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【井の中の井守】徳川料理人の事件簿  作者: 井の中の井守【N-Star】
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第56話 夕闇の不忍池。

 飛来する必殺の鎖分銅。

 平次の顔面めがけて放たれたそれを、平次は刀を鞘ごと引き抜いて受けた。

 刀身にヒビが入る危険性もあったが、そうでもしなければかわせそうになかったのである。


「お馬鹿さん、かかったわね!」


 平次の刀に絡みついた鎖を、楓がぐいと引いた。

 柄をグッと握ってこらえると、やがて鞘だけがすぽんと抜けてくのいちの側に引き寄せられていく。

 それを視認した瞬間、平次は抜き身の刀を持って駆けだした。


「こちらのセリフだッ!」


 平次は勢いを乗せた刺突を楓の胴めがけて繰り出す。

 手加減をするつもりはなかった。

 相手は玄人である。手を抜けば殺されるのはこちらだろう。


「あら、そう」


 だが楓は平次の刺突をひらりとかわす。

 そして平次の首めがけ、研ぎ澄まされた鋭利な鎌を真横にすべらせた。

 対し、平次は重力に身を委ねることで回避。

 しかし仰向けになって跳ね起きようとしたところで、苦無を引き抜いた楓に馬乗りにされてしまう。


「残念、私は殿方の上に乗るのが得意なの」


 舌なめずりをした楓は振りかぶると、両手で柄を握った苦無を勢いそのままに振り下ろす。

 平次は刀を放り出すと、彼女の手首を掴んで抵抗する。

 鋭利な苦無の切っ先が平次の目前で煌めき、その顔面に突き立てられようとしていた。


「鎖鎌から苦無とは、随分と節操のない……!」

「残念、仕える物は何でも使う主義なの。一途な恋で馬鹿を見るのはいつも女だから」


 平次の手がしびれてくる。

 ポジションの問題があるが、くのいちの力は余りにも強かった。


「どうしたの、死ぬわよ」


 楓が腕の力を更に増しながら、嗜虐(しぎゃく)的な笑みを浮かべた。


「おなごに乗られることに慣れてないのが丸わかりよ」

「恥じらわれるのでね」


 平次は意図的に抵抗の力をゼロにした。

 力の込められた楓の腕はそのまま振り下ろされる。

 平次は首を振るって切っ先を回避。苦無の鋭い切っ先は深々と大地に突き刺さった。


 同時に、楓の姿勢が前のめりになる。

 その微妙な力の変化を利用して、平次は腰を巧みにねじってくのいちを振り落とした。

 そして落ちていた刀を拾い、苦無を蹴り飛ばしてから暗殺者と距離を取る。


「逃がさないわ」


 楓が胸元から棒手裏剣を引き抜く。

 平次の総身に緊張が走った。彼我の距離はさほどない。

 この間合いであれば、彼女は確実に必中の一撃を放ってくることだろう。


「楽に逝かせてあげる、抵抗しないなら」


 くのいちの腕がしなり、棒手裏剣が放たれる。

 ビュッと凄まじい音を立てて平次の頭をかすめた。

 しかしそれは、平次の意識をそらせる為の牽制でしかなかった。

 楓は身を横に滑らせ、投擲の角度を変えた上で棒手裏剣の第二射を放ってきたのだ。


「ああ、くそっ」


 野生の本能なのかもしれない。

 間一髪で棒手裏剣を刀で弾き、なんとかしのいだ平次は悪態をついている。

 正規戦ならまだしも、このような不正規戦は余りにも分が悪すぎた。


「なんてしぶとい」


 平次だけでなく楓も悪態をもらしている。どうやら棒手裏剣の残りはないらしい。

 忍びたちは自分たちの行動能力を阻害しないように装備は最低限にするのが常だったし、何よりも彼らの武器は自弁だ。

 武器を作るにも元手が必要なのである。

 そう言った意味では、先程の楓の発言はこの世の真理そのものと言えた。


(鎖鎌をまた彼女の手に戻す訳にはいかない)


 平次はそう確信しながら、刀を構えてくのいちへ突進する。

 勝機があるなら今しかない。だが、彼女は予想外の行動に出た。

 逃げも隠れもしない。ファイティングポーズを取った楓は、平次の斬撃をかわすやいなや鋭い右ストレートをかましてきたのである。


「ぐ……っ」


 腹部を殴られ、身をねじった平次の肘を楓の長い足が討ち据えた。

 腕が痺れ、思わず刀を取りこぼす。

 それを自覚し、彼女に刀を拾われないよう自らそれを蹴り飛ばしながら平次は思う。


 厄介だ。とてつもなく厄介だ。

 このくのいちはまさしく、すべての距離での戦い方を熟知しているのである。


「残念、この程度?」


 軽いフットワークであっという間に楓は距離を詰めてくる。

 パワーも成人男性並みにある以上、肉弾戦でもとんでもない脅威だった。

 痺れる腕をなんとか動かしながら、平次も応戦の構えをみせる。


「これならあの男たちの方が強かったかもね」


 鋭い弧を描いたくのいちの右フックが平次の脇腹を討ち据える。

 本来なら肘で防御ついでに反撃もしたかったのだが、身体の反応が間に合わない。

 平次は苦悶の声を上げて後退しながら、この戦闘マシーンの意図を察した。


(こいつ、俺を拳で打ちのめした後に刃物でとどめを刺すつもりだな……!)


 おそらくは、そちらの方が勝率が高いと判断したのだろう。

 さもありなん。平次は先ほどまで、刀を使って楓の攻撃をしのぎ切っていたのだから。

 刀が無い状態での戦いを強いた方が、彼女にとっても都合がいいのかもしれない。

 

「まぁ、どうせ男なんて……女を抱擁するしか能のない存在だけど!」

「そうかもな!」


 素早いフットワークで迫る楓が、腰の回転が乗った重い蹴撃を繰り出した。

 平次は頭を蹴られるリスクを負いながらも、覚悟を決めて全力でタックルをかける。

 まさに女を抱くしか道はないとばかりに両腕を大きく広げ、楓の生足を抱きしめ、そのまま倒れ込んでいく。


「あ―――っ」


 くのいちの発した小さな声が聞こえたような気がした。

 平次はゆっくりと立ち上がると、すっかり身体を弛緩させているくのいちを見下ろした。

 肉感的な肢体が実に目に悪い。お綱とのことがなければ、理性を失ってしまいそうなほどには。


「お見事です、御膳医様」


 呆然とくのいちを見下ろしていた平次に、感心したような声が背後から投げ掛けられた。

 それは半蔵だった。徳川家隠密部隊の頭領は感心したような声で続ける。


「まさか忍びを組み伏せ、後頭部を強打させて意識を刈り取るとは。拙者はてっきり、刀でケリを付けるか逃げ出すものと思っておりました」

「いや、偶然でしかありません」


 平次は息を荒らげながら言う。


「この襲撃者を引き倒せさえすればとは思っていましたが、まさか気絶するとは。頭の打ちどころが悪かったのでしょうが、俺としては『棚から牡丹餅』のような思いです」

「本来、倒した後はどうするおつもりでしたか?」

「おそらく、そのまま殴り合うのだろうと」


 まるで子供の喧嘩のような、と半蔵は笑った。


「して服部殿、この後の手はずは?」

「奉行所の地下牢までこの忍びを運び、尋問いたします」

「尋問」

「はい。口を割らねば拷問せねばなりますまい」


 半蔵ははっきりと、断言するように言った。

 そして姿勢を正し、くのいちのことをたずねてきた。


「この者に見覚えはありますでしょうか、御膳医様」

「ええ、ありますね。以前、俺の前に現れたくのいちです」

「なるほど」


 半蔵が喉奥で笑った。

 その笑いに、平次はどこか危機感をあおられる。

 くのいちを人間として見ていないような雰囲気があった。


「では、これよりは我らの仕事です。後始末の上手い者もいます。情報を引き出した後、内々で処理いたしましょう」

「いや、俺も同行しましょう」


 平次は思わず、反射的に応じている。

 この女が西山を直接殺した者でないとしても、その一派であることに違いはない。

 であるが故に、平次が仇討ちをしなければならない者のひとりだ。

 殺す前提で半蔵に引き渡しても問題なさそうに思えるが、ここで完全に手を引くのも違う気がしてならなかった。


「くのいちへの尋問、興味がありますから」

「それはそれは」


 平次がとっさに放った同行理由に、半蔵はニタリと笑う。


「では、御同行を願います」


 それは実にサディスティックで、見る者を震わせるような笑みだった。


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