6.最強の「切り札」
その次の日の夜、私のところに兄が忍び込んできた。
「朱伽」
「兄さん! 見張られているんじゃ……大丈夫なの?」
「ああ。心配いらない」
「本当に?」
「はぁー、久しぶりに会ったら随分疑り深くなったな?」
「別に疑っている訳じゃないけど、父さんだけじゃなくて、兄さんや母さんにも何かされたらって……」
「朱伽……。俺は大丈夫だ」
「でも……」
引かない私に、兄は嘆息した。
「……今から話すことは、ぜったいに誰にも言うなよ。約束できるか?」
「うん。ぜったいに誰にも言わない」
「信じるぞ」
兄はじっと私の目を見つめて言った。
「……俺は、実は異能者なんだ」
「えっ!?」
「シッ! 静かにしろ! このことは、父さんと母さんしか知らない。他に知られたら、使い潰されるのが分かっているからな。ずっと隠すように言われていたんだ」
「じぁ、前に言っていた『切り札』っていうのは、このことだったの?」
「そうだ。俺の能力は、相手の記憶を操作することが出来る危険なものだ。使い方を間違えれば、人格を崩壊させ、死に至らしめることも出来てしまう。この能力を使えば、族長たちにも対抗できるが、それをすれば、俺は人間ではなくなってしまう気がして嫌だったんだ。だが、そんなことも言っていられなくなった。今は監視者たちの記憶を精神が崩壊しない程度に少しだけいじって探りをいれている。俺は、出来る限り、私怨ではなく、公で裁かれるべきだと思っている。それで、末永さんの力を借りた」
「そうだったんだ……。ありがとう、兄さん」
「お礼を言われることじゃない。兎に角、このことは誰にも言うな。充琉にもだ」
「うん。分かった。……ねぇ、兄さん。末永さんには、ここを動くなって言われたけど、何か私に出来ることはないかな? 皆に任せて、じっとしているなんて私には出来ないよ」
「まあ、お前ならそう言うと思っていたよ。一つ頼まれてくれるか?」
「うん! なんでも言って!」
「それじゃあ……——」
二人でコソコソ話していると、急に声を掛けられた。
「君が二人のお兄さんか?」
「瀬山さん!」
びっくりした! 全く気配を感じなかった……。
「はい。桐吏と言います。二人がお世話になり、有難うございます」
「君に会ったら、聞きたいとずっと思っていたのだが、どうして二人をあの国に逃がしたんだ?」
「そうですね、恩人のあなたには正直に話ますが、一族があの国を嫌悪して避けているのは分かっていたので、あえて選びました」
「それだけではないのだろう?」
「……はい。瀬山愁のことを調査していて、あなたのことも調べさせていただきました。あなたは、仕事で何度かあの国を訪れている。もし生きているのに、瀬山愁に接触して来ないのだとしたら、日本にいないからではないかと考えました。それならば、どこにいるのか? もしかしたら、あの国ではないか? と。もし、二人があなたに会って話すことが出来れば、協力してもらえるかもしれない。そう、希望的観測はありましたが、本当に期待通り、いや、それ以上に協力してもらえるとは思いませんでした」
「ふっ、君は敵には回したくないね」
兄は、肩を竦めた。
「本当は、一族のことは忘れて二人が向こうで幸せに暮らせるなら、それでも良いと思っていたんです」
「兄さん……」
翌日、兄の頼みを実行するために、ルーカスさんと一緒に実家へと向かった。
「朱伽と二人で出かけることが出来て、嬉しいな。まるでデートみたいだね」とルーカスさんは言ったが、車には運転手もボディーガードも同乗している。
さらに前後に一台ずつ、ボディーガードの乗った車が同行していた。
「無理言ってすみません。ご協力に感謝しています」
「本当に朱伽は堅いな。僕が好きでしていることなんだから、気にしなくていいんだよ?」
私は、彼がどうしてここまでしてくれるのか、アレンさんと話してからもずっと気になっていたことを尋ねた。
「……あの、本当に私のことが好きなんですか? 一体、私のどこが良かったんですか?」
「そうだね……。初めて会った時に、真っ直ぐな目で僕を見てくれただろう? その目に宿った意志の強さ、そして決して媚びない眼差しに強く惹かれた。それから会うたび、直向きで純粋な君に恋をしていった。気付けば、君の姿を目で追い、目が離せなくなって、ずっと側にいたくなった。……理屈じゃないんだよ」
彼はそう言って、私のことを熱っぽい目で見つめた。
「そう、ですか……」
私はそれ以上何も言えず、居た堪れない気持ちになった。
実家に着くと、兄だけでなく母も出迎えてくれた。
「朱伽!」
「母さん!」
「お帰りなさい。無事でよかった……」
そう言った母の目から涙がこぼれた。
涙を拭いながら、母が言った。
「さあ、中に入って! お客様もどうぞ」
「危険を顧みずに来ていただいて、本当に感謝しています」
兄は、ルーカスさんに頭を下げた。
「頭を上げて下さい。朱伽さんは、私にとっても掛け替えのない人です。だから、気にしないで下さい」
「そうなんですか! まあまあ!」
「母さん!」
「まだ、僕の一方通行なんですけどね」
それから向こうでの生活などを話していたら、外が騒がしくなった。
「来たか」
兄が、警戒を強めた。
——ドンドンドンドン。
玄関の戸を勢い良く叩く音が応接室まで聞こえてきた。
「いるのは分かっている! 戸を開けろ!」
「利公を連れて来たのか。手間が省けそうだ」
そう言って、兄はうすら笑いを浮かべた。
私達は、玄関へ移動した。
「どういった御用ですか?」
母が扉の方に向かって声を掛けた。
「朱伽さんが帰って来たそうじゃないですか? 婚約者である私に、どうして教えてくれなかったんですか? 今すぐにここを開ければ、許してあげますよ」
「朱伽……」
ルーカスさんが大丈夫だと励ますように、気付かぬうちに震えていた私の手を優しく握ってくれた。
「兄さん」
私は頷いて、兄に開錠の合図を送った。
兄が開錠し、扉を開けた瞬間に奴が飛び込んできた。
「やあ、朱伽! 久し振りだね! どれだけ君を探したか……。族長が君に会いたがっていてね、今すぐに本家まで来てもらおうか。そうそう、君のお父さんもさぞかし喜ぶことだろう! さあ!」
私は、ルーカスさんが握っていてくれた手と反対側の腕を奴に掴まれて、強引に引っ張られた。
「痛っ!」
「朱伽!」
「その汚い手を離せ!」
ルーカスさんが奴に殴りかかった。
突然のことに驚いた奴は私を突き飛ばし、拳を躱して、反対にルーカスさんの顔を殴った。
「ルーカスさん!」
私はルーカスさんに駆け寄った。
その間に、ボディーガードの人達が奴と一族の者達を拘束した。
「離せ! 俺が誰だか分かっているのか? お前たち、ただでは済まさないからな!」
「負け犬がよく吠える。今、警察がこちらに向かっている。お前が暴力を振るった相手が誰だか分かるか? さすがの族長もお前を見捨てるだろうよ」
兄はそう言って、奴に軽蔑の眼差しを向けた。
警察官が来て、奴らは連行された。
残った私達も事情聴取を受けた。
いつものように一般人が相手の傷害事件ならば、奴らも直ぐに釈放されたかもしれないが、今回は相手が悪かった。
駆けつけたアレンさんがこれでもかと捜査員を脅していた。
焦った捜査員は、上司に連絡を取っているようだった。
「ご子息を危険な目に遭わせてしまい、申し訳ありません」
兄がアレンさんに頭を下げた。
「気にすることはない。ルークも分かっていて協力したんだ。幸いたいしたことはなかったのだから、もう忘れなさい」
「ありがとうございます。お陰で、楽にことが運べます」
「そうだな。経済界の大物であるアレン氏のご子息を怪我させたとなれば、族長たちに味方していた警察の関係者たちは、自分の身可愛さに離れていくだろうな。外交問題になったらただでは済まないから、上からも圧力がかかるだろうし……。ただ、トカゲの尻尾切りにならないか心配だが……」
アレンさんと一緒に来ていた瀬山さんは、そう言って考えこんだ。
「大丈夫です。こちらにアレンさんの後ろ盾があることを示せましたから。それだけで、十分動きやすくなります。あとは、末永さんのお力をお借りすれば上手くいく筈です」
「やれやれ、君には本当に驚かされるよ」
そう言って、瀬山さんは呆れた顔をした。
一段落着くと、母と兄も一緒に連れてホテルに戻って来た。
私は、ルーカスさんの手当をするのに彼の部屋に来ていた。
「ルーカスさん。ごめんなさい」
「朱伽。そんな顔をしないで、僕は君を守ることが出来て嬉しかったんだから」
「でも……」
「それにしても、君のお兄さんは凄いな。全てが、彼の思惑どおりに動いている。僕たちはまるで彼の盤上のチェスの駒のようだよ。日本だと将棋や囲碁かな。このことが、一段落したら、うちの会社に欲しい人材だ」
「それは……」
予想外の過大評価に、どう言って良いのか迷ってしまった。
「ごめん。困らせてしまったね。ただ、冷静に人を見る目、適材適所に配置する能力、周囲に溶け込み角を立てない力量を持っている人間は中々いない。彼のずば抜けて高い観察力、適応能力、求心力はとても貴重なものだよ」
「そうかもしれません……。ルーカスさん、本当にありがとうございます。兄のようにはできませんが、この御恩は必ずお返しします」
「はぁー、気にしなくていいのに……。本当に朱伽は真面目なんだから……。まあ、そういうところも好きなんだけどね」
そう言って、彼は微笑んだ。
「あの! 私、部屋に戻りますね。ゆっくり休んで下さい」
私は、彼の顔を直視できなくなって、慌てて部屋から出て行った。
お読み下さり、ありがとうございます。




