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青の塔  作者: あきお
21/55

20   逃走 2






「カヤノ」

「・・・・・は、はい!」


 かけられた声に、体がビクリと震え一瞬で目が覚める。

 ギュッと反射で握りこんだ手と、硬直した全身のまま見たのは散りばめられた星々が彩る夜空だった。


 ―――外。


 屋根も壁もない場所に、逃げている最中だった、ということを思い出す。

「す、すみません、とてもよく寝てしまいました」

 起き上がろうとすると、全身の筋肉が痛んだ。それを無理矢理おさえ込んで上体を起こす。

「休息が取れたのならそれでいい。夜明け前だが出発する。動けるか」

「はい。キアヒム君は・・・・」

 夜の闇、というよりは幾分明るいような空気の中、そちらはちゃんと眠ったのだろうかと見れば地面の杭は取り除かれ、鞄も手綱もしっかりとその手にある。準備が終わっているのを見て、ギリギリまで寝かしてもらえたのだと理解する。

「交代するつもりは、あったんですけど・・・・」

「カヤノは軍属の経験があるのか?」

「軍・・・・? いいえ、ただの学生経験しかないです」

「じゃあ無理だろう」

「キアヒム君は・・・・」

「訓練を受けている。いくらかはもつ」

 もつといっても、戦いも馬を操るのもなんなら茅乃の安全バーに関してもすべてお任せ状態なのである。負担ではないだろうか、と思いながら水路に向かい、顔を洗い、掬った水を飲む。

 その後例によってキアヒムの手で馬の上に引き上げられ、さすがに茅乃は考える。

「キアヒム君、わたし、思うんですけど」

「なんだ」

 カポリカポリ、と比較的ゆっくりと馬が進むので、話をする余裕はある。その中で茅乃はうなだれるように両手で握りしめた釣竿を見つめる。

「さすがにここまでなにもできない道連れを抱えていると、邪魔だと思ったりしません?」

「邪魔?」

「戦うこともできないし、ご飯の確保もできないし、馬に乗ることもできないし、その割にはしっかり寝る、とか・・・・」

「・・・・・」

 茅乃はじぶんの手元を見つめているので、背後のキアヒムがどういう表情をしているのかがわからない。表情もわからず、無言のままでいられると、ほんとうになにを考えているのかが推し量れない。推し量ることができるほどのやり取りを行っていないのだ、と茅乃が思ったとき、背後からいつもの、なんの揺らぎもないキアヒムの声がした。

「カヤノは、ときどき自責しているように感じるが」

 自責。

 そうなのだろうか、と茅乃は内心で首を傾げる。そうしている間にもキアヒムの声が続く。

「さっきも言ったように、休息が取れているのならそれでいい。それ以上も以下もない。必要なものだからだ。戦闘経験のないカヤノに戦えとは言わないし、食糧の確保はオレがついでにやっているだけのことだ。馬に乗ろうとして神子の力が馬やオレを潰すくらいなら、結果引き上げたほうが良い。そもそも、いまカヤノがなにもできないと言ったところで、カヤノがほんとうになにもかもできない存在だとは思っていない」

「・・・・・そう、なの、かな・・・・」

 慰めでもなんでもない直截な言葉であることは理解できた。だが、それに対して茅乃は首を傾げる。

 いま現在迷っている茅乃は、他人の言葉がすんなりと入ってこない。キアヒムの言っている内容はわかるが、そうだよね、と心の底から同意するには至らないのだ。

 さらにうなだれた茅乃の背後で、短いため息が聞こえた。

「カヤノは、じぶんがなにをしたのか自覚していないな」

「なにを・・・・?」

 思い当たるものがなく、さすがに振り返った茅乃が見たのは、声同様感情の揺らぐことのないキアヒムの表情だ。その表情だけでは怒っているのか呆れているのかもわからない。わからないことに、身が竦むような思いを覚える。

「これだけは自覚しておけ。普通は一国の後宮を抜け出すことはできないし、足場のない塔を登ることもできないし、鉄柵を曲げるなんてことは大の男でも不可能だ」

「・・・・・・」

「ためしに聞いてみるが、仮にここでオレがカヤノを置いて行った場合、カヤノはどうするつもりなんだ?」

「え・・・・、ええと、北の、霧の中に逃げ込もうかな、とか・・・・」

「やめろ。迷うと言っただろう」

「うん・・・・」

「昨日は一日馬に乗っていたから労わっていたつもりだったが、考える余裕があるのならもうすこし走らせても大丈夫そうだな」

「えっ? ちょっと待・・・・・!」


 茅乃はこの日、二回口の中を噛んだ。


 追手の襲撃は二度あり、その際対処したキアヒムが馬だけではなく剣を替えているのを見た。

 戻ってきたキアヒムに、

「剣も交換するんですね」

 と言うと、

「鈍らは使い勝手が悪い。四、五人切るのが限界だな」

「・・・・・」

 そんな豆知識、知りたくなかった、と思う。


 今日も夜が訪れ、馬から降ろされた茅乃は数歩さえ歩くことができず、その場にグニャリと蹲る。

「馬の近くは危ないぞ」

「・・・・動けないんです」

「そうか」

 そう言われ、軽々と持ち上げられて離れたところに運ばれる。

「・・・・・」

 手を焼かせてごめんなさいごめんなさい、と打ちのめされながら心の中でつぶやく。昨日よりも過酷な道行に体力が残っていない。馬に乗せられているだけだというのに息が切れるのはどうしてなの、と息を切らすどころか、テキパキと野宿の準備を進めるキアヒムの姿を若干恨めしい気持ちで眺める。

「食事はできそうか?」

「・・・・いただきます」

 痛む体を起こそうと力を入れるとさらに痛む。悪循環に顔をしかめながらも、ごはんにありつけるだけでも感謝、と茅乃は体を起こす。

 水路から水を汲んできたキアヒムは、鞄の中から取り出した小さな器にその水を注いでいる。なにをしているんだろう、と夜目を利かせながら見ている茅乃に、その器が差し出された。

「ほら」

「ありがとうございます」

 と答えつつ、震える腕で受け取った器の中を見てみる。

 中身はどろりとした塊の、得体のしれないなにかだった。

「・・・・?」

 なんだろう、とにおいを嗅いでみる。匂いは薄く、茅乃が知るものではない気がした。なおさら首を傾げた茅乃の行動をどう受け取ったのか、キアヒムが別のものを差し出してきた。

「忘れていた。これを使ってくれ」

 それは、木彫りのスプーンだった。それも受け取り、握りつぶしてしまわないように慎重に持ち、中身を掬って口に運ぶ。

 味も薄く、甘みも塩気も感じない。だが、触感に覚えがあった。これは、いわゆるオートミールだ、と茅乃は記憶を掘り起こす。水分でふやかしたオートミールその味である。

 味はないけれど、消化にはよさそう、と茅乃はスプーンを動かす。その様子を見て、クッキーのようなものを口にしているキアヒムが言う。

「食べられるようでなによりだ。今日はすこし無理をさせたからな。なにも食べられないと言ったら流し込もうかと考えていたところだ」

 体力が必要だしな、となんの気もなさそうに言われた言葉に、茅乃の体が筋肉痛とは別の意味で震える。食べられない状態のところに、流し込まれるのだけは勘弁してほしいと思う。

 静かにスプーンを動かし、完食した器を洗い流そうと、水路に向かって足を出そうとする。が、震える足に力が入らない。カクリと転んだ拍子に器とスプーンが地面に落ちる。

「ああ・・・・」

 地面に手を着いた茅乃の前に、キアヒムの履く靴が見えた。

「動けないのなら無理をしなくていい」

 そう言って転がった器とスプーンを拾い、水路へと向かっていく。ご飯の準備はおろか、後始末までさせてしまう有様に、茅乃は本気で北を目指そうかと一瞬考える。一瞬で思考が終わったのは、キアヒムが器に、水を汲んで戻って来たからだ。

「飲んだらすこしは楽になるだろ」

「うう、ありがとうございます・・・・」

 受け取り、震える腕で、すこしこぼしてしまいながら水を飲む。

「・・・・・ふぅ」

 人心地ついて、茅乃は思う。昨日も感じたことだが、水路の水は回復作用があるのではないか。神域の水はどんな薬よりも効く、と言っていたように思うが、神域を離れた水にもその名残があるのだろうか。

 そんなことを考えつつ、震えの治まった腕を、キアヒムに突き出す。

「・・・・なんだ?」

「お肉・・・・! 昨日のあまりのお肉を、ください・・・・!」

「ああ、そうだったな」

 包みから取り出された干し肉が、ちょうだいの形をした手のひらの上に置かれる。

 そのうちのひとつを口に入れ、よく噛みながら一日ぶりの肉の味と塩気に感動する。

「おいしい!」

「・・・・早急に食事内容を改善したいところだな」

「なにか言いました?」

「いいや」

 いくつかの干し肉を食べ、残りはキアヒムに返却する。器に残っていた水を飲み干し、その器もキアヒムに返却し、さて、とルーティンにとりかかる。

 釣竿を振る力は残っていない。テグスを解いて、近くの地面に針を落とす。やはり針は地面の下に消えた。それを見ていたキアヒムが言う。

「それは、どうなってるんだ?」

「・・・・どうなってるんでしょうねぇ」

 ふたりして首を傾げる。生産性のない会話と時間を過ごしつつ、静かな環境の中、ときおりささやかな水音を立てる水路へと目を向ける。

「・・・・・」

 座っている位置と夜の闇のせいで水路の中を見ることまではできない。すこし離れた場所からまっすぐに伸びている水路の、夜の闇の中にあっても白く浮かび上がる白石を、どこか、なにかが引っかかる思いで見る。

 ・・・・・白色は、目立つよねえ。

 そう考えて、なにが引っかかっていたのか気付き、腑に落ちた。


 水路は目立つし、目印になる、とキアヒムが言っていなかったか。


 今日、そして昨日の襲撃は計五回。これは追手が来る回数としては多い方なのだろうか。疑問に思ったので、訊いてみることにする。

「キアヒム君。この二日間で五回追手が来ましたけど、これは普通の数ですか?」

「普通・・・・。レオトールのことはよくわからないからなんとも言えないが、多いんじゃないか」

「じゃあ、前にキアヒム君が水路は目立つって言ってましたけど、それは関係あるんですか?」

「ああ、目立つ水路沿いに走っていたらいくらなんでも追って来れるだろ」

「・・・・・・!」

 天気の話をするくらいにあっけなく言われた内容に、茅乃は目を見開く。

「ということは、この水路沿いに逃げているのは、わざと・・・・?」

「そうだが」

「なっ、なんで! 逃げるときっていうのは、もっと、見つからないようにしたり隠れたりするもんなんじゃないんですか!」

 なに言ってるの、この人、と思いながらキアヒムに抗議すると、同じような目を向けられて反論された。

「物資は減っていくものだ。補給は必要だろう?」

「・・・・・」

 唖然として言葉が出ない。ようするにキアヒムは、茅乃が気にしていた追手を、ただの補給要員としか捉えていないのだ。


 あまりにも思考に隔たりがある。口の中で言葉という形にできなかったなにかを、無言で飲み込む。コクリ、と鳴った喉を感じながら、反面、頭のどこかで考えるじぶんもいる。

 減っていく物資。

 たしかに、と言わざるを得ない。

「たしかに、干し肉は、おいしかったです・・・・・!」

 でも、だけど、と考えながら、それでも歯ぎしりするような思いで吐露すると、

「そうだろう?」

 軽い口調でキアヒムが返してくる。

 ぐぐぅ、と呻きながら葛藤する茅乃を、面白そうに眺めてくる。


 でも、それならそうって、言ってほしかったんですけど!


 そりゃ、こっちはただ馬に乗ってるだけですけど、と半分むくれるような気持で手にしていた釣竿を動かす。今日も例によってなにかに当たりはするがかかることはない。

 ずっとなにもかからないままだが、これが良いことなのかそうでないのかもわからない。

 お務めらしいが、きちんと把握できていない部分がある。これで果たせているのだろうか、と毎回疑問に思いながら釣竿を片付ける。


 誰かに教えてもらえたらなぁ。


 と考えたところで、当てがあるわけでもない。

「もうひとり、どこかに神子がいたりしませんかねぇ」

「歴史上、ありえないだろうな」

「そうですか・・・・」

 がっくりと、肩を落としながら釣竿を地面の上に置く。

 満腹、とまではいかないまでも、ある程度膨れたお腹と、虚脱したような体を抱え、ほとんど無意識のように横になろうとしてふとキアヒムのほうを見た。

「キアヒム君は・・・・・」

「こっちはこっちで状況を見て休憩する。気にするな」

「それじゃあ、お言葉に甘えて・・・・。おやすみなさい」


 ドサリ、と地面の上に倒れながら、今夜こそは見張りとして起きよう、と茅乃は思う最中で眠りに落ちた。




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