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【井の中の井守】徳川料理人の事件簿  作者: 井の中の井守【N-Star】
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第57話 捕縛されたくのいち、対峙する料理人。




 意識のないくのいちを捕縛することは実に簡単だった。

 服がはぎとられて武器を隠し持っていないかどうかが入念に吟味され、縄が掛けられる。

 その上で、布で猿轡をされた彼女の身体は麻袋のなかに入れられた。


 屈強な男によって麻袋が持ち上げられる。

 身体を縛った上で麻袋に放り込めば、誰も逃げ出すことはできませんと半蔵は言った。


 たしかにそうかもしれない、と平次は思う。

 ヤクザ者たちも同じ手法を使うと知っているからだ。

 もっとも、彼らは麻袋のなかに石も詰め込む。重石を入れないと海に沈められないから。


「なかなか吐かないようです」


 奉行所の地下牢から平次のいる1階部分に顔を出した半蔵が、そのように現状報告をした。

 人払いを願い、周りにいた給仕たちが去って行く。

 いまでは平次も立場上、実質的な石高が1万石を越える将軍直轄の直参旗本である。

 自覚していなかったが、城外ではとてつもない影響力があるようだった。


「随分と口の堅いおなごです。暴力には耐性があるらしく、まだ成果があがりませぬ」

「暴力を振るったのか」


 平次が眉をひそめながら言うと、半蔵は至極当然のように応じる。


「人間は実に弱い。暴力を振るわれ続ければ、必ず恐怖を覚えます。精神力など、人体の限界には敵わないということですな。そう、人の精神は身体に縛られる。身体がなければ精神もありませぬゆえ」


 なんという男だろう、と平次は思った。

 しかしこれが、忍びのあるべき姿なのかもしれない。

 くのいちも言っていたではないか、立場が違うから見えないものもあるのだと。


「なるほど、分かった」


 平次はうなずき、サディスティックな笑みを湛える忍びから目を反らした。


「では、どうやって口を割らせるつもりでしょうか」

「身体をひたすらいためつけ、手足の2、3本でも欠損させてやれば良いのではないかと」


 至極当然と言った態で半蔵は言った。


「その後は?」

「もはや価値などありませんので、江戸前の魚のエサにでもいたしましょう」


 その返答を聞き、平次は深く嘆息した。

 西山を殺されたことへの恨みは根深い。

 しかしそれと同時に、人間を人間扱いしない半蔵の発言も気になるところだ。

 このままでは誰もが不幸なまま終わるのではないか、という思いが脳裏をよぎる。


「なるほど、分かった」


 平次はそう言って立ち上がった。


「なにをされますので」

「尋問だ、俺が引き継ぐことにしよう」

「ははぁ」


 半蔵は納得した表情でうなずいた。


「たしかにあのくのいちは、おなごとしては上々でございますな。色責めを愉しまれるのもよろしいかと」


 

 平次は彼に会釈した後、地下牢へと降りて行った。


「言え! 貴様は誰に雇われた!?」


 地下室に近付くにつれ、暴力の音がする。

 人を殴る音だった。現代社会では滅多に聞きなれない、しかし江戸時代では頻繁に聞く音でもある。


「あぁっ……!」


 女の、くのいちの悲鳴が聞こえた。

 その声に昂った審問官が、更に暴力を強めていくのを察することもできた。

 狂っている、と思った。この場所にいる誰もが、どこか頭のおかしい連中だらけなのだ。


「なぜ御膳医様を殺そうとした!」

「ぐっ、あぁ……っ!」

「答えろ! いい加減に吐いたらどうだ!」


 平次が地下牢へと降りると、拘束されたくのいちを前に怒鳴りつける忍びの姿があった。

 そして彼はひとしきり暴力を加え、やがて「吐かねば貴様の耳を落とすぞ!」と包丁で耳朶をなぞる。


 この忍びには、そうしなければならない理由がある。仕事だからだ。

 そしてくのいちも黙らなければならない理由がある。仕事だからだ。

 仕事。その単語を頭のなかで反響させながら現場を見、平次は大義名分があれば人間はどこまでも極端なところへ行ってしまうのではないかと危機感を覚えた。


「お前を雇ったのは誰だ?」

「言うものですか……」


 くのいちは唾液をぺっと男に吐き出し、にらみつける。


「この……!」


 対し、男は逆上した様子だった。庖丁を振り上げ、耳ではなく別のところを――彼女の指を斬り落とそうとしている。

 平次は慌てて声をかけた。


「待て、審問は俺が引き継ごう」

「ごっ、御膳医様……!」


 男は慌てて平次を見て礼をする。

 身分制社会の秩序や価値規範も、こういった緊急時にはかなり便利なのだなと痛感せざるを得ない。


「しかしこの女忍は……」

「構わない。ここは俺に任せて欲しい」


 平次がそう言うと、男はまた頭を下げて地下牢から出ていった。

 それを確認した後、あらためてくのいちの現状を見る。

 幸いにして、顔はそこまで殴られていないようだった。


「……随分と酷い目にあったらしいな」


 そのささやきに、くのいちは徹底的な無視で応じる。

 無視されるなら、それはそれで構わなかった。


「俺はあまり暴力の類が好きじゃないんだ。自分が殺されたり傷付けられたりするような場合は別だけど、極力、暴力は無いに越した方が良いと思っている」

「……はっ」


 くのいちは吐き捨てるような、嘲笑するような感じで笑う。

 だがそれでいい、と平次は思った。とりあえず、笑いのひとつでも出るならまだ問題はないはずだ。


「できれば、どうして俺が殺されなければならないのか……教えてくれると嬉しい。そうでなければ、いつまでも拷問が続くことになる」

「言うわけが、ないでしょう?」

「もし自白してくれるなら、君の安全は俺が保証する。保科様に掛け合って、きっとなんとかしよう」

「ふざけないで」


 楓は責めるような声で言った。


「徳川なんかに、私は絶対に屈しない」

「随分と強情な。いまの秩序を乱せば、一番困るのは民だろうに」


 平次は嘆息と共に言う。


「俺が一番危惧しているのは、俺が殺された時に上様がどう動かれるかだ。下手をすれば、幕府の上から下まで揺るがす大事件になりかねない」

「……」

「その時、民草はどうなる? どうすればいい? 特に江戸の人々は大震災の後、ようやく生活を立て直しつつあるのに」


 平次がそう言うと、楓は顔を背けた。


「俺は、上様はともかく、江戸の大勢が苦労することになる展開だけは御免だ」

「口では何とでも言えるわ」

「町医者出身なんだ、俺は。だから、苦しむ人々を長いこと見てきている」


 そう言いながら、平次は薄布をまとった状態のくのいちに触れた。

 途端、びくりと怯えたように肢体がすくむ。

 そして彼女は嘲るような目で平次を見るのだった。


「はっ、大層なことを言いながら、結局は身体目当てなのね。とんでもないお医者サマがいたものだわ」

「勘違いするな」


 平次は楓の引き締まった腹部をさすり、触診しながら言う。


「それにしても、ずいぶんと酷くやられたな。顔や胸には散らさず、腹部に集中的な拳撃か。ずいぶんと手荒いな」

「……」

「変な顔をするんじゃない。言っただろう、俺は医者だぞ」


 平次はそう言いながら「あくまでも前近代的な意味での医者でしかないが」と心の中で付言する。

 現代的なデジタル的な医療技術のない江戸では、医者の仕事などそう大したものではない。

 経験に基づく経験療法しかやりようがないからだった。

 つまり前近代の医者とは、仕事に従事して、目と手で覚える職人的な生業なのだ。


「少なくとも、今日は俺が君を尋問するという態にする」


 平次はくのいちの腹部をなでながら続けた。


「仇とはいえ、目の前で殴られ続けるのを見るのは心が痛む」

「ずいぶんと甘っちょろいのね。あなたにとって、私は憎むべき敵なんでしょう?」

「ああ、そうだな。はっきり言って、今すぐにでも君を叩き切ってやりたいとも思う」

「なら、どうしてそうしないのかしら」


 平次はくのいちの腹部から手を離し、はっきりとした声で訊く。


「君、まともに飯を食っていないだろう」

「……何を馬鹿なことを」

「それくらいわかる。もう時間も時間だ、飯くらいは作ろう。事情を話してもらうのはその後でも良い」

「あんた、馬っ鹿じゃないの?」


 そう言って、くのいちは平次を見つめる。


「食べるわけがないでしょう? どうせ自白剤や毒を混ぜるつもりのくせに」

「そんなことはしない。なんなら君の前で、ここで機材を持ってきて調理してもいい」

「なっ、なら……食べた後で吐かせて呼吸困難にさせたりとか――」

「俺は料理人だぞ。自分の作ったものには魂を込める。それを吐き出させるだなんて、冒涜的なことができるか」


 それだけ告げると、平次は背中を向けて地下牢を出た。

 触診しただけで色々なことが分かった。たとえば、彼女の身体の至るところに傷があることも。

 このくのいち、どれだけ凄惨な目に遭ってきたのだろうか――そんなことを考えながら、平次は階段を上った。


「もうよろしいのですか」


 地下牢から上がると、半蔵がそう問い掛けてくる。


「ずいぶんとお早いようですが」

「ああ、ひとまずあのくのいちの尋問は俺が引き受けよう」

「お気に召しましたか? たしかに脂がのって美味そうではありましたが」


 そんな、おおよそ的外れとしか思えないことを彼は言った。


「もしよろしければ褥を用意させますが。もちろん、両手を自由にする訳にはいかないので縛ります。両手を自由にしたいと仰るなら、我らが監視を致しましょう」

「ああ、なるほど。しかし私が願いたいことはそうではないのだ」

「は」


 半蔵が首肯するのを見て、平次は言った。


「というのも、彼女を奉行所の炊事場まで連れてきてもらいたいのです。ああ、炊事場の使用については私からお奉行様に掛け合ってみるので、その可否次第ですが」

「……は?」


 怪訝(けげん)な顔をして半蔵が首をかしげる。

 それを背にしながら、平次はくのいちから割れるであろう情報を心待ちにしている奉行の許へ向かうのだった。

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