第29話 怪しげな丸亀屋と大久保の関係。
江戸は1月末から2月の初頭にかけて、寒さが底を打つことが多い。
2月中頃からゆっくりと気温の上昇がはじまり、8月中頃の暑さのピークまで上がり続けるのだ。
とはいえ、寒いものは寒い。
平次は上着をきっちりと着込んだうえで城の外へ出た。
お綱とのやり取りで生じた頬の紅潮は、すぐに寒風によって冷やされてしまう。
平次の足は、寛永6年(1629年)に造営された常盤橋御門に向かっていた。
その門の先にある橋を渡れば、金座へと出ることになるだろう。
金座は幕府が金貨の鋳造を行わせている拠点だが、これを左手に見ながら直進し、二本目の通りで右折する。
すると、視界の先には日本橋が収められることになった。
要するに、平次は駿河町に最短ルートで到達した訳だ。
(西山は、殺される直前に俺のところにやって来た。そしてその前に、駿河町で何かをしていたんだ……きっと、殺された理由に関係があるに違いない)
平次は素知らぬ顔で、駿河町の表店を眺めていく。
先の大火によって江戸が燃え尽くしたことにより、この町の風景は大きく変わってしまった。
以前からあった大型の商店にも、家財を失って没落した店が多いからだ。
火事の際に上手く財産を避難させることに成功した商人が、財を失った者に入れ替わるかたちで現在の駿河町は構成されている。
しかしこの町が大型から中型の店舗によって表店が構成され、いずれも流通と密接に結びついているという状況は変わらない。
江戸で商いをする者たちが商談に訪れており、人の入りも活発だ。
総じて、よく繁盛していると言っても良い。
(『隠岐屋』・『松根屋』・『亀丸屋』・『鶴見屋』・『越智屋』……改めてよく見てみると、色々な新しい店があるんだな)
以前の町とは変わってしまったことを改めて実感しつつ、平次は生前の西山の足取りを追って、裏路地であるところの裏店へと侵入している。
江戸の町民たちは基本的に、裏店に立てられた長屋式住居で押し合い圧し合いして暮らしていた。
駿河町でも例にもれず安価な住宅が乱立していたが、そのなかに奇妙な建物がある。
「塀で囲まれているとは、なかなか贅沢なお屋敷じゃないか……」
平次が思わずつぶやいてしまうほど、場違いな屋敷である。
周囲を塀で囲んでいるその住居は、どうやら表店の屋敷と通路で接続しているようだ。
だがしかし、その通路も塀で覆われている。
「建てる場所を間違えてるような屋敷だが……西山はこれを見に来ていた、ってことなのか?」
明らかに異様な屋敷。そこと接続している表店はいったいどの店舗なのだろうか。
そんなことを思いながら表通りに出ようとした、まさしくその時――
「あ……っ!」
――平次はすぐさま、その身を引っ込めた。
見知った男が、堂々と往来を歩いていたのである。
(大久保内膳……どうしてあの人が、いま、ここに?)
見間違えるはずもない。
服の上からでも分かる巨大な脂肪をゆっさゆっさと揺すりながら、幕府の賄頭が歩いていた。
部下である西山が亡くなったばかりだというのに、一体なにをしているのだろう……。
そっと窺うと、大久保は駿河町内の店舗へと入って行った。平次は即座に彼が入って行った店舗の看板を確認する。
(『亀丸屋』……か。)
しかもその店は、堀によって厳重に囲まれた――あの異様な裏店屋敷に通じている表店である。
(つまり西山は、大久保様と亀丸屋の関係を探ろうとしていたってことなのか……?)
実際のところ、それが本当に原因かどうかは分からない。
だがしかし、亀丸屋を探った後に平次の許を訪れ、殺されたという事実は変わらないだろう。
ともすれば、長居は無用だった。
怪しまれるような行動をとってマークされるようなことがあれば、平次も西山のように殺されてしまうかもしれない。
(それだけは勘弁だ……)
そう思い、平次はそそくさと駿河町から退散していった。
その後姿を、ジッと見つめていた人影に気付くことなく。
◆
「それで、平次よ……その話は真なのか?」
江戸城の事件だけではなく、幕府の要職にある者としての仕事も果たさなければならない立場にある正之。
しかし彼は、駿河町から急いで帰還した平次を迎え、しっかりと話を聞いてくれていた。
やはり、幕閣のなかで最も頼れる男なのだ。
そして、平次たちがいるのは中奥の一室である。
内藤主膳も加えた上で、平次はさきほど見てきた情報をすべて開示していた。
「ふむ……駿河町の亀丸屋に、大久保殿が一体どのような用事があるというのか。今日、あやつは書類仕事があると城を辞していったが……いや、仕事をすべて片付けているのであれば問題ないのだが」
「もしかすると、西山のことで話をしに行ったのでしょうか……」
平次がそう呟くと、内藤が口を開く。
「西山のことを話すとしても、業務に関わりのないところでの話となろう。亀丸屋は、御膳所に納品する食材集めを補助するために――大久保殿が10数年前に推挙してきた商家であり申す。亀丸屋が相手にするのは幕府の賄方で納品物の引き渡しを担当する者ぐらいであろう。賄吟味役が欠けたからと言って、亀丸屋の仕事には何の影響も出んのだ」
「……」
「ともすれば、亀丸屋と大久保殿の間では――何か別件の打ち合わせがあった、ということになり申す」
会津中将は苦笑した。
「さて、それは一体どのような打ち合わせであろうかの……」
「疑いはじめればきりがありませぬが……」
内藤はそう言って、目をキラリと光らせる。
「平次殿の言を信ずるならば、西山は殺される前に亀丸屋の調査をしており申した。そしてその後、拙者や保科様との面会を希望し、叶わぬまま殺された――このような流れになりましょう」
「ふん、面白いではないか」
会津中将は強面の顔にシワを寄せながら言う。
口唇が左へわずかに釣りあがっている。
「なぜ、西山は己の上役である大久保殿を頼らず、その上役である内藤殿や儂と会いたがったのだろうかのう。大久保殿は今朝方の騒動では実に取り乱した態を見せておったし、何よりここまで勤勉実直に働いてきた功臣……。疑いたくはない、されど疑わざるを得んか」
正之は親指の腹を己の頬に強く押し当てながら続けた。
「だが、儂は亀丸屋の情報はほとんど知らぬ。食材の調達は賄頭の専権事項、大久保殿がやりやすいように、動きやすいように、結果として仕事がそれで回れば問題ないと思っておったが……」
「拙者も、亀丸屋についてはまるで分かりませぬ。あれは大久保殿の専断領域であり申す故」
いかにも前近代的な話だよな、と平次は思う。
役職は基本的に家産継承されるため、職務内容の透明度が薄く、他の者たちが仕事の実態を知り得ることが困難なのだ。
「だが、良い機会だ。本件は儂が江戸町奉行所に通達し、亀丸屋と大久保の動向について探らせることにしよう。だが、それだけだ。今はその程度しか打つ手はない」
正之はそう呟いてから腕を組み、大きく鼻息を噴き出すのだった。
「調査の結果、なぜ西山が大久保を頼らなかったのか、大久保と亀丸屋の関係の本質が何なのか――それらが上手く重なればいいのだが」




