15 脱走
どこをどう通って離宮まで戻って来たのか覚えていない。
いちど止まり、そして動き始めた茅乃の頭の中にはふたつの言葉が回っている。
通達を守らない奴がいるらしい。
災厄。
閉じただけの、鍵などかかっていない窓を開ける。濡れたままの靴で部屋に上がって、クローゼットの扉を開けて、いつか見たときのままにある制服と靴をベッドの方に投げる。
裾を持つのももどかしく、ワンピースの布地を摑む。千切れようが破れようがもうどうでもいい。手荒にワンピースを脱ぎ、その下の肌着も取り払い、放り投げた制服と、間に挟まれていた下着を手に取って身に着ける。
グズグズの靴も脱ぎ、靴下を履こうとして手が止まる。
「・・・・・」
たった今脱ぎ捨てたワンピースが目に入る。それを使って足元を拭く。拭きながら胃の方からなにかがせり上がってくるのを無視して靴下を履き、靴を替える。
その勢いのまま窓から飛び出し、数歩駆けだしたところで茅乃はふたたび部屋に戻る。
ベッドの下を覗き込み、隠していた釣竿を握る。邪魔にならないように、と背中側のスカートのベルト部分に差し込む。それだけが茅乃の持ち物のすべてだった。
静かなままの後宮を駆けながら、ずっと考え続けている。
―――通達を守らない奴がいるらしい。
考えが足りなかった、と自覚した。
旦那は処刑された、とあの人が言っていた。つまりそれは、この国に処刑が存在するということだったのに。
この後宮は王宮に支配されているのだと、知っていた。その中で茅乃は、かろうじて殺されていなかっただけなのだ。曲がりなりにも神子と認定されたから。それもわからずに、少しくらい会話をしてもいいじゃないのかと、考えていた。支配の意味を理解していなかった。
処刑を行ったのはこの国だ。
けれども、巻き込んだのは確実に茅乃だ。
―――災厄。
そんなつもりじゃなかった、という考えはなんの役にも立たない。もうすでに失われた。なにも取り戻せない。どうにもできない。喉の奥から込み上げてくるものを、歯を嚙み合わせて封じ込める。
後宮の壁を越え、聳え立つ王宮、その中の尖塔を見上げる。
「キアヒム君」
―――許されていない会話だけで処刑対象になるのだとしたら、残る命はひとつだけだ。
王宮の庭の暗がりを走り、巡回兵を避け、遠回りをしながらも尖塔に着いた。
見上げた窓枠からは相変わらず頼りない光が揺れて見える。
周囲を見回すが、今さらかもしれない。ここに来るまでに、いつものように注意を払えているとは思えなかった。
時間がない。いつ誰が来るかわからない。
とりあえず近くに誰もいないことを確認すると、茅乃は壁を登った。
窓枠を摑み、躊躇なく中に入る。
「キアヒム君」
声をかけるよりも先に、その人はすでにこちらを見ていた。
細い蝋燭が照らす薄暗がりの中、石壁にもたれて座っていたようだが、鉄柵の前に立った茅乃を見て少し首を傾げるようにした。
「神域のときと同じ格好だな」
言われてみれば、制服を着るのはそのとき以来だ。ずっと与えられた服を着ていた。
立ち上がって鉄柵の前で相対したキアヒムは、茅乃の顔と手元を見てさらに眉を寄せる。
「怪我だらけだ。なにがあった?」
怪我、と茅乃はつぶやく。そういえば顔はおろか手の傷もほとんど忘れていた。包帯が巻かれていたり湿布を貼られていたりするので大げさに見えるだけだ。
忘れていたようなことに気をかけている余裕はない。どうでもいい、と茅乃は首を振って摑んだ鉄柵を見つめる。
「キアヒム君、わたしはあなたをここから出せます」
そうしたら、ちゃんと逃げられますか、と。
続けるはずだった言葉は半端に途切れた。
「へえ」
返ってきた声は、思わず顔を上げてしまうほどに冷たく、硬質な響きを含んでいた。
「オレを出す? ここから?」
見返してくる銀色さえ硬い。プラスチックの覆いでもあるかのように揺れない視線、不審の感を隠すこともなく窺われているような眼差しを受けて、茅乃の中に戸惑いがうまれる。
「・・・・・キアヒム君?」
「どうやって? レオトールになにか言われたのか?」
重ねて問われる質問は、疑問そのものだ。疑われている、と気付いて、茅乃はこれまでのキアヒムとの会話を思い出す。
幾度か交わした会話の中で、敵意はどこにも感じられなかった。かといってなにかに肩入れしている、という感もなく、あくまでも中立的な観点から言われている、と感じていたように思う。だからこそ今日も話を聞いてもらおうと思ったんだった、ということを思い出す。
だから、これまでこんなにも強く容赦のない視線を向けられた記憶はない。
たぶん、どこか言葉をまちがえた。そう思ったけれど、なにがキアヒムの琴線に触れたのかがわからない。そもそも時間がない。
「あの、キアヒム君」
言われた言葉を考える。
「レオトールに言われたっていうのは、キアヒム君をここから出すことについて、ですか?」
「そうだが?」
短く返ってきた言葉すらも、どこか取り付く島もない感じだ。茅乃はさらに考えて答えた。
「ええと、キアヒム君をここから出すことについては誰にもなにも言われてません。そもそもレオトールは、わたしがここに来ていることすら把握していないと思いますけど・・・・・」
いちおう、茅乃は普段、おとなしく部屋にこもっていると見られていたはずだ。後宮を抜け出していたことは気付かれていないので、繋がりがあるとも思われていないだろう。知られていないのだから言及されることもない、と考えて答えたが、それでも疑いの眼が晴れることはない。
「それじゃあ、神子の権限でも使ってレオトールと交渉してくれるのか?」
「権限なんて、持ってないんです」
考えるまでもなく、茅乃は答える。権限や権利などというものをレオトールと茅乃が相互理解していれば、こんな状況にはならなかったかもしれない、と心のどこかで思う。
「じゃあどうやって? それとも神子の後ろにはもうレオトールが付いているのか?」
「・・・・・・」
茅乃は言われたことを考えて、同時に今にも処刑が行われるかもしれない可能性を考えて、王宮の庭で誰かに見られているかもしれない可能性も考えて、後宮を抜け出していることに気付かれてしまう可能性も考えて、今は時間がないことに加えてどう答えたらいいだろうかということも考えて、考えて考えて考えて。
――――苛々してきた。
「うるさいな」
怒鳴り返さなかったのは、茅乃の最後の理性だ。
「・・・・・は?」
瞬いた銀色の眼差しは、疑惑などどこかに吹き飛んだ様子のものだったが、それこそもうどうでもいい。
「どうやってどうやってってうるさい。後ろにレオトールがいるとか、ここにはわたしひとりなんだから後ろに誰もいるわけないでしょ。それと、ここから出る方法がそんなに知りたいならやって見せるわよ」
苛立ちのままに力を込めた鉄柵の感触は、太い針金のようだった。軋む音とともにグニャリと曲がる。柵の埋め込まれた天井と床の石組さえも歪めて、茅乃は脱出路をつくった。
方法もなにもない。茅乃は体ひとつと細い釣竿しか持っていないので、手段は力ずくのみである。
「・・・・・は?」
天井の、今にも崩れて落ちてきそうな石組を見上げたキアヒムから、低い、間の抜けた声が落ちる。
「これは、神子の力なのか?」
さあ? と茅乃は肩をすくめた。おそらくひと月以上、ずっと放置されていた。神子がどんなものなのか、詳しく説明を受けたこともない。日本にいたときは普通に過ごしていたから、この力はこの世界でのみ使われるものなのかもしれないが、あいにくいまだにほとんどが不確定要素のままだ。
手を離した鉄柵は、指の形さえ残したまま歪に曲がっている。それを見て、最初からこれをやっていればよかった、と茅乃は思う。
曲がった鉄柵を撫で、床の盛り上がった石組をその裸足の足で踏み、強度を確かめている様子のキアヒムに声をかける。
「それじゃあ、ちゃんと逃げてくださいね」
そして窓枠に向かおうとした茅乃の腕が、後ろから摑まれた。
「まて」
残っている苛立ちに任せて振り払おうとしたが、とっさに思いとどまった。力のままに力を使うとキアヒムの腕が抜ける。比喩ではない。
「離してもらえます? 言い忘れてましたけど、時間がないんです。誰かに見られているかもしれないんで、さっさと逃げたほうがいいですよ」
「わかった、わかったから窓から出るのはやめろ。巡回が増えているだろう、見つかるぞ」
「・・・・・わかるんですか?」
「あれだけ喋っていたらわかる」
「・・・・・」
王宮の庭でありながら、なんて緊張感がないんだろう、と茅乃はどこか呆れる。そういえば巡回兵本人が緩いと言っていたような場所だったな、と思い出す。
見られてはいけないなら出口は階下へと続く木戸しかない。手を離したキアヒムがその扉に手をかけているのを見て茅乃は無言で後ろに続く。
ここにも錠がかかっていたら壊そうか、と考えた茅乃の目の前で、いとも簡単に扉が開く。
「えっ?」
「この扉は錠がない。下にはあるみたいだがな」
向こう側の、暗い空間に身を進ませたキアヒムが足元に目をやり、さらに下方に目を向けた後、静かにするように、と身振りで示してくる。看守がいるのだろうかと首を傾げた茅乃の前で、階段のような段差を数段降りたキアヒムの姿が消える。
えっ、ととっさに出かかった声を押し殺す。扉から身を乗り出してみると、石壁に沿うようにつくられた階段がある空間は吹き抜けのようで、柱もなければ手すりもない。そこを飛び降りたキアヒムは階下にいる看守の、顔とも首ともつかない箇所に両腕を絡ませていた。
あっけなく看守の意識を落とし、その体を床に横たえている。
「えっ?」
「もう降りてきてもいいぞ」
「あ、はい」
石壁から段が飛び出ただけの、柵もない階段を慎重に降りていく。その間に、キアヒムは階下の蝋燭を頼りに看守から靴を奪っている。ついでのようにベルト部分に引っ掛けられている輪っかのようなものを探っているのが見えた。チャリチャリ、と金属のぶつかる音がする。
「これか」
キアヒムの手の中に鍵があるのを見て、茅乃は控えめに発言の許可を得ることにする。
「あの、ちょっといいですか?」
「なんだ?」
木戸に鍵を差そうとしていたキアヒムが振り返る。その表情を見、さらに詰め寄った茅乃から距離を取るようにキアヒムがにじり下がる。だが背後は閉まったままの木戸だ。距離が取れない。
さらにその眼を覗き込む。そこには先ほどまであった硬質な印象は欠片も残っていない。どういうこと、と茅乃は口を開く。
「キアヒム君、さっきまでわたしを疑いに満ちた目で見てましたよね?」
「それか」
「どういう意識の変化ですか?」
外に出る前に、これだけは聞いておかないと茅乃の足が進まない。今のうちに、と考えた茅乃の目の前で、キアヒムは両手を上げた。降参のポーズである。
「教師に警戒しろよ、と言った後にいきなり夜中に来て、怪我だらけで、ここから出すと言っただろ。事情もなにも知らなければ脅されたかすでにレオトール側に取り込まれた後かと思ってな」
「・・・・・・・」
ほとんど睨むようにして無言で見つめる。
「・・・・・悪かった。だがこっちの事情も考慮してくれないか。神子の力もよくわかっていなかったしな」
その言葉を聞いて、ストン、と茅乃の身の内で燻っていた苛立ちが消えた。
考慮してくれないか。
たしかに、そのとおりだ。
時間がないと、余裕がなかったのは茅乃自身だ。処刑されたひとを見て、早く、早く、とじぶんを急かして、そのとき茅乃はたしかにじぶんのことしか考えていなかった。なにも説明せず、話もしないままで、茅乃はそれじゃあキアヒムはどう思うだろうか、ということをなにひとつ考えていなかった。余裕がないからと、配慮のない一方的なやり方を通用させてはいけなかったのだ。
余裕を失えば目的を見失う。ここに来たのはそもそも、なんのためだったのか。
茅乃はひとつ、大きく深呼吸した。流し去るように体の中の息をすべて吐ききって、新しい空気を吸う。
「わたしも、まちがってました。ごめんなさい。さっきのは完全に八つ当たりでした」
「やつあたり・・・・・」
「わたしと会話したひとが、処刑されていたんです」
瞬きの隙に、篝火の横で見た光景がよみがえる。
もういちど大きく呼吸をして、茅乃は冷静さを取り戻そうと心がける。
「・・・・・だから、キアヒム君を逃がそうと思って、ここに来たんです」
「そうか。・・・・・オレからもひとつ訊いていいか」
「なんでしょう」
「カヤノは、牢の中にいる人間を罪人だとは考えなかったのか?」
脱獄の手助けを、ためらわなかったのか、と。
その質問には考えるまでもなかった。
「わたしは、神域でこの国の人たちがキアヒム君を捕虜にする、と言っていたのを聞きました。だからキアヒム君が罪人ではないことを知っています」
「では、なんどか塔に登って来たときに逃がそう、とは?」
言葉の少ない質問に、茅乃は返答に詰まる
これは、もっと早くにできただろうと、責められているのだろうか。
責められているんだろうな。
そう考えて、茅乃はすこしじぶんの行動と、考えていたことを振り返る。
尖塔には、たしかに登った。最初に、キアヒムの姿を見て捕虜にされたひとだ、と思った。神域で怪我を負ったひとだ、と。
けれども、ここから出そうと、逃がそうとしなかったのはたしかに、なぜなのだろう。と考えて、茅乃は日本にいた頃の思考を思い出す。
「わたしは、この世界に来る前に」
「うん?」
「とても、とても平和な世界にいました。戦争はあっても、どこか遠い国か、遠い昔の出来事だ、という国で」
ニュースで流れていたことはあった。
ほかの国や、同じ日本の人であっても。
捕まって、捕虜になる、という出来事があった、と報道されても。
「考えてみることが、なかったんです。捕虜になった人が、どうなるのかなんて」
その行く末を、考えてみたことがなかった。それはきっと国同士や、捕まえた人や、捕まった人や、大人が考えるべきことで、報道を見ただけの一高校生が考えたところで、とどこか放棄していた。そうしてよほどのことがない限り続報などない。知らなければないことと同じような顔をして、考えることさえしなかった。
そうやってやり過ごした茅乃の目の前に、起きた。
逃げようがない。やり過ごしようがない。考えるしかなかった。捕虜になったキアヒムのこと、そしてうかうかと塔に登り、巻き込んだじぶん自身の行動のことを。
責任を、という結論はまちがえている。そんな重さや覚悟を、きっと茅乃はまだ持っていない。
「わたしは、キアヒム君が罪人であろうがなんであろうが、逃がそうとしたと思います。それは、たぶん、わたし自身のためでしかないですけど」
心を、軽くするためだけに。
結局のところ、じぶんのことしか考えられていない。もしかしたらキアヒムは最初から逃げようとしていて、神子である茅乃を利用できるかも、と考えていたかもしれない。だからこそさっきのような言葉が出るのかもしれない、とも思う。
捕虜となったキアヒムの都合など、考えようともしなかった。茅乃は茅乃の都合で、起きたことを考えて行動に移すしかできなかった。
そう言うと、キアヒムはひとつ、大きく頷いた。
「そうか」
じゃあ行くぞ、と言われて、茅乃は呆気にとられた。
「えっ?」
「なんだ?」
「責められると、思ってたんですけど」
「責める。なぜ?」
「えっと、できるんならもっと早くにやれ、とか・・・・・」
「カヤノにはカヤノの事情があったんだろう。なぜ今なのかは聞いたから納得した」
「ええ・・・・・」
「問題は牢の中に入れられていることだけだったからな。出してもらえたらそれで十分だ。その後はなんとかする」
「そう、ですか・・・・」
そんなものなのか、と考えている茅乃に、キアヒムはいっそすがすがしいくらいに軽く言い切った。
「カヤノはどうやら自責の念に囚われているようだが、どのみちオレは捕虜でしかなかったからな。ひと月ほどか。オレの国もよく粘って交渉できたものだ。最悪あちらもこちらも根こそぎ巻き上げられてからオレの首が送られる、ということも想定したが、その前に出られて良かった」
「ええ・・・・?」
捕虜ってそんな扱いなの、と言葉を失う茅乃を見下ろして、キアヒムは最終確認を行う。
「もういいか?」
「あ、はい」
頷いた茅乃を見て、キアヒムは鍵を開ける。
すぐに扉を開けることはせず、少しだけ動かし、外の様子を窺う。
「いないな。出るぞ」
「はい」
うまいこと城壁の巡回兵の合間を縫って城壁に出た後、城壁に設置された小さな階段のようなものを使って地面のうえに降りる。
篝火のあたりを地上の巡回兵が歩いていることは説明したので、キアヒムと茅乃は火を避けるように進んでいく。自然と暗がりの中を歩くことになるが、キアヒムも夜目が利くのか迷うことなく進んでいく。
「カヤノ」
低く、巡回兵を気にした小さな声はかろうじて後ろを歩く茅乃に届いた。
「はい」
「あの二つ星が見えるか」
キアヒムが指した夜空には、ひと際強く光る二つの白い星が見えた。
「はい」
「あれがアズイルの守護星だ。守護星は常に夜空の西にある。あの下にアズイルがあるから、迷ったときはあれを目印にしろ」
「アズイル」
聞いたことがある、と茅乃は考える。たしか、神域で聞いた。レオトールの人間が、蛮国アズイル、と口にしていた。
「キアヒム君の国、ですか」
「そうだ」
「というか、この世界に方角があるんですね」
「ある。ないと地図が作れないだろう」
「地図まであるんですか・・・・・!」
ずいぶんと、情報が制限されていたのだとしみじみ実感する。ついでに蛮国はどっちだ、と心の中で毒づく。
ちょうどそのとき、暗がりからひとりの兵士が出てきた。
巡回兵の制服を着ている。下衣をゴソゴソしながら歩いているので用でも足した後なのだろうか、と茅乃の足が鈍る。
それとは反対に距離を詰めたキアヒムに、気付くのが遅すぎた。
「お前は・・・・・!」
ひと声発するのが許された時間だった。
ドッ、と響く音が茅乃に伝わったときには、兵士は躊躇のない一発を鳩尾に叩き込まれている。次の瞬間にはうまく息も吸えないまま倒れているありさまだ。その兵士の腰に着けられたベルトのような帯のようなものを、キアヒムが無言で剥ぎ取っている。
・・・・・なんだか、手慣れてる?
慄きながら見つめていると、キアヒムは奪い取ったベルトをみずからの腰に巻き、ついでに兵士の剣も奪う。その鞘をベルトに掛けているところを見ると、そのベルトは武器用のベルトだったようだ。
どこか晴れ晴れとした表情でキアヒムが言う。
「これで武器が手に入った。ナイフくらいは持っていそうだが、カヤノ、いるか?」
茅乃は首を横に振った。刃物など持ちたくもない。
「この体が武器なんで」
言い逃れようとした発言だったが、
「それもそうだな」
納得されてしまった。斜め下の地面を茅乃は無言で見つめる。なぜだか釈然としない。
幾度か巡回兵とかち合ったが、キアヒムが殴るか絞めるかして落としていく。
敵と出遭うことを想定している、とはいってもその手際はただの高校生である茅乃には空恐ろしいものだった。
処理、というよりほかにない淡々とした様子に、人気が途絶えた頃質問してみた。
「なんでそんなことできるんです・・・・?」
幾人目かの、地面に落ちた兵士を見ながら尋ねる。
同じように兵士の姿を目に入れたキアヒムが、どうでもいいことのように答える。
「護身術を嗜んでいてな」
「・・・・・」
これが護身術なわけない、と茅乃は思う。
不意打ちをされたときの対応ではない。どちらかといえば不意打ちを仕掛ける側の動きではないのか。
そう思うものの、実際兵士に出くわしたとき茅乃にできることはない。対処しているのはすべてキアヒムだ。せめて足手まといにはなりたくない、と茅乃は黙ることにする。
王宮の庭は周囲を林のような木立に囲まれている。そういえば、レオトールに連れてこられたときを思い出すと、城には石壁を利用した城壁はあっても城そのものを囲む隔壁はない。見せつけるような前庭があったな、とだけ思い出して、茅乃はポツリとつぶやく。
「攻城戦には不向きだなぁ」
「こうじょうせん?」
聞きつけたキアヒムが、不思議そうに繰り返す。
「ええと、城を攻める戦のことです」
そんなに詳しくないですけど、と前置きして、
「昔、戦争の盛んだったときには攻められることを前提としてお城を造ってたんだそうです。石垣を造るとか、足場のないように水を張るとか」
「・・・・・さっき、平和なところにいたと言っていなかったか?」
「だから、昔のことです」
「ふうん? ああ、そういえば」
「なんです?」
「カヤノは、あの塔を登ってきてたよな?」
「そうですが?」
「出たときに見たが、あれこそほとんど足場がないだろう。どうやって登ったんだ?」
どうやってもなにも、と茅乃は腕の動きだけで登る仕草をする。指をひっかけてのクライミングだ。
「・・・・ああ、そうか。神子の力か。わかった」
「・・・・・」
ほんとうに、わかってるの、と茅乃は地面を見る。そんなことよりも、と茅乃は話を戻すことにした。
「この国の城は守りがないですよね」
「必要ない。というかどこの国にもない。侵攻は本来しないことになっている」
「しない?」
「はずなんだがなぁ」
しない、という言語はそもそも、できるけどしない、という前提なのでは。
王宮の周囲の木立を進む二人の周りには、人の気配がない。巡回の範囲を抜けたのだろうか。そもそもどこまでが王宮の敷地なのだろうか。
神域から連れてこられたときを思い出す。
初めて見た景色は、よく理解していなかったことも相まってはっきりとは覚えていない。だが、王都には石畳があって、その外側は舗装されていない剥き出しの地面だった。木立は少なく、たしか下草の生える草原が広がっていたような気がする。よく馬車で揺られたので、そのへんの記憶はたしかなはずだ。
すくなくとも、草原にまで出られればいいのだろうか。
そう考えて、まっすぐ西へと向かうキアヒムの後姿を見る。
きっと、と茅乃は思う。
じぶんだけでは、方角も知るすべがなかった。この国どころか王宮も無事に抜け出せていたかもわからない。
逃がしに来たつもりだったけれど、ほんとうはどちらが逃がされているのだろう。
そんなことを考えていた中で、キアヒムが肩越しに振り返った。
「カヤノ」
「はい」
「夜明けが近い。明るくなる前に距離を稼ぎたいが、走れるか」
「はい。死ぬ気で走ります」
捕まればまたあそこに戻される。そんなのは願い下げだ、と神妙に頷く。
見上げれば、星はあれど漆黒のような色をした夜空の端に、薄明りのような青が見えた。




