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青の塔  作者: あきお
11/55

10   教師






 翌朝には、新しい教師がやって来た。

 早朝と言っても差し支えない時間にドアを叩かれ、ロザンナに起こされたのである。


 わたし、起きるまで起こさないでって頼んだよね・・・・・。


 眠れなかった目をこすりつつ、身支度を済ませると応接室へと連れていかれる。


 そこにはすでに分厚い本が幾冊か用意され、ついでにお茶の用意までされていた。傍らには三十代そこそこ位の、茶色の髪をゆったりと巻いた女性が立っている。ふっくらとした顔立ち、温和そうな丸い目元と小さな鼻、厚めの唇はどこか妖艶に見えるが、茅乃から見れば大人のお姉さんだなぁといった感想である。

 その女性は小さく微笑むと、質の良さそうに見えるドレスのスカート部分をつまんでお辞儀をして見せた。


「わたくし、この国のペイル公の妻を務めておりますリュシエと申します。この度は神子様の教育係のひとりとして選ばれましたの。どうぞペイル夫人と呼んでくださいませ」


 丁寧な挨拶ではあったが、セイラ姫のような地位を感じさせる気配は感じられなかった。そもそも茅乃はこれをただの自己紹介と受け取ったが、その内容までは理解できない。この国の仕組みはまったくといっていいほど知識がなく、このリュシエという人がどういう女性かもよくわからない。

「初めまして。わたしは茅乃と申します。どうぞよろしくお願いいたします」

 昨夜キアヒムから忠告を受けたばかりだ。どうしても警戒心が働く。おまけに今、教育係のひとり、と言わなかったか。他にも来るつもりなのか。

「では早速ですが、神子様にはこの国の歴史を学んでいただきます」

「はい」

 すすめられるままにソファに掛けることになる。

 ペイル夫人は斜め向かいに座る形に落ち着く。

 ローテーブルの上には端にお茶のセットが寄せられ、茅乃の目の前には一冊の本が置かれる。辺りを見ても教材らしきものは本だけで、筆記具のようなものは見当たらない。


 書き取りはできない。ということは暗記だけってことか。


 年号と出来事を暗記するって、歴史のテストでも多いよね。

 そう考えつつ、置かれた本の表紙を見てみる。カクカクとしたしゃれっ気のない文字で、レオトール国史、と書かれてある。渋い表題だな、と思いつつ読んでみてもいいか聞いてみる。

 どうぞ、とあっさりペイル夫人が頷いたので、表紙をめくってみる。


 するすると読めた。

 存外に自分は知識を求めていたらしい。一種読み物として読んでいく。

 最初はこの国の建国から。創造主に一国を任されたのが王家の祖であること。中でもレオトール国の祖は創造主に気に入られており、様々な時代の中で困難があり、その度に創造主の遣いに救われてきたこと。特に戦でもって侵攻してきた他国はその後、創造主の神罰によって復興が困難なほど国土が荒れたと記されている。恐れをなした他国は以来侵攻してこようとはせず、レオトール国はこの二百年ほど平穏である、それらはつまり創造主に気に入られた王族がこの国を治めている特権であるからだと締めくくられていた。


「・・・・・・」


 歴史って、言わなかった?


 読み終わった頃には、用意されていたお茶はすっかり冷めていた。

 飲むつもりもなかったのでどうでもいいとするが、それよりこの本の内容はなんだろう。

 二センチほどの、そこそこ厚みのある本をざっと読んでみたが。内容が理解できない。

 最初の建国記当初が神話とかぶるのはどこの国でもおなじみといったところだろう。科学が発達していないなら神話の入る余地もあるだろうし、国の始まりなど今の誰も知らないのだ、編纂はいくらでもできる。だがその後は。

「あの・・・・・」

 先生、と呼ぶべきか、だが本人からはペイル夫人と呼ぶように言われたことを思い出し、

「ペイル夫人」

 と呼んでみた。

「なんでしょう、神子様」

「あの、この中に書かれてある他国からの侵攻、という部分についてなんですが」

「ええ、およそ三百五十年ほど前の出来事ですね」

 え、そんな前の話なの、と一瞬思ったが日本で考えると江戸時代に当たるくらいだろうか。海外ではそのころ天体の観測もなされていたはずだ、とうろ覚えの知識を掘り起こす。

「この侵攻はどこの国から、どういった理由で始まったものなのですか?」

 子供を相手にした読み聞かせでもあるまいに、なんとなく始まりました、はないよね、と思いながらした質問にはしかし、

「・・・・・」

 微笑みだけが返ってきた。


 えッ、と瞠目するが、ほんとうに明確な答えが返ってこない。待てども待てども返ってこない。


 まさか、これでお茶を濁して終わりにするつもり?


 質問を変えることにした。

「ペイル夫人、この本の内容はわたしにはわかりにくいのですが、どういったことが書かれてあるのですか?」

「そうですわね、神子様にとっては初めて読まれるものですから、わたくしが解説いたしますわね」

 この場においてこの質問は正解であったらしい。とたんにペイル夫人が饒舌にしゃべりだす。

「我がレオトール国においては頻繁に神子が配されます。神子は降り立った国で加護を施し、それは国を繫栄へと導きます。レオトール国の有史以来これまで四人の神子が降り立ち、御代の神子様におかれましては五人目の神子様と認定されております。ひとり目の神子様は建国当初、王家の祖を波乱の世代から統治者へと導いたと言われております。二人目の神子様はこの王宮を建てたと言われております。三人目の神子様は比較的平穏な時代に降り立ちましたが、その時代に教会の改革をなされ、四人目の神子様におかれましては我が国の要所の灌漑工事を行ったと言われております。そのどれもが創造主である神の意思によるものですわ。我が国レオトールは神の守護下にあり、神子様の加護によって成り立ってきたと言っても過言ではありません」

「・・・・・・」


 なんだろう、言葉が耳から耳へ流れ出していって、なにを言っているのかよくわからない。そもそも聞き取ることも困難なくらいに上滑りしていく。


 歴史、とは。


 茅乃は積まれたままの本を指す。

「そちらも、読んでいいですか?」

「もちろんです。そのために持ってまいりました」

「では・・・・」

 部屋に控えていたロザンナに、お茶の替えを用意してくれるよう頼む。ペイル夫人にはお茶を飲むなりお腹が空いたら軽食を頼むなり、自由に過ごしてくれるよう頼んで残りの本を手にする。


 合計四冊の本を読み終えたときには昼食の時間になっていた。

「神子様はとても勤勉ですわね。わたくし、この教材をすべて終えるのは半月ほどかかるかと思っていましたの」

「・・・・・」

 どうやら褒められているようだが、ちっとも嬉しくない。そもそも教材を終えるってなんだ。茅乃はただこれを読んだだけなのだ。


 いつの間にか応接室には昼食が運び込まれていた。並べられた軽い食事は、不思議なことにどれもがおいしそうに見える。

 昨夜の出来事が、キアヒムが言ったことが事実だとしたら、茅乃は直感で毒入りの料理を避けていたことになる。これが神子の便利能力なのかどうかはわからないが、少なくとも王族の姉弟が来た後の食事は通常の料理へと変化した。これが次の手に出たからなのか、ペイル夫人に配慮したものなのかもわからない。

 どのみちたいして食欲も起きず、茅乃は簡単に済ますつもりだったが、ペイル夫人は嬉々としてこう言った。


「あら、神子様。食事の作法について学ぶにはちょうどいい機会ですわね。実践いたしましょう」

「え・・・・」

「さ、まずは持ち方からですわ!」

「ええ・・・・!」


 思いもかけなかった予定にげんなりしたが、いざ始めてみるとそれは意外にも苦にならなかった。

 楽しそうに教えるペイル夫人は歴史書とやらの解説をしているときよりかはわかりやすかったし、茅乃自身も洋食器の扱いを知らないわけではないことが幸いした。なによりマナーというものは、覚えていればどこかで役に立つと考えを改めたからだ。カトラリーの扱いには相変わらず繊細さを伴うのが唯一の苦であったと言えるが、それ以外は思ったよりは気兼ねなく、いい気分転換になったと思う。

 昼食を終えたペイル夫人はここまでの時間だったようで、次はもっとたくさんの教材を持ってきますわ、と高らかに宣言して去っていった。


 いや、本はもういいんだけど。


 午前中をかけて読んだ残りの教材も同じような内容だったのだ。お腹いっぱい胸いっぱい頭もいっぱい状態である。もう同じような内容を読むのはごめんだ。しかも歴史書とは名ばかりだった。


「あ、建国の記録を聞くの忘れた」

 日本はいちおう建国から二千年ほどの歴史があるが、この国はどうなのだろう、とふとした疑問を聞くのを忘れていた。


 まあいいか、と茅乃はさっさと諦めた。ペイル夫人のマナー講座は楽しかったが、歴史の先生としては不向きだ、というのが今日の収穫だろうか。

 じぶんも部屋に戻ろうとした茅乃に、ロザンナが一瞥を向けてくる。

「神子様、夕食の後には別の教師の方が来られます。どうぞ、重々失礼のございませんよう」

 冷ややかにそう言われる。どうやら昨日の一件以来、ロザンナにとって茅乃は使えない離宮の主人とみなされたようだ。


 期待に応えるつもりもないんだけど。


 茅乃も冷ややかな目で見返しながら、頭の中では別のことを考える。

 別の教師か。どんな人だろ。


 ちゃんと教えてくれる人だったらいいんだけど。

 それでも警戒心は薄れない。毒を盛られた衝撃はちょっとやそっとでは薄れるものではない。


 そう、茅乃は考えていた、つもりだった。




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