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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

天使たちの箱庭

作者: 平間 郁
掲載日:2025/12/07

0. 箱庭の法則



双子――ベネットとコレットは、生まれた瞬間から奇妙な静寂をまとっていた。


産声はなく、ただ透き通った瞳で世界を見渡し、母の腕の中で同時にまばたきをした。


生家であるブラックフォード侯爵家では「神の祝福か」「いや、災いの子か」と囁かれたが、双子自身はそんな風評を気にも留めなかった。


彼女たちにとって世界とは、最初から“動かすもの”だったからだ。


幼い指先で玩具を落とす。使用人がそれを拾う。


祖父の小言を聞き流す。祖父は苛立ち、祖母がそれを宥める。


その一連の連鎖反応は、精巧なオルゴールの歯車が噛み合う様子に似ていた。


(こう動けば、こう動く……)


侯爵家という広大な屋敷は、彼女たちにとって最初の実験場であり、箱庭だった。


母の死に目に涙をひと粒浮かべれば、使用人たちも涙を流す。


父が転落したと少し声を張り上げれば、大人達が狼狽して駆け寄ってくる。


祖父に助けを求められた時、あえて沈黙を守ればどうなるか。


逆に、祖母にただ微笑み返すだけで何が得られるか。


双子は観察し、分析し、予測し、そして楽しんだ。


そこにあるのは「悪意」ではない。


彼女たちにとって、生きるとはすなわち“世界の法則を理解すること”と同義だったのだ。





1. 天使たちの取引



その朝、ベネットとコレットは本館奥の小広間で向かい合っていた。


薄絹のカーテンを透かした朝の光が、二人の蜂蜜色の髪を淡く縁取っている。同じ角度でティースプーンを置き、全く同じタイミングで湯気の立つカップを口元へ運ぶその仕草は、鏡合わせのようだった。


紅茶は隣国産。香りは芳醇だが、後味は軽い。


双子にとって、これは優雅な休息ではなく、一日の始まりを確認する“調整作業”にすぎない。


そこへ、足音を殺した使用人が現れた。顔色は紙のように白く、組まれた両手は小刻みに震えている。


「お、お嬢様方……あの……王都ブラストン商会の商会長様がお見えで……」


双子はカップを置く動作すら止めず、視線だけを上げた。


その無機質な瞳に射すくめられ、使用人は喉を鳴らした。


「……直々に、本日……お二人に“商談”があると……御当主様もアネット様もご不在で……その……客間に……」


「商談?」とベネット。

「私たちと?」とコレット。


「は、は、はい……“ぜひお二人を愛人に”と……そのような、恐れ多いことを……っ」


使用人の声は恐怖に消え入った。


恐ろしいほどの美貌を持つとはいえ、まだ十四歳の令嬢に対してあまりの無礼。常識ある者なら怒りで失神してもおかしくない提案だ。


しかし双子は、微かな驚きすら示さなかった。


ただ同時に、カップを静かにソーサーへ戻した。カチャリ、と硬質な音が一つだけ響く。


「まあ、いいわね」

「退屈していたところだもの」


それは、午後のお茶菓子を決めるような軽さだった。


双子は椅子から滑るように立ち上がり、歩調を揃えて客間へ向かった。


廊下を歩くその姿はあまりに対称的で、長年仕える者ですら、どちらが姉でどちらが妹かを見失うほどだった。


***


客間の革張りソファには、肉付きの良い男が沈み込んでいた。


金糸の刺繍が施された上着は腹部で張り詰め、太い指には下品なほど大きな貴石がいくつも嵌められている。


だが、何より異様だったのはその目だ。


そこには知性ではなく、稀少な獲物を前にした捕食者の、濁った欲望が宿っていた。


双子が入室した瞬間、男の瞳孔が開いた。


「……おお……まさしく……噂通りだ……」


彼は立ち上がり、大仰に礼をした。


「お噂はかねがね。あまりのご美貌に、居ても立ってもいられず参上しました。ぜひとも我が屋敷にお迎えしたい――愛人として」


控えていた執事が息を呑み、使用人たちは凍りついた。


だが双子は、瞬き一つしない。


「愛人に?」

「私たちを?」


コレットが足音もなく近づき、首を傾げた。

ベネットはその半歩後ろで、彫像のように微笑んだ。


「その“商談”、詳しく聞かせてくださる?」

「退屈なのは嫌いなの」


商会長の厚い唇が震えた。


それは恐怖ではなく、恍惚。自身の歪んだ願望が、現実の手触りを持って迫ってきたことへの歓喜だった。


「……はい……! あなた方のように美しい至宝を……私は……」


彼は熱に浮かされたように語り始めた。


ただ屋敷に囲い、着飾り、人形のように愛でたいのだと。

夜の相手など必要ない、ただ美しくそこに在り、呼吸をしてくれればいい。対価としての金なら幾らでも払う、と。


言葉が熱を帯びるにつれ、周囲の空気は重く淀んでいく。


だが双子は――むしろ、退屈そうに視線を交わした。

その男の望みは、あまりに単純で、底が浅かったからだ。


一通りの熱弁が終わると、ベネットがぽつりと呟いた。


「……あら、いいわね」


間髪入れず、コレットが継ぐ。


「行きましょう。ちょうど暇していたところだもの」


商会長の呼吸が止まった。


「……っ……! そ、そんな……あっさりと……!」


双子は商会長に見向きもせず、使用人たちへ矢継ぎ早に指示を出した。


「準備はいらないわ」

「すぐに行けるもの」

「お兄様とお姉様がお帰りになられたらお伝えして」

「ええ、迎えは必要ないわって」

「後で手紙を送りますって」

「「今までお世話になりましたって」」


そして躊躇なく歩き出した。

まるで本当に、朝の散歩へ向かうかのように。


残された者たちは、ただ呆然と、美しい双子の背中を見送ることしかできなかった。


***


商会長の屋敷に到着したのは、西の空が紫に沈みかける頃だった。


その邸宅は豪奢というより、異様なまでの“隙のなさ”を誇っていた。外壁は染み一つなく磨き上げられ、庭木の枝葉は定規で測ったように整えられている。


過剰な秩序は、時に狂気を感じさせる。


出迎えた使用人たちは一様に目を伏せていた。

何かを見てはいけないと、長年の恐怖で刷り込まれているかのように。


「こちらが……お部屋でございます」


案内されたのは、南向きの広い一室だった。

採光は完璧だが、家具はすべて壁際に退けられている。


中央には、背もたれの高い椅子が二脚――まるで美術館の“展示台”のように、ポツンと置かれていた。


ベネットとコレットは部屋を見渡し、視線だけで会話を交わし、頷きあった。


すぐに商会長が現れた。

手には宝石や最高級のビロードのリボンが詰まった木箱を抱えている。


「さあ……どうか、ここに座ってくれないか」


双子は命じられるまま椅子へ腰掛けた。

すると商会長は数歩下がり、胸元を抑えて深く、震える息を吐いた。


「……完璧だ。まるで、陽の光に命を与えられた最高級の人形だ……」


彼の眼差しに情欲の色はなかった。

あるのは“蒐集家が、生涯最高のコレクションを手に入れた時の陶酔”だけ。


夕闇が部屋を満たすまで、男はほとんど言葉を発さなかった。

ただ、陶器の少女たちを眺め、ため息をつき続けた。


夜になると豪奢な衣装が運び込まれた。薄絹、天鵞絨、真珠飾り。

双子はそれらを身にまとい、ひっそりと佇む。


食事も別室。双子が空腹を覚える前に軽食が運ばれ、また静かに下げられる。

使用人たちは舞台裏の黒衣くろごのように気配を消していたが、時折、哀れむような視線を双子に向けていた。


翌日、双子たちの兄であるブラックフォード侯爵家当主、エドマンドが乗り込んできた。


荒い足音で部屋に入った兄は、豪奢なドレスを着せられ、無表情で座る妹たちを見て深くため息をついた。


「帰るか?」


双子は動かなかった。沈黙こそが肯定であり、拒絶だった。


エドマンドは、手切れ金を渡そうとする商会長を一瞥し、冷たく言い放った。


「金はいらん。本人たちが望んだことだ」


商会長は予期せぬ幸運に、下卑た笑みを抑えきれない。

エドマンドは侮蔑を隠そうともせず、目を細めた。


「……しかし、これだけは宣言しておく。今後何があっても、侯爵家は貴殿を助けない。何が起きても、だ」


***


奇妙な生活が三日続いた。

窓辺で商会長の外出を見送った後、双子は初めて口を開いた。


「ねえコレット」

「分かってるわ、ベネット」


「この屋敷は、私たちを飾るためだけに形を保っているの」

「そしてあの男は、理想を飾るためだけに生きているね」


「でもその理想、きっと脆いわ」

「ええ、ガラス細工よりも儚いわ」


二人の声音は淡々としていた。あくまでも観察し、分析する響き。

けれど、退屈はしていなかった。

この歪んだ美意識の城は、彼女たちにとって“暇つぶしに値する実験場”だったからだ。


だが、この“生きた鑑賞会”を、黙って見ていられない者がいた。

商会長夫人である。


その日の夕刻、夫人は耐えきれないように扉を押し開き、双子の部屋へ踏み込んできた。


豪奢なドレスの裾が怒りに震え、金糸の刺繍が明かりを乱反射する。

夫人の頬は紅潮し、目元は涙と怒りで潤んでいた。長年の苦悩が澱のように瞳を濁らせている。


「……あなたたち……っ!」


絞り出された怒声。

しかし双子は、儀式の最中に来客を迎えたかのように、優雅な動作で立ち上がった。


「まあ、奥様」

「あら、いらしたのね、奥様」


左右対称に並び、軽く会釈をする。

その完璧さが、夫人の神経を逆撫でした。


「憤怒で瞳が揺らいでいるわ」

「とても美しいわ、暖炉の炎みたい」


「……っ、黙りなさい! あなたたちのせいで、夫は……あの人は……っ!」


言葉は形をなさず、嗚咽混じりの叫びとなる。

気品ある夫人の仮面が、無残に剥がれ落ちていく。


「私たちを憎んでいるのでしょう?」

「ええ、それは正しい反応だわ」


双子は淡々と受け止める。

そこには侮蔑も同情もなく、ただの「確認」があった。


「……っ!」


夫人は息を呑んだ。双子は一歩も動いていないのに、部屋の空気が冷たく張り詰めていくのを感じたからだ。

ひどく静かで、ひどく綺麗で、そしてひどく恐ろしい。


「でも、奥様。貴女の願いは本当にそれなの?」


ベネットの声は柔らかかった。

なのに、夫人の背筋が粟立つほど冷徹だった。


「私たちには分かるわ」

「ええ、とってもよく分かるわ」


コレットの声が重なる。

二つの声が一つの意志となって響く。それは共鳴というより、和音だった。


夫人はよろりと後ずさった。

足の力が抜け、ドレスが床を擦る音が虚しく響く。


「な、何を……何を知っていると言うの……」


「きっと近いうちに、望みは叶うわ」

「安心して」

「安心して」


双子はゆるやかに、分度器で測ったように同じ角度で微笑んだ。

それは精巧なビスクドールが、機械仕掛けで唇を動かしたような――無機質な完璧さだった。


「「私たちが叶えてあげる」」


その瞬間、夫人の中で何かが決壊した。

感情の堰が切れ、恐怖とも安堵ともつかぬ絶叫が溢れ出る。


「あ、あああああっ!」


夫人は逃げるように走り出し、袖で顔を覆いながら廊下の角へ消えた。

残された双子は、その背中を静かに見送る。

室内の空気は、何も知らぬまま、ただ澄んでいた。


***


それから数日後――王都の中央広場は、突如として悲鳴に包まれた。


昼下がりの陽光は穏やかで、いつもと変わらぬ商人の呼び声が満ちていた。

そんな平和な空気を切り裂くように、甲高い絶叫が響いたのだ。


「きゃあああああっ!」


人々が振り向くよりも早く、重い音が石畳に叩きつけられた。

広場の中心、大階段のふもとに――商会長の体が、無残な姿で転がっていた。


目撃者によれば、彼は大階段の最上段から、まるで糸が切れたように転げ落ちたという。

転落の拍子に金のボタンが弾け飛び、高価な上着が裂け、最後はゴミのように石畳へ沈んだ。


即死であることは、誰の目にも明らかだった。


「早く警備隊を呼べ!」

「一体どうして……供も連れずに……」

「最近、大きな商談に失敗したと聞いたぞ」

「自殺か!?」

「寝不足じゃないか? 目の隈が酷かったし……」


群衆は口々に“理由”を作り始めた。

自殺か。事故か。病か。


それとも――。

――それとも、誰かの切なる願いが、通じてしまったのか。


そんな声なき疑惑が、広場の風に薄く溶けた。

その刻、商会長邸の二階。

開け放たれた窓辺で、双子は同じ角度で首を傾げ、風に乗って届く喧噪に耳を澄ませていた。


遠くから響く悲鳴とざわめき。

だが双子の表情に揺らぎはない。


「どちらでもいいわ」

「結果は同じだもの」


これは予測された結末。

箱庭の不要なパーツが取り除かれただけ。


双子はカーテンを指先でつまみ、ゆるりと揺らした。

春風が入り込み、蜂蜜色の髪を優しく撫でる。


遠くで弔いの鐘が鳴り響いた。

双子は、満足げに目を細めた。


***


商会長の葬儀が終わった夜、屋敷には奇妙なほど深い静寂が漂っていた。


喪章をつけた使用人たちは足音を殺し、何かに怯えるように仕事をこなしている。

だがその中心で――商会長夫人だけが、憑き物が落ちたように落ち着き払っていた。


夫人は黒いレースの喪服を引きずり、ゆっくりと、しかし迷いなく双子の部屋へ入った。

燭台の火が揺れ、双子の影が壁に長く伸びる。


「……ねえ……いるのでしょう……?」


夫人は声を落とした。

それは神殿に踏み入る巡礼者の、敬虔な祈りに似ていた。


「まあ、奥様」

「あら、夜更けにいらしたのね、奥様」


双子は窓辺から同時に振り返った。

喪服の黒と、透き通るような白い肌。

整いすぎた造形美が、蝋燭の灯りの中で妖しく浮かび上がる。


夫人はその姿を見た瞬間、糸が切れたように膝を折った。


「……ああ……やはり……貴女たちは……」


震える手で胸元を押さえ、這うように部屋の中央へ進む。


「夫が……あの人が……とうとう……」


言葉の端に涙が滲む。だがその声色は、悲嘆ではなく歓喜に震えていた。


「事故は……突然で……けれど……その……」


夫人は双子の足元で平伏した。

ドレスの裾が黒い花弁のように床へ広がる。


「……あれは、貴女たちが……?」


その問いは、答えを求めているのではない。

救済への感謝を捧げているのだ。


「奥様、望んでいたのでしょう?」

「ええ、ずっと……あの人がいなくなることを」


夫人の肩が跳ねた。

双子はそっと、慈悲深い女神のように彼女を覗き込む。


「可笑しな趣味に囚われ、少女を買い集め」

「人形のように飾り、理想から外れると捨てていた」

「それを止めたかったのでしょう?」

「いっそ亡くなれば……と、心の中で何度も殺していたのでしょう?」


夫人は両手で顔を覆い、小さく嗚咽した。

それは罪悪感の涙ではなく、呪縛から解き放たれた魂の震えだった。


「……ええ……ええ……そう……なの……。でも……まさか……こんな形で……こんなに早く……」


双子は軽く微笑んだ。

その笑みは、無垢であるがゆえに無慈悲で、それゆえに神々しかった。


「耐えていたのね、奥様」

「頑張られたのね、奥様」

「素敵な使用人が教えてくれたわ」

「ええ、商会長は危険ですって」

「どうか逃げて下さいって」

「奥様が雇われた方なのね」

「素晴らしい目をお持ちなのね」


「私たちはただ、願っただけ」

「ええそうよ、法則に従って願っただけ」


「奥様の願いを叶えて欲しい」

「奥様を苦しめる歪な異物を、取り除いて欲しいと」

「願っただけよ」

「それだけなのよ」


紡がれていく双子の言葉を、夫人は身体を揺らしながら聴いていた。やがてピタリと動きを止め、顔を上げ、すがるように双子の冷たい手を取った。


「……天使……」


その囁きは、確信に満ちていた。


「貴女たちは……私を地獄から救いに来てくださった天使……。どうか……この家に……ずっと……いておくれ……」


双子は互いに目を合わせ、ほんの一瞬だけ肩を揺らした。


「望むなら」

「ええ、貴女が望むなら」

「「ここにいて差し上げるわ、奥様」」


夫人は、双子の手を額に押し当てた。

その表情は、もはや夫を亡くした未亡人ではない。

奇跡を目撃した崇拝者の顔だった。


こうして夫人は、自らの暗い願いを叶えてくれた双子を――天使として、救世主として、その手で養子に迎え入れた。


息子が、父の急死と母の変貌に薄寒いものを覚えながらも、忙しさを言い訳にして目を逸らしてしまうほどに、その変化は劇的だった。


王都一の大商会は、いつしか双子の箱庭となった。

屋敷の空気は静かに、しかし確実に、双子を中心に回り始めていた。





2. 箱庭の外側にて



商会長の死から月日が流れ、ようやく家中の騒ぎが収まりつつあった頃。


亡き父の跡を継いだ若き商会長――双子達の義兄は、ようやく「今の家族」の異様さを真正面から見つめ直す余裕を得た。


母は、驚くほど元気になっていた。

父が生きていた頃よりもずっと、肌には艶が戻り、憑き物が落ちたように笑うようになった。


ただひとつ、致命的な問題があった。

母が“天使”と呼んで離さない存在――あの双子だ。


母は、かつて父の人形だった少女たちを、今は生ける聖像のように崇め、大小問わずあらゆる判断を委ねていた。


その光景は異様だ。

だが奇妙なことに、双子が選ぶ答えはいつも合理的で、商売にとっても有益だった。母の精神が安定しているのも、間違いなく双子の“統治”のおかげだ。


――それでも、この依存は異常だ。


義兄は執務室で何度も考え込んだ。


(このままでいいのか? いっそどこかへ嫁に出した方が……いや、誰が引き受ける?)


重い頭を抱え、眉間を揉みほぐしながらリビングへ向かう。

扉を開けると、そこには花畑のような光景があった。


「天使たち、こちらのお嬢さんはどうかしら?」

「強欲そう」

「でも演技は素晴らしいわ」

「ええ、清楚な笑顔の下で金貨を数えている目が素敵」

「まあ! ではやめましょう。それなら、こちらのご令嬢は?」

「傲慢」

「穢らわしい」

「男を知っているわ」

「両手の指では足りないくらいね」

「ひぃ! なんてこと……! 即刻お断りだわ!」


三人はテーブルいっぱいにお見合い写真を広げ、母は一喜一憂していた。


(……俺の婚約者探しか)


ため息が胸の底から漏れる。

その瞬間、双子が同時に、寸分の狂いもない動作でこちらを振り返った。


「あら、お義兄様」

「まあ、お義兄様」


義兄の背筋が粟立った。

この二人の“同時性”は、何度見ても慣れない。生物としての本能が警鐘を鳴らすのだ。


「お嫁さん、見つかった?」

「私たちも協力するわ」


「……結構だ」


吐き捨てるような拒否も、今の母には届かない。


「何を言うの! 天使たちの眼力なら間違いないわ! 変な女に捕まったらどうするの!」

「……母さん。双子に依存しすぎるのは、やめてくれ」


何度目か分からない忠告。

だが母は「何を失礼な」とでも言うように顔をしかめ、また双子の素晴らしさを説き始めた。


頭痛が悪化する。胃液がせり上がる。

耐え切れず回れ右をした、その時だった。


「あら、お義兄様」

「好きな方がいらっしゃるのね?」


心臓を冷たい手で鷲掴みにされたような感覚。

振り向くと、双子は天使の仮面を被って微笑んでいた。

あまりに美しく、あまりに冷たい、氷の彫像のような笑み。


「ま……まあ! そうなの!?」


母が椅子を蹴り倒さんばかりの勢いで立ち上がる。


「い、いない! そんな人……!」


義兄は狼狽した。

しかし、双子は逃がさない。


「まあ、嘘は良くないわ」

「ええ、嘘でも否定はいけないわ。脈が乱れておりますもの」


「な、何なんだよ……何なんだよ、お前たちは!!」


恐怖に後ずさる義兄。

双子は穏やかに、諭すように告げる。


「私はベネット」

「私はコレット」

「それだけよ」

「ええ、それだけよ」


その言葉の奥にある深淵を、理解してはいけない気がした。

義兄が逃げようと身を返した瞬間、双子の声がふわりと背中に降り注いだ。


「何の心配もいらないわ」

「ええ、お義兄様の好きな人は、とっても良い人よ」

「明るい光が差し込むわ」

「暖かな風が吹き込むわ」

「安心なさって」

「安心なさって」

「「懸念はすべて、排除できたでしょう?」」


最後の言葉だけが、温度を失っていた。

義兄は今度こそ、悲鳴を噛み殺して屋敷を飛び出した。


***


――排除。

その単語が、呪いのように胃を締め上げる。父の死に様が脳裏をよぎる。


勢いのままに通りを彷徨い、足がもつれて路地裏で膝をついた。通行人の視線が刺さるが、立ち上がる気力もない。石畳の冷たさが掌に伝わり、呼吸が荒く乱れる。


(俺はいったい……何に巻き込まれている……? あの家は、何なんだ……)


視界がぐらぐらと揺れ、限界を超えた吐き気が喉元まで込み上げた。


「だ、大丈夫ですか!?」


頭上から、鈴を転がしたような声が降ってきた。

霞む視線を上げると、そこにいたのは――

義兄が密かに、ずっと想い続けてきた、大衆食堂の看板娘だった。


彼女の姿を認識した瞬間、「よりによって今か」という絶望と、「彼女でよかった」という安堵が同時に押し寄せた。


彼女は義兄の顔色を見るなり息を呑み、

「動かないでください!」

と駆け寄り、膝をついて背中をさすってくれた。


その直後、義兄は堪えきれず胃の中身を吐き出した。


「大変……! 誰か、お水とバケツを……!」


看板娘は顔をしかめることもなく、近くの店主に声をかけて走り回り、戻るとまた甲斐甲斐しく背をさする。

その手は温かく、傷ついた獣をあやすように優しかった。


(こんな……こんなに優しい子を――あの魔窟に関わらせられるわけがない)


胸が締め付けられる。

涙が勝手に溢れ出した。


看板娘は、その涙を「事情」があると察したようだった。


「……お父様が亡くなられたばかりですもの。お疲れが出たのですね。我慢せず、心のままに悲しんでください……」


(違う……違うんだ……そんな綺麗な理由じゃない……)


それでも、その勘違いごとの優しさが心に染みて、義兄はまた泣いた。

娘も周囲の人々も、ただ心配そうに、温かく見守っていた。


「ご心配をおかけしました……」


しばらくして、掠れ声で謝ると、「気にするなよ」「無理するな」と励ましの声が返ってきた。


――この街が、好きだ。

あの冷え切った“箱庭”とは違う、雑多で温かいこの世界が。


袖で涙を拭い、看板娘に礼を言うと、彼女は春の日差しのように笑った。


「いいんです。でも……良ければ、少し一緒に歩きませんか? その……わたし、ちょうどお屋敷の方へ行く用事があって」


屋敷方面への用事など、あるはずがない。

まだ足元の覚束ない自分を気遣っての、優しい“嘘”だ。


だから義兄は、その好意に甘えることにした。


「……ぜひ。ご一緒させてください」


二人は並んで歩いた。

他愛もない会話を交わすその時間は、傷ついた心に薬のように染み渡っていく。


(……やっぱり、好きだなあ)


そう再確認した時には、無情にも屋敷の門に着いてしまっていた。


「今日は、本当にありがとうございました」

「ふふ。持ちつ持たれつですよ」


看板娘が笑う。まだ別れたくない。

そう口を開こうとした瞬間――。


「「お帰りなさい、お義兄様」」


――門の内側から、あの声が響いた。

そこには、門扉の左右に完璧な対称形で立つ、双子の姿があった。

義兄の背筋から血の気が引き、冷や汗が噴き出す。


「え?」


看板娘が双子に気づいた。

どう説明する? 逃がすべきか? 義兄が混乱の極みで口を開きかけた、その刹那。


「かっ……可愛いーーー!!!」


通りに絶叫が響き渡った。


「え?」


義兄が固まる。双子もわずかに目を見開いた。

看板娘は両手で頬を押さえ、感動に打ち震えている。


「この子達は!? な、なにこの……! お人形さんみたい! 可愛い……!!」

「え、と、養子……で……」

「初耳ですよ!? こんなに可愛い妹さんがいたなんて! もっと早く会いたかった!!」


義兄が呆然とする横で、双子は顔を見合わせ、首をこてんと傾げた。


「お姉様は、私たちをどうしたいの?」

「え?」

「私たちを可愛がりたいのでしょう?」

「着せ替え人形?」

「それともショーケースに飾りたい?」


その問いには、いつもの冷徹な分析が含まれていた。人間は皆、自分たちを“モノ”として扱う。その確認作業だ。


だが、看板娘はきょとんとして、即座に言い放った。


「何言ってるの! そんなことさせないわ! あなたたち、人間なんだから!」


双子の瞳がぱちくりと瞬く。

――義兄は息を呑んだ。双子が“純粋に驚いている”のを、初めて見たからだ。


「あ、でも……そんなに可愛いんだもの。素敵なドレス姿はたくさん見たいから……着せ替え人形“ごっこ”はしてみたいかも……?」


看板娘が照れくさそうに付け加えると、双子の無表情な仮面に、ピキリと亀裂が入った。


そして――。


「ふふふ……」

「ふふ……あはは……あはははは!!」


屋敷の門前に、銀鈴を振るような笑い声が響いた。

それは氷が解ける音に似ていた。


「いいじゃない、ごっこ遊び」

「やりましょう、ごっこ遊び」

「お義姉様になってくださるのでしょう?」

「いつでもしましょう」

「遊びましょう」


「えっ?」


看板娘が固まり、遅れて言葉の意味を理解すると、顔が林檎のように赤く染まった。


「わーー!! うわわーー!! ちょっと、まだそんな話じゃ……!!」


義兄が慌てて誤魔化そうとするが、もう遅い。

騒ぎを聞きつけた母が、満面の笑みで現れたのだ。


「まあ!! この方が好きな人なの!? まあまあまあ!! 天使たちが招いたのね!」

「あああ……もうおしまいだ……」


義兄が頭を抱えてうずくまる。

その横で、双子がぽつりと呟いた。


「一緒に家に来たのにね」

「まだ気持ちを伝えてないなんて」

「予想外だわ」

「ええ、初めて予想が外れたわ」


双子は口元に手を当て、

“初めての計算違い”に、胸の奥がくすぐったく揺れるのを感じていた。


***


そしてその後――。

義兄はついに看板娘へ想いを告げ、正式に婚約が結ばれた。


結婚式の日、双子は珍しく子供のようにはしゃぎ、式場の飾り付けにまで口を出して周囲を驚かせた。


初めての義姉。

初めての「対等な家族としての他者」。


そして数年後。

義姉の妊娠、出産。


甥が生まれた日。

双子は生まれたばかりの小さな赤子を前にして、人形のような無表情の奥に、確かな熱――暖炉の火のような温かいものを灯した。


“予想外”という名の嵐が、確実に、双子の心の形を変えていった。





3. 天使は羽を切り落とす



義兄が選んだ女性は、裏表がなく、優しくて、少し泣き虫な娘だった。

双子はその義姉を、飽きもせず“観察”した。


些細なことで泣いて夫に抱きつく姿も。

必死に帳簿と格闘し、家業を覚えようとする姿も。

夜泣きする子をあやすため、自らも船を漕ぎながら、それでも諦めずに揺すり続ける姿も。


――なぜだろう。

これまでの“法則”では計算が立たなくなる場面が、少しずつ、しかし確実に増えていった。


胸の奥がざわつく。

“感情”という名の得体の知れない波が、小さく、けれど絶え間なく押し寄せてくる。


決定的だったのは、初めて甥を抱かせてもらった時だ。

赤子の、紅葉のように小さな手が、恐る恐る差し出した双子の指を、ぎゅっと――迷いなく握り返してきた瞬間。


「……離さないわ」

「……こんなに、温かいのね」


言葉は囁きのように消えたが、胸の内側で何かが熱く膨張した。

視界が滲み、世界の輪郭が柔らかく溶けていく。


その日から、双子の時間はゆっくりと速度を変えた。


赤子がよたよたと二歩三歩歩き出した瞬間を、義母と義兄夫婦と共に歓声を上げて喜び、

ひとつ言葉を覚えるたび、頬が勝手に緩んだ。

あんなに大泣きしていたのに、抱き上げれば安心して眠るその重みに、思わず顔を見合わせた。


――なんて愛おしい生き物なのだろう。


「私たちも……こんなふうになりたかったのかしら」

「そうね……きっと……ずっと、ずっと……願っていたのかもしれないわね」


気づいてしまった。

怖いほど、痛いほど、はっきりと。

本当はただ――。


誰かに愛され、誰かを愛せる“人間”として、生きたかったのだと。


***


ある冬の夜。屋敷は雪に閉ざされ、静寂に包まれていた。

炉火の爆ぜる音だけが響く部屋で、双子は寄り添うようにソファに座っていた。


「ねえ、コレット」

「なあに? ベネット」


「私たち……幸せ、なのよね」

「ええ。きっと、もう十分すぎるほど」


ふたりが生きた十数年は、長さの割に空白が多かった。

“箱庭”と呼ぶしかない閉じた世界で、ただ観察と実験、そして排除を繰り返すだけの日々。


そのすべてが、あの小さな手のぬくもりと共に、上書きされていく。

モノクロームの記憶に、ひとつひとつ色が差していくように。


――どうして、もっと早く知らなかったのだろう。

胸の奥で、微かな悔恨と、それを上回る救済の喜びが混じり合う。


「ねえ、ベネット。あの子が大きくなるのを……ずっと見ていてもいいかしら」

「もちろんよ、コレット。だって私たちは……もう、家族なのだから」


冬の夜気が小さく窓を震わせた。

揺らめく火の赤は、双子の頬の上で穏やかに踊り、まるで祝福のようにきらめいた。

そのぬくもりを前に、双子は初めて心から微笑んだ。


――“観察する天使”としてではなく、“愛する人間”として。





4. 羽のない天使



季節がいくつも巡るあいだに、双子のガラス細工のような身体は確かに細り、指先の温度さえ昔のようには戻らなくなっていった。


不思議なことに――それと歩調を合わせるように、長く彼女たちを信仰し、守ってきた“母”もまた、静かに老いへと身を委ねていった。


その夜、屋敷は降り始めた雪のように、しんと静まり返っていた。

母はもうほとんど動けず、寝台で薄い毛布に包まれて横たわっていた。


その枕元に、双子はゆっくりと膝をついた。


「……お迎えかしら?」

「ええ。静かで、優しいお迎えだわ」


かすかに母の白くなったまつげが揺れた。

双子は、その枯れ木のように細くなった手を、両側からそっと包み込む。


「よく……頑張られましたわ、奥様」

「本当に。どれほどの苦労をなさったことでしょう、お義母様」

「もう、大丈夫ですの」

「これからは、どうか穏やかでありますように」


母は息を整えるようにゆっくり瞬きをし、濁りの消えた瞳でふたりを見つめた。

そこにはかつての狂信はなく、ただ穏やかな凪があった。


「……いいえ……天使たち……私こそ、幸せだったのよ……」


掠れた声が、静寂に溶けていく。


「あなたたちが……そばにいてくれたから……毎日が……どれほど心強かったか……」


言葉は途切れ途切れだったが、そこにある愛情だけは、最期まで確かに灯っていた。

双子は、はじめて聞くその“ひとりの母としての本音”に胸を満たされながら、涙ぐむように微笑んだ。


「……そう。ならば、もう何も思い残さなくていいのよ」

「ゆっくりお休みなさい」


そしてふたりが、最後にそっと言葉を重ねた。


「――もうひとりの、大切なお母様」


その呼びかけに、母の瞳からたまらず光が溢れ出した。

零れた涙は、小さな雫となって皺深い頬を伝い、枕へと静かに染みこんでいく。


やがて呼吸は波が引くように静まり、母はそのまま、深い安息の眠りへと帰っていった。


”母の為の天使”としての役割は、これで終わった。

……いいえ、もしかしたら、あの日義姉と出会い、家族になった瞬間から、その役割は終わっていたのかもしれない。


走馬灯のように、賑やかで温かい日々が蘇る。

立派に育った甥や姪たち。

子と孫達に囲まれた生活は、きっと母の心に「信仰」以上の、確かな「幸福」を与えたはずだ。


双子はしばらく、冷たくなっていく母の手を離さなかった。

窓の外では、雪が世界を白く染め上げている。


その夜、ひっそりと幕を下ろしたのは、

双子が外界にて最初に得て、育て、愛し、そして最後に見送った――


小さくて、温かくて、かけがえのない“箱庭”の物語だった。



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