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【井の中の井守】徳川料理人の事件簿  作者: 井の中の井守【N-Star】
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第15話 刀の道、庖丁の道。

『少し、話がしたい』


 内藤にそう言われ、平次が連れ出されたのは――江戸城の一ツ橋門を北に進んだところにある内藤家の旗本屋敷だった。

 そこで出迎えてくれたのは、12歳程度の外見をした可愛らしい少女。

 しかし彼女が今年で27歳になった内藤夫人だと知り、かつ4児の母だと知った時は眩暈(めまい)がしそうになったのだが――それはまた別の話。


 いま、平次は内藤家屋敷の庭で、袋竹刀(ふくろしない)を持っている。

 持参した訳でも、勝手に持ち出した訳でもない。

 平次と手合わせがしたいという、内藤側の要望によるものだ。


 どうやら幕府によって、平次が諏訪(すわ) 鶴翼(かくよく)流の免許皆伝者であることは洗い出されているらしい。その事実が、内藤の知る所になった訳だ。


『武士は刀によって相手の心を見極めることができる』


 内藤はそう言って平次に袋竹刀を渡し、相対している。

 おそらくこれは、査問のようなものなのだろう。

 料理の腕は分かった、次はその心を見たい――内藤の態度は、雄弁に彼の心の内を語っていた。


(ともすれば、逃げられるようなものではない)


 平次はそんな覚悟を決めて、旗本の顔を見返す。

 はたして彼は、それを覚悟の決まった証だと認識したようだ。


「幕府は他流試合を禁じておる。だが、ここは我が家の庭。勝負は互いの心に収め、遺恨(いこん)はなきものとしよう」


 いざ、尋常に勝負――そう言って、内藤は袋竹刀を上段に構える。

 非常に攻撃的なスタイルだが、反面、防御には適さない。


 対し、平次は袋竹刀を己の口の横で水平に持って腰をかがめた。霞構えである。

 攻撃よりは防御に優れ、刺突を得意とするスタイルだ。


「……」

「……」


 内藤家屋敷の中庭には白砂が敷かれており、足場は安定している。

 ぬかるみは皆無。刀を合わせるには最良の環境であり、そして互いの実力差が素直に出る状況になっていた。


 ジリッ、と互いの足が白砂を踏み締める。

 だが、互いにいま一歩踏み込むことができずにいた。理由は簡単だ。隙が無いのである。

 平次が諏訪鶴翼流の免許皆伝の腕を持っているように、内藤もいずれかの流派で免許皆伝ないしはそれに準じた技量を有しているのだろう。


(それにしても、何なんだ……あの構えは)


 内藤の構えは上段ではあったが、極めて独特だった。

 つまり、彼は袋竹刀をそのまま掲げているのではない。手首を完全に倒しているのだ。

 袋竹刀の刃の部分は内藤の背中に隠れ、真正面に対峙している平次からは――つまるところ、相手の手首と柄しか見ることができないのである。

 相手の間合いを掴むことは、極めて困難だった。


「……」

「……」


 強い風が吹く。それによって、平次と内藤の額に浮かんでいた緊張の汗が揺り動かされる。

 刹那、風に誘われるように平次が動いた。一気に距離を詰め、最速にして必殺の刺突が鬼取役へ繰り出される。

 しかし内藤は上体を僅かに反らすだけで回避。尋常ならざる速さで、平次の背中目掛けて竹刀を振り下ろした。


 ――パァンッ、と一際大きな音が響く。


 されどそれは肉を討ち据えた音ではない。竹刀と竹刀がぶち当たった音だ。

 平次が腕を素早く引き戻し、振り返り(ざま)に内藤の縦一閃を寸前で受け止めたのである。


「むぅ……ッ!?」


 内藤の一撃を弾いた平次の切っ先が、鬼取役の喉元を狙う。が、内藤はこれを的確に払い飛ばす。

 互いの袋竹刀が陽光に煌めき、また打ち合わされた。鍔迫(つばぜ)り合いだ。

 平次と内藤は互いの肩を接触させ、そしてゆっくりと腕を下げながら――その刀身を合わせ続けている。

 互いの口から漏れる唸り声。四本の腕には筋骨が盛り上がり、震えていた。


「はァ……ッ!」


 やがて内藤が身体を強く押し当て、平次の袋竹刀を払う。

 姿勢が崩れた。刹那、内藤が上段から一気に振り下ろす。対し、平次は即座に下段から切り上げた。

 接触。乾いた音を立てた二本の袋竹刀が、間髪入れずにまた打ち合わされる。


「ぐ……むぅ……ッ!」


 またの鍔迫り合い。

 しかし体格差がある。平次は押されはじめ、一歩二歩と後退しはじめた。

 内藤がいよいよ力を込め、平次を塀へと追い込んでいく。


 だがしかし、その優勢が(あだ)となった。

 平次が刀身を反らして内藤の切っ先を受け流しながら、袋竹刀の柄を譜代旗本の鳩尾(みぞおち)に叩き込む。

 (うめ)く鬼取役。それが決定的な間となった。

 平次はそのまま手首を返し、相手の首元へ袋竹刀を押し当てる。


「む……っ、無念……これまでか」


 この間、僅か30秒というつかの間の攻防劇。

 しかしふたりの間に漂う空気は、30分とも3時間ともつかぬ濃密なものだ。

 片膝を突きながら、己よりも年下の平次を見上げる内藤の顔は――実に清々しいものだった。





「平次殿よ、貴様を見込んで頼みがあり申す」


 互いに井戸水を浴びて汗を流した後、平次は内藤と囲炉裏を囲んでいた。

 傍らには彼の合法ロリータ妻が淹れてくれた茶の入った容器がある。


「はい」


 平次は神妙な顔で頷いた。

 貴様と呼ばれると、中身が元々現代人であるためにドキリとしてしまうが――江戸時代の初期においては、この呼称は敬意を払うべき相手に対して用いられるものである。

 つまりは平次を同輩として認めてくれたということでもあるのだが、次の瞬間、内藤は躊躇なく頭を下げていた。


「頼みというのは他でもない。どうか上様を、その御心身共にお支えして欲しい。この通りである」

「な、内藤様……」


 旗本が頭を下げると言うこと。

 当然だが、そこには強烈な思いが込められていると考えるべきだろう。彼もまた、お綱に仕える忠臣のひとりなのだ。

 内藤はゆっくりと顔を上げ、その眼光も鋭く平次を見据えた。


「……貴様から見て、上様をどう思われる」

「どう、と言われましても……」


 答えに(きゅう)してしまう。一体なにをどう答えれば良いと言うのか。

 征夷大将軍であるにもかかわらず、彼女が『お飾り』になっているようにしか思えない――と言えばいいのだろうか。

 されど、平次の脳裏に浮かぶのは、儚げな美貌をほころばせて美味しそうに料理を食べるお綱の姿だった。


「その、実に……お美しいとしか……」

「……ハッハ、ハッハッハ!」


 表情を(ほぐ)し、内藤は豪快に笑いはじめる。


「そうか、お美しいか……! ああ、いや……そうであろう! そうであろうとも!!」


 天下の鬼取役の豪放な笑い声はしばらく続いた。

 だが、やがてその表情には憂いの色が浮かびはじめ――最後には、噛み締めるような声に変質する。


「お美しいという感想が出るのもさもありなん、陶然であろう。本来であれば征夷大将軍という大役に就くこともなく、ひとりの姫君として平穏な生活を送っていたはずの上様である故」

「……本来であれば、将軍ではなかった?」


 平次の(いぶか)しむ声を受け、内藤は「左様」と声を落として囁いた。


「綱姫様……いや、上様は将軍の位を継がされた(・・・・・)のだ。無論、幕政上の都合によってである」

「……継がされた(・・・・・)?」


 まさかまさかの内情の暴露話だ。

 平次としては「本当に聞いても良い内容なのだろうか」という思いで一杯なのだが、内藤はその雰囲気を察して「上様のお傍に控える以上は知っておかねばなるまい」と釘を刺す。

 

「先の将軍・徳川家光公……三代様は、苛烈な御気性をお持ちの方であった。たしかに三代様のお陰をもって、幕府の権威と権力は日ノ本において追従なきものとなり申した。されど、代償として大きな(ひずみ)を生むことになる」

「……」

「平次よ、お主も慶安4年(1651年)の『慶安の変』を知っているな? その翌年に老中が浪人によって害されかけたことも」

「はい」


 平次は頷いた。

 何しろ、そんな調子で江戸の治安が悪かったからこそ――医師という生業の家に生まれながら、護身のために剣術を修めることになったのだから。


「ならば隠す必要もない。三代様がお隠れあそばされれば、将軍家に仇名(あだな)す者が必ず現れるであろうと……幕閣のお歴々が承知しておったということを」

「ちょ、ちょっと待ってください……! それは、つまり……」


 うむ、と内藤は頷いた。


「元より、特殊な事情がなければ姫を頂に据えることなど有り得はせん。天子様にもおなごはいたが、あくまでも中継ぎに過ぎぬ。それと同じよ」

「……」

「綱姫様が家綱の名を戴き、征夷大将軍にお就きになられたのは……不届き者共の目を惹きつけるための――徳川家に連なる他の男子に害が及ばぬようにするための措置だったのだ」

「そんな……」


 唖然とする平次に、徳川家譜代の旗本は内情を語る。


「三代様は6人の子を(もう)けられた。長女の霊仙院(れいせんいん)様、次女の綱姫様、長男の亀松(かめまつ)様、次男の綱重(つなしげ)様、三男の綱吉(つなよし)様、四男の鶴松(つるまつ)様である」

「お綱様は、次女……?」


 平次の問い掛けに、内藤は頷く。


「左様。そして、三代様がお亡くなりになられた時……御健在であられたのは霊仙院様、綱姫様、綱重様、綱吉様の4名のみであった。だが、霊仙院様は尾張徳川家の御正室として既に嫁がれておられる。残っておられたのは11歳の綱姫様、7歳の綱重様、5歳の綱吉様ということになる」

「そして、荒れた世相では……大坂の陣以来の浪人たちが、いつ結託して決起するとも分からないと?」

「然り。その上、綱重様も綱吉様もまだ幼い……いつ夭逝(ようせい)されるかも分からぬ。そして幼い将軍がすぐに亡くなるようなことがあれば、幕府の威光は大きく傷つこう」


 されど、と徳川譜代の旗本は言った。


「おなごであったならば、仮に病死しても暗殺されても――『あれはひ弱なおなごであった』もしくは『あれは所詮おなごゆえ』と言い訳もつけられよう。幕閣のお歴々はそう考えておられたようだ。あるいは、三代様も」

「つまりは、上様は――幕府が権威を保ち続けるための(にえ)にされたということですか」

「先に申したはずだ、幕政上の都合であると」


 内藤は声のトーンを落とす。その目には強い不快感と諦観(ていかん)が宿っていた。


「そして、当座の脅威は去った。明暦の大火もあり、いまなお復興の最中(さなか)ではあるが……この始末が付けば、上様は頃合いを見て隠居ということになろう。民の安寧がために心血を注いだが故に御身体を壊されたと、そのような美談と共に」

「……っ」

「上様の跡を継がれるのが、綱重様になるか綱吉様になるかは知らぬ。全ては幕閣の者共が決めることであるゆえ。されど、上様のその後は決まっておる。隠居を強いられたのち、2-3年後に病死という扱いになろう。生きながら死んだ扱いとなり、城のなかで人目につかぬよう――ひっそりと飼い殺されることになる」

「許されますか、そんなことが」


 怒りに震える平次に、鬼取役は首を左右に振る。


「情の面では許され難い蛮行。されど、たったひとりのおなごの生と日ノ本の安寧を(はかり)に掛けた時――どちらが優先されるべきかは言うまでもない」

「内藤様!」

「平次よ」


 憤怒を露わにした平次の肩に両手を置き、内藤は深いため息と共に言った。


「我らは考えねばならぬ。我らが先祖がどのような思いと共に戦国乱世を生き、死んでいったのかを」

「それは……!」

「長く続いた戦乱の最中(さなか)、誰もが夢見た太平の世が――今まさに、恒久的に実現するかいなかの分水嶺(ぶんすいれい)に至っておるのだ」

「……」

「故に、拙者は願うのだ。貴様に、上様をお支えして欲しいと」


 内藤は平次の肩から両手を離し、がっくりと項垂(うなだ)れる。


「我らの上様に向ける忠は、本物であると自負しておる。されど、我らは真の意味で上様をお支えすることは叶わぬ。どうしても、太平の世の維持を優先せざるを得ないゆえ。だからこそ、貴様に頼むのだ――保科様も同じ思いを抱かれておろう」


 その言葉は、きっと、立場や組織に拘束されている彼なりの抵抗の発露なのだろう。

 平次に出来ることは、その思いを汲み取った上で、願いに応じるか否かを決断することだ。


(だけど、答えなんてもう決まっている)


 無論、同情もある。それは否定できない。

 だがしかし、平次はお綱に恩を受けていた。

 しがらみに囚われていた己を引き上げて、保科正之という幕閣の構成員を巻き込んで、転生前からの夢を実現させるための道筋をつけてくれた――という恩が。


(それに、綺麗な女性の傍にいるのも悪くない)


 平次は内藤に頷いてみせながら、そんなことを思っていたのだった。



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