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あの月が丸くなるまで  作者: 和泉 利依
高級ランチと崩れたお弁当

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「議員の妻が茶髪だなんて軽薄な色をしてるもんじゃない、って言われて、結婚した時から黒く染めてストパーかけてるんだと。俺も当たり前に同じことをするって思ってたんだろうな。嫌だって言ったら、子供が口答えするなって、歯牙にもかけずに一蹴された」

「上坂……」

「いつだってそうなんだ。親父は、自分の決めたことが世界で一番正しいと思っている。まあ、それで今の地位を確立してるんだから、国会議員としてはきっと優秀なんだろう。だけど、他の人間の価値観までが自分と同じ、と思っているあたり、周りの人間にしてみれば迷惑以外のなにものでもない。人には人の、俺には俺の価値観がある、なんて、思いもしないんだ。ホント、いい年してばっかじゃねえの」

 そう言って乾いた笑い声をたてる上坂を、私は、じ、と見つめる。


「上坂は、議員になるつもりはないのね」

「ない」

 短く、でもきっぱりと上坂は答えた。

「何か他に、なりたいものがあるの?」

 しばらく黙って外を見ていた上坂が、ぽつりと聞いた。


「美希は?」

「私?」

「美希は、なりたいもの、ある?」

「あるよ。薬剤師」

「え?」

 上坂は、目を丸くして振りむいた。


「美希、薬剤師になりたいの?」

「一応。薬剤師になるか、それとも薬の研究に携わるかは、まだ決めかねてるけどね。子供の頃からの夢だったの」

「子供の……頃から?」

「うん。私、母親が看護師なせいか、小さい時から医者に行くこととか薬飲むことに抵抗がなかったんだよね。で、どんなに苦しくても具合が悪くても、お医者さんがくれた薬を飲むことで楽になるってことがまるで魔法みたいで、薬ってすごいなあって思ってて……最初は医者に、とも思ったんだけど、やっぱり興味があるのは、薬学の方だった。うちの経済事情じゃ私立は難しいから、どうしても国立の薬学部を受けたい。だから、勉強をおろそかにできないの。おかげで、がり勉とか呼ばれちゃってるけどね」


 勉強自体が嫌いじゃないからできることなんだろう。知らないことを知るのが楽しいのは、それぞれの教科に対しても同じだもの。

 私は、人が言うほど頭がいいわけじゃない。でも国立大学に受かるだけの知識が欲しいから、それに見合う努力をしているだけ。その結果が学年一番の成績だったり、真面目でがり勉というレッテルだったりするんだ。あ、真面目、は単なる性格か。


「そう、だったんだ……」

 うなるようにつぶやくと、上坂は、また前を向いてしまった。そうしてしばらく黙っていたあと、静かに言った。


「俺の話も、聞いてくれる?」

「うん」

「今じゃなくて……いつか」

「うん」

「笑うなよ?」

「笑わないわよ。っていうか、誰かに笑われたことあるの?」

「いや……家族にも、友達にも、話したことすらない。第一、言ったってバカにされるだけだ」

「そう?」

「ああ。でも……なんでかな。美希なら、笑わないで聞いてくれそうな気がした」

「人の本気を、笑ったりしないわ」

 振り向いた上坂は、私のことをまじまじと見つめた。それから、力が抜けたように、ふ、と笑みを浮かべる。


「やっぱいいな、美希って。すげえ、かっこいい」

「すげえ、も、かっこいい、も、女性に対する褒め言葉じゃなくてよ?」

「あー……違いない。でも、他に言葉が浮かばない」

「やっぱり上坂も、私を女扱いしてないじゃない」

「じゃあ、めちゃくちゃ女扱いしていい?」

「…………遠慮する」

 何故か上坂はくすくすと笑いだした。ひとしきり笑うと、すっきりしたような顔で小さく息を吐く。

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