29 図書館にて
キアヒムを呼んだとき、振り返った茅乃は初めてアズイルの王城の全景を視界に入れた。
階層は三階までしかないので、高さはない建物だ。正面から見ると低めのビル、といった感想を持つ。建物の上階の角には見張り台のような小さな場所があって、兵士のような人が立っているのが見えた。
すこし首を動かして見てみると、奥行きはかなりあるようだ。奥に行けば行くほど左右の幅が等間隔に広がっている。
縦にも奥にも幅のあったレオトールの王宮と比べると、どこか整然とした印象を受けた。レオトールの王宮がデコボコとした輪郭で左右非対称であったのもそう思う理由だろうか、と茅乃は思う。尖塔だらけではない、四角の形に納まりそうな建築物を眺めていると、合流したキアヒムが不思議そうな顔をして同じように振り返った。
「なにか面白いものでもあるか?」
「いやぁ、はじめて見るので、ちゃんと見ておこうかなと。奥行きがすごいありますよね」
「最初は、いまほど大きな王城ではなかったらしい。必要な部署が作られると同時に増築されていったという記録がある」
「へえ・・・・。だとすると、これからも増築されることはあるんですか?」
「必要なら造ると思うが。いまのところ不足はないな」
ということは、いまのところこれより大きくなる予定はないということだ。
といっても、国の中枢機関だけあってそもそもとても広大な敷地なのだ。そこまで考えて、茅乃は周囲に目を向けてみる。
石畳の上に、以前キアヒムが言ったように城を囲む壁はない。
どこからどこまでが、城の敷地なのかな。
石畳の上はポツポツと建物があり、樹木が生えている。砂色をした石で造られた建物が多い景色の中では緑がとても鮮やかに見え、同時に砂漠の国といっても植物はあるんだなぁということを目の当たりにする。
「キアヒム君、城と街の境目はあるんですか?」
「ある」
茅乃の質問に、簡潔にキアヒムは答える。
「あそこに広場があるのが見えるか?」
指で示された前方を見てみると、歩き出した方向の先、左右に大きく開いた空間があるのが見えた。
「あれがアビダの言っていた、日時計のある広場だ。その向こうは大通りと市街地になるな。道の手前は王城の敷地となっている。王城の出入り口からあの大通りまでの敷地は外庭とも呼ばれている」
「大通り・・・・」
いわゆる城下街だ、と茅乃はその通りをよく見る。
広場の向こうにはやはり石で造られた建物があって、そのほとんどが二階建てだ。一階部分は店舗になっているのか、道に面して壁も扉もなく大きく開かれている。その前を行きかう人の数は多く、ざわざわという喧騒が少し距離のあるこの場所にまで届いてくる。
賑わいのある通りのようだ。
まだ人々の表情が見える距離ではないが、話をしているような店主と客らしきひとがいて、露店を覗く、茅乃と同世代のような女の子たちがいる。そして道を走り抜けていく小さな子供、といった人たちを見ていると、どこか安堵に似た気持ちがわき上がってきた。
レオトールで見た景色とは別の景色がそこにはあった。
買い物をしてもただ用事を済ませるように、会話どころか声もないまま去って行く姿を見た。喧噪もなく、賑わいもなく、不気味なほど静かだった。それはいっそ、陰気なくらいに。
レオトールの王都を見たのはいちどだけだが、その奇妙な印象が記憶に残っている。その記憶と合わせると、アズイルの城下街は茅乃が想像する城下街そのものだといえた。いや、ここの人の多さは多すぎるくらいだが、辛気くさい城下街よりかはずっといいと思う。
「なんだか人が多いように見えるんですが、いつもこんな感じなんですか?」
「いや。いまは祭りを行っているから、いつもより店もひとも多い」
「お祭り!」
思いがけない言葉に、茅乃の視線は大通りに釘付けになる。
幅の広い道の上には、もともとある石造りの建物である店舗の前に、日除けの布を張った露店が整然と並んでいる。そのようないくつかの小店がグループを作っているようで、人の流れを邪魔しないように点在している。
「このお祭りは、毎年行われるものなんですか?」
横を歩く先生、シャノンにさっそく訊いてみる。
日本の夏祭りや、秋のお祭りと同じような感覚なのかな。
毎年の恒例行事だろうか、と思いながら訊いてみたのだが、予想とはちがう答えが返ってきた。
「いえ、そのようなお祭りもありますが、これは急遽、臨時で行われているお祭りです」
「臨時、ですか?」
しかも急遽、と言うからには、予定にはないお祭りだったのだ、と茅乃は思う。
「そんな、例外的なお祭りがあるんですね。なにか理由があるんですか?」
「陛下が帰還されましたので」
あっさりとしたシャノンの言葉に、茅乃は反対側の横を歩くキアヒムを見上げた。
忘れそうになるが、そうだ、このひとは陛下だった、と茅乃は思い出す。
それと同時に、ひと月かそれ以上、この国にはトップがいなかったのだと気付いた。
日本だったらどうなるんだろう、と茅乃は想像してみる。形ばかりは民主主義の制度なので、代わりのひとが選出されておしまいだろうか。不在のまま、ということはありえないような気がした。けれどもこの国、というかこの世界は王政を敷いているようなので、選挙のような形で代わりを選ぶ、ということはそう簡単ではないように思う。
大きな混乱が起きるだろう、と想像することは容易かった。
ふたたび大通りを見てみる。がやがやとした喧騒はどこか浮かれたような音にも聞こえて、茅乃は隣を歩くキアヒムをもういちど見上げた。
「キアヒム君」
「なんだ」
「帰ってこられて良かったねぇ」
「・・・・・」
キアヒムはしばらく無言で茅乃を見返してきた。そして、その後静かな声で答えた。
「そうだな」
だよねえ、と茅乃はひとり頷く。
通りを歩くひとたちすべての生活を、キアヒムはその肩に背負っている。それはひいてはこの国そのものを背負っているということだ。
「・・・・・」
どこか、クラスメイトの話したことがない男子と話しているような感覚で接していたが、改めたほうがいいのかな、と茅乃は不安を覚える。呼び方に関しては勝手にしていいと言われたけど、と悩んでいる間に、広場までやって来た。
「ここを左に行くと神殿がありますよ」
王城の敷地と市街地との境目に来た。
先導していたカシュアが振り返ってその方向を示す。後で考えよう、と茅乃は思考を切り替える。
そういえば、アビダさんが王城と神殿の前に広場があって、日時計があるって言ってたな。
その日時計はどこだろう、と茅乃は視線を移動させる。
「なにかお探しですか?」
視線に気付いたシャノンが訊いてくれる。
「あの、日時計を見てみたいなと思って・・・・」
「ああ、あちらですよ」
シャノンが指したのは出店が多く、人通りもいちばん多い広場の中央だった。
雑踏の中を、カシュアに先導されてその日時計の前まで行ってみる。
円形の台座の上に、板のようなものが刺さっている。実にシンプルな時計だ。その影を見てさらに台座に刻まれた時刻を読むと、いまは朝の九時半といったところだろうか。体感からすると、朝の始業時刻は九時かな、と予想を付ける。
「お昼で三回の鐘が鳴る、と言ってましたよね」
「そうです。お昼の十二時ですね」
「それじゃあ、四回の鐘が鳴るのはいつですか?」
「業務が終わる時刻ですので、四時です」
日本と比べると早い時間に終わるようだ。ついでに訊いてみる。
「一回目は何時に鳴るんですか」
「六時ですね」
ふむふむ、と茅乃は頭の中のメモを付ける。
朝の六時から三時間おきに、最後の四回目だけが四時間後に鳴る、と。
「四時に鐘が鳴ると、鐘を鳴らす担当の神官も帰宅します。四時以降は飲食店のような店を営んでいるもの以外は仕事が終わり、自由な時間を過ごします。翌朝の六時までは鐘が鳴ることはありません」
補足のように説明してくれるシャノンの言葉に、さらにメモを足す。
夜は自由時間、と。
そうして顔を上げ、神殿があるという方向を見る。
神殿に属する神官が鐘を鳴らす役目があるというのなら、どこかこの日時計が見えるところに鐘楼のようなものがあるはずだ、と考えたのだ。そしてそれは、大きな石造りの建物の横、独立した細い塔のような建物の上部にあった。吊るされた鐘を見つけて、茅乃は鐘楼の位置を把握する。
「・・・・・」
神殿だという建物はやはり石造りのもので、王城より広くはない敷地のようだった。神官や研究者を抱えているといっていたが、働くひとの数は王城よりは少ないということだろうか。だが、その神殿だと示された建物の階層は三階。王城と同じだという点が、どこか象徴的のような気がする。
いつか行ってみたいけど・・・・。
今日はアビダが持ってきてくれるという記録の類を期待しよう、と茅乃は思う。さて、図書館はどちらの方向だろうか、と考えた茅乃の目が、大通りで展開される店を捉える。
・・・・・どういうものが売られているんだろう。
とても気になる。
興味が引かれるまま、ふらふらと一軒の店の前に行ってみる。そこは装飾品を扱う店のようだった。大きな庇の下に陳列された品物を本当は触れて見てみたいが、うかつに触ると壊してしまう。なのでそこは、グッと我慢をしてひとつひとつ丁寧に見るだけにする。
主に革製品が多い。革ひもに通された鮮やかな色の大ぶりな石が付いたペンダント。小さなビーズで作られた耳飾り。細い革ひもが重ねられ細かな飾りが付いたものは、ブレスレットだろうか。
「・・・・・」
見ていて思ったのは、金属が少ない、ということだった。鉄やその他の鉱物から作られたものを見慣れている茅乃の目からすると、それはすこし首を傾げてしまう光景でもあった。
・・・・・鉄鉱石が貴重品だったりする?
思わず背後を振り返る。
キアヒムとカシュア、そして静かに最後尾を付いてきていた護衛のプラトの腰に下げられた剣と、その鞘を見る。
もしかすると、この三人は立場上このような武器を持っているだけで、ほかのひとにとっては剣自体が高級品なのではないだろうか。
そもそも、男性も女性も、着ている服には金属の類がいっさい使われていない。ベルトであったり靴であったりといった細かい部分にも金属は見当たらない。
思い返してみれば、レオトールの王子の周辺にいた人たちは革製の甲冑姿をしていた。アズイルに限らず、この世界にとって鉄は貴重で、それは同時に採掘さえ進めば製鉄技術が発展する余地があるということだろうか。
中世的な時代観かと思ってたけど・・・・・。
もうすこし時代を前倒しして考えたほうがいいのかな、と茅乃は考えながら、隣の店舗へと移動する。
隣の店は織物の類、布製品を扱っているようだった。
そういえば、織物はアズイルの特産物だとマーサが言っていたのを思い出す。大小さまざまなサイズのカーペットやマットを扱っているようで、王城の回廊で見たような、幾何学模様に似た文様が施されている布を眺める。そのしっかりとした厚さと表面の質感を見ても茅乃はその素材の見当がつかない。隣の先生に質問してみることにした。
「シャノンさん、あの生地はなにでできているんですか?」
「あれは毛織物ですね。アズイルの北部では畜産が行われています」
「ということは、北部のほうでは牧草が生えているんですか?」
「山間部があるので、よく霧が発生します。その水分が植物を育てます」
「もしかして、穀倉地帯もありますか」
「穀倉地帯はもうすこし西寄りにありますね。そのあたりも風向きの関係上、ここよりかは雨が降るそうです」
「・・・・なんだか、お話を聞いていると、この王都がいちばん過酷な土地のような気がしてきました」
正直に言うと、シャノンは小さく笑った。
「まわりが砂漠ですから、そう思うのも無理はないのかもしれませんね。王都で過ごしていると慣れてしまいますが、近場には天然の水場もありますし、水路の水もありますから、そう過酷なものではないのですよ」
「水路!」
シャノンの言葉に、茅乃は忘れかけていたものを思い出した。
「そうだ、あの水路って神域からそれぞれの国に伸びてるって聞きましたけど、この王都にあるんですか?」
終着点はどこなのだろう、と考えた茅乃は、思わず周囲を見回してしまう。けれども周りにはひとが多く、建物もあるのであの白い石で造られた水路が見えることはなかった。
「神域からの水路は神殿まで伸びていますよ」
「神殿ですか」
「これはアズイルに限ったことではないのですが、水路の先がそれぞれの国の起源点だと考えられています。神の恵みによってもたらされたものなので、アズイルではそこに神殿が建設されました。後に、近い場所に王城を造ったのではないかと考えられています。おそらくレオトールでは、教会という場所が起源になっているのではないでしょうか」
「教会」
つぶやいて、茅乃はそういえばレオトールの教会を見たことはなかったことに気付く。レオトール国内の水路さえ見逃してしまった。
かといって、じゃあ見に行ってみようという気は起きないけど。
レオトールの国内よりも、いまはアズイルにいるのでアズイル国内の水路を見てみよう、と茅乃は思う。
「あの、神殿の見学はできないみたいなんですけど、水路を見ることは可能ですか」
「ええ、できますよ。いまの神殿はたしかに入らない方がいい場所ですが、水路はこの王都の中を走っていますから、水路そのものを見ることはできます」
「・・・・・」
シャノンのその返答を聞いて、茅乃はすこし考える。
神殿は、信仰の場であると思ってたんだけど・・・・。
入らない方がいいとはどういうことだろう、と首を傾げる。
仮に日本で考えると、神社であったりお寺であったり、教会といったものはだいたい表側は自由に入ることが可能だったような気がする。管理されている裏側は立ち入りが制限されている場合もあるが、自由に訪れ、また建物などにも自由に出入りできるものであったように覚えている。アズイルにおいても神殿とは信仰の対象場所だと思っていたのだが、入らない方がいいとはどういうことだろう。
先ほどの執務室でのアビダの発言とも関係があるのかもしれない。
覚えておこう、と茅乃が考えていると、シャノンから声がかかった。
「図書館の近くに水路が走っていますから、帰りに寄り道して見ますか?」
「ぜひ!」
行きたいところが制限されるわけでもなく、見たいものや場所を案内してもらえるなんて、と茅乃は嬉しく思う。
神域から近い場所の水路はなんども見たが、そこから遠く離れた、国の中にある水路と水はどういう状態なのだろう、と疑問に思う。だがそれは後程見ることができるということなので、いまは図書館に向かおう、と茅乃は思う。
「では、アビダさんが待っている図書館へ急ぎましょう」
「はい!」
広場から神殿の建物の前を通って進むと、ちらほらと街路樹のような植え込みが見られる道路へと出た。大通りより幅の狭い道路ではあるが、ここにも石畳が敷かれていて整備されている。
階層のない、平屋のような建物が多くあり、その外見は同じような色の石材で作られているためどこか似通った見た目をしている。
区別がつきにくい建物を見ながら、先生に質問する。
「この辺りは、どういった場所ですか?」
「そうですね、この辺りは図書館をはじめとした国立の施設や、役所があります」
「役所。・・・・王城にあるわけではないんですね」
「窓口はこちらにありますね」
この辺りは公共施設がある区画なんだな、と記憶しながら、区別のつきにくい建物を見渡す。その中でひときわ大きな建物があるのを見つけた。周囲の建物と同じく、一階部分しかない平らな建物であるが、規模がちがう。
道路の突き当り、陽のよくあたるひらけた場所にその建物はあった。
比較的背の高い街路樹の木陰が建物に落ち、日光を受けた葉が鮮やかに緑の色を見せる。乾いた風に吹かれて揺れる梢と同じように、石畳の上で揺れる木の葉の影。さわりと鳴った葉擦れの音は気持ちよく、ふと上げた視線の先では建物の周囲に設置されたベンチで本を読む人の姿が見える。
「こちらが図書館です」
点々とあるベンチには様々な人がいた。ひとり座り、本から顔をげることもなく真剣に読んでいるひとや、小さな子供と一緒に本を見ている母親らしきひともいる。絵本のようなものがあるのだろうか。なかには数冊の本を積み重ねてベンチを占領しているひともいる。
どこか、のんびりとした時間が流れていた。
いい場所だなぁ。
図書カードを作ったら、ここのベンチで本を読むのもいいかもしれない、と思いを馳せながら図書館の建物の中に足を踏み入れる。
一瞬で視界が暗くなった。
外の陽光がほとんど入ってこない造りになっているようで、どこかうっすらとした明かりしかない。本には優しいがこの落差はひとの目にとっては慣れないときつい。瞬きながら入り口からの通路を進むと、受付のような台の前で、アビダが立っていた。
「お待ちしておりました」
頭を下げたアビダが、先頭に立つカシュアを見、そしてキアヒムに告げる。
「閲覧室に用意いたしました」
「奥だな」
そう言って歩き出したキアヒムの後を、茅乃はきょろきょろとしながらついていく。
奥、と言っただけあって、キアヒムとカシュアは本棚の間にある通路を突き進み、どんどんと進んでいく。本棚はすべて石で造られていて、図書館の中の空気はどこかひんやりと温度が低いような気がした。棚と棚の間を歩きながら見てみれば、奥に行くほどその装丁が古めかしい本になっていることに気付く。年代ごとに置かれているのだろうか、と考えたところで、ひとつの扉の前に着いた。
ここまでは本棚といくつかのイスが置かれてある開放的な空間だったが、この先は個室になっているようだ。
「閲覧室、ですか?」
「王族用の閲覧室だな」
「おうぞくよう」
VIPルーム、と茅乃は心の中でつぶやく。
「状況によっては、一般閲覧が禁止されている本を読まないといけない場合がある。そのときのために造ったらしい」
思ったよりも優雅な理由ではないらしい、と茅乃は気を引き締める。
「お、お邪魔しまーす」
開かれた扉の中に進んでみる。
一行が入り、全員が入ると思っていた茅乃は、扉の前で足を止めたプラトを見上げた。
「プラトさんは入らないのですか?」
「わたしは護衛ですので。ここで待機いたします」
どうぞごゆっくり、と扉が閉められる。
「・・・・・」
そうか、と茅乃は考える。
プラトは自身で言ったように本を読みに来たわけではない。護衛という仕事で同行しているのだ。
用事を済ませないと、と茅乃は室内を振り返る。
部屋は茅乃に用意された部屋ほど広くはなく、中央に大きな机と、周囲に六つほどのイスが置かれていた。部屋の端には小さめのサイズの本棚があるが、書架には一冊の本もない。一時的に置くためのものなのだろうか。
中央の机には、十冊近い本が並べられていた。これが、アビダが用意してくれた本だろう。
「こちらが神殿の記録です」
そう言ってアビダがいくつかの本を示す。
「それから、こちらが国内の風土を記したものです。行事や時候についてご興味がおありのようでしたので、用意いたしました」
「あっ、ありがとうございます!」
じぶんでも興味の先が広がっていくのは感じていた。図書館に来て、さてどうやって本を探そうかなと考えていたところなので、本を用意していてくれたことはとてもありがたい。
さて、と本を手に取ろうとしたところで、茅乃はすでにイスに座っているキアヒムと、部屋の扉の横に立っているカシュアと、壁に沿って立っているシャノンを見た。
「あの、退屈だと思うので、自由に過ごしてもらってて構わないんですが」
じぶんが本を読んでいる間は暇だろう、と思って茅乃はそう言ったのだが、三人からは否が返ってきた。
「私も護衛ですのでねえ。室内にはおりますよ」」
とカシュアが言い、シャノンは
「疑問があれば解説できると思います」
と言い、キアヒムはたいして頓着もなさそうに本を見て言った。
「ついでに復習でもするか」
「はあ・・・・」
それぞれがそう言うので、茅乃はそれ以上勧めることもせず本を読むことにした。
確認したいことはいくつかあった。レオトールで読んだ歴史書とやらがどこまで信憑性があるのかという点と、アズイルの神殿に記された神子の記録だ。レオトールでは過去にいた神子がなにを為したのかは記録されていたが、現れた期間が短く、そして去った時期も明確にされていなかった。存在が記録されていたのに、である。
歴史も記録もところ変われば視点も主張も変わるだろうとは思うものの、どうしてもレオトールの記録や書物には不信感が拭えない。かといってアズイルの記録や書物だからといって頭から丸呑みに信じるのも危険だろうと思う。じぶんなりに納得するためにはいくつかの本を読み、照らし合わせる作業が必要だ。
検証してみないと。
アビダが示してくれたのは大まかな歴史が記された本と、それを細分化して研究がなされた細やかな歴史書だった。そしてアズイルの建国初期から神殿によって記された記録書である。
ざっと目を通してみたところ、おおよそレオトールで読んだ歴史上のできごとと一致する点はある。そしてアズイルの歴史書はさらに遡って記録があった。
レオトール国は五百年ほどの歴史があったように思うが、アズイルの歴史はおよそ千年に及ぶ。倍の年数だ。国の興りが神に由来する点は同じだが、レオトールでは読むことがなかった古い歴史も書かれていて、読んでいると新しい知識が増えていく。そしてすべてが神に起因し、加護がなんだどうだとしつこく書かれていない。
どこか淡々と表現されている歴史書は授業で読んだ教科書にも似ていて、読みやすくはあった。
でも、主観はアズイルのものだなあ。
歴史という過去のできごとを、実際に見ることは不可能だ。そして主観がある以上偏りが出てくる。国によって記録されひとの手を経ているというのなら編纂も改竄も可能なのだ。淡々と表記されているものがすべて真実かどうかは、確かめる術がない。
うーん、と心の中で唸りながら、茅乃は神殿の記録という書物に手を伸ばす。
神殿の記録は過去の神子に関する事柄だった。
この書物によると、アズイルには過去ふたりの神子が滞在した、とある。
ひとりめはほぼアズイルの建国の時期と同じくして出現している。そして去った時期は明確にされていない。千年も前のことだからだろうか、記された内容は多くない。
ふたりめの神子が歴史上に現れたのはおよそ三百年ほど前。レオトールの歴史書では戦争があったと記されていた頃ではないだろうか、と茅乃は考える。このふたりめに関してはまだ残されている点が多かった。どうやらこの時期にレオトールとアズイルの間で戦争が起きたらしく、ふたりめの神子は時のアズイル王と共闘してレオトールの軍勢を退け勝利したと記されている。
「・・・・・」
レオトールの歴史書にも、同じようなことが記されていなかっただろうか、と茅乃は記憶を掘り起こす。
いちどしか読んでいない本の内容なので確かとは言えないが、少なくともレオトールの歴史書には敗北を喫したとは書かれていなかったように思う。
ひとの手を経た歴史書の矛盾点が、こういったところだ。
この三百年以上前の戦争の原因と、そして軍配がどちらに上がったのか。
うやむやだなぁ、と考えながら文字列を読み進めていた茅乃の目が、一文を捉える。
このときの神子は双剣を携え、ひとならざる強さを揮って軍を率いた、とある。
双剣・・・・・。
首を傾げた茅乃の目が、さらなる文字列を追う。
ふたりめの神子の名は、レン・アスターである、と。
「レン・アスター。・・・・・レンさん?」
さらに首を傾げた茅乃が疑問を口にしたとき、閲覧室の扉がノックもなく前置きもなく開いた。
「呼んだか?」




