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【井の中の井守】徳川料理人の事件簿  作者: 井の中の井守【N-Star】
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第18話 擬製豆腐と里芋の鴨肉巻。

 西山と別れた後、お綱に捕まって彼女の話し相手になっていた平次は、申の刻(午後4時)から御膳所に入っていた。

 今日の料理はこれまでとは違い、和風に仕上げようと思っている。

 献立は、一汁二菜。新しく炊き直した温かいご飯に菜の味噌汁。おかずは擬製(ぎせい)豆腐に里芋の鴨肉巻である。


 擬製豆腐とは、豆腐料理のひとつだ。

 具体的には、豆腐の水気を良く切って細かく崩し、野菜などの食材や塩や醤油などの調味料を混ぜて過熱して形を整えたものを指す。

 作り方自体も非常に簡単で、混ぜる食材次第で栄養価も高くすることができる。

 そのためお綱の体質改善を考えた時、最適なメニューとして浮上してきたのだった。


「よし、早速作っていくことにしようか……」


 まずは清潔な布で豆腐を包み込む。そして鍋などの重りをその上に乗せ、豆腐から水分を出していくところからはじめなければならない。

 存外に時間がかかる水切りの間に、新鮮な青物野菜を細切れにし、(さば)いたキスの身を庖丁でミンチにしたものと混ぜ合わせていく。

 そうして出来上がった魚肉ペーストに、水気を切った豆腐を崩して混ぜ合わせるのだ。


 ただ、このまま焼いてもボロボロになってしまう。

 そのためツナギとして、溶き卵に水溶き片栗粉を加える必要がある。

 味付けのために醤油や砂糖、そして味醂(みりん)を加えて掻き混ぜて――後は一気に焼き上げて完成だ。


(現代の玉子焼き器があれば四角形に整ったものをすぐに作れるんだが……まぁこればっかりは仕方ないよなぁ)


 そんなことを想いながら、平次は出来上がった擬製豆腐を庖丁で四角形状に切り揃えていく。

 自分の分は形を整える際に出た切れ箸だが、味は同じなので問題はない。量的にはむしろ多いくらいだ。


「さて、これがちょっとばかり手間がかかるんだよな……」


 平次は一呼吸入れてから、里芋の鴨肉巻を作りはじめた。

 長芋同様、里芋は栄養価が高い。お綱の体質改善を考えた時、外せない食材だった。

 その芋の皮を剥き、ぬるぬるの身を露わにしてから四分割にカット。その里芋に薄くスライスした鴨肉を巻いていく。

 この時に芋と鴨肉に串を通しておくと、しっかり巻くことが可能だ。


 そして出来上がった里芋の生肉巻を、せいろを使って一気に蒸し上げていく。

 そうすることで、鴨肉の旨味を里芋に吸わせながら、ほっくりと美味しく仕上げることができるのである。

 後は皿の上に盛り付ける際に静かに串を抜いて、焼き味噌を添えれば――滋味溢れるおかずの出来上がりと言う訳だ。


「はぁ……今宵も、とても美味しそうですね……」


 平次が『御膳の間』に侍女たちと膳を運ぶと、お綱はうっとりとした顔でため息を漏らした。

 正之がいないこともあってか、姫将軍は随分とリラックスしている様子である。

 やはり会津中将がいると、色々な面で気を張らざるを得ないのだろう。


「御覧なさい、内藤。夜のご飯なのにふっくらとしていて、湯気が立っておりますよ」

「上様……」


 これまでまともに食事をすることがなかった主人が、ご飯の炊きあがりで喜んでいるのだろう。

 天下の鬼取役の目尻には涙が浮かんでいた。やはり嬉しくて仕方がないらしい。


(でもそれは要するに、お綱さんは食事を取る能力自体はあった、ってことでもあるんだよな。問題はむしろ、どうして食べられなかったのか、あるいは食べようとしなかったのか……そこにある気がする)


 これには色々な理由が考えられるだろう。

 純粋にこれまでの料理が不味かったり、あるいは気に入らなかったりした可能性もある。

 はたまた、お綱自身が食事をまともに取れるような精神状態ではなかかったのかもしれない。


 ただ、平次がお綱の傍に上がってからまだ僅かとはいえ――彼女の食に対するモチベーションが上がりはじめていることは事実だった。

 この状態を一時的なものにせず、恒常的なものにできるようにすることが大切であることは間違いない。


 そんなことを考えているうちに、内藤はそれぞれのおかずを一口ずつ手早く賞味して、毒見が済んだことにしていた。

 彼としても、できれば、お綱に料理が冷めないうちに食べてもらいたいのだろう。

 そして姫将軍は彼の想いを汲み取ったのか、あるいは単に我慢できなかったのか――すぐに食事を開始するのだった。


「はふ……っ、まさか夜にあたたかいご飯を食べることができるなんて、思いもしませんでした。やはり冷たいものよりもあたたかい食事の方が良いですね」


 お綱は味噌汁を口に含み、ほっこりとした微笑みを浮かべている。

 食事を楽しむことを知った姫将軍は、これまで満たされることのなかったものを取り戻そうとしているかのようだ。


「それにしてもこのお味噌汁……なにやら一味違う気が……」

「ああ、お気付きになりましたか」


 隠すほどのことではない。平次はさっそく、種明かしをすることにする。


「実は、味噌汁のなかにほんの少々、唐辛子を入れてあるのです。それでぐっと風味が良くなりますから」

「唐辛子、ですか……。それにしては辛みを感じませんけれど」

「適量、ということです」

「ふふっ、なるほど」


 お綱は味噌汁の椀を持ちながら目を細めていった。


「わたくし、この唐辛子の入ったお味噌汁……好き、かもしれません」

「唐辛子には食欲を増進させる効果がありますからね」

「……いいえ、それだけではないと思います」


 途端、姫将軍の表情が変わる。

 深窓の令嬢を思わせるお淑やかな――それでいてどこか恥じらうように、目を伏せて言うのだった。


「平次様が作られているから……だから、きっと……」

「お綱さ――いえ、上様……」


 どことなく漂う甘酸っぱい雰囲気。

 内藤は見なかったことにしているのだろう、我関せずとばかりに白米をモリモリ食べている。

 とはいえ、流石に居心地は悪そうだった。


「ごめんなさい、困らせてしまいますね。このようなことを言ってしまったら……」

「いえ、別に……そんなことは……」

「うふふっ」


 口元に手を当てて(たお)やかに笑いながら、お綱は改めて箸を取る。


「ですが、不思議なこともあるものです」

「何がですか?」

「作り手の顔が見えると、料理もまた変わって見えてくれるということです」


 お綱は箸で擬製豆腐を切りながら言った。


「わたくし、実は……擬製豆腐はあまり好きではありませんでした。ですが、平次様が作って下さったものだと思うと――美味しそうに思えて仕方がなくなってくるのです」

「上様……」

「ん……っ」


 麗しの唇。その狭間に擬製豆腐が箸で運ばれ、よく咀嚼(そしゃく)された。

 卵と片栗粉をツナギにした魚肉と野菜と豆腐が、お綱の咥内でほろほろと優しく崩れる。

 それをこくんと呑み込み、姫将軍は満足そうに微笑んだ。


「ほら、やっぱり……おいしい」

「それは良かったです」

「ですから、また作って下さいね。明日でも明後日でも構いませんから」


 嫌いであったはずの料理。

 それを美味しいと言って貰えることは、料理人冥利に尽きると言うものだ。


「こちらの肉巻も、本当にお上品ですのね。あら、この焼き味噌は……?」

「はい、それは赤味噌に味醂(みりん)醤油(しょうゆ)と酒を煉り込んで火に曝し、水気を飛ばしたものです。味噌と酒のお陰で風味が大幅に良くなっていると思います」


 お綱は焼き味噌をちょんと箸で摘み、口に含む。

 そしてきゅーっと目蓋(まぶた)を閉じて、全身を(もだ)えさせた。どうやら相当に気に入ったらしい。


「あぁ、お味噌が本当に美味しくなっています……っ! 焼いたことで香ばしさも薫りも良くなって、何よりも優しい味になっていて――ふっくらとしたお芋と鴨肉にも、実に良く馴染みますね……!」


 そう言いながら、お綱は美味しそうに箸を進めていく。

 箸のスピードはまるで止まらず、ありがたいことに今夜も完食してくれたのだった。


「今宵も本当に美味しかったです。平次様、どうもありがとうございました」

「いえ、これが俺の務めですから……」

「それでも、ですよ」


 胸元を手で押さえつつ、優しい瞳で微笑みかけてくるお綱。

 その艶やかな姿を見ると、思わず胸が高鳴ってしまう。何しろ相手は絶世の美女なのだ、こればかりはどうしようもない。


 とはいえ、内藤の前である。

 お綱を女性として見ているような、あるいはそのように見ている仕草を見せるのは――不味いに違いないだろう。


「では、ここで今宵はお(いとま)致します」


 侍女たちが食膳を下げはじめたのを見て、平次は姫将軍に頭を下げる。

 そのまま内藤と一緒に城を退出するつもりだったのだが、どうやらそうは問屋が卸さないようだ。


「平次様、わたくし……すこしお話ししたいことがございますの。どうか、今しばらくお付き合い願えませんでしょうか」


 武家の最高権力者のお願いを断れるはずもない。平次は頷く以外の選択肢を持ち合わせていなかった。

 内藤が部屋を辞した後、なんとお綱は人払いをして侍女たちまでも退出させてしまう。

 何ということだろうか。部屋にいるのはもう、平次とお綱の二人だけになってしまっていた。


(それにしても、一体なんの話なんだ……?)


 期待と不安が綯い交ぜになり、どんどん込み上げてくるのが分かる。

 とはいえ、どうやらお綱の顔を見る限り――色恋沙汰ではなく、真面目な話題になりそうだった。



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