14 城の裏
本日二度目の応接室である。
夜も遅くこの離宮にやって来たのは、白を基調とした服を着ている老人だ。
教師は揃いの服を着るのだろうか、セロが着ていた服とよく似ている。白の上下、金の刺繍。異なる点はベルトの布が赤ではなく紺であるという点だ。体つきは細くはなく、やや布地がはちきれんばかりになっている箇所がある。もとは金髪だったのだろうか、薄い金髪に白髪が勝っている頭髪は短く、陽に当たったこともないような白い肌には深い皺が刻まれている。
あのベルトは、階級でも示しているのかな?
と考えたところで、茅乃は他人の階級に興味はないし覚える気もない。
七十歳前後くらいに見える老人だ。ソファに深く座ったままのその人物は、茅乃が入ってきたことに気が付くと、フンとひとつ鼻を鳴らした。
「最近の神子は偉くなったもんだな。出迎えもなければ酒肴の用意もできんのか」
「・・・・・」
老爺の口元は歪み、明らかに値踏みをする目つきで茅乃を眺めてくる。それと同じ時間茅乃は無言で老人を見つめ返しつつ、寝室で読んだセロからの手紙を思い出していた。
たしか現在、茅乃が現れたというのは国史五一三年。その前の、四人目の神子の記述は四四九年から四六〇年。
こちらの平均寿命がどれくらいのものかは知らないが、この老人は以前の神子を見たことがあるのかもしれない。少なくとも茅乃のことを最近の神子と呼んだ。
以前の神子がどう遇されていたか聞く機会かもしれない。
―――ただ、問題は。
「おい、なにをしておる。さっさと酒の用意をせんか。おお、そこのお前、酌女にちょうど良いわ。はべることを許してやる。こっちに来い」
この人、会話ができるのかな。
どこもかしこも問題だらけだ、と茅乃はため息を吐く。
この態度を見るに、おそらくこの人物もそれなりの地位にいるのかもしれない。酒の用意を、と言われたロザンナが動揺する様子が見えた。命令を聞くべきかどうか迷っている、といった感じだ。その間に老人は壁際に立っているメイドに向かって手招きをしている。手招かれたメイドの顔色はあまり良くない。そういえば離宮は王宮の一部なので、ここで働いている彼女たちの地位はそう低いものではない可能性がある。つまり、深窓の令嬢、とまではいかないかもしれないが、地位のある家柄の娘かもしれないのだ。それが、飲む前から酔うているような老人に絡まれている。
いや、もしかしたらすでにどこかで飲んでいるのかも・・・・。
「お酒の用意とか、いりませんから」
ロザンナに首を振って、重ねて不要であることを伝える。そもそもこの離宮でお酒を飲む人はいないので、お酒の準備自体があるのだろうか。それとも離宮の備品としてどこにでもあるものなのだろうか。
どちらにしろ振舞うつもりはない。
手招きされていたメイドの前に立って、茅乃は呆れた気持ちを隠しもせずに老人を見やる。
「どういったご用件で?」
「・・・・・なんだその眼は」
なんだか、職場でお酒を飲む人は他人の目に難癖付けないと気が済まないのかなぁ。
酒の用意を所望したにもかかわらず、応接室内にいる人はロザンナを含めて誰も動く気配はない。そのことに気が付いた老人は、ソファから立ち上がり茅乃に詰め寄ってきながら恫喝めいたことを言う。
「なにをしておる、この無能が! 教会の人間をもてなすこともできんのか!」
「・・・・・・」
常々感じていることだが、神子と王族が同等というのは嘘なんじゃないのか、と茅乃は思う。キアヒムに言質を取っていなければ嘘だ、と断言することもできただろうが、少なくともこの国の人間はそう思ってないんじゃないかな、と茅乃は首を傾けながら先ほどと同じ言葉を繰り返した。
「それで、どういったご用件で?」
「この、礼儀知らずが! 貴様は年長者を敬うことも知らんのか!」
とうとう老人は手を伸ばして茅乃の胸倉を摑んできた。
普段の茅乃であったなら年配の人を敬う気持ちは持っている。長く生きている人、に限らず、大人はじぶんよりいろいろなことを知っていて、それを教えてくれる存在だ。だから尊敬もできる。
でも、全部がそうとは限らないよねぇ。
老人は茅乃のワンピースの襟ぐりを摑み、前後にゆさぶっている。どうやらこんな小娘くらい振り飛ばしてやろう、という力の入れように見えるが、肝心の茅乃がまったくブレない。もしかしてここでも物理が狂っているのだろうか。いくら老人だからってさすがに腕力が衰えているわけじゃないよね、と冷ややかに至近距離に迫る老人を見やる。というか襟が伸びるのでやめてほしい。
「ええい、クソ!」
口の悪い人だな、と思った瞬間、老人がベルトからなにかを抜くのが見えた。
しまった、なにか持ってた、と思うのと顔面に衝撃を感じたのは同時だった。そして同じ瞬間に背後で小さな悲鳴が聞こえる。後ろにいるメイドが発したものだ。
痺れたような感覚が口元から広がる。とっさに見た老人の手には二十センチくらいの長さの、棒とも板とも言えないようななにかが握られていた。
あれはなに。
とにかく、あれで打たれたということは理解できた。刃のついたものでなくてよかった、と思いながら違和感のある口元を拭う。
「いたた・・・・」
手の甲にべったりと血が付く。
ちっともよくなかった。手を見つめた茅乃の背後で、息をのむような悲鳴がいくつか起きた。
いつの間にか襟を放していた老人は、いくらか溜飲が下がったようだった。声のトーンを落としたものにしつつ、顎を上げた状態で茅乃を見てくる。
「なにが痛いものか、根性が足らん。わしは教師だぞ、いわばこれは神の仕打ちだ、耐えてこその試練というものだ」
誰もが身動きしない、水を打ったかのような空間にポツリと低い声が落ちる。
「―――根性、根性ね」
ふと茅乃は日本にいた頃を思い出した。時代はだいぶ変わったと大人はよく言っていたけれど、その中でもまだ根性とかいう人はいた。この、目の前の老人のように。
そして、茅乃は根性論を押し付ける人間が大嫌いだ。体罰というものも大嫌いだ。そういえば神の代弁者を騙るようなやつも嫌いかもしれない。
さすがにじぶんの眼が据わるのがわかった。
「・・・・根性比べをしましょうか」
「なんだと?」
「そちらはどうぞその得体のしれないものを使ってください。わたしはこの体だけで充分なので」
「貴様、なにを言っている!」
「その棒みたいなもので打つんですよね。わたしは、そうだな、踏もうかな」
足元にある、ローテーブルに片足を乗せる。
行儀作法に反していることは重々承知している。だが平らで手ごろな大きさのテーブルはちょうどよかった。
足に体重を乗せる。
パキン、と木製だと思っていたテーブルから、高く澄んだ音がした。
脆くも半分に割れたテーブルは石造りだった。思ったよりも分厚い断面には硬質な色の、割れたばかりの表面が見える。安定を欠いたテーブルは鈍く重い音を立てて床の上に崩れた。カラカラと音を立てて転がった欠片をさらにつま先で踏み、床と挟んで擦り潰す。床の木材が削られつつ、石の欠片があっという間に砂状になるまで時間はたいしてかからなかった。
顔を上げると、老人は声もなく茅乃のつま先を凝視していた。
「わたしは、踏みますね」
ひッ、と絞められたような声が老人の喉から洩れた。弾かれたように上がったその顔には、先ほどの権勢を笠に着ていた傲慢さは見られない。床に崩れた石くれをまじまじと見ていたときと同じように、大きく目を見開いて、ついでに口も開いたままになっている。そのまま言葉を継げないでいる人物に茅乃は訊いた。
「教師は偉いんですよね。教師の仕打ちは神の仕打ち、いわば試練なんですよね。でもどうやらわたしも神子と呼ばれていて、ということはわたしの仕打ちも神の試練ですか? 試練だとしたらわたしの仕打ちに痛いとか思っちゃったら根性が足りないんですよね?」
念を入れるために、足元の欠片をもうひとつゴリゴリと潰してみせる。
「ひ、ヒイィッ」
引きつった、恐怖に満ちた顔で見られた。
誰もかれも、ひとをなんだと思ってるの、と憤慨する茅乃の前で、老人は踵を返した。足元の石に躓き、床に手を着きながらもなんとか立ち上がり、恐怖の対象から逃れようとする。本能に満ちた動きだった。
「あ、どこに行くんですか」
こけながらも逃げようとする老人を茅乃は追いかける。
「ヒイ! く、来るなぁ!」
「なにを言ってるんですか? 先攻と後攻を決めないと。ジャンケンって知ってます?」
なにもないはずの廊下で転び、立ち上がっては振り返る老人の後をさらに追う。
追いかけてどうにかしよう、という気持ちは茅乃にはない。だが、さすがにこの逃げ出そうとしている人物がきちんと後宮から出ていくのを見届けないと、ゆっくり寝られないな、と思ったのだ。
結局は後宮の門のところまできてしまった。
「開けろ! 開けてくれえぇぇ!」
情けなくも懇願する老人は、さきほどの酒を所望した人物と同じ人だろうかと思うくらいに取り乱し、扉に縋りついて叩いている。
場所が場所だけに常駐している兵士がいるのか、すぐに扉の覗き窓のような部分が横にスライドした。
「なんだ、騒がしいな・・・・・猊下!?」
間を置かずに扉が開かれた。その隙間に手をかけ、少しでも早く外に出ようとする老人を押しとどめるように入ってきた兵士がいる。
「猊下、落ち着いてください。どうされたのですか」
かっちりと崩すことなく制服を着こんだ、三十歳そこそこくらいの男性だ。
膝を着いたままうまく動けなくなったらしい老人をなだめるように、同じように地面に膝を着いて老人の肩を支えている。
「は、早くわしをここから出せ!」
「ですが、手続きが・・・・」
「わしを誰だと思っている! 命令が聞けんのか!」
大声を出せる元気があるならさっさと出ていってくれないかな、と茅乃は老人を眺める。
「あのー」
「ヒイィ!」
「騒ぐくらいなら帰ってもらえます? あと、その人を二度とここに入れないでください」
前半分は老人に、後半分は兵士に向けて言ったものだ。そこで兵士は茅乃の存在に気が付いたようだ。
「あなたは・・・・神子様? そのお姿は、いったいどうしたというのですか!」
「姿?」
「その服と・・・・、お顔は? 誰にこのような・・・・・!」
そういえば摑まれた襟ぐりは伸びきったままだし、口端には血がにじんでいるし、打たれた頬は今もじんじんと痛むから腫れているのかもしれない。
というか、この人は普通に話してきてるけどいいの?
たしか口をきいてはいけない理由はメイドの身分がどうの、と言っていたけれど、この後宮に詰めている兵士のほうがメイドより地位があるということだろうか。
この国の仕組みも制度も全く知らないので、どういう権限が働いているのかもわからない。首を傾げている間も兵士は茅乃を見ている。返答を待っているのだ、と気付いて茅乃は口を開いた。
「その人は酔っ払いの狼藉ものです」
「猊下!? どういうことですか!」
「ええい、うるさいうるさい! 早くわしをここから出せ!」
「ええ、出して差し上げますよ。僭越ながら取調室までご案内いたします」
「なんだとっ! どうしてわしがそんなところに行かなきゃならん!」
老人の腕を捕らえようとした兵士の手が払われる。だが兵士はためらうことなくふたたび腕を伸ばし、老人を拘束しにかかる。
「やめろ! お前は、誰を相手にしているかわかっているのか!」
「よくわかっておりますとも」
冷静な眼差しで答えた兵士は、老人の腕をがっちりと摑んだまま茅乃を振り返った。
「神子様、この件は後々詳らかにいたします。その際はご協力を願えますでしょうか」
「はあ・・・・」
「感謝いたします。それでは」
そう言って老人を連れて出ていってしまった。
バタン、と閉じられた門扉を見て、茅乃は肩の力が抜けるのを感じた。
・・・・・疲れた。
ドッと押し寄せるものを感じて、離宮の寝心地だけは抜群のベッドを思い出す。あのサラサラのシーツに飛び込んで手足を投げ出したい、と切実に思う。
「寝よう」
門に背を向けると、少し離れたところにロザンナが立っていた。
「・・・・・? どうしたんですか?」
暗がりに無言で立っていられると心臓に悪い。声をかけるとロザンナはじっと茅乃を見つめた後、
「お迎えにあがりました」
と答えた。
「迎え、ですか?」
「お帰りがわからないでしょうから」
わかるんだけど、とはさすがに言えないので、ロザンナに案内されるふうを装って後をついていく。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
黙々と二人で、星明かりのみの庭園を進んでいく。特に会話もない。軽口を言う関係でもない、と茅乃は考えていたのだけれども。
そろそろ茅乃が滞在する離宮が見えてきた、といったところでロザンナが振り返った。
「神子様は・・・・・」
「?」
ひとこと口に乗せ、そして迷うようにふたたびつぐむ。
なにかを言おうとしたようだが、結局発しないというのなら別にいいか、と茅乃は離宮の入り口をくぐりながら訊いてみる。
「そういえば、明日もペイル夫人の授業はありますか?」
ロザンナも離宮に入ると、玄関にいたメイドたちが戸締りを行う。それを目視で確認しているロザンナが答えを返してくる。
「いいえ、確か明日はペイル夫人の用があるので、明後日になると聞いております」
「そうですか」
予定が立っていたのなら前もって教えてほしかったな、と思うものの、その内容なら都合が良いので用件を言うことにした。
「それでは、明日は少し遅めに起きると思います。朝ご飯は食べないと思いますので、そのようにお願いできますか」
「かしこまりました。・・・・お部屋に戻られる前に、手当てをいたします。少しお待ちください」
「あ、はい・・・・」
玄関わきのカウチのような椅子に座らせられ、待機していたメイドからロザンナが木箱を受け取る。
口元に当てられた消毒液はやはり痺れるように痛い。涙目になりながら黙って手当てを受ける。頬には湿布が貼られた。ちょっと大げさなんじゃないの、と思うくらい大きな湿布だ。
寝ている間に取ってしまわないかな、と指先で触れていると、ロザンナが木箱の蓋を閉める音がした。
「終わりました」
「あ、ありがとうございます」
ペコリ、と頭を下げて、茅乃は寝室に戻ることにする。
ようやく念願のベッドに入ると、茅乃の頭はぐるぐると回り始めた。
教会から来たと聞いたのでセロへのお礼くらい頼めるだろうかと思ったが、実際それどころではない状況になってしまった。単純にセロの代わりに来た教師だ、と思ったのだけれど、どうしてセロはあのような人物を寄越したのだろう。あれでは質問どころではない。どういった人選が行われたのだろう。
「・・・・・」
天井を見つめながら考えているが、いっこうに瞼が降りてこない。
目が冴えてしまった。
静かにベッドから出る。
そうとう夜更けに近い時間帯だろうと予想は付いたが、どうにも頭が落ち着かなかった。
キアヒム君に、話を聞いてもらおうか。
ただ、もう遅い頃合いなので、眠っているようなら大人しく帰ろうと決めて庭に降りる。
静かな後宮の庭園の端まで行き、壁を越えて王宮に入る。そこまではいつも通りであったが、王宮の敷地に入ったとたん違和感を覚えた。
緩いと思っていた警備が変化している。
あちらこちらで火が焚かれ、今までは城壁の上でしか見かけることのなかった巡回兵の姿が地上にまで散見される。
なるべく灯りの届かない場所を選びながら、茅乃は慎重に様子をうかがう。
なにごと・・・・?
暗がりでしばらく観察していた茅乃の耳が、草を踏む足音を拾う。同時に小さくぼそぼそとした声も聞こえてきた。
「・・・・国の・・・」
「・・・敵対・・・・」
二人組の巡回兵が焚火のあたりを通り過ぎていく。聞き取りにくかった兵士の声が、茅乃がいる場所に近付いてくるにしたがって聞こえやすくなってくる。
「・・・・どこの間者かは知らないが」
「よくこの王宮に入り込めましたよね」
「そりゃ、見りゃわかんだろ。ここはそんな厳重じゃねえぞ」
「そうなんですか?」
「今は編成の途中だからな、減らせるところをケチったんだろ。とりあえず、黒ずくめの不審者を見つけたら報告すりゃいいんだよ」
「見つけたら臨時収入ありますかね」
「ねえよ」
「そんなあ」
親子ほども年が離れたように見える二人組が、世間話をするかのように緊張感もなく話しながら通り過ぎていく。
「・・・・」
会話の内容を聞いて、茅乃はじぶんの身を見下ろした。
首から脹脛までの、真っ黒のワンピース。
まさかねぇ。
楽観的に考えつつ、それでも増えた巡回兵の姿を見かけるたびに隠れたり遠回りを選んだりしていると、いつの間にか通ったことのない場所に出ていた。
幸い目指している尖塔は大きく目立つので、見失うことはない。が、星空も見えないほど鬱蒼と樹が茂る、足元がひじょうに悪い場所だった。湿った風が吹いてザワリと木々の梢がぶつかり合う。
水はけが悪いのか、踏みしめる土が湿っている。布靴では防ぎようがない水分がじんわりと浸み込んできて気持ちが悪い。離宮に戻ったら誤魔化せるだろうか、ということを考えながらなおも進むと、とうとう足が水溜まりを踏んだ。
パシャ、と、浅い水溜まりに踏み込んだときと同じ音がした。同時に足元から嫌なにおいが上がってくる。
・・・・なんのにおい?
湿ったにおいに混ざって、生臭さも感じる。そもそもどうしてここだけこんなに水気が多いのだろう。最近はいい天気の日が多かったと思うし、庭園の地面はどこも乾いていたはずだ。
ここは?
暗すぎて足元が見えない。黒い地面と視界の悪さが一体化して、目を凝らしても水溜まりの範囲さえ捉えきれないほどだ。
顔を上げて暗い中を進んでみると、少し離れたところに篝火が焚かれていた。
庭園にあったものよりいくらか小さな火ではあるが、この暗がりにあってそれはとても目立って見える。灯に誘われる蛾のようにフラフラと近付くと、篝火に照らされて石造りの壁があることに気が付いた。迷い込んでいるうちに、城の一角に近付きすぎてしまったようだ。城を正面から見たときの真っ白な城壁とはちがい、切り出しただけの石を積み上げた無骨な壁だ。装飾はおろか塗装もない。そこに、一枚扉の木戸が付いている。真夜中だというのにその扉は開け放たれ、出入り口の前には三人ほどの人影が見える。巡回兵とはちがう服を着ているようだが、あの人たちは夜勤かなにかにあたっているのだろうか。
足が止まってしまった。静かに、音を立てないように観察してみる。
その三人はすべてが男性で、建物から外へとなにかを運び出している。よくよく見てみると縦長に畳まれた、大きな布の塊のようだ。ひとりが指示を出し、残りの二人が運んでいる。
建物の外には車輪がついた板張りの台があって、布の塊はそこに積み上げられていく。三人の男性が動くたびにその足元から水音が発されている。大きな水溜まりの中で作業しているような音だ。
水はけが悪いというより・・・・。
建物の出入り口部分はかろうじて石造りだ。土の上ならともかく、どうしてあそこにまで水気があるのだろうと疑問に感じた茅乃の目に、石床の上の水が映る。それは建物の奥から流れてきているようだ。石の上を流れる水は濁り、淀んでいる。完全に汚水だ。思わずじぶんの足元を見つめてしまうが、もう完全に踏んだ後だし逃げ場もない。
諦めの気持ちで作業を見ていると、どうやら全部を運び終えたらしい。
運び手をしていた二人は手の平を打ち合わせて、汚れを払うような仕草をした。指示を出していた人物は布の塊を数えて確認作業を行っている。その中で、巡回兵もいない静かな空間にボソリとした声が響いた。
「・・・・今日は多いな」
「後宮の方から出てるものもあるらしいぜ。通達を守らない奴がいるらしい」
「ああ、そういえば、いるんだっけか、神子が」
ビクリ、と震えた体がなんの音も立てなかったのは奇跡だった。
・・・・神子?
どうしてここでその単語が出てきたのかがわからず、茅乃は息を詰めるようにして次の言葉を待ってしまう。
暗がりに茅乃がいるなどと、知る由もない男たちは目を見交わす。
「加護があるっていうけどな」
「こんなことになったらただの災厄だろ」
「不運なことだな、こいつらも」
「おい、無駄口をたたいてないで引き上げるぞ」
「あいよ」
指示役の男が声をかけ、扉を閉めて錠をかける。作業を終えた男たちは暗がりの中に消えていった。
「・・・・・・」
茅乃は、動けなかった。
頭の中で、男たちの会話が繰り返される。その意味を考える。不運なことだな、こいつらも。
こいつら?
布の塊じゃ、ない?
揺らめく篝火が照らす中で、少しずつ荷台へと移動する。移動して、手を持ち上げる。その指先が、震えた。
ぶるぶると治まらないその手で、一番上の布をつまむ。
開くと同時に強烈な異臭がした。中にあったのは、人の。
「・・・・・は」
息のような、声のような音が茅乃の喉をかすめる。
若い、女性。二十歳そこそこの。
開いた布から見えた衣服は、見覚えがある。離宮でずっと見ていた。メイドのお仕着せのワンピース。その生彩を欠いた顔も。
部屋での食事を済ませた後、メイドの中でたったひとり言葉を返してくれた。
「・・・・・はッ」
悲鳴のような音が漏れる。
震えたままの指先が布の端に引っかかった。離れようとした茅乃の体が荷台の角にぶつかる。
乱雑に積み上げられたままだった包みが揺れて、音を立てて地面の上に落ちる。跳ねた水滴が足首にかかった。
落ちた包みの布が無造作に解けた。転がり落ちた二つの包み、ひとつは見たこともない大柄な男のもの。もうひとつは細身の女性。長身に見える。
俯き加減になった顔を白髪交じりの髪が覆う。その隙間からのぞく、開いているとも閉じているとも言えない虚ろな眼。その身にはくすんだ色のワンピース、そしてもとは白だったのだろう、汚れたエプロン。
あの目尻が、笑い皺を刻むことは、二度とない。
出かかった悲鳴を押さえた茅乃の、その頭が回転を止める。スイッチが切れたかのようになにも働かない頭とは反対に、茅乃の中の底の方から声にならない悲鳴が上がる。
これだけは、どうしても耐えられない、と。




