五話 機嫌良好 そして、もふもふへの決意
「ふんふんふーん」
ログインしてきたばかりの僕は今気分がいい。思わず鼻歌を口ずさんでしまうほどだ。
「わふ?」
そんな僕を大丈夫か、とでも言うかのようにいぬが見つめてくる。おい、そんな目で僕を見るんじゃない。
僕といぬは現在、始まりの町にいる。ログインする際は前にいた町へ戻ってしまうようだ。
そして、僕がここまで機嫌がいい理由。それは――
ブラッシング(ランク2・レベル1)
スキル名称:ブラッシング(ランク2)
扱い:技術スキル
効果:ブラッシングの成功率及びブラッシング実行時に補正が発生する。ブラッシングを行う対象は使用したプレイヤーに対して友好度が上昇する。使用可能な対象は魔獣系統に限られる。また、ブラッシング実行後に対象の毛づやがよくなる。
僕が持っているブラッシングのスキル説明を見たためだ。
この説明を見る限り、ブラッシングを行えば行うほどいぬとの友好度が上昇する。友好度は上げるほど言うことをよく聞いてくれるようになったり、スキルレベルが上昇しやすくなったりといったいいことづくめのステータスであると僕が見た掲示板に書かれていた。ちなみに他にも色々な掲示板があったが、『もふもふ愛好家集まれ!』というスレの名前に惹かれて見てみたのだ。
中には異様な早さで進んでいる紳士がどうとかのスレもあったが、紳士でない僕はさほど興味を惹かれなかった。
話が逸れたが、実を言うと友好度が上昇するだけで僕はここまで機嫌がよくなったりはしない。
ブラッシングの最後に記載されている一文。そこに書かれていることこそが重要なのだ。
――ブラッシング実行後に対象の毛づやがよくなる。
つまり、だ。これの意味するところは――いぬがよりもふもふになるということだ!
「ふふっ。今でもこんなにもふもふなのにさらにすごくなるのか……。最高だなっ!」
「わふっ」
「わわっ! 舐めるなって」
いぬもきっと嬉しいのだろう。しかし、さすがに舐めすぎだ。僕の顔がべたべたになってしまうじゃないか。
僕は嬉しそうないぬから逃げてスキルを使用しようとする――。
「あれ?」
スキル欄が黒色だ。これはつまり現在は使用できないということ。
しかし、今いる場所は町だ。町でブラッシングを使えないということなのだろうか。
僕は改めてスキルを使用してみる。使えないことは分かっているが、使用することでどうして使えないのか説明が出るはずだ。
――ブラッシング用の道具がないため、使用できません。ブラッシング用の道具を装備し、再度実行してください。
「ブラッシング用の道具?」
そうか。そんなものが必要なのか。思えば掲示板でそんなことが書かれていたような気もする。
確か掲示板に書かれていた道具は――
「あれ? お姉ちゃん?」
僕の後ろから声がかけられる。
その相手はキツネの耳を付けた獣人だ。年は僕よりも低そうだ。ちなみに背は僕の方が高い。本当に高いんだぞ。
相手は僕のことを知っているようだが、僕は相手の顔に見覚えがない。一体誰なんだろうか。
「あー。もしかして、私が分からないか。あはは。そうだよね。顔なんかかなり違ってるんだもんね」
どうやら相手は納得したらしい。僕が分かっていないにもかかわらず勝手に納得しないでほしいもんだ。
「私は美衣だよ。ちなみにキャラ名はミイってカタカナにしてるんだ」
「美衣? ……え?」
あれ? 聞いた覚えがあるどころじゃないぞ。というかもしかしなくてもそういうことなのか。
よし。それなら、あの言葉を言えば目の前にいる人物が僕の妹の美衣であると確信できる。
僕は腕を広げ、ひとしきり笑い声をあげてから美衣に語りかける。
「勇者よ。私の味方になれば世界の半分をくれてやろうではないか」
「はい! 一緒に世界を闇に包みこみましょう!」
「よしっ! やっぱりミイなんだな!」
「そうだよ! お姉ちゃん!」
間髪いれずに返答するミイに僕は合点がいった。でも、なんでWOSOにミイが入れてるんだ。まだクローズドベータの段階のはずなのに。
「あれ? お姉ちゃん、知らないの? WOSOって一つの機械で二人まで入れるんだよ?」
「そ、そうなの?」
「そうだよ! だから、私がお姉ちゃんの機械に入って一緒にログインしてみたんだ!」
……確かあの機械ってかなり狭かったはず。そこに無理して入ってきたのか。出るとき結構大変そうだなあ……。
「それよりお姉ちゃん! 何か悩んでいるようじゃないですか」
「まあ、ちょっとね」
主にブラッシング用の道具をどうやって調達しようかということについて、だけど。
「私の姿を見て何か気付かない?」
「姿……?」
僕は改めてミイのことを見てみる。
僕より小さい背にキツネの耳。そして、身長が低い。何かおかしな所でもあるというのだろうか。
「私は衣装スキル『キツネ娘』で今の姿になっているわ。でも、この姿は正直、結構保つのが大変なのよ」
「そうなの?」
僕の衣装スキルである『天使』には特に保つのに何かが必要といったことはない。ミイのスキルである『キツネ娘』は一体何が必要なんだ。
「私のこの格好を保つためにはもふもふが必要なのよ!」
そう言ってミイは僕に背を向けて尻尾を見せる。
なるほど。キツネの幅広い尻尾が実にいい感触をしている。
「ちょっ、お姉ちゃん……!」
これはよいもふもふだ。僕はこのもふもふに敬意を示さずにはいられない。
「はふう」
「お姉ちゃん! 顔を尻尾にうずめないでってば! 変な、か、感触が……!」
何かミイが言っているが気にする必要などないだろう。今大事なのはこの欲望に身を任せることのみ!
僕が至上の感触に顔を埋めていると――唐突に背中に何かざらりとした感触が走った。
「あひい!」
思わず変な声を出してしまう。
何がどうなったのかと後ろを見ると、いぬが不満げな唸り声をあげてこちらを見ていた。そうか。お前が僕の背中を舐めたのか。
まるで相手をしろ、とでも言っているかのようないぬを僕が見ている隙にミイはさっと僕から距離をとる。
そんなに離れなくてもいいじゃないか。ちょっとだけ傷ついたぞ……。
「……ふう。もう、お姉ちゃんったら! 私の話を聞いてよね!」
「むう。まあ、仕方あるまい」
いい加減にしないと現実に戻った時が怖いからな。
「さっきも言ったけど、私はもふもふを維持するために大変な思いをしてるわけよ。具体的にはブラシを一時間に一回ぐらいかけないといけないの!」
「えー……」
毎日というか、毎時間ブラッシングする必要があるのか。
なんていうか、それはゲームとしてどうなんだろう。
「というか、ミイっていつからWOSOに入ってるのさ。昨日は僕の機械に入ってなかったよね?」
「昨日は鈴音ちゃんの機械に入れてもらったから……ってそんなことはどうでもいいのよ! お姉ちゃんはその子にブラッシングをしてあげたいんじゃないの?」
「あ、ああ。そうだよ」
「わふ?」
不思議そうにこちらを見ているいぬを僕は見る。いぬは金色の毛並みをしており、今の段階で既にかなりもふもふの感触はいい。しかし、ここにブラッシングを行えばさらなるもふもふを得ることだろう。
ミイは一時間に一回ブラッシングをしないといけないなんて言っているのだから、当然ブラシも持っているのだろう。
「ミイのブラシを貸してくれないか」
「うーん、どうしよっかなー?」
実にいい笑顔で言うミイ。これは何か企んでいるな。
「分かった分かった。何をしてほしいんだ」
「さっすがお姉ちゃん! 分かってる!」
「何年お前のこと見てると思うんだよ」
「あはは。まあ、私が頼みたいことは大したことじゃないよ。私も一緒に冒険したいの!」
僕は拍子抜けした。もっと面倒なことを言われるのかと思ったのに。
「……もしかして、私ってそんなにわがままに見える?」
「そそそ、そんなわけないじゃないか」
僕は慌てて否定した。
正直言うとミイを怒らせると後が怖い。何せ、現実で食事を作っているのはミイなのだ。ミイが食事を作ってくれなくなったら僕は何を食べればいい――あ、カップ麺があったっけ。いやいや。毎日それではさすがにきつい。僕はカプメニストではないのだ。
「まあ、いいわ。それより。はい、これ」
「おお、ありがとう」
ミイから受け渡されたブラシを僕は手に取る。そして、さっそくブラッシングスキルを使用した。
――スキルレベルが足りません。使用する道具を変更してください。
「一体どういうことなんだよ!」
ミイのスキル及び道具は頻繁な使用により、レベル10にまで達していたと後で知った。
「よしっ。決めたぞ。僕は究極のもふもふを目指して道具を作る!」
「何を宣言してるのよ、お姉ちゃん……」
呆れた顔をしているミイだが、僕は譲らない。
確かにただブラッシングをするだけなら店売りのものでも十分であろう。しかし、僕が求める究極のもふもふを実現させるためには店売りのものなどでは僕の求める道具はできない。実際、ミイに言われて店売りのブラシを見てみたところ、効果など付与されていない本当にただのブラシしか存在していなかった。
これはもう僕に効果が付与されたブラシを作れということに違いない。
僕はブラシを作るスキルである『細工』を取得することを心に決めた。
「よし! そうと決まればスキル取得券を得るため狩りに行くぞ、ミイ!」
「はいはい。まあ、私の目的は果たせてるから別にいいんだけどね」
その後、僕とミイは二時間ほど狩りをし、運よくスキル取得券を得ることができたのだった。
◇
「あっれー? ヒカリちゃんってばどこにいるんだろう」
私は先に入っているヒカリちゃんを捜すため町を歩いていた。
フレンド表示を見る限り、ヒカリちゃんは始まりの町にいるみたい。
でも、いくら探してもどこにも見つからない。
一体どこにいるんだろう。
「うーん。というか、ここって本当にどこ……?」
私はまわりを見てみる。
ここは始まりの町のはずなのだけど、なぜか周りは見覚えが全くない。
「どうしたんだい? そこの君?」
「え? 誰です?」
私に話しかけてきたのは黒髪の優しそうな男の人。
いかにもイケメンといった感じだけど――
「その服装ってどうにかならなかったんですか?」
「え? 何かおかしいかな?」
「ファンタジーな世界なのにつなぎを着ているなんて、正直言って違和感しかないです……」
「そんなものかな?」
「はい、そうですよ」
「あはは。それより君はこのゲームについて、詳しかったりしないかい? 俺は今日からやり始めたんだが、いまいち勝手が分からなくてね」
体格の大きい、その人は笑いながら言う。
確かにVRMMOは慣れないといまいちよくわからないこともあるだろう。
ヒカリちゃんには悪いけど、人脈を広げるためにもこの人に教えるついでに狩りをするのもいいかな。
「それなら私と一緒に狩りに行きます? そこで一緒に教えますよ」
「そうかい? そうしてくれるのなら助かるよ」
「では、行きましょう。あ、まだ名前を教えてなかったですね。私はリーンと言います」
「俺は阿部だ。よろしく頼むな」
「はい」
私はそう言って阿部さんと一緒に狩りへ向かう。
そういえば近くの男の人がお尻を隠して逃げて行ったのはどうしてなんだろう。ちょっとだけそれが不思議だった。