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推理紀行〜比企の風〜

作者: 目賀見勝利

         目賀見勝利の推理紀行『比企の風』

         〜推理小説『比企の風』に寄せて〜



     『あつみ(温海)山や ふくら(吹浦)かけて 夕涼み』

     

という俳句は、松尾芭蕉が「奥の細道」で山形県鳥海山のふもとの吹浦に立ち寄った時に詠んだ句である。


 芭蕉の俳句の特徴は、一つの俳句で二つの意味を含ませる事にある。

この推理小説以外にも、エピローグで芭蕉の俳句を引用しているが、そのいずれもが読み方によっては二つ以上の意味になっている。ひらがなを漢字に変換してしまうと意味が限定されてしまうので、ひらがなで読むことが重要です。

推理ファンの読者にとっては、推理の鍛錬になるので芭蕉の句を読むことをお勧めいたします。


 上記の俳句では「ふくら(吹浦)」という地名と、旅で担いでいる荷物が入った「ふくろ(袋)」を掛けた句である。

 また、「あつみ」は「ふくら」の掛詞かけことばになっています。

 すなわち、「厚みのある袋」、「大きく膨らんだ袋」をイメージさせています。

 

俳句だけ読んでもその情景がはっきり浮かんで来ないが、この句を詠んだと思われる場所で、この句を思って見ると、芭蕉が休憩した情景が見えてくる。


街道沿いにある海岸の立ち木の小枝に袋を掛けて、夕陽が沈む時刻に、緩やかに湾曲した海岸線の彼方に見える温海あつみ山を望み、潮風に吹かれながら夕涼みを堪能している情景を現地で想像すると、自分も江戸時代にタイムスリップして、自然の中でのんびりしてみたいと思う。

「ふくらかけて」の言葉には「温海山が海岸線の向こうから吹浦方向に走ってくるように見える。」と云う意味も込められている。


吹浦の海岸には、夕陽が望める岩場があり、十六羅漢像がある。ここから鳥海山へ登る道路が続いている。この海岸には上記の句をきざんだ石碑も建っている。

この岩場から鳥海山は望めないが、鳥海山と云うと、秋田県の象潟きさかた海岸からの情景が有名である。


私が吹浦を訪問したのは、2000年の7月下旬であった。例年、会社の夏休みを7月の最後の週にもらい、旅行したり、自宅でのんびりしたりしていた。

西浜には海水浴場もあり、小学生くらいの子供と夏休みを過ごすのに適した土地という印象が残っている。あいにく、私の子供はこの時期には、すでに高校生になっており、各人が自由な夏休みを過ごすようになっていた。

この地を訪れた目的は、大物忌おおものいみ神社に参詣することであった。

大物忌神はある霊能者が霊視すると、「ヒコホホデミ」のみことであったらしい。この神は、富士山浅間神社の祭神である「コノハナノサクヤヒメ」と天孫「ニニギ」の命の間に生まれた子と云うことになっている。「ヒコホホデミ」は別の伝承によると「山幸彦」と云われており、兄の「海幸彦」から借りた釣り針を海でなくしたため、それを探しに海に行く。塩土老翁しおつちのおじに助けられて、乙姫様と出会い、乙姫様の力をかりて、釣り針を見つけるという伝説のある神様である。この霊能者いわく、秋田県の「なまはげ」はこの神様が化身しており、子供たちが正しい事を行うように戒める目的を担っているらしい。

なお、乙姫様は「トヨタマヒメ」といって、「ヒコホホデミ」と結ばれ、「ウガヤフキアエズ」の命を産む。「ウガヤフキアエズ」の子が神武天皇になる。

推理小説『志摩の真珠』に登場する宮崎県の鵜戸神宮の祭神が「ウガヤフキアエズ」の命である。豊玉姫とよたまひめはワニ(鮫のこと)の化身で、鵜の羽根でいた産屋うぶやで子を産む時、彦火火出見ひこほほでみに自分の姿(鮫)を見られた為に海に帰ってしまうと云う伝承が残っている。この時、産屋は葺き終えていなかったので鵜の羽根が葺き終わっていない時に生まれた子と云う意味で、「鵜葺草うかや葺不合ふきあえずみこと」と命名されている。実際には、海神族の娘と山神族の男が婚姻したが巧くいかず離婚したと云うところであろうか?『ロミオとジュリエット』物語の日本版か?

大物忌神社奥宮は鳥海山山頂にあるが、登山口として吹浦口の宮、蕨岡わらびおか口の宮に拝殿がある。蕨岡口の宮は吹浦駅から車で20分くらいの大稲田地帯を抜けた山のふもとにあり、神仏習合時代におけるお寺の雰囲気が残る閑静な神社である。私が参詣したときは、神主が常駐していない無人の神社であったが、山頂の奥宮につながっている雰囲気は吹浦口宮よりも強いような気がした。吹浦口宮は吹浦駅に近く、奇麗に手入れが行き届いており、神官が常駐管理しておられた。祭神は大物忌神の他に、「宇迦之御魂命うかのみたまのみこと」と「豊受媛命とようけひめのみこと」である。

当時、遊佐ゆざ町の吹浦駅は木造平屋の建物であり、絵葉書を駅の切符売り場で買った記憶がある。この時の駅員(事務員?)が若い女性であったので、小説『比企の風』では、青木智子にそのイメージを導入させてもらった。駅前には、佐藤政養の銅像があり、新橋〜横浜間の鉄道開通に大きな貢献をなしたと、説明してあった。この時はまだ、推理小説を書くことは予想していなかった。小説を書くのを思い立ったのは、もう少し後のことである。ホテル政養館はこれにヒントを得た、創作である。


埼玉県比企地方の東松山市にある箭弓やきゅう神社も「宇迦之御魂命(稲倉魂命)」と「豊受媛命」を祭神としており、田園風景も吹浦に似ている。東松山市と遊佐町はウォーキングのイベントもそれぞれ、スリーデーマーチと鳥海ツーデーマーチを行っており、姉妹都市に成ってもおかしくない間柄であろうか。まっ、余計な意見は止めておきましょう。


箭弓やきゅう神社は箭弓稲荷神社ともよばれ、団十郎稲荷の祠がある。団十郎とは、江戸時代の市川団十郎のことであり、狐が登場する歌舞伎を演じて大成功したお礼にこの祠を寄進したとの事である。祠の左右の神門には白狐の父母と子供の彫り物が飾られている。なかなか良い顔をした狐像である。また石像の狐が社務所前のサザレ石の上に飾られている。この石狐像は波の形をしており不思議な気がしていたが、あるとき、その形の意味に気が付いた。この神社の境内には牡丹園がある。この牡丹園内には良い形の松の木が2本生えている小さな池がある。この池の傍に天神社が祀られている。この池に住む龍神(天神)を表現しているのが石の狐像である。それゆえ、この狐像は池の方角を向いて波打っており、龍をイメージして制作されたのであろう。



      2005年1月22日 初記

      2009年5月10日 追記


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