレンに護衛が必要ないと言った真意は茅乃には摑みかねるが、それよりも、と茅乃は口を開いた。
「神子がふたりいるとややこしいですよね。わたしは朝からマーサさんに名前で呼んでもらってるんですが」
「ああ、呼んでおりましたね」
「カシュアさんもシャノンさんも、名前で呼んでください!」
「・・・・・それは」
「ややこしいと思うんです! 名前で、ぜひ!」
ここぞとばかりに言い募ってみる。ついでに両足を踏ん張って、頷くまでここを動かないぞ、という意思主張もしてみる。
「・・・・・」
カシュアが困惑したように見下ろしてきたとき、茅乃の横であっさりとした声がした。
「わかりました、カーヤ様とお呼びいたしますね」
シャノンが頷いたのだ。
「あ、ありがとうございます!」
茅乃がそう言うと、カシュアもまた短く息を吐いて了承の意を見せた。
「許可をいただいた、ということですね。では私も御名で呼ばせていただきます」
「あと、様とか要らないんですけど・・・・」
「こればかりは外せませんねぇ」
「・・・・・そうですか」
と表面上は茅乃も頷くふりをしたが、内面ではいずれ・・・・と考えている。
「それで、わたしにはワンワン君が付いてくれているのなら、このままシャノンさんとふたりで行こうかと思うんですが」
目の前の人物は将軍なのである。軍のトップに立つひとがじぶんのような小娘に付いてていいのだろうか、と茅乃は考えてしまう。業務があるのではないだろうか。
茅乃の言葉を聞いてカシュアは心外だ、という表情を浮かべた。
「私だけ仲間外れにされるおつもりで?」
「えっ。いえ、そういうつもりでは・・・・」
お忙しいのでは? と茅乃が言うと、
「隊長たちが頑張るでしょう。私としてはカーヤ様が次になにをされるのか面白・・・・興味深いものがあるのですよ。それにキアヒム様から後のことを託されましたし」
「・・・・・いま、なにか、言いかけませんでした?」
「いいえ?」
「・・・・・・」
無言でカシュアを見上げる。カシュアは薄く微笑んで茅乃を見返してくる。笑みの形の目も口元もそれきり動かない。言う気はない、という意思の表れである。
ユスフさんはユスフさんで読みにくいひとだと思ったけど、カシュアさんも摑めないひとだなぁ。
茅乃がそう考えていると、カシュアの口が薄く開いた。
「私はおふたりの後ろに付いているだけですので。どうぞお気になさらず」
「はあ・・・・」
おそらく、と茅乃は考える。
ワンワンという影の部分での護衛だけではいけない、という考えがあるのだろう。
本来カシュアの立場はキアヒムの護衛であるという。キアヒムが王という立場である以上、プラトとカシュアを連れていくこともできたはずだ。しかしそうはせず交代させたというのなら、茅乃とシャノンがふたりだけで歩いているように見える状況を良しとしなかった、ということになる。
カシュアという将軍位にある人物が、目に見える形で護衛をしている状況が最善。ということだろうか。
茅乃は茅乃自身のことをどうとも思っていない。ただのいち個人で学生であったただけの存在だ、と考えている。
けれどもここまで厳重な護衛が必要となると、きっと神子という立場の問題なんだな、という結論に至った。
カシュアが護衛をしてくれているのはきっと、神子という立場に配慮してのことなのだ。茅乃自身がどうこうという話ではもちろんない。ということはこれがカシュアのお役目なのだろう。茅乃はそう考えた。
これ以上の問答は時間の無駄だ。
「ではカシュアさん、この後もよろしくお願いします」
そう言った茅乃の真意などわかるはずもなく、カシュアは頷いて見せた。
「かしこまりまして」
その後、シャノンの案内で茅乃は王城内のいくつかの場所を回った。
窓口としての区画は図書館の方なのでは、と思ったが、そちらは国民に向けた窓口であって、茅乃の案件は王城内で処理される区分らしい。
朝案内された、キアヒムの執務室から近い場所をグルグルと回る。部署を訪ね、区画を行き来し、たくさんのひとを介した後にようやく許可証が得られた。
「こ、これが・・・・・」
営業許可証、である。
茅乃は両手の中にある皮革のような紙のような一枚をまじまじと見つめる。
場所は貴賓館、営業主の箇所には茅乃の名前。ありえない、というつぶやきを数人していたような気がするが、欲しいものが得られたいま、そんなものは些細なことだ。
これも部屋にしまっておかなくちゃ、と考えたとき、大きな音が響いた。
鐘の音である。
終業と夜を知らせる、一日で最後の音だ。
「もうそんな時間ですか」
カシュアの視線を追うと、回廊の外は暮れかけの色をしていた。太陽が焼けるような赤色と、それを覆うような夜闇の手前の濃紺の色。見上げれば昼間は快晴だった空にはいまも雲ひとつなく、抜けるような色彩を放っている。
明日もいい天気なのかな、と思いながら茅乃は今日一日付いてきてくれたカシュアとシャノンを振り返った。
「お疲れ様です。今日はありがとうございました」
終業なのである。ふたりを解放しなければ、と思って言ったのだが、ふたりともが同じ反応をした。
「おや?」
「もうよろしいのですか?」
「・・・・これはお仕事が終わりっていう鐘ですよね?」
茅乃がそう訊くと、カシュアとシャノンはそろってポカンとした。
「・・・・そういえば」
「そうでしたね」
「ええ?」
どういうこと、と茅乃が首を傾げていると、衝撃的な発言が飛び出した。
「なにか鳴ってるなぁという感覚しかないのですよ」
同感です、とシャノンが頷く。
「定時で帰れることはないので。どちらかといえば休憩時間を知らせるものだと思っています」
「・・・・・」
しゃちく、と茅乃は心の中でつぶやく。
「ということですので、カーヤ様の御用があればお聞きいたしますが」
シャノンに重ねてそう言われ、茅乃は心底迷い、悩んだ。
「ええっと・・・・」
ほんとうはふたりに今日はここまで、と言えばいいはずなのだ。普段から長時間労働をしているのならなおさらである。
だが茅乃は、この時間のひとの流れを見たかった。
そんな茅乃の心中を見抜いたように、シャノンが言う。
「なにか気になっていることがあるのなら、遠慮なさらなくても良いのですよ」
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えます。もういちど、貴賓館のほうに行ってみたいのですが」
「貴賓館ですか? いいですよ」
あっさりと頷かれ、三人で貴賓館へと向かうことにする。
宵の口の王都は昼よりも涼しい風が吹いていた。
暗くなってきた外に街灯はないが、代わりに火が点けられている。その明かりを頼りにしてカシュアとシャノンの姿を見失わないようについていく。城下のほうにしか人がいないのかと思っていたが、意外にも王城から城下へ向かうひとの姿も多い。
「このひとたちは・・・・」
ひとの流れを追いかけていた茅乃のつぶやきを、シャノンが拾ってくれる。
「王城で働いているひとたちですね。仕事を終えて家に帰るところです」
そうか、と茅乃はいろいろな年代の男性女性を見つめる。
城下街だけにひとの流れがあるわけではない。王城が職場のひとたちもいるのだ、と茅乃はその中でもとりわけ鮮やかな色の服を着ている女性たちを観察する。
ここには車も自転車もないから、移動している人はみんな徒歩だ。大人数と言っても差し支えない数のひとが大通りを歩いて帰っていく。
通りいっぱいに広がってそれぞれのペースで帰っていく人の数は想像していた以上だった。
・・・・・うん、いいかもしれない。
やはりあの貴賓館はいい場所にある、と茅乃は頷く。
やがて三人は王城の区画の端、城下街の入り口にまでやってきた。
そこでも茅乃は新たな発見をする。
「まだ開いているお店もあるんですね」
終業という言葉を聞いていたので、どの店も閉店時間なのだろうと思っていた。だが開いている店がある。店じまいをしている、というよりは煌々と照らされた入り口を見るに営業する気満々である。
「主に料理などを出す店はいまからが営業時間ですね」
「なるほど・・・・」
飲食店、と茅乃は納得する。
ご飯屋であれば夕食を食べて帰る人もいるだろう。雑然と賑わう通りは並んで待つ人の姿などもあり、繁盛している店が多いように見えた。
その大通りからいくつか離れた筋に、夜空を照らさんばかりに明るい区画がある。
「あちらは、すごく明るいですね」
なんとはなしに言ってみたのだが、シャノンが一瞬絶句し、なぜか焦ったような表情で説明らしきものをしてくれた。
「カーヤ様、あちらは少々・・・・なんと言いますか、治安が良いとはいえない場所なので、くれぐれも行かないようにお願いいたします」
「治安が? 王都で、それにあんなに明るいのに、ですか?」
「良くないから、明るくしているのです」
「はあ・・・・」
釈然としない茅乃の前に、陶器でできたカップが差し出される。
「カーヤ様、よろしければどうぞ」
持ち手はカシュアである。
カップの中身は透明な水のように見えたが、ふわりとなにか瑞々しい空気が流れた。
「・・・・これは?」
反射のように受け取ってしまった。匂いを嗅いでみると爽やかな香りがする。
「果実水です。アズイルは暑いので、日中はこのようなものを売っている店が多いのですよ」
「ええと、お昼も言ったようにわたしはお金を持ってないのですが」
「なにをおっしゃいます。私の奢りですよ」
そう言って片眼をつぶって見せる。器用な、と思いながらも奢られ慣れてない茅乃はさらに戸惑ってしまう。
その様子を見ていたシャノンもまた、カシュアからカップを受け取っていた。
「カーヤ様。レオトールではどうなのか知りませんが、アズイルでは男性に奢られてもいいのですよ」
もちろん信用できる相手に限りますが、と付け足される。
いや、これはレオトールがどうこうということではなく、と茅乃は思う。
日本にいたときから、あまり奢ったり奢られたりということに慣れていないのだ。
けれどもシャノンは茅乃の戸惑いをレオトールの影響と捉えたようだ。かといって特に訂正する理由も思い当たらず、茅乃は黙ってカシュアを見上げる。
「美味しいですよ」
と言われ、茅乃は喉の渇きを感じた。ありがたくもらうことにしよう。
「いただきます」
嬉しい、と思いながら口を付けてみた。
程よく冷たく、さっぱりとした味が喉を流れる。甘みよりも酸味の強い柑橘に似た味だ。どこかに果物の樹があるのだろうか。
しばらく無言で果実水を飲む茅乃の横で、シャノンとカシュアの目線だけのやり取りもまた無言下で行われていた。
―――よくぞカーヤ様の気を逸らしてくださいました。
シャノンが目線でそう言うと、カシュアもまた目線で頷く。
―――案内するわけにもいきませんからねぇ。
先ほど茅乃が見付け、興味を持った区画は裏街である。
ひと月ほど前、傍若無人なレオトールの使者たちの要望を叶えるために呼んだ女性たちはこの裏街の住人だ。いまではそれぞれの見世に戻り、通常の営業をしている。明るいが治安は良くない、という点も誤魔化しではなく真実だ。
幸い茅乃の興味が外れたようなので良し、とふたりは頷く。
そんなふたりの様子に気付くことなく、茅乃は果実水を飲み干した。
「美味しかったです、ごちそうさまでした!」
「お口に合ったようですね」
カシュアはそう言うと、茅乃とシャノンのカップを受け取って出店のような露店のひとつへと向かっていく。なにをしているのかと見ていると、どうやらカップを返却しているようだ。プラスチックではない陶器の器は、返却されたのち洗浄されてふたたび使われるのだと予想できる。
「城下ではいろいろな味の果実水が売られていますから、お気に入りを探してみるのもいいかもしれませんね」
シャノンに言われて、それは楽しそうだと茅乃は頷く。
「シャノンさんは、好みの味とかあるんですか?」
「そうですね、先ほどのさっぱりした味も気分転換にはいいのですが、とろみのある甘い味のものもありまして、そちらの味をよく買いますね」
「へえー、甘みのある果実もあるんですね」
「王城の庭にも果樹園がありますよ。こんど見に行きますか?」
「行ってみたいです!」
と言っていると、カシュアが戻ってきた。
茅乃はもういちど通りを見返し、畳んで外套の中にしまった許可証の存在を思い出す。
「うん、うまくいくといいなって思います!」
「なにをやるんでしたっけ?」
サラっとカシュアが訊いてくるので、茅乃はまだ秘密です、と返しておいた。
三人で来た道を戻り、王城の茅乃の部屋の前まで送ってもらう。
そこまでがカシュアとシャノンの本日の業務のようだ。
「カーヤ様、明日はどう過ごされますか?」
部屋の前でシャノンにそう訊かれたので、すこし考えて答える。
「お店の開店準備にかかりたいと思います。また明日もシャノンさんに案内をお願いしてもいいですか・・・?」
「もちろんです。では明日、朝の二回目の鐘とともに参りますね」
「では私もその頃に来ますね」
それでは、と告げて去って行くふたりを見送り、茅乃は部屋の中に戻った。
「あっ、家具が増えてる!」
茅乃が外出しているあいだに、マーサが書き物机だけでなくほかの家具も運んでくれたようだ。
チェストが増え、机の横には本棚が置かれている。そして休憩用だろうか、コンパクトなサイズ感ではあるが、お茶の時間が過ごせるようなテーブルとイスも置かれている。
テーブルの上、そして棚の中には借りてきた本以外にはなにもない状態だが、いずれ物が増えて生活感のようなものが出てくるのだろうか。
それもいいかも、と考えた茅乃は、寝台の横のサイドテーブルに目を留めた。
小さな花瓶には黄色の花が一輪生けられている。
「・・・・・」
たしか、と茅乃は観察する。
朝は白色の花だったように思う。それが、黄色の花に代わっている。
誰がやってくれたのかはわからない。家具を運び入れたときにマーサが生けてくれたのかもしれないし、ほかの侍女のひとによるものかもしれない。
すくなくともこの花は、誰かの手によってこの部屋を整えるため、居心地の良さを求めるために飾られたものだ。
黄色の、小さな花を見つめる。
興味ない、とこれまで思って眺めていた花は、当然ながらひとの手によって手入れされ、世話をされて咲いたものだ。
そしてそれが、ここに丁寧に飾られている。
「・・・・・」
その意味を見出そうと、茅乃はしばらく黄色の花を見つめていた。




