1.
悪役令息に転生してしまった。
それに気づいたのは五歳のとき。
高熱にうなされ、生死の境をさまよっていた時だった。
──ここ、ゲームの世界じゃん……!
俺の名前は、テオドール・フォン・エーデルシュタイン。
思い出したんだ。前世の記憶を。
前世は日本で地味に働く、ごく普通のサラリーマン。趣味は休日のゲーム三昧、推しキャラに課金する日々。
そう、そんな俺が転生した先が──戦略シミュレーションゲーム『アルカナの刻-統一の大陸-』だった。
このゲームでのプレイヤーは亡国シュトルツヘルムの王子・ディーリットとなって、国を滅ぼした大国レグニツァへの復讐と国の再興を目指す。
策略と戦略が求められる骨太なストーリーで、緻密な設定や重厚なキャラ描写が評価され、俺もドハマリしていた名作だ。
そして、俺が転生したテオドール・フォン・エーデルシュタインというのは──そのゲームの中に登場する、悪役だった。
エーデルシュタイン家は、レグニツァ帝国内の新興貴族で金の力で地位を得た家だ。成り上がりゆえ、古くからの家門には疎まれている。そして厄介払いのように、貴族の間でたらい回しにされた幼いディーリットを預かった家でもある。
ゲームのシナリオでは、ディーリットはこの家で孤独な幼少期を過ごす。
冷遇され、心を閉ざした彼は、学院入学後に仲間を集めて帝国に反旗を翻す。
テオドールは、そんな主人公の前に幼い頃から嫌がらせをし、立ちはだかる噛ませ犬ポジション。
そして、彼が迎えるエンドは──家門の没落。
最後は反逆者として縛首。
縛首……いやいやいや、縛首は無理!! 無理すぎる!!
……ということで、俺は考えた。
ディーリットと仲良くなって、死亡フラグを折ればいいんじゃないか?
幸い、エーデルシュタイン家に彼が来るタイミングを覚えていた。
前世を思い出してから三年。
そしてその日、俺は満面の笑みで手を差し出し言ったのだ。
「僕はテオドール。よろしくね、ディーリット」
──敵意はない。
縛首を回避したいだけなんだ、お願い通じてくれ。
そう願いながら差し出した俺の手を、ディーリットは少し戸惑ったような表情で見つめていた。
彼の大きな赤い瞳が揺れている。
人の顔色を窺う癖がすでに染みついてしまっているのだろう。
それでも彼はおずおずと手を差し出し、俺の手をぎゅっと握り返した。
「……よ、ろしく。テオドール」
声が小さすぎて、思わず耳をそばだてる。
「そんなに緊張しなくていいよ。今日からうちに住むんだし、仲良くしよう」
俺はそう言って、あらかじめ用意しておいたクッキーの箱を手渡した。
「おやつ用に焼かせてみたんだ。甘いの、好き?」
ディーリットは一瞬、目を見開いた。
そして──
「……す、好き」
その顔がみるみるうちに赤くなった。
え、ちょ、なんで!? 俺、ただの挨拶のお菓子のつもりだったけど!? ほら、引越しの挨拶みたいな?
もしかしてこの子、ちょろい……!?
いや、ゲームでそんな描写は──いや、子供時代なんてさくっとプロローグで終わってたしな。
それに、彼は──この国が滅びゆく中で、誰よりも多くの辛い思いをしてきた。
ディーリットの父である国王は政変のさなか命を落とし、母である王妃はなんとか命こそ繋いだものの、現在は幽閉されているはずだ。 確か、ゲームでは後に解放イベントがあった。
そんな背景があって、彼はたった一人で、レグニツァへとやって来ることになったのだ。
「あ、ありがとう……すごく、嬉しい」
ディーリットは両手で箱を抱え、大事そうに見つめた。
そして、ちらっと俺を見上げる。
「……ぼくのこと、嫌いじゃないの?」
その声が、あまりにも真っ直ぐで、胸がチクっとした。
「どうして、嫌いじゃないよ」
ディーリットはその言葉に顔を真っ赤にして、うつむいた。
それからの俺は、ディーリットの良き理解者ポジションを確保すべく、常に彼の隣にいるようにしていた。俺がそばにいることで、家族からの扱いも多少マシになる。いや、完全には無理でも、冷たい視線や無視ぐらいなら割り込んで遮れる。それに俺は、エーデルシュタイン家の末っ子。兄姉とは年が離れていたおかげで、それなりに可愛がられていたから、家の中での発言権もちょっとはある……そう、ちょっとは。
「どうして、そんなに僕に優しくしてくれるの?」
ディーリットは、時折そんなことを聞いてくる。そのたびに俺は内心ヒヤリとしながらも、笑って答えていた。
縛首にされたくないから──なんて、口が裂けても言えるわけがない。
「うちはね、兄上や姉上と年が離れてるからさ。弟ができたみたいで、嬉しいんだ」
そうやって、笑顔でごまかす。
するとディーリットの顔が、ぱっと明るくなる。
ちょっと眩しいぐらいに。
この子は、俺の一つ年下。
黒髪にルビーみたいな赤い瞳。ゲームのパッケージと寸分違わぬビジュアルの良さ。性格もまっすぐで、感情が顔に出やすい。
いや、良く言えば純粋、悪く言えば……ちょろい。
え、主人公、こんなちょろかったっけ?
いや、まだ子供だし……俺はただ縛首を回避したいだけなんだけどさ。ディーリットの嬉しそうな顔を見るたび、少しだけ罪悪感があるけど、こっちも生死がかかっているんだ……許してディーリット。
そんなこんなで、年月は進んでいった。
俺が十三になった年、ふたりそろって、帝都レグニッツァードにある高等学院へと進学することになった。 この学院は、貴族の子弟が一定の年齢になると通うことが慣例となっている場所で、だいたい十二歳から十四歳のあいだに入学し、十八歳までに卒業するのが一般的だ。決まった入学年齢はないものの、全員が寮生活をする決まり。
貴族社会の縮図──身分や家柄、権力、派閥、すべてが如実に可視化される場所だった。
俺が先に入学する予定だったが、無理やりディーリットも一緒に行くと言って駄々をこねた。
ディーリットを一人にさせたくなかったし、何より……目を離すのが、ちょっと不安だったんだ。
入学した後、ディーリットは「兄さん、一緒に連れてきてくれてありがとう」なんて小さく言っていた。
そうして、ふたりで寮生活が始まった。
もちろん同室。
本来なら俺が演じていたはずのかませ犬ムーブは、学院内のどこぞの貴族が一手に引き受けてくれている。
ディーリットはというと、周囲の支持をぐいぐい集めていて、教師の受けもやたらと良い。
おかげで俺は、そこそこの地位を保ちつつ、平和な学院ライフを満喫中……だった、はずなんだけど。
──学院生活も五年目。
最近、ディーリットの様子がおかしい。
俺の目を盗んで、こそこそと単独行動することが増えてきた。
もちろん、堂々と尾行するほど暇じゃないし、バレたら面倒だから、ちょっと調べただけだけど……どうやら、下町のほうに出入りしているらしい。
(やっぱり……ゲーム通り、復讐の準備を始めてるのか?)
シュトルツヘルムの王子として、レグニツァを打倒するために。俺の知らないところで、静かに、着実に。
……でも。
(あの子供の頃の笑顔、まだ覚えてるんだよな……)
小さな手を握ってきたとき。初めて「兄さん」って呼んでくれたとき。あれが全部、演技だったとは思いたくない。
あんな顔をして、復讐に突き進むなんて──あまり血生臭いことはしてほしくない。
少なくとも、あの瞬間のディーリットは、心から俺を……そんなことを考えながら、俺は寮の自室の扉を開けた。
「……あ」
そこにいたのは、ちょうど制服を脱ぎかけたディーリットだった。
ベッドには、下町に行く用らしい簡素な服が無造作に置かれている。
シャツのボタンを半分だけ外した状態でこちらを振り向き、目が合った瞬間、ぱっと顔を明るくした。
「兄さん!」
「……ディーリット、部屋にいるの久しぶりじゃん」
俺は眉をひそめながら言う。
ディーリットは、わずかに唇を尖らせた。
「……ちょっと、兄さんに避けられてる気がして」
「は?」
「最近、忙しそうだったし……話、したかったのに」
いやいや、避けてたのはお前だろ。こそこそ動き回って、明らかに俺から距離取ってただろ。
でも、今にも泣きそうな顔を見てると、追及する気も失せてしまう。
……それにしても、でかくなったな。
昔の面影が少し残る程度で、今や身長はたぶん185センチ以上はある。鍛え上げられた体には無駄がなく、剣術の腕も教団内で評判だ。
整った顔立ちは、まるで神殿に飾られる聖騎士像そのまま——黒い髪は黒曜石のようで、その宝石の様な赤い瞳は人を惹きつける。
あの、パッケージイラスト。今やそのまんまだ。
そりゃあ女子からも人気あるわな。さすが主人公、ってやつだ。
対して俺はというと、170センチあるかないか。
茶髪に茶色の目、どこにでもいそうな平凡な外見。子供の頃は一緒に剣術の稽古もした。けど、俺には筋肉もつきづらくて、線は細いまんま。動けばすぐにあばらが浮く体つきじゃ、かっこいいとは無縁。どこをどう切り取っても、見事にその他大勢——典型的モブってやつだ。
まだ、いっそスタイリッシュな悪役にでもなれてたら、納得もできたかもしれない。
でも現実は、ただの凡人。
「てか、門限はちゃんと守れよ。俺が庇ってやれるのも、ほんの多少だからな」
着替えの服を見て、俺は肩をすくめる。
たまに夜、帰ってこないとき──俺がどれだけ寮の教官に頭を下げてるか、こいつは知らないんだろうな。
そもそも、ゲームにはそんな細かい描写なかったし。
というか、そもそも学生時代のエピソード自体、スキップされてたじゃん……!
学院には、シュトルツヘルムの血を引く貴族が潜んでいて、そいつがディーリットを家門ごとバックアップして国を変えていくってシナリオ。
因みに、皇帝になるまでがⅠで、大陸を統一するのがⅡだ。
まぁ、当然のように帝都の中にも元シュトルツヘルムの貴族や騎士が隠れ住んでいる。
ディーリットが下町に出入りしてるのも、その人たちと接触するためなんだろうな。
「多少なんて……そんなことない」
ふいに、ディーリットの声が部屋に響いた。
「ん?」
「兄さんは、俺のこと……好き?」
不意を突かれる、率直な言葉だった。
「……好きだよ」
当たり前だろ。弟みたいなもんだし、それに――俺の首、マジでお前にかかってるんだからな。
「兄さん、もうすぐ卒業しちゃうし……」
ああ、そうだったな。 お前は俺より一つ年下。だから、俺のほうが先に学院を卒業することになる。
そうなれば、この学院に残るのは──ディーリット、ひとりだ。
それが空白の一年。
かつて遊んだゲームでは、まさにこの先一年で物語が大きく動き始める。
でも、今、隣にいるディーリットは、そんな運命へ向かうようには見えなかった。 ただ少し不安そうに、俺の卒業を惜しんでいるだけの、年相応の──弟のような、そんな顔をしていた。
「卒業したら、どうするの?」
「多分、家の仕事かなあ。父さんとも話したし。ほら、うち商会やってるだろ……南部のほうに商会の支部があるから、そっちで働くと思う」
ちらりとディーリットを見ると、さっきまでの笑顔が嘘のように、しゅんと落ち込んでいた。
「ディーリットは……」
卒業後のことを聞こうとして、言葉が喉につかえた。
そんなの、もう決まってるんだ。
俺に言うはずもない。
「……まあ、暇ができたらさ、休みの時にでも遊びに来いよ?」
「……うん」
「なんだよ、寂しいのか? まったく、図体ばっかりデカくなって、まだまだ子供じゃんか」
そう言って笑いながら手を伸ばし、ディーリットの髪をくしゃりと撫でた。
その手を、ディーリットがふいに取って握りしめた。
「――絶対、迎えに行くから。待ってて、兄さん」
……ん?
迎えに、行く?
……言い間違いか?
「……うん? 待ってるよ」
軽く流すように答えると、ディーリットはまた、あの子供の頃と同じ笑顔を見せた。
何も変わってないように思えた、そのときは。