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【井の中の井守】徳川料理人の事件簿  作者: 井の中の井守【N-Star】
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第38話 桜田屋敷の密談。


 膀胱にたまっていたものを放出し、スッキリした平次が内藤と共に座敷へ戻ると、それまで拗ねていたお綱の様子が一変した。

 陰鬱(いんうつ)気味な表情が晴れ、花のような笑顔で平次に駆け寄り飛びついていく。

 その行動を「はしたない」と正之が(いさ)めたが、お綱は完全に黙殺。

 後見人でもある彼の指示に、まるで従おうとはしなかった。


(これまでのお綱さんだったら、保科様の意向に従っていたはずなんだけどなぁ……)


 長い間留守にしていた主人を迎える忠犬のように、ぴっとりとよりそってくるお綱。

 彼女を見ながらそんなことを思う平次だったが、会津中将は姪の反抗を咎める気はないらしい。

 早々にお綱のコントロールをあきらめると、ズバリ本題に切り込んできた。


「平次よ。おぬしとしても話しづらいところはあるじゃろうが……まずは今朝のあらましを詳細に教えてはくれまいか? 幕閣の者どもも、騒ぎに気が気ではないようでな」

「はい」


 話しづらいというのは、人を殺めたことを指して言っているのだろうか。

 平次は頷きつつ、そんなことを考える。


(いずれにせよ、俺からの情報がないと幕府も動きようがないだろうしなぁ)


 まるでコアラの子供のように、背中にしがみついてきているお綱。

 彼女のことを極力意識しないようにしながら、平次は応じた。


「もちろんお答えします。このまま黙ったところで、俺が殺されるだけですから。とはいえ、なにからお話しすれば良いのやら……」


 いざ事情聴取をされる側になると、たちまち言葉に詰まるのが人間というものだろう。

 漠然(ばくぜん)と「話してくれ」と言われたところで、何から話して良いのか分からなくなってしまうからだ。

 情報があればあるほど、そうなってしまうことが多い。


(とはいえ、保科様みたいな頭の良い人からすれば容易いんだろうけど)


 言い淀む平次に、会津中将は「そうだのう」と苦笑する。

 若者の悩みに気付いたのだろう。彼は言った。


「儂からすれば、おぬしがどのように誘い出されたのか……その手口はどうでも良い」

「どうでも……?」

「うむ。あちらは失敗した手を二度と使わぬだろうしのう」


 正之はそう言いながら、平次の肩越しにお綱を見る。

 彼女は青年の腹に腕を回し、ぴっとりと隙間なくひっついていた。

 会津中将は征夷大将軍のそんな姿を前に、顔はげんなりとさせながら、しかし実に理性的な声で言った。


「儂が一番聞きたい情報は、おぬしがどういった手合いのものに襲われたのか……ということじゃ。それさえ分かれば、今後の対応策も講じやすくなる」

「なるほど」


 平次は頷いて、それでしたら分かりますと答える。


「俺を襲った男は、自分たちのことを『豊臣家にお仕えした身』と言っていました」

「豊臣、ふむ……なるほど。大坂以来の遺恨が未だに続いておるということか」


 巻き込まれたおぬしからすればたまったものではあるまい。

 正之が自嘲気味に言うと、やや間を置いて内藤が疑問の声をあげる。


「ですが、腑に落ちぬ事が幾らかあり申す」

「申してみよ」

「なぜ平次殿が狙われたのか。そしてなぜ西山勝太郎が殺されなければならなかったのか、ということでござる」

「ほほう、なるほど」


 正之は愉快そうに言った。


「つまり、徳川家の縁者である儂がなぜ標的にならなかったのか……ということじゃな?」

「恐れ多いことではございますが」

「いや、構わぬ。儂も気になっておったからの」


 会津中将は笑う。

 その彼に、平次はおずおずと声をかけた。


「実はその点について、幾らか聞き出すことができました」

「ほう」


 正之は大きく目を見開いた後、微笑んだ。


「忍び相手じゃろうに情報を引き出すとは、なかなかやり手じゃな」

「いえ、相手が単に話したがりなだけだったんです」


 抱擁の力が強まり、背中に柔らかいものが強く押し当てられる。

 それを感じながら、平次は苦笑と共に言葉を返した。


「いずれにせよ、俺の命を狙った男は『依頼』を襲撃の理由としていました」

「依頼か」


 正之は喉仏(のどぼとけ)近くの皮膚を、親指と人差し指でつねりながら言う。


「そうなれば、あの賄方吟味役が殺されたのも『依頼』によるものだったのかもしれぬな」

「はい、その件については間違いありません。彼らが西山を殺めたことは事実でしょうから」

「……そうか」


 会津中将は平次の目を見つめ、しみじみと言葉を漏らした。


「おぬしは期せずして、友の仇を討つことができたわけじゃな。とはいえ、嬉しくはなさそうだが」

「それは、はい」


 平次は首肯する。


「西山を殺した者を討っても、その黒幕を討てたわけではありませんから」

「復讐の道もまだまだ半ば、じゃな。とはいえ黒幕の特定もじきに終わろう」


 会津中将の言葉に、お綱の平次を抱く力が強まった。


「相手もいささかお粗末じゃったな。もうこちらには、推論を行い得る材料が揃っておるからのう。主膳、おぬしであればどのように判断する?」


 正之が尋ねると、内藤はあっさりと答える。


「拙者の指揮下にあり、御膳所に関与する者の仕業でございましょう。経緯より判断すれば、そうとしか思えませぬ」

「うむ。それに加えて私怨(しえん)の可能性も高くなるのう。その者が豊臣家の残党を都合良く使役している可能性もある」


 ああ、そうじゃった。

 正之は白々しくも、いま思い出したという態で口を開く。


「あの賄方吟味役の事件について、嫌疑を掛けている者がおったのう。亀丸屋とも懇意の……」

「大久保内膳でございまするな」

「うむ。どうだ、何か尻尾は掴めそうか?」


 正之の問いに、内藤は答える。


「奉行所によれば、大久保と亀丸屋との接触は未だに人目を忍びながらも続いている……そのように聞き及んでおりまする」

「尻尾は掴めたのか?」

「いえ、まるで掴めていないとのことです」

「なるほど、面白いではないか」


 会津中将が口角を釣り上げた。


「もとより、あの切れ者が簡単に馬脚を露わにするはずもないからな」

「何か他の嫌疑を掛け、そちらから叩くのもありかと思いまする」

「しかし下手について逃げられでもしたら、そちらの方が骨だぞ」


 その言葉に、内藤は至極まじめな顔つきで応じる。


「されど大久保を捕らえるにあたっては……犯行現場を押さえるか、あるいは確固たる証言を得なければなりませぬ」

「ふむ、現場を押さえることは無理であろう。となると証言を押さえねばならんのだが……」


 なにやら頭を悩ませている正之と内藤に、平次は声を掛けた。


「保科様、内藤様。やり方次第で証言が取れそうな者ですが、心当たりがあります

「それはまた、いったい誰じゃな? 必要とあらば、すぐに手配するが……」


 姿勢を正した正之に、平次は言った。


「先ほどお話しした、襲撃者のひとりです。既に見廻役から報告が上がっていると思いますが……今回の騒動で、女忍がひとり逃走しています」


 お綱が平次を抱く力を強めていく。

 そこからは強い焦燥を感じることができる。

 男が危険な場所へ飛び込んでいく事への恐怖心が、はっきりと現れていた。


 だが平次は、もう後には引き返せない場所まで来ている。

 元凶を取り除かねば、常に命を狙われることになるのだから。


「そして、そのくのいちに言われたのです。近いうちにまた会うことになるだろうと」

「……なるほどのう」


 正之が深みのある声を発した。

 彼の眼光がいよいよ鋭くなっていく。


「そやつを捕らえることさえできれば、黒幕を吐かせることができるというわけじゃな?」

「はい」

「しかし、素直に口を割るかのう。忍びという者は、口が堅いものと相場が決まっておる」


 正之がそう言えば、お綱の腕の締め付けが強まった。

 流石につらくなってきたので、彼女の手をそっと平次は撫でる。

 すると我に返ったのか、ゆるゆると力が弱まっていった。


「とはいえ、おぬしが情報を引き出せた相手じゃ。やり方次第では可能かもしれんの」

「保科様、では」

「うむ」


 正之はゆっくりと頷く。


「しばらくの間、幕府の隠密に平次の周囲を見張らせるようにしよう」


 上様、いかがお考えですか。

 正之は平次の肩越しに、日本の武家の最高権力者に訊いた。


「左様になさい。絶対に平次に害を為す者を近づけてはなりません」


 そしてお綱ははっきりとした声で答える。

 これまで感じたことがない、強権的な雰囲気があった。


「わかっております、上様」


 正之は頭を下げて言う。


「しかし(くだん)のくのいちを捕らえるには、平次にも少々冒険をしてもらわねばなりませぬ」

「なりません、絶対に」


 平次に抱きついたまま、お綱は必死の形相で言いつのる。


「平次様はもう十分に危険な目に遭ったではありませんか。他の方法を探しなさい」

「聞いておりませんでしたかな、上様」


 正之は諭すような口調で応じた。


「平次の前にはまた襲撃者が現れるのですぞ。それならば、ただやられるのではなく反攻の材料にした方が良いと思いますがな」

「ですから! その襲撃を未然に防ぎ、先んじてそのくのいちを捕縛することはできないのですか!? わたくしは嫌です、平次様が危険な目に遭うのだけは!」

「無理ですな、正直に申し上げるならば」


 そう断言した正之に対し、お綱は動揺を見せる。


「江戸城は広うございますぞ。平次の周囲を警護させるのはともかく、未然に防ぐとなればなかなか……」

「そ、そんな……」


 お綱は両方の瞳からハイライトを失いながら、小声でつぶやいた。


「ならずっと、江戸城の大奥にいてもらえば平次様は安全で、そう、安全で、安全で安全安全安全安全安全安全安全安全……」

「おっ、お綱様! 俺は大丈夫ですか!」


 小声とは言え、背後にへばりつかれているとダイレクトに聞き取ることができる。

 平次は不穏な空気を一蹴するべく、言い聞かせるように言った。


「それに俺は、西山の仇をなんとしても取らなければいけませんから。上様も、親友が害されたら仇を討ちたいとお思いになるでしょう?」

「……分かりません」


 お綱は平次の背中に顔を埋めながらつぶやいた。


「わたくしには、親友はおろか……友もおりませんから」

「おぅふ」


 平次の口から気の抜けた声が漏れる。

 そして、どうして彼女がここまで自分に依存しているのかも分かった気がした。

 友人や親友を通じて得られる同世代の人間との距離感が分からぬまま、平次と恋仲になってしまったのだろう。


「な、なら俺が殺されたら……」

「死にます」


 お綱は地獄の底から響くような声で言った。


「首謀者を追い詰めて、一族郎党までなぶり殺しにして、遺恨を経った上でわたくしも平次様の後を追います。平次様を傷つけた者どもには、血族に至るまで、人として生まれてきたことを後悔させて差し上げましょう」

「あっ、はい……」


 平次はもう、情けない声で応じるしかない。


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