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【井の中の井守】徳川料理人の事件簿  作者: 井の中の井守【N-Star】
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第35話 襲撃と新たな脅威。



 平次が飛び込んだ焼け跡にして廃屋の部分。

 それは立てば肩甲骨から上が出てしまうほどの高さしかなく、しかも土壁の一部分しか残っていないというもの。

 ほとんど焼き尽くされたか、必要なものは城下の復興に運び出されてしまっているせいだ。


 つまりそれは、一面しか身を守り得ないということである。

 挟み込まれるようなことがあれば、非常にまずいのだ。

 それが分からないほど、平次は愚かではなかった。


(さっき投げつけられたのは棒手裏剣か……)


 となれば、彼らは非正規戦を得意とする忍者である可能性が極めて高い。

 

(まともに戦ったら馬鹿を見るのはこっちだな)


 平次はそう確信し、懐に忍ばせていた中くらいの袋をふたつ取り出す。

 しかしそこには、はち切れそうなほどの胡椒と唐辛子が詰まっていた。


 胡椒も唐辛子も、そのほとんどがオランダの東インド会社を経由して入ってくる舶来品だ。

 しかし日本においては特筆されるほど高価な品ではない。

 江戸の町民ですら、入手可能な程度なのだ。


(さて、後は運も関わってくるが……どう転ぶかな)


 平次は指を舐めて、自分が風上か風下のどちらにいるかを念入りに確認する。

 その上で襲撃者たちに対し、疑念の声を投げかけた。

 自分の位置を明確にし、彼らの注目を引きつけるねらいがそこにはある。


「聞かせてくれ、どうして俺を狙う? なぜ重臣たちを狙わない?」

「……」

「西山もそうだが、俺は政治的にも重要じゃないだろう? 危険を冒して殺すほどの価値などないはずだ!」


 しかし当然のことながら、答えが返ってくることはない。

 胃の奥底が締め上げられ、肺のなかにある空気すべてが押し出されていくような感覚が走る。

 自分の命が危機にさらされているのだ、当然だろう。

 全身から脂汗がにじみ出てくるのを感じながら、平次は悪態をついた。


(だが、やるしかない……)


 胡椒と唐辛子入りの袋の縛り紐をゆるめ、平次は待つ。

 今日の天候は決してよくはない。もうじきに、その時が訪れるはずだ。

 来なければ、平次はただ犬死にするしかない。


「……来たッ!」


 吹き寄せる向かい風。

 それを感じた瞬間、平次は二つの袋をそれぞれ左右上空に放り投げていた。

 

 緩んだ紐は上空でほどけ、粉状の内容物が強風に乗って舞い散り拡散していく。

 それは風下から迫りつつあった襲撃者たちの目や鼻や喉といった粘膜を、情け容赦なく()いていくのだ。


「ぐぁあぁ……ッ!?」

「なんだ、これは……ッ!」

「目が……目がァ……ッ!!」


 たちまち立ち上る悲鳴。

 それを耳にしてから、平次は飛び出した。


 襲撃者、その数4名。

 平次ひとりを殺すにしては、いささか過剰な人員だろう。


(そうまでして俺を殺したいのか……!)


 だが、死ぬわけにはいかない。

 大衆食堂を開くという夢、そのためにも生き続けなければならないのだ。

 それにあの将軍様のことを、今さら放り出して逝くわけにもいかないだろう。


「てぁッ!!」


 手近な男に向かって、まずは抜刀。

 右脇腹から左胸まで一閃し、返す刀で近くにいた男の右肩から左脇腹までを切り裂いていく。

 引き上がる血潮と悲鳴のなか、平次はそのまま突貫。

 3人目の男に体当たりをぶちかますついでに、勢いと体重を乗せた大庖丁の切っ先をそのまま突き刺していく。


「ぐぼ……っ!?」


 庖丁の切っ先が腹から背中へと刺し通り、血と脂が吹き出した。

 平次は手首を返して左脇腹へと刀身をスライド。

 身を引き裂いて庖丁の刀を襲撃者の体外へと戻し、残りの的に向かって駆ける。


「き、貴様……ッ!」


 平次をここまで連れてきた男、帯刀。

 恐らくは偽名なのだろうが、彼は襲撃者たちのなかでも地位が高かったらしい。

 他の3人よりも平次より距離を取っており、行動不能に陥った者と比べれば、香辛料散布の影響を受けていない様子だ。


 とはいえ、それはあくまでも比較の話でしかない。

 当然のことながら、無事で済んではいなかった。

 右目が灼けるように痛むのだろう。腰をかがめ、右手で顔を覆っている。

 それだけで、この場における平次の優勢は決定的になった。


「ぐぉ……ッ!」


 平次は庖丁の刃を返し、背で帯刀の左肩を思いっきりブッ叩く。

 鈍い音と共に、骨の砕ける感覚が手に走った。

 その衝撃によって片膝を突いた彼の背を、平次はまたもや庖丁の背で容赦なく強打。

 殺さないにしても、相手の抵抗力をすべてはぎ取ろうとする入念さだった。


「お、おのれぇ……ッ」


 右袖から短刀を取り出そうとしたのを察知し、平次は右肩も打ち砕いた。

 そして落下した短刀を遠くへ蹴り飛ばし、周囲を警戒。

 襲撃者がさらにいるかどうかを確認する。


(少なくとも襲ってくる気配は皆無、か……)


 焼け跡のどこかに襲撃者が潜んでいる可能性はゼロではない。

 だが今のところ、殺気を感じ取ることはできなかった。

 平次は改めて、自分が退けた相手を眺めていく。その上で、思うことがあった。


「やっぱり、人殺しってあまり良くないな……」


 殺してみると、はっきりと分かる。

 人間という生き物は、なんだかんだで人間が口にする動物と変わらないのだ。


 目前に転がっている、腹を割かれて内臓をでろんとはみ出させている男たち。

 それと、まな板の上で捌かれて内臓を取られる直前の魚との間に、どんな差があるというのだろう。


「あぁ、まともじゃない。色々と狂ってやがる」


 人を殺さなくてはいけない状況も、人を殺したところで罪悪感を覚えない自分も、だ。

 ひとまず血に酔って高揚している自分を認めながら、平次は帯刀に告げた。


「だが、残念だったな色々と。俺を不審がらせまいとして、先に御膳所を出たのがお前の運の尽きだったらしい」

「……」

「お前はこの大庖丁にばかり気を取られていたようだが……なかなかどうして、調理場には色々と揃っているものでね」


 両腕を動かせなくなり、うつ伏せに倒れている帯刀にそんな声をかける。

 他の3人が既に絶命していることもあって、話を聞けるような相手が彼しかいなかったのだ。


 抵抗する力もない帯刀の身体を起こし、転がっている廃材に背中を預けさせる。

 その前で血脂まみれの庖丁を懐紙で拭い、放り投げれば――まるで桜吹雪のように、汚れた懐紙は風に乗って飛んでいく。

 その行方を目で追った後、平次は暗殺者の頭目と思われる帯刀に声を掛けた。


「だが、そんなことはどうでもいい。なぜ、俺を殺そうとした?」

「……」

「聞かせて貰うぞ、誰の差し金だ」

「……」

「なるほど、答える気はないか」


 平次は言葉を選びながら言う。


「今後のことを心配しているのであれば、その必要はない」

「……」

「お前も当然知っていると思うが、俺は公方様の側仕えをしている身だ。ここでお前が情報を漏らしても、今後を保証してもらうように頼むことは造作もない」

「なんだと……?」


 だが、平次の言葉は帯刀の逆鱗に触れてしまったようだ。

 男の瞳に、怒りと憎しみの炎が宿り――彼は吐き捨てるように言った。


「我らは徳川に滅ぼされし、豊臣にお仕えした身ぞ……! 憎き相手の庇護など、受けてたまるかッ!!」

「なるほど」


 平次はしみじみと、噛むように言う。


「つまり俺は、大坂の陣以来の因縁に付き合わされている訳だな」


 たちまち「しくじった」といった表情になる帯刀。

 平次は鞘にしまった庖丁を支えにしゃがみ込みながら、暗殺者に続きを促した。

 一度でも喋ってしまえば、もう後戻りなどできないのだから。


「だが、理解できないな。お前たちに豊臣の大義があるなら、対して重要な人物ではない俺を殺す必要もないだろう?」

「……」

「本来なら、幕閣のお歴々や公方様を狙うのが筋だろう? 今のお前は、まさしく筋違いじゃないか」

「……それは、依頼が来たからだ」


 きっと帯刀も、心のどこかでは疑問を持っていたのかもしれない。

 顔を伏せながら、呟くように言った。


「江戸には豊臣の恩を忘れぬ数多の猛者がいる。我らはそういった同胞から依頼を受けているのだ。お前と賄方吟味役を襲った理由は、それでしかない」


 つまり、西山襲撃事件の犯人はこいつらだということである。

 そしてあくまでも実行犯であり、黒幕は背後にいる訳だ。


 完全に西山の仇討ちができたわけではない。

 依頼者を確かめるべく、平次は訊いた。


「では、誰だ? 俺たちに襲撃の指示を出したのは」

「……」


 流石にそこまでは言えないか、と理解する。

 暗殺業に従事する者が依頼主の内実まで話すようなことがあれば、裏稼業の世界では生きていけないのだろう。


「まぁいい、お前の命まで取りはしないさ」

「……これだけ殺しておいて、どの口が」

「殺さなければ殺されていただろう?」


 帯刀は押し黙った。

 平次は続ける。


「俺たちは動物にせよ植物にせよ、それを喰って生きている。殺さなければ生きていられないんだ」

「だが、命には貴賤があるではないか……!」


 帯刀は憎しみを込めて応じてきた。


「お前も知っているはずだ、人の命は平等ではないということを。我らのように使い捨ての命もあれば、徳川の縁者のように丁重に扱われる命もある」

「……」

「人命は等価値ではないのだ、だからこそ我らはこの世の底辺で――」


 だが、彼が憎悪の言葉を口にできたのはそこまでだ。

 帯刀の肩に棒手裏剣が深々と突き刺さり、血液を飛び散らせる。

 喉奥からうめき声が漏れるのと、平次が飛び退ったのはほぼ同時だった。


「な……っ!?」


 そして平次の身体をかすめるように、凄まじい勢いで何かが通過する。

 帯刀の肩に刺さった物と同じだ、と本能で理解した。

 平次を殺めようとする意思が、まだ吹上地区に残存していたのだ。


(だが、どこから……!?)


 平次は慌てて距離を取り、棒手裏剣が放たれた反対方向側の廃材の山に身を隠す。


(いや、しかし、これは一体どういうことだ……!?)


 帯刀が真っ先に攻撃されたところから、別組織の忍びの仕業だとも考えられた。

 しかし、単に誤射ということもある。

 平次を狙った物が、ただ逸れただけなのではないか――という憶測だ。


(だが、このままだとまずい……)


 帯刀と新手が仲間である場合、きっと彼は救出されてしまう。

 別組織の人間である場合、殺されてしまう危険性が高かった。


(いずれにせよ、あいつの身柄を確保しなければ情報をこれ以上引き出せなくなってしまう)


 流石にそれはさけたい。

 なにしろ、ようやく手に入った情報源なのだから。


 平次は大庖丁の柄を握りしめながら、慎重に機会をうかがう。

 顔はうかつに出せない。

 下手に頭を出して、棒手裏剣にかち割られたくなどなかったから。


「……(かえで)か」


 耳を澄ませば、帯刀のうめき声が聞こえてくる。

 新手は仲間だったのだ。

 殺気を一切発さず、気取られぬように潜み続けていたのだろう。


(となると、新手はリカバリー要員って事か)


 そんなことを思う平次の耳に、帯刀の声が入り込んでくる。


「頼む、やめてくれ。依頼者のことは何も話してなどいない、本当だ」


 平次は顔をしかめた。

 仲間同士がするものとは思えない、哀れな懇願だったからだ。


「殺さないでくれ……お前を一人前のくのいちにしてやったのは、この俺だろう?」


 仲間への命乞いとは、明らかに尋常ではない。

 平次は大きく息を吸い、吐き出した。


 勇気が必要だった。

 胡椒や唐辛子袋もないまま、大庖丁ひとつで得体の知れない相手の前に飛び出す覚悟が。


「あなたは誤った。少しは言動に気を払うべきね」


 だがしかし、平次の覚悟が決まる前に女の声が聞こえてくる。

 その言葉にはじかれたようにして、慌てて飛び出した。だが、遅い。


「あああぁあああああぁあああぁぁああぁああぁあぁああぁ!!」


 目の前で、断末魔の叫びと共に吹き上がる血飛沫。

 その首半分が、帯刀の胴体から離れている。

 鮮血の雨を恍惚とした表情で、あるいは達成感で充足した表情で浴びている姿。


 明らかに相手にしてはいけなさそうな女が、そこにいた。



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