第17話 出来た友人と思わぬ藪蛇。
「それにしても驚いたな……。まさか町中で会ったお前が――噂の膳医であったとは」
「俺も、出会ってすぐに再会することになるとは思いもしませんでした」
正之のいる部屋から退出した後、平次は西山と顔を見合わせて苦笑し合っている。
とはいえ、多くの官吏たちが行き来する『表』だ。
立ち止まっていると邪魔になってしまうので、とりあえず屋外に出て立ち話をすることにした。
今頃お綱は暇を持て余しているのだろうが――今しばらく、彼女には待ってもらうことになりそうである。
「それにしても、驚いたな。先ほど保科様が仰ったことだ」
「ああ、上様の膳に上る食材の禁がなくなったということですか?」
平次がそう言うと、西山は頷いて笑ってみせる。
「まさしくその通りだ。朝に零した私の愚痴や不満が、そのままそっくり消え去ったことになる。非番からの急な呼び出しだったが、実に良い日になった」
西山はそう言いながら腰を折り、平次の顔を覗き込んできた。
それにしても、憎いほどの美形である。
いや、顔はどうでもいいのだが――それよりも羨ましいのが身長だった。
人間の容貌というものは、清潔にしたり化粧をしたりすれば、ある程度までは補えるものである。
だがしかし、身長はどう足掻いてもカバーできないのだ。
(10センチくらい分けてくれないかな……)
そんなことを思う平次に、西山は白い歯を見せながら言う。
「それはさておき、お前とはこれから縁が深くなりそうな気がするな。できればこれからも、仲良くしていければと思う」
「嬉しいことを仰る……こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します」
平次は心の底から応じている。
この大柄な男が誠実な人物だということは、朝の一件で既に判明していた。
それだけでなく、食材にかける熱意が篤いことも知っている。
平次からしても、友人付き合いができるのであれば――願ってもない相手だった。
「うむ、では私に対する敬語を改めるといい。気軽にしてくれて構わないし、私はそちらの方が嬉しく思う。友によそよそしくされるのは堪えるからな」
「……わかった」
平次は首肯する。
「では、これからよろしく」
「こちらこそだ」
西山は爽やかに笑った。
「とはいえ、先に仕事のことを話しておいた方が良いかもしれん。先ほど話があった通り、これからは私が大久保様とお前の間を繋ぐことになる」
とはいえ、その話があったのは今朝方だったのだがな――西山はそんな不平の声を漏らす。
それは御愁傷さま――そう言いかけて、平次は慌てて言葉を呑み込んだ。
友人になって早々、取っ組み合いの喧嘩はしたくない。
江戸時代の人間は、現代と違って極めて喧嘩っ早いのである。
何かあればすぐさま拳骨が飛び、その応酬となるのだ。
「そういえば、先ほど大久保様は多忙を理由にされていたが……」
「ああ、お前は知らないかもしれないが、大久保様は非常に優秀な官僚なのだ」
西山ははっきりと敬意を表明した上で続けた。
「そして苦労人でもあられる。というのも、不慮の事故ご両親を事故で亡くされてな……。お父上様の跡目を継がれ、ここまでしっかりと賄頭の職責を果たされてきたのだ。その大久保様が仰るのだ、本当にお忙しいのだろう」
「不慮の事故……?」
「ああ、大久保様は多くを語りたがらないが……周囲の者からは御母堂の御乱心と聞いている。御母堂が先代の賄頭殿を刺殺し、そのまま返す刀で自害して果てたらしい」
話がずれてしまったな、元に戻そう――賄吟味役はそう言って、端正な顔をキリリと引き締める。
「基本的には、お前が望む食材を仕入れることになる。欲するものを私に伝えてくれれば、それを大久保様に取り継ごう。さすれば、ただちに手配してもらえるはずだ。買い付けられた食材は、この私が責任を持って品質を見極め、厳選し、そのなかの最上のものを届けると誓おう」
「それはとてもありがたい、非常に助かる」
思わず、率直な感想が口から漏れ出ていた。
平次はあくまでも、お綱の料理を作る側でしかない。
ある程度まで食品のクオリティを見極めることはできるが、それにも限界がある。
西山のような誠実で熱意あるプロが食材を選別してくれるというのであれば、平次は何の心配もなく庖丁を振るうことができるだろう。
任せられるものは任せ、自身は得意分野に特化する。
そんな分業体制を敷くことができれば、色々なことがスムーズに運びそうだ。
「なんの、上様に本当に美味な食事を召し上がって頂くためだ。これからの仕事は、わたしにとっても実にやりがいのあるものになるだろう……感謝するのはこちらの方だろう」
西山が爽やかな笑みを浮かべたまさしくその時、大久保が姿を現した。
『表』の外に出た彼は、太陽を見ることなく下を向いて――のっしのっしと歩いている。
(それにしても、独特な人だよなぁ……)
改めて見るまでもなく、賄吟味役の男とは対照的だ。
ぺしゃんこになったガマガエルを思わせる容貌をしており、だるんだるんになっている顎の脂肪……
そして着物の上からでも分かるほどの腹肉を揺すっているその姿は、どことなく近付き難い雰囲気に満ちている。
(だけど、保科様や西山が有能な役人だって認めてるみたいだし……悪い人じゃないんだろうな)
平次はそんなことを想いながら、大久保に駆け寄って挨拶をすることにした。
されど、彼はじろっと平次を一瞥しただけだった。
そのまま返礼もなく、のっしのっしと歩み去って行ってしまう。
「もしかして……嫌われてるのか、俺」
大久保の背中を目で追いながら呟く平次に、西山がそっと耳打ちした。
「実は御膳所の再編に伴って、我らの予算が大きく減じられているのだ。いままで1回の食事当たり10膳作っていたものが3膳で良いということになったのだから、当然の話ではあるがな」
「ああ、なるほど……」
平次は大きく溜息を漏らす。
「つまり俺は、賄頭の予算を減じた元凶にして原因そのものだと思われている訳か……」
「とはいえ、仕方のないことだ」
西山は平次を励ますように、肩にぽんと手を置いた。
「それに、お前は大久保様と直にやり取りする必要はない。私が間に入ることになるし、実害は生じないはずだ。そもそもからして、私怨で上様にご迷惑をおかけすることなどあってはならん」
「そうだと良いんだが……」
平次は深々とため息をもらす。
心強い友を得ることはできたが、しかし思わぬところで敵を作ってしまったらしい。
それが己の過失であるならまだ諦めもつくが、まるで関与し得ていないところで嫌われてしまうのは中々に不条理だと言ってもいいだろう。
人間関係というものは、本当に面倒臭くてままならないものだ――と平次は盛大にため息をつくのだった。




