七話 ランダム そして、笑いの神は突然降ってくる
「グァアア」
ミイの声が聞こえたかと思うと何やら黄色い塊が僕の目の前を通り過ぎた。そして、ほぼ同時に熊がうめき声を出す。まるで苦しんでいるかのようだった。
僕は熊がうめき声をあげ、隙が出来たところを見計らい、距離を取った。
「一体何が起こったんだ?」
「へっへーん。すごいでしょ?」
僕が疑問の声を上げるとほぼ同時にミイの声が下から聞こえる。……下?
「これが私のスキル≪人獣化≫の威力よ!」
「…………」
確かにすごい。熊が隙を作るなんてさぞ攻撃力も上がっているのだろう。
しかし、僕が今ミイを見つめているのは羨ましいといった感情が理由ではない。≪人獣化≫のスキル。それは名前の通り、人が獣と化すスキル。
そう、つまり――
「ミイ! なんて素晴らしいもふもふなんだ!」
「ちょ、え、お姉ちゃん!?」
僕はミイが持つ黄金の尻尾――ミイは子狐になるようだ――の誘惑に勝つことは出来なかった。
「わぅ……」
少し悲しそうにしているいぬだが、これは仕方があるまい。
そこに素晴らしきもふもふがあるのだから。
「お姉ちゃん! まだ熊を倒してないんだよ! いくらなんでも今はちょっと待ってよ!」
「え? ――ってうわ!」
僕が熊の方を振り向こうとするといきなりいぬが僕を突き飛ばした。
そして、さっきまで僕がいた場所を熊の前足が叩きつぶした。
「すまない、いぬ。君のおかげで助かった」
「わふっ」
気にするな、とでも言いたげに返事をするいぬ。全くもってかっこいいやつだ。
「お姉ちゃん。いい加減に下ろしてよ」
僕の腕の中でミイが言う。そうか。まだ抱いていたままだっけ。でも、本当に気持ちがいいんだよなぁ。
「うー。また、抱かせてくれるなら……」
「仕方がないわねえ。ちょっとだけよ?」
「やった!」
ミイの言質を取った僕はミイを地面へと下ろす。
ミイはなぜかため息をひとつ吐くと熊に向かって飛びかかった。
「≪子狐旋風≫!」
言葉が聞こえると同時にミイが熊の足元から上に飛び上がる。その後を追うかのように黄色のつむじ風が起こった。
「ガァッ」
熊は苦しそうに暴れて何とか逃げだそうとするが、思いのほか風の勢いが強いのだろう。その風の檻から逃げることが出来ないでいた。
「お姉ちゃん! 今のうちに止めを!」
「分かった!」
ミイの声が上空から聞こえてくる。
どうやらミイの攻撃だけでは熊のHPを削りきることが出来ないらしい。
僕は弓を構え、技能を発動する。
「≪チャージ≫」
≪弓≫スキルがレベル2になったところで覚えたこのスキルは弓の攻撃力を上げてくれる。発動に時間がかかるし、一回限りだから今まで使わなかったけど、今はまさしく使い時だ。
「お姉ちゃん! もう技能の効果が終わっちゃうよ!」
いつの間にか近くに来ていたミイが叫ぶ。確かにつむじ風は今にも消えそうだった。
「よし! こちらも充填完了した! ≪ライトアロー≫!」
僕が唱えると同時に熊の拘束が解かれた。
「グルル……」
熊がこちらを見ている。いかにも怒ってますといった感じだ。今にもこちらへ向かってきそうだ。
しかし、僕が放った技能の方が、熊が動くよりも早い。
ひゅん、と音を立てて飛んでいく光の矢は熊の額へ刺さった。
「グ、ガァ……」
熊が少しだけ声を漏らした瞬間、熊の姿はまるで存在していなかったかのように消えた。
後には熊からドロップしたのだろう、熊の毛皮と熊の肉、それと熊の手が落ちていた。
「いやったぁああ!」
「おわっ!」
いきなり耳元でミイが叫ぶ。僕は驚きのあまり尻もちをついてしまった。
「お姉ちゃん! やったよ! さっきの熊って絶対中ボスだよね!」
「あ、ああ。多分そうだと思う」
「だよね! 中ボスを倒せるなんて、やった!」
ミイは熊を倒せたことがかなり嬉しかったようで、興奮しっぱなしだ。全く、こんなに騒ぐなんて勇者ともあろうが、全くもってなってないぞ。
僕はちょっとだけ憤慨しながら、ミイを見ていて気付いた。
「……≪人獣化≫が解けている、だと……!」
「え? 何か言った?」
僕は悲しさのあまり膝をついた。
くっ、どうして気付かなかった。熊などという矮小な存在と戯れている暇があるのなら、もっとあのもふもふを堪能すべきだろうが……!
「くそぅ……」
「変なお姉ちゃん」
「わふっ」
いぬすらも僕を変な目で見ている気がする。というか、いぬよ。相変わらず肉を食べるのは分かるが、正直ちょっとグロいぞ。
僕を見つめるいぬは口元を赤く染めており、ひどく猟奇的だった。一応、ゲームであるためか、すぐにその色は消えたが。そもそもそんなところを表現する必要はないと思う。WOSOの在り方にちょっとだけ疑問に思う僕だった。ちなみにいぬはまだ食べ終えていなかったらしく、また肉を食べ始めると口周りが赤くなった。
「お、おおおお!」
またもやミイが騒ぐ。一体どうしたというのだ。
「今度は何だ?」
「お姉ちゃん! やったよ! 私もスキル取得券が手に入った!」
「ほう」
スキル取得券。それはモンスターを倒した時にランダムで手に入る。パーティーを組んでいたとしても全員が手に入るわけではない、いわゆるレアドロップ。僕みたいに選択できるスキルを直接選ぶか、ランダムを選択してスキルを取得する。ランダムを選んだ場合はランク6まで手に入る可能性があるとのことだが、ミイはどうするのだろうか。
「せっかくだからランダムでやってみる」
「欲しいスキルがないのならそれでいいんじゃないか」
もしかすると高ランクのスキルが手に入るかもしれないしな。
僕はちょっとだけどんなスキルをミイが取得するのか、わくわくしながらミイがスキルを取得するのを見る。
「さーて、何が出るかな……っと」
ミイがスキル取得券を使用すると目の前にスロットが出てくる。
なるほど。僕が選んだときは巻物から単純に選ぶ形式だったけど、ランダムだとこうなるのか。
スロットがぐるぐる回る。時折、止まりそうになるが完全に止まることなく回り続ける。
そして、とうとうスロットが止まった。選ばれたスキルは――
「≪変顔≫」
あ、うん。これ、触ったらまずいやつだ。
僕は全力でスロットから目を反らす。見てないぞー。僕は≪変顔≫のスキルなんて全くもって見てないぞー。というか、そんな変なスキルあるんだ……。
「…………」
すっごい気まずい。あれだけ喜んでいたミイが無表情になってる。
何を思ったのか、ミイは無言で≪変顔≫を使用した。
ミイの顔がまるでストッキングで顔を覆ったかのような顔に変化した。
笑っちゃだめだ。笑っちゃだめだ。笑っちゃだめだ。笑っちゃ――
「わふっ」
僕の決意はいぬのご飯終わったよーとでも言うかのような鳴き声で決壊した。
ひとしきり笑ってしまった後に僕の土下座が長時間続いたのは言うまでもない。
◇
「さて、どうしようか」
あれから町に戻った僕達だが、ミイは気落ちした様子でログアウトしてしまった。
一応、大丈夫と言ってはいたが、これは何かフォローせねばなるまい。姉というものは妹のご機嫌を取るものなのだ。……決して夕飯どうしようなどとは思っていない。
ミイがあれだけ気落ちした理由はスキルだ。もし、もうちょっとましなスキルが手に入れば少しは機嫌が戻るかもしれない。いや、また変なスキルが手に入るかも――考えても仕方がないな。
WOSOではスキルを手に入れる方法はいくつかあるけれど、僕が取れる手段はそう多くない。ミイにあげるためにはスキル取得券ぐらいしか存在しないんじゃないだろうか。
確かに店売りとかクエストで手に入るものもあるみたいだけど、店売りは高すぎるし、クエストは本人がいないと手に入らない。やはりスキル取得券をもう一度手に入れるしかないだろう。
はあ。スキルが渡せれば僕がスキルを渡しても構わないのに。
いつか制限が解除されるかもしれないが、今の仕様は僕にとってひどく悩ましかった。
「まあ、考えても仕方がないよね」
口に出して言ってみる。実際、いくら僕が考えても仕様は変わらないのだ。それなら、行動する方がいいだろう。
僕はひとまず、リーンに連絡をしてみることにした。
もし、リーンが一緒に狩ってくれるのなら効率がいい。たくさん狩れば少しはスキル取得券だって出るだろう。……それに、一緒に狩れれば楽しいだろうし。
幸いなことにリーンは今町にいるようだ。きっと狩りもひと段落したのだろう。
『リーン。今は平気かな?』
『あれ? ヒカリちゃん? どうしたの?』
僕がフレンドチャットで会話すると、リーンはすぐに反応してくれた。
『これからスキル取得券を手に入れるために狩りをしようと思っているんだ。リーンは一緒に狩らないか?』
『うーん。どうしようかなあ』
何やらリーンが考え込んでいるようだ。返事がなかなか返ってこない。え。これはちょっとやばいんじゃないだろうか。……僕って人望ないのかな……。
『うん。大丈夫みたい』
『みたい?』
『ああ。実は私、今他の人と一緒にいるのよ。それで、ヒカリちゃんのところに行ってもいいかって今話してたのよ』
なるほど。それでさっきの返答か。
『今からヒカリちゃんのところにその人と一緒に行こうと思うんだけど、大丈夫?』
『ああ。構わないぞ』
大丈夫。僕はもう大丈夫。
自分の中で繰り返す。
『ちなみにどんな人なんだ?』
『あー。やっぱり気になるよねー……』
随分とリーンの歯切れが悪くなった。どういうことなんだろうか。
『何というか、その人ってあれなんだよねー。私は最初気付かなかったんだけどさ』
リーンは一体何を言っているんだ。
でも、僕は決めたんだ。
それに少しでも前に進まないと何も変わることがないんだ。
『まあ、ぶっちゃけると変態さんなんだ。周りの男の人が思わずお尻を隠すぐらいに』
『よし、やっぱり会うのやめておこう。僕一人で狩りに行ってみるよ』
うん。それがいい。きっとそれがいいはず。
「あ。ごめん。もう着いちゃった」
「え……」
僕が顔を上げたその先にはリーンともう一人――リーン曰く変態――がいた。いや、来るの早いって。
変態は見る限り変態という訳ではない。何というか、普通のお兄さんって感じだ。ちょっと体格がいいから、目つきを鋭くさせたら怖いかもしれない。でも、実際には目つきも優しそうだった。
あれ? 本当に変態なのか?
「やあ。君がリーンの言っていたヒカリだね。俺は阿部というんだ。よろしく」
「よ、よろしく」
普通に挨拶が返ってくる。予想外だった。
「ところで君ってお兄さんとかいないかい?」
「え、いませんけど」
「それじゃ、知り合いの男の人とかは?」
「…………」
あ。やばい。これ、ガチな人だ。
僕はリーンの方を向く。リーンが顔を背ける。すかさず、リーンの前へ僕は移動した。
「あはは。いや、まあ、ね」
「笑って誤魔化すなよ……」
僕達のやり取りを見ていた阿部が口を開いた。
「仕方ないな。今は諦めるとしよう」
今だけじゃなくて、今後ずっとやめてください。
思わず、そんな言葉が口に出そうだったが、僕は何とかこらえた。
「もうやめておきなって。みんなが引くよ?」
「おい、リーン……」
せっかく僕がこらえたのに結局リーンが言ってしまった。
「気にしなくてもいいよ。慣れてるからね」
阿部は気軽に言う。慣れてるのなら是非ともやめてほしい。
僕が侮蔑の眼差しを浮かべているのに気付いたのだろうか。阿部は慌てた様子で言葉を続けた。
「それより、君は何を装備しているんだい? 良かったら俺が新しい装備を作ってあげるよ」
「装備を?」
あからさまな話題の変更だったが、正直僕は興味を惹かれた。
僕が装備している弓は実を言うとまだ初期装備に近い。
一応、店売りで買えるものを買っているのだけれど、プレイヤーメイドの装備は高すぎて買えなかったのだ。
「まだ≪鍛冶≫スキルのレベルは低いんだけど、幸いランク3のスキルだったからね。そこそこいい装備が作れると思うよ」
ランク3か。確かにそれなら今装備しているアイテムよりもいい装備が作れるかもしれない。
しかし、装備を作るにしても材料が必要だ。それにただで作ってくれるわけでもないだろう。
阿部――変態は一体何を要求するのだろうか。
「……何が欲しいんですか?」
「ああ。何を気にしているかと思ったら、そんなことか」
「そんなことって……」
ふふん、となぜかリーンが自慢げに鼻を鳴らした。
「ヒカリちゃんは何も用意しなくてもいいんだよ! ねえ、阿部さん?」
「ははは。そうだね」
一体、どういうことだろう。
「実はリーンと狩りに行く条件が――」
「わーわー」
いきなりリーンが阿部の口を押さえ、意味不明な声を上げる。どうしたというのだろう。
「っとと。そうか。秘密だったな」
「そうですよ! ……もう」
よく分からないけど、阿部はただで僕に装備を作ってくれるらしい。
「そ、それじゃあ、よろしく頼む」
「うん。頼まれたよ」
意外と阿部はいい変態なのかもしれない。僕はそう思ったのだった。