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青の塔  作者: あきお
29/55

28   王城の外






 部屋に戻ると、マーサがチェストの前に立った。


「お出かけに必要なものはここに入っておりますよ」


 そう言いながら、いちばん上の引き出しから小さな小瓶を取り出し、その下の引き出しから一枚の大きな布を取り出し、そして最後に一段飛ばして一番下の引き出しから一足の靴を取り出した。

「こちらは日焼けを軽くするものでございます。お出かけの前には忘れずにお使いくださいね」

 言われて、蓋を開けてみる。傾けるとゆっくりと流れる液体が入っていて、促されるままに手に取ってみるとヒンヤリとした感触がある。水分を多く含む成分のようだ。

「首と、腕にはしっかりと塗ってください」

「はい」

 先ほど見た侍女のような人たちも、いま目の前にいるマーサも、そして茅乃自身もそう変わらない形の服を着ている。その形はたしかに首元と腕が出るデザインなので、この辺が要注意なのだろう。しっかりとその個所に塗り込んでいく。

「こちらも、忘れずに着てくださいね」

 日除けです、とふわりと肩に掛けられたのは、麻のような素材の、染色されていない自然な色合いをした布だった。フードが付いた外套のようだ。

「風が強いときもありますので、紐を結んでくださいね」

 マーサがそう言いながら首元で紐を結んでくれる。丈はそう長くなく、腕を覆うくらいのショート丈だ。そして袖のない形を見て、ポンチョに似てるなぁと茅乃は思う。

 手首まで届く布地を撫でてみて、そのサラサラな手触りに感動する。

「気持ちのいい生地ですね」

 そう言うと、茅乃の前にまわっていたマーサがにっこりと笑顔になる。

「織物はアズイルの特産品です。気に入っていただけて嬉しいです」

 次はこちらです、と揃えらえた靴は、室内と王城内で履いていたものに比べ、しっかりとした厚みのある靴だった。底部分にも革が重ねられており、一枚の革で作られた室内履きよりしっかりと歩けるように作られている。

 その靴を履いてみる。

 きつくもなく小さくもない。


 誰のために作られたのかな?


 ピッタリの履き心地に、むしろ首を傾げてしまう。

 とりあえずこれを貸してもらえるようなので、ありがたく使わせてもらうことにする。

「では最後に、こちらにお掛けください」

 部屋の中に運び込まれたイスを示される。チェストからすこし離れた位置に置かれたイスを、茅乃は困惑しながら見つめる。

「あの?」

 出かけるのでは? と首を傾げた茅乃を前に、マーサはさらに引き出しを開けた。

「三段目には身だしなみに必要なものが入っております。必要なときにお使いください」


 ・・・・身だしなみ?


 覗き込んでみると、中には手鏡や小さな瓶、そしてなにかの装飾品のようなキラキラしたものが配置されてある。


 鏡、は必要だなぁ。


 ほかはなんだろう、と用途がわからず眺めていると、肩を押され、促されるままイスに座る形になっている。

「では、侍女としてのお仕事をさせていただきますわね」

 そう言ったマーサはなんだかとても上機嫌で、鼻歌でも歌い出しかねないほど浮かれているように見えた。


 侍女としてのお仕事?


 首を傾げている間に。マーサは手際よく引き出しから手鏡を取り出した。台のようなものにそれを固定した後、瓶と短い紐と櫛、そして大ぶりな装飾品も取り出す。チェストの上にそれらを並べた後、慣れた手つきで茅乃の髪を櫛で梳き始めた。

 そういえば、と茅乃は起きてから髪も梳いていなかったことを思い出す。ここ最近の、身だしなみが二の次になっていた生活を思い出し、それに流されるままになっていたじぶんの身を恥じる。

 気を付けなくちゃ、と考えている間に、鏡の中の茅乃の髪が器用に編み込まれ、くるくると纏められていく。瓶の中のオイルのようなもので髪を柔らかくし、形を作り、キラキラとした大ぶりな飾りを茅乃の右耳の上に留めて、マーサが言った。

「・・・・・完成です」

 フ―、と鼻息も荒く、大変満足そうな表情でマーサが告げる。

「・・・・マーサさん」

 茅乃は、鏡の中のじぶんの姿をまじまじと見つめた。

 ひとことで言うなら、ひじょうに手の込んだハーフアップ、である。細かな編み込みが施され、頭の形を活かした配置で毛先が纏められ、その毛先を隠すように飾りを髪留めとして用いられている。

「すごい」

 学校に行っているときに、器用なクラスメイトが多様なヘアアレンジをしているのを見ていた。可愛いなぁと思いつつ、じぶんは器用ではないので諦めていた部分がある。美容院に行ってアレンジしてもらうことは可能ではあったが、費用が高いので手が出せずにいた。

 素材はともかくとして、きれいに纏められた髪形を、顔を右に左にと動かしながらなんども見る。

「マーサさん、ありがとうございます!」

 目を輝かせた茅乃は、背後に立つマーサを振り返る。

「こんな綺麗な髪形にしてもらったの、はじめてです! いまからのお出かけがすごく楽しみになってきました!」

「そうでございましょう! このマーサも侍女として本来のお仕事を思い出すことができました。カーヤ様に喜んでいただけてなによりでございます!」

 気分が上がった茅乃と、同じく侍女として満足のいく仕事ができたマーサと、ふたりして盛り上がる。そこには同性としての連帯感があるだけで、年齢差も身分の差も存在しない。

「さ、陛下がお待ちですよ。下までお送りしますね」

 促され、部屋の扉に向かいながら茅乃は首を傾げた。

「マーサさんは、一緒には行かないのですか?」

「王宮の侍女はほとんど王宮から出ることはないのですよ。それに、図書館に行かれるのであれば本を借りられるかと思いますので、お戻りまでに読み物机を運び込んでおきますね」

 この部屋はすこし殺風景ですので、とマーサは言う。

 たしかに、花が飾られているとはいえベッドとチェスト、サイドテーブルが置かれているだけでは隙間を感じる。部屋が広いだけになおさらだ。

 部屋を整えてくれる、というマーサにお礼を言いながら廊下を進み、階下へと向かう。部屋とお手洗い、執務室の位置は覚えたが、行ったことのない場所までは把握できていない。


 また王城内の散策をしないとなぁ。


 案内してもらうとひとの手を煩わせてしまう。ひとりでできるときに行ってみよう、と考えながら王城の一階、大きな扉の前に着いた。ここが王城の玄関口のようだ。

 扉は大きく開かれている。ここは風を通すために朝から開かれているのだと説明を受ける。眩しい光の射す外から、たしかにサワリと湿度のない風が入ってきて外套の裾が揺れた。外は暑そうだが、この爽やかな風があるのでそう苦には感じなさそうだ。

「お待たせいたしました」

 マーサがかけた声とともに外へ足を踏み出すと、予想通りの強い陽射しを受けた。砂漠を思い出し、思わず足元を見る。王城から外の敷地には、レンガが敷き詰められている。歩きやすさを重視したのだろうか。このレンガはどの範囲まであるのだろう、と顔を上げた先にキアヒムとカシュア、そしてどこかで見たことのあるような男性と、見たことのない女性が立っていた。

 男性は四十そこそこくらいの歳だろうか、きれいに手入れされ形の整えらえた口髭と頭髪は同じ、黒味の強い焦げ茶色の色彩を持っている。カッチリとした線の上着を着ており、その上には丈の長い外套をかけている。そういえば日除けだとマーサが言っていたのを思い出し、キアヒムとカシュアを見てみればふたりとも同じような長めの外套を身に着けている。もうひとりの初対面の女性を見てみると、こちらは茅乃と同じ丈の短い外套である。


 男性用と女性用でわかれてるのかな?


 なんとなく疑問に思いながら、ふたたび男性を見る。腰には当然のように剣が提げられ、足元は使い慣れたかのような革靴を履いている姿だ。その出で立ちはどこか、カシュアと似通っている。

「あの、こんにちは。茅乃と申します」

 そう自己紹介すると、男性は目を見開いた後、無言で片膝を着いて頭を垂れるようにした。


 これには、慣れそうにないなぁ。


 そう考えていると、キアヒムの声がかかった。

「プラトだ。カシュアの部下で、アズイル軍の第一部隊を任せている。これからカヤノの護衛に付くこともあるだろう」

「隊長の方、ですか」

 紹介されても、軍というものになじみがなくアズイルの制度もよくわかっていない茅乃は偉いひとなんだな、くらいしか認識できない。

「プラトさんは、たしか神域の近くまで来ていたひとですよね。これからお世話になります」

 倒れたキアヒムの手当てをしていた人がこんな感じのひとではなかっただろうか、と思い出しながら挨拶をした。すると、目の前の人物が驚いたように見返してきた後、その目元を柔らかくした。

「覚えておいででしたか。あの状況ではさすがに目に留まることはないかと考えていたのですが」

 いや、お恥ずかしい、と正直に告げて立ち上がったプラトに、茅乃も正直に答える。

「ちょっとしんどい状況だったのでわたしも記憶が曖昧なんですけど。水路の水を使って、キアヒム君の傷を手当てしていた方で合ってます?」

「合っておりますよ」

 ふふ、と小さくプラトが笑うと、その口角とともに口髭も上がる。かなり年上の人物だが、なんだかその動きがかわいいものに見えてしまう。

 気の良さそうなおじさんだなぁ、という印象を抱いていると、もうひとりの女性を紹介された。

「カヤノ、こちらはシャノンだ。ラムジの娘であり、副官でもある。ラムジでは相談しにくいときは、シャノンを頼るといい」

 ラムジの娘だと紹介されたその人物は、大柄だとはっきり言えるラムジとはちがい、茅乃と近い身長をしていた。肩口でスッキリと揃えられた髪は茶色である。アズイルは茶色の色素を持つ人が多いのかなあ、となんとなく思う。

 ぱっちりとした目は大きく、この女性も年上だとは思うが可愛い系統の顔立ちをしている。砂色に似た色の服を着ており、前身ごろを重ねて着る形はどこか日本の文化を思い出させた。ラムジも同じような服を着ていたから、これは制服の一種だろうか、と茅乃は思う。

「はじめまして、茅乃と申します。よろしくお願いします」

 なんせ、出会う人のほとんどが初対面である。きちんと挨拶をして、名前を憶えなくちゃ、と考えている茅乃に、ニコリとも表情の変化がないシャノンから返答があった。

「はじめまして。陛下からご紹介にあずかりました、シャノンと申します。このところ激務であった父は疲労が溜まっておりましたので、家に押し込んでまいりました。その際に、神子様はアズイルの様子や行事などに興味を持たれているようだと伺いました。父はしばらく不在となりますが、その間私でよろしければご教授いたします」

 ひじょうに堅苦しい挨拶といえたが、その内容は茅乃にとって願ってもいないことだった。おそらく、茅乃にとっては未知の領域の、そしてアズイルのひとにとっては常識であろう部分を教えてくれるというのだ。


 つまり、シャノンさんは、先生!


 欲していた人材の登場に、茅乃の目が輝く。

「あの、きっと、子供でも知っているような基本的なことを質問すると思うのですが・・・・」

 現に、茅乃はこの国の暦のことも季節のことも、さっきまで知らなかったのだ。

「私は他国のことをよく知りませんが、アズイルのことは熟知しております。アズイルのことはアズイルのものに質問なさればよろしいかと」

 なんとも頼もしい答えである。

 なにから訊いていこう、とフワフワとした思考で突っ立つ茅乃を、キアヒムが促す。

「そろそろ図書館に向かうか。アビダが待っていると思うぞ」

 そうだった、と茅乃は思い出す。お願いしておいた記録類が読めるかもしれない。


 知りたいことが知れるのは、恵まれていることなんだなぁ。


 なにひとつない状況に置かれる、ということを知っているので、なおさらそう実感する。道中でアズイルの王都の様子も見ることができるので、見学もして行こう、と茅乃は思う。

「こちらですよ」

 と先頭に立って案内するカシュアに促されて茅乃は歩き出す。その際、玄関まで案内してくれたマーサを振り返る。

「マーサさん、行ってきます!」

「はい。いってらっしゃいませ」

 出かける前の、こんな当たり前のやり取りも、以前はなかったのだ。



 歩き出した一行の最後尾、その様子を見ていたキアヒムに、殺気とまではいかないまでもひじょうに重い視線がぶつけられた。

「陛下、減点でございます」

 マーサである。

 じっとりとした目で見られ、いつの間にか採点されていたようだ。

 いきなり言われた言葉に、キアヒムは二度ほど瞬きをする。

「なにがだ?」

「なにが、ではございません。女性が着飾ったときには褒めてくださいませ」

 常識でございます、と鼻息も荒く指摘されて、キアヒムは歩き出している茅乃を振り返った。その、いま気づきました、という様子を見られてさらにため息を吐かれる。

「オレがなにを言わなくとも本人は嬉しそうにしているし、別にいいんじゃないか?」

「気付かないどころか、褒めることを面倒くさがって逃げに入るその姿勢、さらに減点でございます」

「・・・・いちおう聞いてみるが、点数はあとどれくらい残っているんだ?」

「次はございません」

 底値らしい。

「そこらの男子ならいざ知らず、陛下はこの国の社交の頂点に立つ方でもあります。誉め言葉のひとつくらい言えないようでは、いずれ女性に相手にされなくなりますよ」

「カヤノは気にしないと思うが」

「希望的観測でお答えになるのは、逃げの姿勢と同じとみなします」

「・・・・・」

「この際ですから言わせていただきますが、カーヤ様を褒められることは、カーヤ様だけに関わってくる事態ではないのです。アズイルに滞在されるカーヤ様のために、王城内の職人が夜を徹して準備に取り掛かりました。いつか王城の外に興味を持たれることがあるかもしれないと、服飾部門のものが外套を仕立て、靴職人は歩きやすい靴を作り、わたくしをはじめ侍女たちは外出の用意を整えました。またカーヤ様が年若い女性であることから、王都の宝飾店に装飾品を探しに向かったものもおります」

「・・・・・」

 無言のままでいるキアヒムを見て、マーサが先ほどのため息とはちがう意味の息を吐いた。

「いままで王城内に、カーヤ様のように着飾らせて良い女性がいなかったのも大きな問題でございますね」

 アズイルの国内において、これまで高貴な女性という存在が長く不在であった。

 家柄がしっかりしている、歴史がある、という家柄の女性は実際のところ多く存在するが、彼女らは家の中で思う存分着飾ることが多く、また王城内で働いている女性は身だしなみには気を遣うが派手にしていい立場でもない、という点がある。そして役職上高位に就く女性は忙しいのか、どんどんと質素になっていく傾向がある。

「華がないのです」

 とマーサは言う。

「わたくしどもは王城内の様子を見、様々なお世話をするためにおります。が、侍女は本来、高貴な女性に侍るために存在していると思っております」

 侍女に限らず、前述以外の、王城内においてこまごまとしたものを回している存在がいる。すべてが表に出ることがあるとは言えないが、それでもその存在がいなければ回らない部分が出てくる。そういったものたちを束ねているのが侍女頭、マーサの役職である。

「男どもの在籍する軍だけが、士気が上がればいいというわけではないのですよ。せっかく史実上でしか知ることはないと思っていた存在を迎えたのです。陛下、どうか王城内のことも見ていただきたく思います。そして、陰に日向に働くものたちの士気も上げてくださいませ」

 それがアズイルを盛り上げることにも繋がるのです、と言われて、キアヒムは静かに両手を上げた。

「・・・・気を付けよう」

 諸手を挙げての全面降伏である。

 マーサはキアヒムが子供のころから王城で働いていたもののひとりである。一介の侍女であったときからなにくれとなく世話を焼いてくれていた。そのマーサは自身の業績の積み重ねで侍女頭の立場を得た。いくら侍女頭といえど、王に対してここまではっきり言うことができるのは長年に渡ってのやり取りがあるからだ。

 マーサにはマーサの、その立場からしか見えないものがある。

 その視点を不要だと払いのければ、その瞬間からキアヒムは家臣を必要としない存在となる。ひとりでは維持できない国家というものを手にしている以上、家臣が消えればただの裸の王様だ。王というものは役職のひとつにすぎないことをキアヒムは理解している。

「マーサには昔からよく叱られているな」

 キアヒムがそう言うと、マーサはさらにじっとりとした視線を強めた。

「陛下におかれましては、もう目を放してもいい頃合いかと思っております。早くマーサに楽隠居させてくださいませ」

 まだまだ現役でいてもらわないといけないのに、そういうことを言う。

 キアヒムは笑いながら、答えた。

「精進しよう」

「期待しております」

 マーサがそう言ったとき、離れたところから茅乃の声がした。


「キアヒムくーん」


 呼ばれている、という状況に、マーサが無言で頭を下げる。臣下としての見送りの態度に、キアヒムは足を止めている一行のほうへと向かう。

 呼んだ軽やかな声とその言葉に、王城の入り口で働いていたものたちがぎょっとしたように振り返る。

 いままでたったひとりの王族であり王位に就いているキアヒムを、そう呼ぶものはいなかった。

 マーサがつい先ほど言った言葉を思い出す。


 着飾らせて良い女性がいなかったのも大きな問題でございますね。


 マーサの言うとおりだ、とキアヒムは思う。

 そして同時に、それは過去形になった、とも。


 迎え入れたのはたったひとり。


 だが、変化はすでに起こり始めていた。

 これまでのようにはいかないのだろう、という予測を、どこか期待とともに持ちながらキアヒムは図書館へと向かうことにした。




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