4.不思議な縁
――それから数ヶ月が経ち、年が明けた。
里にも、彼にも変化は無かった。
一族には、年に数回の集まりがある。
大抵は、その家々の家長が代表して出席するが、正月の新年会に二十歳になったばかりの私も招待されていた。
嫌々参加した集まりは、本当に最悪だった。
「朱伽ちゃんもそろそろ結婚を考えても良いんじゃないか? 利公なんてどうだ? 一族の中で一番の出世頭だ」
酔っ払った族長の弟に絡まれて、私は思わず顔を顰めてしまった。
「有難うございます。ですが、妹にはまだ早いですよ。まずは、私でしょう? どなたか良い方はおられませんか?」
そう言って、兄が助けてくれた。
その後も会の間中、ずっと兄が側にいて守ってくれた。
「利公には気を付けろ。裏でやばい奴らと繋がっている。警察の方にも奴と繋がっている者がいて、手が出せない。難しいが、兎に角、関わらないようにするしかない」
「うん、分かった」
だが、冬休みが終わって数日経ったある日、利公が大学までやって来た。
奴は族長の甥なので、立場的に避けることは出来ず、仕方なく話を聞くことにした。
「朱伽、伯父さんに子供がいないのは知っているよね? それで、次の族長に俺を押してくれている。俺も二十五になるからそろそろ結婚を勧められていてね。それで相手として、一族の中から君が選ばれた。とは言っても、今の時代に無理矢理結婚するのもどうかと思ってね。君に好きになってもらって、結婚できた方がお互いに幸せだろう? だからまずは、交際から始めないか?」
「あの、貴方には他にもっとふさわしい人がいると思います。私には、結婚とか交際とか考えられません」
「これは一族の総意だからね。拒否することは出来ないよ。よく考えてみることだ。今日は、これで失礼するよ」
私は、暫くその場で呆然としていた。
その後も奴は何度も私に会いに来て交際を迫った。
「そろそろ、良い返事を聞かせてくれないかな? 俺も伯父さんと一緒でそんなに気が長い方じゃないんだ」
「すみません。でも、私、まだ学業に専念したくて、交際とか、ましてや結婚なんて考えられません。せめて、大学を卒業するまでは待ってもらえませんか?」
「はぁー、君もなかなか頑固だね。どうなっても知らないよ」
そうやって躱していたが、三月が過ぎた頃、とうとう父が族長に呼び出された。
父は、数日経っても帰って来ず、連絡も全くつかなかった。
父を人質に取られてしまった私は、大学卒業後に結婚することを条件に、ついに婚約を承諾した。
兄に支えられて帰って来た父は、憔悴しきってはいたが、幸いな事に身体に異常はなかった。
「朱伽、すまない。私に力がないばかりに……。お前が犠牲になることはない。私のことは、見捨ててくれて良かったんだ」
「父さん。そんなことを言わないで。私は大丈夫だから」
父が自室に戻り、兄と二人になった私はつい弱音を吐いてしまった。
「兄さん、私、あいつと結婚するぐらいなら、死んでしまいたい」
「朱伽……」
兄は、少し思案した後に言った。
「朱伽、なんとか時間を稼いでやる。その間に、国外に逃げるんだ。国内は、至る所に奴の息がかかった者がいて危険だ。そうだな、知らない人ばかりでは不安だろうから、充琉と行け。それから、決してどこにも連絡するな。もちろん俺にも。万が一何かあった時は、このメモの人物にだけ連絡しろ。きっと力になってくれる」
「兄さん、そんなことして大丈夫なの? 父さんや、母さんだって……」
「大丈夫だ。俺達のことは心配するな。俺には切り札がある。……こんなことになるまで助けてやれなくてすまなかった」
「ううん。ありがとう。……ねえ、兄さん、いつかまた会えるよね?」
「ああ。きっと……」
そうして、不安を抱えながらも、私は弟の充琉と共に旅立った。
——辿り着いた国で、私達は思いがけない人と出会うこととなった。
英語しか話せない私達に、現地の日本人ガイドがついてくれて、色々と教えてくれた。
彼は、瀬山忠久さんと言って、とっても素敵な老紳士だった。
「瀬山って、愁くんと同じ名字だけど、まさか身内じゃないよね? 愁くん、元気にしているかな?」
「お嬢さんは、愁のことを知っているのか?」
「あれ? 私、声に出していました?」
「はぁ、姉さん。まだ彼のこと引きずっているの?」
「なっ!? 違います! ただ、どうしているかな? と思っただけで……」
私は、弟を睨みつけた。
弟は、怯むことなく続けた。
「すみません、瀬山さん。愁さんは、姉の初恋の人なんですよ」
「そうなのか? どこで知り合ったんだ?」
「その、急にお腹が痛くなって、道端で苦しんでいたら彼が救急車を呼んで助けてくれたんです。その後も何度かお見舞いに来てくれて、それで……。でも、私の片思いなんです」
私は、小さくなって答えた。
「おじさんは、身内かなにか?」
「愁は、甥っ子の息子だよ。随分と会っていないけど、幸せになってくれているだろうか?」
そう言って、彼は遠くを見つめた。
「君達は、これからずっとここで暮らすのか?」
私は少し迷って答えた。
「えーっと、とりあえず数年は……」
「何か理由があるのか? ここで会ったのも何かの縁だろう、力になれることもあるだろうし、話してごらん。若い二人だけでこの異国の地で生活するのは大変だろう。事情が理解っていれば、対応もしやすいし。どうだろう?」
私達は、彼の包容力と心細さも手伝って、今までのことを全て話していた。
「そうか、……そんなことが……」
彼は、少し考え込んで言った。
「君達はどうしたい? ずっとここにいて平和に暮らすか? それとも、戦って元の居場所を奪い返すか?」
「……私は、あのままあそこにいても父や兄の足手まといになると思ったから、兄の言葉に甘えました。でも、自分だけのうのうと暮らすつもりはありません。私なりの方法で自分に出来ることをするつもりです」
「俺も、姉さんを支えるつもりでついてきたけど、ここに骨を埋めるつもりはありません。何か手はないか、探るつもりです」
「さすが、二人共武士の末裔だな。勇ましい。もう一度、確認してもいいか? 君達が戦う相手は、身内の鬼か、それとも古来より敵視している鬼のどちらなのか」
私は、迷わず答えた。
「私達の本当の敵は、身内の方です。私達を忌々しい因習に縛り付け人形のように扱い、『鬼退治』と称してあのような残虐な行いをする。そんな奴らを同じ人間だとは思いたくないですし、決して見過ごすことは出来ません」
「そう。それなら、私も君達の力になることが出来る」
そう言って、彼は顔を綻ばせた。
「……ところで、なぜこの国を選んだのかな?」
私と弟は、顔を見合わせて、お互いに首を傾げた。
「それは、兄に聞かないと分かりません」
「そうか……。この国には、カニバリズムの習慣がある。もしかしたら、それで一族の重鎮たちに忌諱されて、見つかりにくいと考えたのかもしれないね」
「カニバリズム?」
「人間が人間の肉を食べることだよ。アントロポファジーともいう」
「えっ!? 私達、大丈夫ですか?」
「驚かしてしまったみたいだね。国民全員が食べる訳ではないし、日本人がいなくなったら大騒ぎになるから、心配しなくても大丈夫だよ。でも、一人または君達二人だけで行動するのは止めておきなさい。万一のことがあっては困るからね」
「はい」
私と弟は神妙に頷いた。
私はさらに疑問に思っていたことを尋ねた。
「瀬山さん、もしかしてですけど、愁くんの身内だということは、隠し里の関係者だったりします?」
「ふっ、もしそうだったらどうする? 私が人肉を食べる鬼だとしたら、退治するか?」
「いえ、そんなことしません。ただ、どうしてこの国にいるのか気になっただけで……。彼も、里の人達の行方を捜していたようなので、なにか知っているのならと思っただけで……。それに私は、人を食べるからといって、簡単に『鬼』だと決めつけたくはありません。もちろん、変な儀式や嗜好として食べるのを理解するのには抵抗がありますが……」
「君は、優しいな。君のお兄さんが、危険から遠ざけたがる気持ちが分かるよ。愁も君に似ている。とっても真っ直ぐで、優しい。だから、私は彼を遠ざけた。危険な目に遭わないように……。あの里の者たちを逃がしたのも、痕跡を残さないように里を燃やしたのも私だ」
「えっ!? どうして……」
「里の結界が弱まり、いつ襲撃されるか分からなかった。術者がいない今、生き残るためには故郷を捨てるしかなかった。仕方なかったんだよ」
里にも結界を見ることが出来る者はいたらしい。
弱まってはいたが結界のお陰で、山の外から里が燃えている様子が見えることはなく、里の者達は襲撃されずに逃げ切ることが出来た。
里が燃え終わった後、結界は役目を果たしたかのように煙とともに消えてしまったそうだ。
「他の人達もこの国にいるんですか?」
「この国には、私一人だよ。皆バラバラに逃げた。連絡も一切取っていない。今後も接触することはないだろう。それがお互いのために一番安全だ」
「そうですか……」
「お陰でこれ以上、失って困るものは何もない。安心して君達の手伝いが出来る」
彼はそう言って、悲しげに笑った。
お読み下さり、有難うございます。
この話は、フィクションです。
現在も、カニバリズムがタブーではなく、習慣として残っている国が存在するかは分かりません。
ちなみに、本編では端折りましたが、出国した朱伽と充琉は追跡され難くするために、空路だけでなく陸路や航路も使って、出来るだけ危険度の少ない国を何ヶ所か経由し、この国に辿り着いています。




