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青の塔  作者: あきお
33/55

32   返されるもの






「べつにかまわないが」


 建物をひとつほしい、と言ったはずだが、キアヒムから返ってきた答えはあっさりとした許可だった。

「えっ、いいんですか? ほんとに?」

「もともと神子のためにある館だしな。使えない状況だが、それでもいいのか?」

「あっ、使えるようにできるみたいです!」

「・・・・・」

 無言で室内を見渡した後、キアヒムが言った。

「そのようだな」

 首を傾げるでもなく、淡々と同意するキアヒムを見ながら、茅乃は釣竿を握りしめる。


 すぐに全部を使えるようにはできないかもしれないけど、それまでにいろいろ調べておかないと!


 水色のタイルを見つめて、茅乃は頭の中で算段を付ける。

「シャノンさん!」

「はい、なんでしょう」

 床を凝視していたシャノンが顔を上げ、驚きが残る丸い眼をしながらも返事をしてくれる。

「ここでお店を開くことは可能ですか?」

「お店・・・・ですか?」

「はい! とてもいい場所だと思うんです!」

 立地であるとか規模の大きさとかを考えると、無理なことではない。問題は許可が下りるのかどうかである。

 チラ、とシャノンが目線でキアヒムに問う。ただ頷きを返しただけのキアヒムの動きを見て、シャノンが回答する。

「可能です。・・・・神子様、なにをなさるおつもりですか?」

「まだ秘密です」


 まずは調査をしないと、と茅乃は明確な答えを保留した。そもそもはっきりとしないことを口にするのは苦手だ。準備が進んで確実になってから答えようと茅乃は考えている。

「届け出が必要ですね。いちど王城に戻りませんと」

 シャノンがそう言ったとき、ちょうど鐘の音が響いた。三度の鐘はたしかお昼時を知らせているものだったはず、と茅乃は午前中に聞いたことを思い出す。

「昼飯だな」

 いつの間にか糸や針どころか釣竿そのものすら片付けているレンが言う。

「・・・・ご飯」

 昼食はもらえるのだろうか。もらえるとすればどこでもらえるのだろう。部屋に戻ったほうがいいのかな、と考えていた茅乃に、カシュアが提案をもちかけてきた。

「神子様方、よろしければ兵舎に寄ってみませんか」

「へいしゃ、ですか?」

「ええ。そこには食堂もありますし、昼食の後でお返ししたいものがありまして」

 そう言ってカシュアは茅乃を見る。返却先はレンではなく茅乃のようだ。

「おかえし」

 なにか貸していただろうか、と茅乃は首を傾げる。

 カシュアとは数度しか会ったことはないし、その中でなにかの貸し借りをした記憶はない。だが穏やかそうなカシュアの表情とは反対に、ぜひとも、という空気的な圧を感じる。


 特に予定もないし・・・・。


 調査を行うつもりはあるが、すぐさま取りかからねばならないというわけでもない。断る理由がないので、茅乃はレンを見上げた。

「レンさん、どうですか」

「部屋の準備もまだ済んでないだろうし、行ってみるか」

 以前は量があってなかなか美味かったが、と食堂の評価のようなことをつぶやいてレンが出入り口のほうへと向かっていく。以前滞在したことがあるだけに、場所を把握しているようだ。茅乃はカシュアに促されるまま兵舎へと行くことにした。


 貴賓館から王城の中枢部分へと戻る間の位置に、兵舎があった。それは王城の建物、片翼ともいえる場所にあり、独立した建物ではなく王城の一画として存在している。

 建物の外側には石畳の敷かれていない剥き出しの土のままの地面が広く取られており、どこか学校のグラウンドのようだと茅乃は思う。

 運動部さながら、いままさにグラウンドで走り込みや体力作りを行っている軍のひとたちは、カシュアや王であるキアヒムの姿を見慣れているのか、敬礼だけの挨拶で済ませている。それらを横目に見ながら建物の中に入ると、入ってすぐの場所が食堂のようだった。講堂を思わせる大きな空間に長机とイスが配置されている。空間の半分を仕切るようにカウンターがあり、そこで食事を受け取るようだ。カウンターの奥を覗いてみると大きなかまどや鍋が見えた。食欲を刺激するいい匂いはあそこから漂ってきている。

 学食のようなシステムなので、ここで食事をもらうことはそう難しいことではないように思えた。

 ただ、茅乃が知るシステムに当てると、ひとつだけ無いものがある。

「食券は、どこで買えば・・・・」

「しょっけん、ですか?」

 レンとともに先導していたカシュアが振り返る。

「わたしの記憶のなかの食堂では、食べたいご飯を選んで、券を買うんです。それを食堂の職員のひとに渡してご飯を受け取るんですけど・・・・」

「ああ、そういうやり方があるんですね」

 と言うからには、やはりここはちがうらしい。

「ここはその日その日で料理が決まっていますからねぇ。誰が来ても同じ料理が出ます」

「つまり、日替わりランチ」

「らんち?」

「あ、いえ」

 なるほど、メニューが決まっているのか、と茅乃の疑問はひとつ解消された。だが問題はまだ残っている。

「でも、カシュアさん」

「なんですか」

「わたし、お金持ってないんです」

 苦渋の告白だった。

 先ほどの、城下を歩いているときにひしひしと感じたことだ。商品を見ても、買うお金を持っていない。見るだけしかできなかった。レオトールではアルバイトをやる余裕もなかった。神子にお給料はないのだろうか、と茅乃は考える。それ以前に、働いたらどこに給料が振り込まれるのか。

 唇を嚙み、眉を寄せ下を向いた茅乃は、カシュアの肩が震えたことに気が付かなかった。

「はあ、それは」

 気の抜けたようなカシュアの声がして、茅乃は顔を上げる。

「問題ありませんよ。この兵舎の食堂に限っては、来て、食事を受け取るだけです。ここで財布を持っているものはおりませんので」

「・・・・じゃあ、ここの食費はどうやって賄われているんですか?」

 その質問に答えたのはシャノンだった。

「予算に組み込まれています。軍事費の内のひとつですね」

「軍事費・・・・」

 なるほど、軍の食堂では食事を選ぶという贅沢ができないかわりに、費用はすべて予算から賄われているのだという。個人の負担は軽いようだ。

 税収だろうか。消費税? 市民税? どういう仕組みなのだろうかと考えながら、茅乃は全然ちがうことを口にした。

「・・・・・わたしの、レオトールでの扱いがひどかったのは費用を支払っていなかったからなんでしょうか」

 たとえば寝るにしても食べるにしてもすべて無料で仕上がっているわけではない。侍女であったり洗い場の人間であったりと、人手を介しているのならなおさらだ。

 反省すべき点なのかな、と考えていた茅乃を、茅乃以外のものが半分呆れた眼で見返したが、そのなかでほとんど感情の反応がなかったキアヒムがひとことつぶやいた。

「神子からの支払いを受けた国はないと思うが」

「・・・・ということは、支払った神子もいない、ということですよね」

「そうだな」

「・・・・・」

 なんとなく、チラリとレンを見上げる。するとレンが片眉を上げた。

「だから、滞在費用の代わりにときどき釣竿を使って貢献しているわけだが?」

「貢献」

「気が向いたときにな」

 ひどく気まぐれな言葉ではあるが、それを聞いて茅乃は考え込んでしまう。じぶんはその釣竿の使い方をいま習ったばかりだが、うまく使って茅乃が貢献することはできるのだろうか。無言になってしまった茅乃を見たからか、シャノンが声をかけてくれる。

「あの、難しく考えなくてもよろしいかと思いますよ。神子様の滞在費用も予算の内に入っておりますので」

「そうなんですか?」

「はい。ですので、ご心配は要りませんよ」

「はあ・・・・・」

 逆じゃないだろうか、と茅乃は思う。

 国の予算を使わせてもらっているのなら無駄な支出はありえないので、心配しつつ使わせてもらうしかないのでは、と考える。

 だが細かい取り決めなどはまだ良くわからないので、曖昧な返事になってしまう。


 ちょっとずつ教えてもらおう。


 とりあえずいまはお昼ごはんだ、と茅乃はカウンター前の列に加わったカシュアの後ろについて行く。キアヒムとレンは立場の問題なのか、ふたりともすでに席に向かっている。茅乃はここの食堂がどういうふうになっっているのか見たかったのでついて行くことにした。

「・・・・・」

 そして、カシュアよりも幾人か先の、食事を受け取っている誰かのトレイを見て慄然とすることになる。


 ―――爆盛り・・・・・!


 大盛りという量を越えている。


 ―――なにあれ、あふれんばかりのおかずでお皿が見えないんだけど!


 思わず口をあんぐりと開けて見ていると、おそらく茅乃に付いてきてくれたシャノンと目が合った。

「・・・・・」

「・・・・・」

 シャノンは無言であったが、茅乃と同じような眼差しをしていた。このとき、ふたりの心は通じ合った。


 あの量、絶対に、ムリ!


「シャノンさん、よければ半分こにしませんか!?」

「とても魅力的ですね。失礼でなければ是非!」

「というか、あれ半分の量でもムリですよね?」

「半分をさらに半分にしてもらいましょうか」

「できるのかな、言うだけ言ってみましょう!」

 ということで、順番が来たときに茅乃は言ってみた。食堂の職員は量を減らせなんてはじめて言われたと笑いながらも快く少なめに盛った後、追加のカトラリーと取り皿をトレイに乗せてくれた。お礼を言いつつ茅乃とシャノンは男性陣の待つ席へと移動する。

 シャノンとふたりでの取り分けるが終わると、キアヒムが口を開いた。

「では食事にするか」

 いただ、と言いかけた茅乃は、周りのひとたちが揃って片手を胸に当てているのを見て、慌てて真似をした。

 伏せた目と、軽く頭を下げるような動作。それをレンまでもが行うとは思わなかった。

 静寂を伴った厳かな空気が一瞬その場に落ちる。だがそれはほんとうに一瞬のできごとで、姿勢を戻したと同時に食事が始まる。

 朝食のときに食べたものと同じような薄いパンと、メインは肉が多めの野菜炒めのようなもの、小さめの皿には野菜のみのサラダ、そしてスープ。フルーツのような食後のデザートといったものは見当たらない。すこし残念に思いながら茅乃はスープを口にする。

 この国の気候のせいだろうか、スープは熱々ではなくやや温度を下げたもののように感じた。飲みやすくていい、と茅乃は次にサラダに手を伸ばす。

「・・・・味が変わったな」

 メインの料理を食べていたレンがつぶやく。

「お口に合いませんか?」

 とキアヒムではなくカシュアが問うたのは、ここが将軍であるカシュアの管轄だからだろうか、と茅乃はそのやり取りを見つめる。

「いや、悪くはない。知らない味になっていると思ってな」

「西のほうで新しい香辛料が発見されたからじゃないか」

 とキアヒムが答える。

「そういえば、王城の料理長が気に入って、栽培するんだと言ってましたねえ」

「なるほど。三百年以上経つと新しい発見があるようだな」

 スケールの大きな話に茅乃は入れる気がしない。とはいえ、なんということもない世間話をしている風情の三人と、静かに食事を進めるシャノン、そして周りの席で食事をしている軍人たちの喧騒はどこか馴染んだ学食の空気と似ている気がした。


 居心地いいかも・・・・。


 とまったり食べていると、朝食時と同様にいちばん最後の食べ終わりとなってしまった。あの爆盛りを三人はペロリと平らげている。シャノンも食べ終わっていた。急いで食べようとする茅乃を止めて、カシュアとシャノンがお茶を取りに行く。食後のお茶は昼食後にもあるようだ。

 昼食後、トレイを返却し兵舎の中にあるカシュアの執務室に向かう前に、水路を見てみることになった。

「水路! 忘れかけてました」

「神子様にとっては次々と移動していただくことになってしまうので心苦しいのですが・・・・」

 恐縮する様子のシャノンに対して首を横に振り、茅乃は正直なところを言った。

「新しいものを見ることができるのは楽しいですよ。それに、疑問に思うことは答えてくれるので、わたしはとても恵まれてますね」

 ふふふ、と茅乃は笑う。それにつられたようにシャノンもまた表情を緩ませた。

「そう言っていただけると助かります。ではカシュア将軍、すこしだけお時間を割いていただいてもよろしいですか?」

 後半はカシュアにそう確認すると、カシュアは軽く頷いた。

「ここから近い場所にも水路は通っていますから、寄ってみましょうか」

「そんなに近い場所にあるんですか?」

 茅乃が訊くと、カシュアがふたたび頷く。

「あそこの」

 そう言って、建物の外に広がるグラウンドを指さす。

「訓練場の端に水路があります。そもそも、水路の水が訓練中に負った傷を治すのにちょうどいいということで兵舎がこの場所に造られたと聞いたことがありますね」

「へええ・・・・」

 茅乃が勝手に心の中でグラウンドと呼んでいた場所は訓練場と呼ばれているらしい。

 広い食堂を出て訓練場の端に沿って歩くと、ちょうど木陰になっている場所があった。その横にあの白い石を発見する。

「あっ」

 思わず駆け寄って水路の中を覗き込んでみる。

 神域の近くで見た光景そのままの、透明な水が流れている。ここから神域まではけっこうな距離があると思うのだが、どうしてこんなに澄んだままなのだろうと茅乃は首を傾げる。思わず手を突っ込んでみると指先が痺れるくらいに冷たい。透明さと水温を維持したまま、この水はそれぞれの国の神殿であったり教会であったりという場所に流れ着くという。

 パシャパシャと水遊びをしている茅乃の横にやって来たキアヒムを見上げて、質問をした。

「キアヒム君、この水は神殿に流れ着いた後、どうなるんでしょう?」

「巡礼者に振舞われることになっている」

「巡礼者?」

「病や怪我を負って水路の水の加護を求めるものは少なくない」

「なるほど・・・・」

 怪我に効く、ということは以前聞いたことがあるが、病気にも効くようだ。ということは、アズイルに限らずこの世界ではあまり医学が進歩する余地がないのかもしれない。飲めば効くような代物があって、医学が発展するだろうか。

 興味が尽きない。それに疑問はひとつだけではない。

「でも、神殿に流れ着いた水がすべて誰かに渡されるわけじゃないですよね?」

「そうだな。いったん泉で受けて、そこから汲むようになっているはずだが」

「じゃあ、泉の水は溢れることはないんですか?」

「・・・・・そういったことは、いままで聞いたことがないな」

「ずっと流れっぱなしの水を受けているのに?」

 首を傾げた茅乃の後ろで、それまでやり取りを眺めていたレンが口を開いた。

「水路の水は循環されている」

 茅乃はキアヒムと同時に振り返ることになる。

「循環、ですか?」

「そうだ。世界の水は世界の中で循環されている」

「・・・・・」

 海の水が気化して雲となり、雨を降らすようなものだろうか、とイメージしようとしている茅乃に、レンが言った。

「お前、神域の中を見たか?」

「地面の、落ちてきた水を受けている場所ですか?」

 言われてふと思い出したのは、東屋のような場所から落ちた後に見た滝つぼのような場所だった。あそこのことを言っているのだろうかと訊いた茅乃に、レンがいいや、と答えた。

「そっちじゃない。上の、建物の中のほうだ」

「ああ、石台から水が溢れたところですね」

「そこと繋がっている」

「・・・・・・」

 なにを言っているのだ、という反応を隠せただけましだっただろう。レンの発言でなければあからさまに茅乃は首を傾げていたかもしれない。


 どう考えても水道管が繋がってるわけじゃないよね・・・・・。


 とはいっても、地球の仕組みであっても海から雲まで水道管が繋がっているわけではない。そこまで考えて、茅乃は自身を納得させる言葉を見付けたような気がした。


 そうか、これはきっとこの世界の仕組みなんだ。


 不思議なことばかり、と茅乃は思うが、もしかしたら地球外の生命から見れば地球の仕組みだって不思議と思うものなのかもしれない、とやや現実逃避気味の思考をする。


「なるほどー、潤沢な水量だったから、どこからこの水がきてるのかなと不思議だったんですよ」

 手に付いた水滴をピッピッと払いながら答えていると、カシュアから小さく畳まれた布を差し出された。ハンカチだろうか。

「ありがとうございます」

 遠慮なく使わせてもらうことにする。敗北した女子力を抱えながらカシュアにハンカチを返す。

「茅乃」

「はい」

 レンに呼ばれたので、茅乃はきちんとレンへと向き直る。

「部屋の様子を見た後、俺はいったん戻るが」

 えっ、と出かかった言葉を飲み込んだ。これ以上引き留めてはいけない。ただでさえ忙しいというレンの時間を使わせてもらったのだ。

「わ、わかりました」

 なんとかそう答えると、レンは茅乃の背中側に差してある釣竿を指した。

「前にも言ったが、調整を怠るなよ」

「はい」

「なにかあれば書き置きを残しておけ。時間があれば様子を見に来る」

「ありがとうございます」

 レンのリミットがきたようだ、と茅乃はおとなしく返事をする。朝からずっと午後までの時間をもらっていたのだ、仕方ない。それにまた来るという言葉はどこか心強くも思えた。

 レンとはここで別れ、茅乃は当初の目的であったカシュアの案内のもと、兵舎の中へ向かうことにした。

「どこへ行くんですか?」

 とカシュアに訊くと、

「私の執務室まで、お願いいたします」

 そこに置いてありますので、と言う。なにが置かれてあるのかと考えるまでもなく、カシュアが言っていた返したいもの、だろう。

 なんだろう、と考えながらも、昼を過ぎて陽光の入らなくなった回廊を進んでいく。

「こちらです」

 と示された先は、キアヒムの執務室とも似た石造りの扉の前だった。

「どうぞ」

 と開け放たれた扉の中へ入ると、カシュアが部屋の端に設えられてある棚の前へと向かった。その後ろ姿を視線で追いながら、棚を見る。

 隙間の多い棚のいちばん上の段に、黒っぽい色の布地が置かれてあるのが見えた。

「・・・・・んん?」

 どこかで見たことがあるような気がした。カシュアの手は紛うことなくその布を取る。

「お返ししたいものはこれです」

 目の前に差し出されたものを見て、ようやく茅乃は思い出すことができた。

「これは、わたしの、制服!」

 受け取って、広げてみる。

 まちがいなく、茅乃が着ていた制服の上着、ブレザーだ。

 茅乃の言葉を聞いて、カシュアが安堵したように微笑む。

「やはり神子様の持ち物でしたか」

「そうです・・・! たしか、神域で水をかけろってキアヒム君に言われて、でも道具がないからこれを使ったんでした」

 よくあんな水浸しの服を、ここまで持って帰ってくれた上に保管までしてくれていたものだ、と茅乃は申し訳なく思う。正直に言えば上着のことなどすっかり忘れていたくらいだ。

「検めさせていただいたときに、これも出てきまして・・・・」

 そう言ってさらにカシュアが差し出したのは、小さな革の表紙をした手帳だ。

「あっ、生徒手帳!」

 なんてことはない、胸ポケットに入れていた生徒手帳である。

「それはなんだ?」

 興味を引かれたのか、キアヒムが覗き込んでくる。

「ええと、わたしは学生だったので、その身分を証明するための手帳です」

 通学定期を買うときや、学割を受けるときに必要なものだ。

「見てもいいか?」

「はあ」

 茅乃にとっては見慣れたものだが、キアヒムやカシュア、シャノンにとってははじめて見るものだろう。茅乃がアズイルで見るものすべてが面白く感じるように、三人にとっても同じように思うのかもしれない、と手帳を渡す。

 最初の革の表紙をめくったとたん、三人が硬直するのがはっきりとわかった。そんな反応になるようなものがあっただろうか、と見つめている先で、キアヒムが目線を上げて訊いてきた。

「カヤノ、これは、絵か?」

「絵?」

 生徒手帳に絵など描かれていただろうか、と茅乃も覗き込んでみる。


 そこにあったのは、茅乃を被写体とした証明写真だった。


「ああ、これは写真といいます」

「しゃしん? 絵ではないのか?」

「はい」

「おそろしく再現性が高いように見えるが・・・・」

「はあ」

「どういった技術なんだ、これは?」

 キアヒムに質問されて、茅乃は説明しようとして、言葉が出てこないことに気が付いた。


 投影が・・・・、光をレンズに通して・・・・、と考えてみて、じぶんはカメラの仕組みさえ理解していないことを理解したからだ。

「ええっと・・・・」


 待って待って、ずっと昔からあっていまも使われている機械なのに、と茅乃は焦る。

「そ、それはー、特殊な技術を用いてて・・・」

「専任の職人がいるのか?」

「そ、そんなようなもの、かなぁ・・・・?」

 カメラを使って写真を撮ることは誰でも可能であるが、カメラそのものを組み立てたり、写したものを現像したりするのは誰にでもできることではない。データをプリントアウトすることは茅乃でも可能だが、とりあえずそういうことにしておこう、と曖昧に答えることしかできなかった。

 まじまじと写真に目を落としていたキアヒムがふたたび顔を上げた。

「カヤノ」

「はいっ」

「しばらくこれを借りてもいいか?」

 返却されたばかりなのに、とは考えなかった。そもそもブレザーといっしょに生徒手帳のことも忘れていたくらいだ。

「いいですよ。なにか使うんですか?」

「王城の職人に見せてみようと思う」

 技術について話し合いでも行われるのだろうか。

 特に手元に置いておきたいわけではなかったし、職人のひとたちが技術を理解してキアヒムに説明してくれたほうがじぶんの説明よりよほどいいだろう、と茅乃は考える。

「・・・・・カヤノがいたところでは、実像を切り取ることができるんだな」

「・・・・はは」

 乾いた声で笑いながら、動画もあるけど、とはさすがに言い出せなかった。




 今回も活動報告を書いております。よろしかったらご覧ください。

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