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【井の中の井守】徳川料理人の事件簿  作者: 井の中の井守【N-Star】
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第60話 くのいちのやりかた。




 江戸町奉行と書記官そして半蔵含めた忍びたちの同席のもと、楓から訊かされた話は実にひどいものだった。

 平次が知っている他人の人生でも、こうも酷いものはなかったと言っていい。

 彼女の語った来歴は耳を塞ぎたくなるほどだったし、そんなことがあっていいのだろうかと思わされるほどだ。


 もっともそれは、楓が同情を引くためについた嘘だという可能性もある。

 奉行や書記官はそのように考えたようだが、平次はそうは思わなかった。

 弁天池で刃を交えた時に発せられた内容が、悲惨な過去を持つくのいちの言葉に信憑性を与えている。


「では、これからひとつひとつ情報を確定していくが、よいな?」


 奉行の問いに楓はうなずいた。

 ですがその前に、と彼女は言う。

 なんだと奉行が応じると、くのいちはゆるぎない声を発する。


「私が依頼者を裏切ったとなると、弟はすぐに殺されてしまいます」

「ならばすぐにこちらで保護しよう、場所は?」

「浅草門前町の北の外れにあるあばら家です」

「半蔵殿。おぬしの配下の者を使わせることはできるか」

「御用命とあらば」

「ならば願おう。江戸の安寧のためにも、幕府から膿を出すためにも」


 半蔵が一礼し、奉行の意思を脇に控えていた配下に伝えて再確認させた。

 どうやら3人に行かせるらしい。

 半蔵は楓の審問の場に居続けるようだ。


 何があっても頭目は特に断られない限り現場で目を光らせる――それが桑名藩から出向してきたという、彼の職業倫理なのだろう。


「楓とやら、これでよいか」

「はい」


 そしてくのいちは語りはじめる。彼女の持っている情報を。

 やはり裏家業に専従している者だけはあった。

 えげつない話がどんどん暴露されていくのだ。


 そして、アウトサイドな繋がりも明らかになっていく。

 旧豊臣方の反幕府勢力として、平次の知っているような大藩の家老の名前までもが出てくる始末。

 もはやどぶさらい(・・・・・)もかくやといった感じで、奉行はおろか書記官までもが目をまん丸にしていた。


「なるほど」


 奉行はうなり声を上げながらうなずいた。


「いずれにせよ、この者の話で亀丸屋の店主である金衛門が黒幕であることが分かりましたな。そして賄吟味役の西山勝太郎を殺害し、御膳医殿を殺めようとした理由も」

「すべてがカネをめぐる陰謀だったとは」

「まさか大久保内膳殿が阿片に毒され、亀丸屋の言いなりになっておるとは……断じて許し難い」


 平次もまた同感だった。

 心の内側で強烈な毒が噴き上がっているのを感じている。


 西山の死も含め、どうしてそんなことがなされたのか。

 その答えを突きつけられて、自分でも信じがたい程の憎悪と怒りが蘇っているのを覚えた。

 それでいて思考はクリアなのだから、不思議だとしかいいようがない。


「内膳から予算を渡された亀丸屋は、品質の劣る食材を格安で市場から調達していた。それに賄吟味役が気付かぬはずがない。西山が殺されたのは、その癒着の真相を悟ったが故なのだろう」


 それが100%正しい事実なのかどうかは分からなかったが、それでも、自分の親友の命を奪った背景は理解できた。

 やはり亀丸屋だったのだ、平穏な時間を崩したのは。

 そしてそれが明らかになった以上、害意を押し潰せる者などいるはずがなかった。


 最終的に書記官によってまとめられた書類は、急ぎ江戸城に届けられることになった。

 それと同時並行的に、同心たちがひそかに奉行所の敷地へ結集している。

 江戸城内部での襲撃事件の黒幕が分かった以上、これを速やかに検挙しなければならないからだ。


 静かに事態が動くなかで、平次は楓を前にして座り続けている。

 室内には沈黙が漂っていた。

 背後には半蔵が控えていたが、彼も何も言おうとしなかった。


「ずいぶんと顔色が悪い、まるで病人のようだ」


 平次は楓を前に優しい口調で語り掛けた。

 

「自分のしでかしたことに驚いているのよ」


 楓は言った。声には怯えの色がわずかに混じっている。


「驚いている?」

「ええ、そうよ。そうに決まっているじゃない。私は旧豊臣家の情報網を、知る限りあらかた幕府に伝えてしまったのだから」


 枷を嵌められている足をもぞもぞと動かしながら、楓は不安も露わに言った。


「これから先……きっと私は旧豊臣系の者たちの暗殺対象になるわ、あなたのように。いいえ、それで済むはずがない。きっとこれまで以上に辛い生活になる」

「想像ができないわけじゃない」


 平次は楓を睨みながら言った。


「だが、いまの君は俺の患者であると同時に仇でもある」

「分かってるわ、それくらい」


 楓は所在なさげに指をうごめかせる。


「どうか忘れて、いま言ったことは。私らしい結末だと思うから」


 彼女の言葉を聞いた途端、平次は己の喉が詰まったような感覚を受けた。

 その詰まりを解消するために、喉を震わせるようにしてうめき声を上げる。


「しかしどうするつもりだ。弟もいるんだろう」

「そうね、お寺にでも預けようかしら」

「あてはあるのか」

「ないわ。でも今のご時世、寺に引き取ってもらう子供の数だって多いでしょう? 明暦の大火で孤児になったとでもいえば、どこかで引き取ってもらえるわ」

「それで良いのか、君は」

「良い悪いの話ではないわ」

「君と弟を身請けしようといったら、どうなる」


 楓の目が見開かれた。

 やがてくつくつと喉が鳴り、すぐに笑い声がこぼれ落ちる。


「なにを言っているのかしら、この御膳医サマは。私がどんな女か知ったでしょうに。貴方の仇であり、そして心身共に清らかな処女(おとめ)でもない」

「俺は嘘をつかないようにしている」

「なら、なおさら性質が悪いわ」


 楓は顔をそむけた。


「あんたが何を考えているか、まるで分からない」

「ああ、そうだろうさ」


 平次は真顔で言った。


「俺のなかでふたつの衝動が渦巻いている。情報を抜き出して価値のなくなった君を、仇として早く叩き切れという衝動。そして医師として、殴打の跡が消えるまでは君の面倒を見なければという衝動が」


 そう告げると、部屋の襖の奥から声が掛かる。


「御膳医様、お奉行様よりご用命を承り、かの者の弟を連れてまいりました」

「通してください」

「はっ」


 襖が開かれると、少年が忍びに担ぎ込まれてきた。

 翔太、と楓が声を発する。足を拘束されていることを一瞬忘れていたらしい彼女は、起き上がろうとして姿勢を崩した。


 平次はぐったりとしている少年に問い掛け、今晩食事を取ったかどうか尋ねる。

 ない、と彼は答えた。平次はうなずくと、半蔵をはじめとした忍びたちに後を任せて炊事場へと向かった。

 奉行所で下働きをしている女たちが後片付けをはじめていたが、無理を言って場所を開けてもらう。

 そして手早く少量の卵雑炊を作ると、部屋に戻り、少年に食べさせた。


「栄養失調と、それに伴う身体機能の衰弱だと思う」


 平次はそう言って、弟の側に寄り添う楓に言った。


「ただ、ここまでくるとしばらく面倒を見なければいけない。できれば城に連れて帰りたいが、こればかりは保科様に掛け合わないとどうしようもない。だがいずれにせよ、この子の世話は俺がする。患者を前にした医師としての責任だ」


 楓は静かに頭を下げる。

 だが次の瞬間、彼女の手が平次に伸びた。


「貴様ッ!」


 半蔵が抜刀し楓に切りかかる。だがくのいちはくるりとそれをかわした。

 彼女が平次から奪ったのは木の匙だった。

 平次が翔太に卵粥を与えるために使ったそれを、彼女は足かせに差し込み、器用に拘束愚を外してしまう。


「御膳医様、弟のこと、お願いするわ。その子には何の罪もないから」


 そして彼女はそれだけ言うと、着の身着のまま襖を突破。

 縁側から奉行所の外へと飛び出していってしまう。


「待てッ!」


 忍びたちが楓の後を追い、夜の帳の下りた江戸に飛び出していく。

 半蔵が訊いた。御膳医様、この弟の処遇はいかがいたしましょうか。

 平次は静かに首を振って応じる。


「あなたも分かっているはずだ。彼女がどこに行こうとして、何をしようとしているのかくらい」

「そう言われると、拙者も引き下がるしかなくなります」


 その応答を聞いた後、「しかし随分と不味いことになったな」と平次は言った。


「亀丸屋の店主は、彼女の話では凄腕の忍びなんだろう?」

「そう言っていました、たしかに」


 半蔵は少年に突きつけていた刀身を納める。


「あの者の業前を上回るとなると、いささか手が付けられませんぞ」

「もはや物量で押し潰すしかないでしょう」


 平次は嘆息混じりに言った。


「どれだけ優れた剣士でも一対三では殺されます。忍者とて同じ。囲んで、討ち取るほかにない」

「では」

「そう、今は待つしかない」


 真っ暗な庭を見つめながら平次はささやくように言う。


「保科様の裁下を、ただひたすらに」

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